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僕たちの卒業(2)

 僕は、佐藤さんの為なら何でもできると思っていた。
 他ならぬ彼女がそう言ってくれたからだ。佐藤さんの持っていないものを持っていて、彼女のできないようなことでも僕にはできるんだって。
 僕はその言葉を信じていた。
 好きな子に言われた言葉だ、どうして疑う必要がある?
 今でも信じていた。

 だから、
「ごめん」
 言った。
「僕は、どうしても、佐藤さんが好きだ」
 叫んだ。
「君が好きなんだ! もう、どうしようもないくらいにっ!」
 ブランコの鎖を握り締めて、身を乗り出し、隣にいる彼女の顔を見据える。ぎいと軋む音さえ遠くに聞こえた。
「ずっとずっと好きだった! 前も言ったけど、今はその時以上に佐藤さんが好きだ!」
 彼女は、この期に及んでぽかんとしている。
 でもそういうしょうもないところも含めて全部、好きだった。佐藤さんはそういう子だ。そんなこととっくに知ってた!
「だから、絶対に嫌だ!」
 声の限りに叫んだ。
 恥も外聞もなかった。
「ただの仲良しなんて嫌だ!」
 多分、今までで一番、素直になれた。
「それだけじゃ僕は、僕は、ちっとも足りないんだ!」
「――山口くん」
 遮る彼女の声が、僕の叫びを残響ごと掻き消した。
 隣のブランコで彼女は、こちらをじっと見つめ返してきた。表情は硬い。頬も鼻の頭も耳たぶまで真っ赤だった。
「私も好きだよ、山口くん」
 震える唇がそう言った。
 それから、ほんの少しだけ笑んで、続けた。
「ね、もしかして、私の言ったこと誤解してる?」
 誤解なんてしようがない。
 むしろいつも誤解してるのは佐藤さんの方じゃないか。僕の言うことをちっともわかっていなくて、鈍感で、とろくて、気が利かなくて。そういうところも好きだった。どう頑張ったって欠点としか受け取れないようなところも全部、好きだった。
 ふふっと、場違いな笑い声が聞こえたのはその時。
「仲良しでいようって言ったの、多分、山口くんが思ってるような意味じゃないよ」
 強張っていた表情が綻んで、佐藤さんはほっとしたような微笑を浮かべていた。
 そうして声も穏やかに、諭す口調で僕に、言ってきた。
「あのね、同じクラスの、友達の仲良しじゃなくて……好きだから、クラスとか進路とか関係なく、この先もずっと一緒にいたいから、仲良し。こう言ったら、わかる?」
 わからなかった。
 だって、仲良しって。そういうのは普通、仲良しって言わないだろ?
 今までみたいに、と言われていたような気もするし。
「じゃあ、ええと……山口くんの彼女になりたい。こう言ったら、わかるよね?」
 わかった。
 わかったけど、ショックだった。
 あの佐藤さんに、鈍い鈍いと常々思っていた佐藤さんに、噛み砕いて説明されてしまった。
「私の言い方、わかりにくかったかな……?」
「そりゃあ……それなりに、わかりにくかったよ」
 僕は佐藤さんほど鈍くないつもりでいた、のに。
「ごめんね、山口くん」
「いや、別に、謝ってもらうようなことじゃないけど」
「でもうれしかったよ。山口くんにも、好きって言ってもらえて」
 はにかむ佐藤さんが、照れ隠しみたいにブランコを揺らす。俯き加減の横顔を隣から見ている。
 これからも、彼女の隣にいられるんだろうか。じわじわと何かが込み上げてくる。
「私も好き。すごく、好き」
 佐藤さんは言う。
「あのね、いつ言おうか迷ってたの。山口くんが受験勉強で忙しい間は、言っちゃいけないかもなあって思ってた」
 僕の方を見ずに言う。
「本当はバレンタインの時、言いたいなって思ったんだけど。クリスマスの時だって、そうだったんだけど」
 そういえばチョコレートを貰っていたんだ。クリスマスプレゼントも。
「文化祭の時も、言っちゃおうかなってすごく迷ったんだ。でも……山口くんは受験生だから、落ち着いてからにしようと決めたの」
 いかにも佐藤さんらしい気のつかい方だった。そのおかげでこっちは、文化祭でもクリスマスでもバレンタインデーでもあれこれと戸惑わされたっていうのに。
「でもね、卒業式までは待てそうになかった」
 佐藤さんがちらと僕を見た。
「さっきも言ったけど、泣いちゃうかもしれないから」
 恥ずかしそうに呟いた。
「山口くんと隣の席になってから、いろんなこと、本当に楽しかった。学校に来て、山口くんと会って、話をするのが楽しかったの。だから、いい思い出は全部、山口くんと一緒だよ。そういうこと振り返っちゃうから、きっと卒業式は泣くと思う、私」
 僕は、佐藤さんの為に何かできたんだろうか。
 最初のうちは、冷たい態度だったと思う。優しさにも欠けていたと思う。素直じゃなかったと思う。それでも佐藤さんは、そう言ってくれるのか。
 目の前がじわりとぼやけてきた。
 なぜ泣く必要があるんだ。振られてない。失恋なんてしてないじゃないか。僕の気持ちもわかってもらえて、佐藤さんの気持ちもわかって、いいことずくめじゃないか。ここにあるのは幸せな結末だ。これからも隣にいられる。泣くようなことは何もない。
 なのに、鼻の奥がつんとした。
 馬鹿みたいだ。誰が泣くんだこんなことで。こんな、ごくありふれた幸せなことなんかで。まだ卒業式も、合格発表だって控えてるのに。
「山口くん?」
 佐藤さんが、ふと怪訝そうに呼んできた。
 だから僕は慌てて目元を拭い、ブランコからするりと降りた。
 深呼吸してから、振り返る。佐藤さんはまだブランコに乗っている。はっきりと表情が見えていた。
 笑っていた。
「ありがとう」
 僕も自然と、笑えた。
「楽しかったよ、僕も。佐藤さんと隣の席になれて、本当によかった!」
 そして、心から言えた。
 隣の席が佐藤さんで、話す機会が持てて、そして好きになれて――よかった。本当によかった。

 公園は人気がなかった。
 歩み寄り、片手を差し出す。手のひらの上にホワイトデーのお返しを乗せて。
「これ、ホワイトデーの」
 物で釣るわけじゃないけど。
 中身は去年と同じく、クッキーだ。そう告げたら、佐藤さんは照れ笑いを浮かべながらありがとうと言って、僕の手を取った。クッキーをではなく、空いている方の手を。
 温かい手だった。
 彼女がブランコを降りたところを、ぎゅっと抱き寄せる。クッキーの包みを彼女の手のひらに押し込んで、もう片方の手も空っぽにしてから、ひとつ結びの髪に手を添える。
 佐藤さんは抗わなかった。
 それどころか、場違いなくらいに明るく、ふふっと笑ってみせた。
「……どうして笑うの、佐藤さん」
「だって。山口くんに抱き締めてもらうのは、初めてじゃないんだって思ったら」
 そうだったっけ。
 でも、そんなことはどうでもいい。
「付き合ってからは初めてだろ」
 僕は言う。
 僕だけ緊張しているのはあまりにも格好悪いから、釘を刺しておく。彼女にも多少は意識してて欲しい。これからは、今までのようにはいかない。
 そのせいか佐藤さんもぎこちなくなる。よくよく見れば僕の腕の中、彼女は棒立ちになっていた。
 目が合う。ぎくしゃく笑ってくる。
「うん、そうだね」
 短い言葉さえたどたどしい彼女を、唇を結んで見つめる。
 美人じゃない。でも好きなんだ。僕には佐藤さんじゃないとだめだと思う。そういう変わり者がひとりくらいいたっていいはずだ。ひとりでいいけど。
 僕は佐藤さんが好きだ。何もかも全部。
 黙って見つめている間に、木枯らしが三回吹きつけた。寒くはなかったけど限界だった。
 意を決して、僕は口を開いた。
「じゃあ……これからも、よろしく」
「うん」
 佐藤さんが頷いた。そのせいで、初めてのキスは唇を外れておでこに当たった。
 やっぱり佐藤さんは、相変わらずどうしようもなく気が利かない。

 卒業式の前に大学の合格発表があり、僕は晴れて志望校に合格することができた。
 その報告も真っ先に『彼女』にした。彼女は、自分のことみたいに喜んで僕を祝ってくれた。

 そして迎えた卒業式当日、佐藤さんは泣いていた。
 本人の予告どおりだった。
 特別美人じゃない佐藤さんは、目を真っ赤にしてべそべそと泣いていた。式を終えて教室に戻ってからも泣いていた。
 湯川さんや斉木さんといった他の女子たちも泣いていた。新嶋に聞いた話では、式の最中に誰かがいきなり泣き始めて、それで一斉につられてしまったらしかった。連鎖反応みたいに涙が伝染して、クラスの女子の半数ほどが鼻をぐすぐす言わせている。泣いていない子も泣いてしまった子を慰めているうちにもらい泣きしてしまうらしく、女子たちと来たら酷いありさまだった。
 すすり泣きの一大集団を形成している彼女たちには近づくことができなかった。
 佐藤さんに、声を掛けたかったのに。

 卒業したからって、これで最後じゃない、と僕なら言う。
 考えられる限り、一番ましな慰めの言葉だと思う。
 最後ではないはずだった。言ってしまえばクラスの連中とも今生の別れではない。何かと理由をつけて会うこともできるはずだ、僕が佐藤さんにあげたクリスマスプレゼントのデジタルオーディオを、この先の口実にしたがっているように。
 あるいは、そんな口実すらこれからは要らなくなるのかもしれない。
 隣にいたいというだけで、会えるようになるのかもしれない。
 佐藤さんは、僕が望むだけ隣にいてくれると思う。

「や、山口くんっ!」
 涙声の叫びが聞こえて、僕はふと我に返る。
 途端、視界を覆ったのは佐藤さんの泣き顔だった。
「行くよ山口、受け取って!」
 それと彼女の背を押す、泣き笑い顔の女子たちが見えた。
 次の瞬間には柔らかい重みが僕の身体に掛かり、危うくしりもちをつきそうになる。でもどうにか、両腕で受け止めた。
「ようやく付き合ったんだってね、お似合いじゃん!」
「遅いくらいだよ! ほら、もっとくっつけ!」
 クラスメイトたちの冷やかしの声が飛んでくる。からかい、口笛もほうぼうから聞こえる。
 冷やかすくらいなら押しつけてくるなと思いつつ、今日は素直になっておく。せっかくの役得だからと佐藤さんを抱き締めた。佐藤さんも今日は僕にしがみついてきた。まだ泣いている。
 みんなが慰めてやれと急かしてくるから、彼女の耳元で、囁いてみる。
「別に、これで最後じゃないよ」
 思いのほか冷たい言い方になって、自分でどきっとした。
 だけど以前はこんな物言いばかりしていたような気がする。これからは優しく、素直になれるだろうか。いきなりは無理でも、少しずつでも。
 佐藤さんが小さく、頷いた。
「うん」
 きっと僕の言いたいことをわかってくれたんだと思う。僕らしい物言いをしても、佐藤さんにはわかるんだ。もしかしたらあんまりわかってないのかもしれないけど、それでも半分くらいは汲んでくれただろう。
 残りの半分もこれから先の未来でどうにかする。

 だって僕は、佐藤さんの為なら何だってできる。
 この先素直になっていくくらい、全然どうってことないはずだ。
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