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佐藤さんの告白

 ひとしきり、散々に泣いた後で、ぽつぽつと佐藤さんが話し始めた。
「私、本当はわかってたの」
 かすれた、湿った声だった。
 まだ僕に抱き締められたまま、俯き加減で続けた。
「あの人、今回も来ないだろうなって。会ってくれないだろうなって思ってた。信じたかったけど、でもどうしてもそう思えてしょうがなかった」
 僕は彼女の肩を支えながらそれを聞いている。
「前の時も……そうだった。こんなふうにずっと待ってて、待ち続けてたけど、結局来てくれなかった。ううん、もしかしたら来ていたのかもしれない。来てくれてたけど、私を見て、がっかりしたのかもしれない。それで、帰ってしまったのかもしれないって、思った」
 ロビーのどこからか視線を感じていたけど、僕は確かめも、見向きもせずにいた。
「前の約束の時、ずっと後になってから謝ってきてくれたのを、ちょっとおかしいなって思ってたけど、電話番号もメールアドレスも知ってるのに連絡もくれないなんて変だなって思ったけど、あの人が何もなかったように振る舞うから、私も気にしないようにしてた。だけど……やっぱり、いろんなこと、不安だったんだ」
 佐藤さんが、顔を上げた。
 泣きすぎて酷い顔になってる。赤く腫れぼったい目、頬には涙の後が残っていた。鼻先まで真っ赤だ。佐藤さんは、特別美人でもない。
 だけど僕は、佐藤さんから目を逸らせなかった。
 泣いた後の顔を、一番近くで見つめている。
「山口くんの、言う通りだね。すごく不安で、信じようとしても信じられなかったくせに、どうしても離れられなかったの。私には、あの人しかいないような気がして」
 目を擦りながら佐藤さんは、ぎこちなく笑った。
「覚えてるかな……。山口くんに読書感想文のことで、手伝って貰った時のこと」
「うん」
 僕は頷く。
「あの時、山口くんは『同情してるんじゃなくて、共感してるんだ』って言ってくれたよね。あの時ね、もしかしたらあの人も、私のことをそう思ってくれるようになるかもしれない、って思ったの」
「……どういうこと?」
 尋ねると彼女はゆっくりと、
「最初はね。あの人から偶然、メールを貰って、それで友達になったの。でも私はその時携帯電話を持ったばかりで、メールを打つのも今よりずっと遅かったんだ。だけどもたもたしてる私にも、あの人は付き合ってくれてて」
 思い起こすように話し出す。
「いろいろと失敗ばかりの私にも、あの人はすごく優しかった。優しすぎて、甘いくらいだった。それも全部、私に同情してくれてるからのかなって思ったけど、山口くんの言葉を聞いた時に、もしかしたら、違うのかもなって。もしかしたら同情以外の気持ちも持って貰えるかもしれないって、思ったの」
 黙って、僕は口を結んだ。
 もしかするとあの時は、余計なことを言ったのかもしれない。
「私、こんなだから、誰かを好きになったらその人に迷惑がかかるってわかってた。クラスの子とか、同じ学校の子を好きになったって知れたら、その子には嫌がられるだろうって」
 気の利かない佐藤さんは、僕の前でそんなことを言う。
 地味でとろくて気が利かなくて、美人でもなくて。だけど明るくて、温かで、僕にとってはすごく可愛い女の子だ。嫌がるなんてことはあり得ない。むしろ望んでいるくらいだ。――そう告げたくなるのをぐっと堪えている。
 何も知らない佐藤さんの言葉は続く。
「だから好きになるなら顔も見えないくらい遠くにいる人がいいって、考えてたの。あの人はうってつけだった。優しくて、遠くて、顔を見られずに済んだから。だけど好きになったら、やっぱり不安だった。顔どころか、私、あの人のことをあまり知らないままだったし。でもあの人しかいない、って思ったら、離れられなくなった。不安抱え込んだままで好きになっちゃって、結局……」
 濡れた睫毛が瞬きをした。
「結局、押しつけちゃっただけ、なんだろうな。あの人に、私の気持ち。あの人は私に合わせようとして、会おうって言ってくれただけなのかもしれない。優しい人だったから」
 そう言って、佐藤さんは少し笑った。
 さっきよりもいくらかは自然に。
「泣いたらちょっと吹っ切れたみたい。ごめんね、見苦しいとこ見せちゃって」
「そんなことないよ」
 僕はかぶりを振った。
 佐藤さんのことなら、何だって平気だ。でなきゃ、こんなところまで駆けつけたりもしない。
「ありがとう」
 心底ほっとした様子で、佐藤さんが言った。
「いや、こっちこそ。勝手に押しかけてきたみたいでごめん」
 実際僕はストーカーの一歩手前だ。必要として貰えたからよかったものの、単なる邪魔者にしかなり得なかったら、どうするつもりだったのか。今となっては意味もない想像だ。
「ううん。来てくれて本当によかった。何とか落ち着けたのも、山口くんのお蔭だよ」
 佐藤さんはそう言ってから、ふと小首を傾げて、
「ね、ちょっと鏡見てきていいかな。私、酷い顔じゃない?」
「まあね」
 確かに泣いた後の顔だった。酷くない、とは言えない。
「行っといで。僕は待ってるから」
 僕はそう言って、はにかんでいる佐藤さんを送り出す。
 化粧室へと歩いていく佐藤さんの背筋は、真っ直ぐだった。
 混み合うロビーの人波に、もたもたしながら飲み込まれていったけど、きっと心配は要らないと思った。彼女はちゃんと戻ってこられる。戻ってきてくれると思う。

 一人になった僕は時計を見た。
 午後七時を既に過ぎていた。外はすっかり暮れていて、電車を乗り継いで帰る頃には遅くなってしまうかもしれない。佐藤さんをあれ以上待たせずに済んで、よかった。ほっとした。
 僕もようやく落ち着いて、辺りを見回す気になった。
 空港のロビーは騒がしく、時間に追われて慌しくて、隅の方にいた僕らのことなんて誰も気にかけていないように見える。
 僕もそれでよかった。もし誰かに笑われたり、馬鹿にされるようなことがあったとしても、僕は佐藤さんが好きだし、彼女を守りたいと思う。もしも佐藤さんのことを誰も気にかけていなくても、僕は佐藤さんを見ている。これからも、できればずっと。
 後はこの気持ちを佐藤さん本人に伝えられるかどうかだけど――それが一番難しいな。特にこんなことがあった後なら。でも焦る思いはもうないから、のんびりタイミングを待ったっていいのかもしれない。

 やがて佐藤さんが戻ってきた。
「お待たせ」
 少し赤みの引いた顔。泣いた後だとまだわかる程度、だけど多少落ち着いた様子の彼女は、僕の前に立つとはにかむように微笑んだ。
「大して待ってないよ」
「本当? ありがとう、山口くん」
 それから佐藤さんは、明るさの戻った声で言ってきた。
「山口くん、お願いがあるんだ」
「何?」
 僕はすぐに聞き返す。
 佐藤さんの頼みなら、何だって聞いてあげるつもりでいるけど。
「用事がなかったら、途中まで一緒に帰ってくれないかな」
 彼女は自分から、帰ると言った。
「いいよ」
 だから僕も頷いた。
 異論はなかった。佐藤さんが吹っ切れたなら、もうここには用もない。留まっている理由もなかった。
「帰ろ」
 にっこり笑う佐藤さん。
 ひとつ結びの髪が揺れたのを見て、僕も思わず笑みを返す。
 目まぐるしく感情の揺れ動いた日を、笑って締め括れるのは、幸せなことだと思った。
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