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可愛くないはずの佐藤さん

 佐藤さんはかわいくない。
 というのはあくまで顔、容貌についての話だけど、どう贔屓目(|ひいきめ)に見ても美人ではない。
 僕は佐藤さんの顔が嫌いではないけど、むしろ好きだけど、それでも地味で垢抜けない顔立ちだということは否定できない。どこにでもいそうな顔、十人並みの顔というのが正しいのかもしれない。
 もちろん僕にとっては特別だけど、僕以外の人が彼女を僕よりも高く評価しているのを聞いたこともなかった。
 つまるところ誰の目から見ても、佐藤さんはかわいくないはずだった。

 その佐藤さんが別人の顔になって現れた。
 文化祭当日、劇本番直前の慌しい教室内に。

「山口くん、おかしく……ないかな?」
 ざわめきの中から、どことなく自信のなさそうな声が聞こえてきた。
 僕の目の前に立つ、小首をかしげるその姿はまさしく佐藤さん、のはずだった。
 僕はその時、全身タイツを嫌々ながらに着こんで、ネズミの耳つきフードを頭から被ったところだった。これがまた我ながらいい出来で、馬の被り物を被っても耳が潰れない布製だ。どこからどう見てもネズミ役にしか見えない僕に、彼女が声を掛けてきた。
 もちろん、すぐに佐藤さんだとわかった。彼女の声を聞き間違えるはずがなかった。
 顔だって見間違えるはずもなかったのに、彼女を見た瞬間、ぎょっとした。

 佐藤さんは黒いドレスを身に着けていた。
 肩紐の細いキャミソールに、長いスカートを足した真っ黒なドレス。きらびやかさはなかったものの、すとんと落ちる細目のラインがやけに大人びて見えた。剥き出しの肩には薄紫色のショールが掛けられていて、その隙間から覗く肌がやけに白かった。
 髪型は、いつもの一つ結びじゃなかった。ドレスと同じくらい真っ黒な髪をシニヨンにして、頭の後ろで留めている。うなじにわずかに残った解れ毛(|おくれげ)が、ふわふわ揺れている。
 そして顔には、あの特別美人でもないはずの顔には、ちゃんと化粧がされていた。口紅がはみ出たり頬が必要以上に真っ赤になっていたりということもなかった。唇は深みのある赤で彩られていて、目元には細かなラメが散り、頬はほんのりバラ色に色づいている。上向きの睫毛はどきっとするほど長く、瞬きの度に音がするようだった。
 別人の姿になった佐藤さんが、目の前にいた。

「……山口くん?」
 そのくせ、声だけはいつもの佐藤さんだ。
 控えめで、気づかわしげで、僕のことを心配したがる佐藤さんの口調だった。
「大丈夫? 顔色よくないけど……」
 眉尻を下げた表情は、化粧のせいか声とまるで釣り合っていない。僕はその違和感にどぎまぎしていた。
「だ、大丈夫」
 一応答えたものの、声が思い切り上ずった。
 クラスの連中に聞きつけられたんだろうか、直後、教室のどこかから盛大な笑い声が上がった。もしかすると気のせいかもしれない。気のせいじゃないとしても、どうでもよかった。他の連中のことなんて考えてる余裕もない。
 だって、目の前には佐藤さんがいる。
 声だけは普段通りの、見たことのない佐藤さんが。
「もしかして緊張してる? もうすぐ本番だから」
 彼女の赤い唇が動く。つやつやしていて柔らかそうだった。
「まあね、多少は……」
 対照的に、僕の唇は乾いて、かさかさしていた。当たり障りのない返答までかすれた。
「私もなの」
 佐藤さんはまた小首をかしげた。
 その時、肩からショールが滑り落ちそうになって、慌てて押さえていた。寒いからか、肩を気にするそぶりを見せている。
「舞台に立つ時転ばないかなとか、台詞、ちゃんと言えるかなとか気になっちゃって、さっきから頭がいっぱいなんだ」
 僕は他のことで頭がいっぱいだ。
 間近に迫っている劇本番のことも、すっかり抜け落ちてしまった。三つきりしかない台詞もどこかへ吹き飛んで、今はたったひとりのことばかり考えている。他のものは何も見えない。
「でも、ちょっとだけ安心したかな。山口くんだって緊張するくらいなんだもん、誰でも緊張しちゃうよね」
 軽い笑い方をした彼女は、だけど僕よりもずっと余裕ありげだ。
 こっちは余裕なんかない。緊張していた。文化祭の劇の本番よりも、佐藤さんに対して緊張していた。おかしな話だ。

 佐藤さんはかわいくないし、美人でもない。
 そんなの僕一人が思ってることじゃない。みんな知ってることだ。
 だけど劇の為にドレスを着込んで、髪形もきちんとして、化粧までしている佐藤さんは、不思議ときれいに見えていた。元が美人じゃなくてもこんなにきれいになれるのか、と思った。化粧ひとつで女の子ってこんなにも変わるのか。ずるいじゃないか。
 そう思いたくなるくらい、本当に――。

「山口くん?」
 彼女の声で我に返る。
 教室のざわめきも戻ってくる。本番前のクラスの雰囲気は緊張のせいか、高揚していて少しうるさい。
 そちらに飛んだ意識を引き戻すように、佐藤さんは上目づかいに僕を見た。
「大丈夫? やっぱり顔色がよくないみたい」
 その眼差しを直視できない。僕はあわてて視線をそらした。
「そ、そんなことないよ。化粧がまだだから気分が乗らないんだ。僕もこれから顔に色塗って、ひげでも描いたら落ち着くと思う」
 言い訳にもならない説明に、またどこかから笑い声が聞こえたような気がした。
 だけど佐藤さんは気づかない。そっか、と胸を撫で下ろしてみせる。またショールがずり落ちた。
「佐藤さん、化粧は自分でしたの?」
 僕がどうにか尋ねると、彼女は笑顔で答えた。
「ううん。お願いして、やってもらったの」
「もしかして髪型も?」
「そう。私ひとりじゃできなかったよ」
 彼女が指し示した教室の片隅では、女子のグループが互いに髪を結い合ったり、化粧を手伝ったりしていた。和気藹々として楽しそうだ。
「……へえ」
 僕は少しがっかりした。
 じゃあ、この髪型は今日限定なんだろうか。今日の、文化祭の劇限定で、それ以外の日にやってもらうのは無理なんだろうか。もったいない。いつもの色気のない一つ結びよりよほど、いいのに。化粧だって似合っているのに。毎日のようにされたら慣れるまで始終面食らうだろうから、困るだろうけど。
 今だって困っている。面食らっている。言わなきゃいけないことがあるってわかっているのに、なかなか口にできなかった。
「その格好、おかしくないよ」
 やっとのことで、僕はその事実について言及した。
 彼女に声を掛けられてから、もうどのくらい経っているだろう。その間ずっと全身タイツ姿で、ネズミの耳付きフードを被っていた僕は、ようやくまともに口が利けた。佐藤さんが恐らく一番聞きたがっているだろう言葉を告げた。
 佐藤さんは上向きの睫毛でぱちぱちと瞬きをする。
 それから頬をもう少しだけ赤くして、より赤い唇ではにかんでみせた。
「よかった。山口くんにそう言ってもらえて」
 ずいぶんと意味深な呟きだと思った。
 でも、意味を尋ねる余裕だってなかった。

 今日の佐藤さんはきれいだ。
 他には、何も見えないくらい。

 彼女が去っていった後、僕は手鏡を覗き込み、やけに上気した自分の頬にファンデーションを塗りたくった。
 その上からさらにネズミのひげを引いた。右に三本、左に三本。
 左の三本目を引いてる時に、湯川さんに声を掛けられた。
「山口、さっきびっくりしてたでしょ」
 手鏡の隅にからかうような笑みが映る。彼女はすでにシンデレラの恰好をしていたけど、およそシンデレラらしくない顔つきをしていた。
「すっごくきれいになったよね、佐藤さん。あれ、あたしがやったんだ」
 その隣に斉木さんがひょいっと顔を出す。彼女も貴婦人役だったはずなのに、いたずらっ子みたいににやにやしている。
「ぶっちゃけ惚れ直したんじゃない? 違う?」
 何を言っても墓穴を掘るとわかっていたので、僕はずっと黙っていた。
 だけどそのせいで、左の三本目のひげは震えたような線になった。

 最後の文化祭。もうすぐ、うちのクラスの出番が来る。
 なのに頭の中は、たった一人のことで一杯だった。
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