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23日、閉じ込めたい衝動(4)

 それから、駅までの道を歩き出す。
 二人並んで、慎重に。お互いに転ばないように。
 人が通る度に踏み固められて行く歩道は、ブーツでスケートが出来そうなほど滑らかだ。
「先輩、質問があります」
 鏡面のような道を確かめながらふと切り出した私に、
「却下する」
 鳴海先輩は即座に応じた。
「……まだ聞いてませんけど」
 不平を唱えれば、またしても反応は速かった。
「お前が何を聞こうとしているかは大体、わかる」
「先輩は、大槻さんに私のことを何と――」
「だから、却下だ。ノーコメント」
 歩きながら顔を覗き込もうとしたら、じろりと睨まれた。
 余程私に言えないような説明をしたのだろうか。私を一目見た時の大槻さんのあの驚きようと、鳴海先輩を『嘘つき』とまで言い切った口振りは気になるところだけれど、先輩は薄い唇を結んだまま開こうとしない。
 私の聞きたいことを頑なに話そうとしない先輩の、全てを知ることは、今夜だけでは無理だろう。きっと時間が足りなくなる。もっと長い時間、一緒にいられたらいいのに。

 駅が近づいてくると、私は繋いだ手を離したくなくなって、更に力を込めてみた。
 先輩は何も言わない。
 その目は既に遠くを見ていた。――駅の前で、連なる人の列。タクシーを待つ人々。
 電車は止まっていた。

「除雪作業の為、運行の見通しが立っていないそうです」
 私は駅員さんから聞かされた説明をそのまま先輩に告げた。
 改札の前にいる駅員さんは、詰め掛ける大勢の人々一人一人に状況の説明をしている。少なくともあと二時間は動かないかもしれない、と言われた。
 腕時計を見れば、もう夜の十時を過ぎている。電車が動き出す頃には日付が変わってしまうだろう。
「しょうがないな、この雪だ」
 鳴海先輩は首を竦めて、私を咎めるように見た。
「だから言ったんだ、雪なんて積もらない方がいい」
「そうでしたね」
 素直に認める。
 その通りだ。雪が降って、ロマンチックと思えるのはクリスマスを楽しめる人だけ。仕事が増えたり、家に帰るのが困難になって、迷惑を被る人も随分いることを私は失念していた。
 駅の外に視線を転じれば、駅前のタクシー乗り場には尚も長い行列が出来ていた。タクシーを拾うにも今夜は大変そうだ。
「乗って帰るか?」
「いえ、電車を待ちます。ここからだとさすがに料金が怖いです」
 私はかぶりを振った。
 先輩はそんな私に物問いたげな顔をする。
 固く繋いでいた手を離す時が来た。温くなった先輩の指が離れると、コンコースに吹き込んで来る外の風が身を震わせた。響く靴音も凍える寒さだ。
「送ってくださってありがとうございました。先輩はお帰りください」
 私はそう言って頭を下げる。
 顔を上げると、先輩はいつものように仏頂面だった。
「帰れと言われて帰れるか、こんな状況下で」
「でも、電車が動くのは何時になるかわかりませんよ。一緒に待っていただくのも申し訳ないですし」
「俺は近いから、いい」
 疎ましげにさえ聞こえる声で言う先輩は、やっぱり昔よりもずっと、優しい。
 うれしいけれど少しくすぐったい気持ちで、私はまだ言い募った。
「明日は大学に行く用事があるんですよね、先輩」
「そうだ」
「早く帰らなくていいんですか」
「しつこいな。俺がいいと言ったらいいんだ。いちいち逆らうな」
 鋭い声を吐き出して、先輩の手が、素早く私の手を捕まえた。
 ぎゅっと、さっきよりも強く繋がれる。長い指に、心臓まで鷲掴みにされたように強く。手を引き寄せられると肩がぶつかった。
 並んでコンコースの壁に寄り掛かる私と鳴海先輩。コンクリートの壁の冷たさも、寄り添う距離のお蔭で気にならない。でも、先輩は寒くないだろうか。
 ちらりと窺い見た横顔は、酷く不機嫌そうだった。
 心なしか寒そうではなかった。
「ありがとうございます」
 感謝を述べても睨まれるだけだとわかっているので、あえて笑っておいた。この人は、素直に受け取る人ではない。
「礼を言われる理由がないな。誘い出したのはこっちだ」
「そんな、楽しかったです、今日」
 私の言葉に、先輩は鼻を鳴らした。
「気を遣うな」
「遣ってません。本当に楽しかったです。またチケット買わされたら、その時は誘ってください」
 すると先輩はますます不機嫌そうになって、何か言いたそうにしたけれど、結局何も言わずに黙り込んでしまった。
 でも、予感がする。そのうちにまた、先輩は私を誘って来るだろう。大槻さんから買わされたチケットを、メモ用紙には絶対しないだろう。
 沈黙が落ちる前に私は語を継いで、
「時間、たくさんありますね」
 先輩が首を動かして、こちらを見る。目の端に映る訝しげな顔。
 その顔に向かって尋ねてみる。
「さっきの話、もう一度聞いてもいいですか」
「何のことだ」
「ですから、大槻さんに私のことを、何と話していたかです」
「……どうして聞きたがる」
 どうしてと言われても、自分に関する話題に、興味を持てずにいる方がおかしい。先輩は誰に何と言われても気にしない人だろうけれど。
 黙ってじっと見つめていると、鳴海先輩は鼻の頭に皺を寄せた。
 やがて、一層低い声で呟く。
「特に話はしていない。ただ、お前のことを『可愛いか』と聞かれたから、ちっともだと答えたまでだ」
「ちっとも、ですか」
 はっきり言うところはいかにも、らしい。
 多少のショックを受けつつ、私は平静であろうと努めた。自分が可愛いとまでは思っていない。だけど、……『ちっとも』ではなく、せめて『そうでもない』くらいに留めて欲しかったと思うのは、わがままだろうか。
 そこへ、顔を顰めた先輩が続けた。
「俺がお前を可愛いと評したら、惚気ているみたいに聞こえるじゃないか」
 私は瞬きを止めた。
「そう、でしょうか」
「そうだ、間違いなく」
「もしかして、惚気るのは苦手なんですか、先輩」
「得意な訳がない」
 そっぽを向いた先輩の答えも、いかにも先輩らしいなと思いながら、私はその時の表情を追い駆けるのは止めておいた。
 代わりに手は繋いだまま、質問を重ねた。
「どうして私のこと、話す羽目になったんですか。彼女がいるって、先輩から大槻さんに言ったんですか?」
「話したくない」
「教えてください」
「嫌だ」
「じゃあ今度お会いした時に、大槻さんに伺ってみてもいいですか」
「断る。もう二度と奴とは会わせない」
「大学で先輩がどんな風に過ごしているのかも、是非お聞きしたいです」
「……会わせないからな」

 雪に閉じ込められたお蔭で、一緒の時間はまだまだ続く。
 先輩が根負けして全て打ち明けてくれるのと、クリスマスイブを二人で迎える瞬間とは、果たしてどちらが先に訪れるだろう。
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