Tiny garden

花よりは脆くない

 少しの間、あたしはただただぼんやりしていた。
 とりとめのないことをいくつもいくつも考えていた――その全てが先輩のことだけど、本当にぼんやりと考えて、考えて、浮かんでは消えていくその考えを追い駆けず、放ったらかしにしておいた。
 先輩は優しい。先輩は色が白い。先輩は言うことがちょっと気障だ。先輩はあたしを大切にしてくれる。先輩は……すごく、優しい。あたしには優し過ぎるくらいだった。

 当の本人は隣で、やっぱりしばらくぼんやりしていた。
 目だけを動かすと、示し合わせたように先輩もこちらを見た。視線がぶつかる。先輩が笑ったのが、薄暗い中でもよくわかった。
「考え事?」
 問われたから、嘘をついた。
「いえ、別に」
「ふうん」
 濁しても追及しないのが先輩だった。
 そして、
「俺は、君のこと考えてた」
 聞いてもいないのに、気障なことを言い出すのも、いかにも先輩らしかった。
「あたしのことですか?」
 同じように、とりとめもなく考えていたんだろうか。そう思うと面白い。少し笑って聞き返すと、先輩は長く息をついて、続けた。
「君を花に例えるなら、何が相応しいかなと思ってさ」
 思わずあたしは吹いてしまった。
 花? 何でまた花なんかに例える気になったんだろう。
「何で笑うんだ」
 先輩の疑問はそこらしい。むっとしたような声が返ってくる。
 全く、あたしとは感性が違う。どっちがまともかは推して知るべし。
「だって、花って」
「おかしいか? 女の子を花に例えるのは、古来からあるごくありふれた表現方法じゃないか。可憐で、たおやかで、けれど少し脆い。まさに花とは女性に相応しい」
 まあそうですけどね。それはあくまで、見目麗しい女性が対象じゃないかと思います。
 あたしは別に麗しくもないし、可愛くもないし、何より色が白くない。花になんて例えられても困る。合わない。
「君は向日葵かな。俺にとっては」
 先輩は懲りずに言い募る。
 向日葵。もう一回吹きそうになるのは、何とか堪えた。
「いや、向日葵って……あたしが?」
「そうだよ。あのくらい可愛くて、明るい子だ」
 またまた。先輩の気障ったらしさは重症だ。向日葵のようだ、なんて今時どこの男が言うのやら。ましてあたしに。
 あたしはぼんやりと思いを巡らせた。雪の降るくらい寒い冬の晩、なぜか季節はずれの向日葵を思い浮かべている。伸びきって連なる向日葵の列。夏のうだるような暑さ。蝉の声。
 そしたら急に惨めな気持ちになった。
「ああ、花びらが全部落ちた後とか、真っ黒でいかにもあたしらしいですね」
 半ば本気で言ってやる。
 夏の終わりの向日葵が、種だけになって項垂れてる姿。あれはちょっとあたしっぽい。少なくとも可愛い姿じゃない。可憐でもたおやかでもないし、今更脆さを気にするほどでもない感じ。
「何でそんなこと言うの」
 また先輩が腹を立てる。他人事なのに。
「っていうか先輩がおかしいんですよ。何でいきなり花ですか」
「それはさっき言った。君は、じゃあ何ならいいんだ」
「何がです」
「どんな花に例えられたら喜ぶんだ。薔薇か?」
 それをあたしに聞いちゃったら意味なくない? 別にいいけど、何言われても喜ばないし。
「黒薔薇ならあり得ますね」
 あたしは澄まして答え、先輩があたしのこめかみを弾く。痛かった。
「それも駄目! じゃああれだ、君は百合だ、百合の花だ」
「百合の黒いのってありましたっけ?」
「あるから駄目! ええとそれなら、チューリップはどうだ!」
「チューリップの黒は……」
「ないない! あれどう見たって紫っぽいもん。つまり俺の勝ち! 勝った!」
 ぐっと拳を握り締める先輩。――え? これって何かの勝負だったの?
 ってことはあたしは負けたのか。残念。別にいいけど。
「なら、降参です」
 小さく両手を挙げてから、あたしは先輩に尋ねた。
「じゃあ、勝利のインタビューしていいですか」
「どうぞどうぞ何でも聞きたまえ」
 調子に乗ってるな、先輩。気障男のくせに。っていうか何なんだろう、この間違えてるテンション。
「何でまた、花に例えようだなんてとち狂ったことを思いついたんですか」
 拳をマイク代わりにして、隣にいる先輩の口元へと突きつける。
 先輩は一瞬きょとんとしてから、苦笑いを浮かべてみせた。
「だから、それはさっき言っただろ? 女の子を花に例えるのは日本古来の――」
「そうじゃなくて」
 すかさずあたしは遮った。
 だって、気になるんだもの。この脈絡のなさ。どうしていきなり、花に例えようなんて考えついたのか。直前まで花の話をしてた訳でもないのに。むしろ。
 直前まであたしたちは、お互いにぼんやりして、少し疲れていて、しばらく口も利いてなかったのに。
「花の話なんて急に持ち出してきたのが、妙だなあと」
 そう言ったら、先輩は溜息をついた。困ったような顔をした。
 それから低い声でぼそっと、言い訳でもするみたいに告げてきた。
「いいだろ。ムード作りだ」
 言うが早いか手を握られた。布団の中で。
 たったそれだけの行動に、妙にどきっとした。触れたことも、触れられたこともある手なのに。手を握るなんて今更過ぎる行動で、どうして。
 動揺をごまかすように、あたしは鼻を鳴らす。
「ムード作りに花の話。先輩、気障ですね」
「そう言うなよ。俺だって困ってるんだ、こんな時の話題なんて持ち合わせてないし」
 本当に困っているのがよくわかる言葉。声も表情も、何だか困惑しているみたいだった。それは、そうだろう。当然だ。
「気を遣わないでくださいよ。あたしが相手なんですから」
 先輩は優しい。優し過ぎるくらいだった。
 きっと先輩の目にはどんな女の子も、花みたいに映るんだろう。あたしでさえも。花みたいに可憐でたおやかで脆い女の子に映るんだろう。
 だから、気心の知れた相手であるにもかかわらず、こうして過ごす初めての夜に困り果ててるんだ。あたしへの接し方、扱い方に困ってる。
 とんでもない間違いだと思う。

 二人きりの夜を過ごすうち、すっかり目が慣れてしまった。
 隣にある、白い、白い先輩の肌が見える。私の白くない肌も見える。
 布団の中で触れ合っている肌のどちらも、そんなに脆くない。先輩が思うほどには。
「先輩」
 あたしは隣にいる人の耳元に、囁きかける。
「脆くはないですよ、あたし。たんぽぽ相撲やっても勝てるくらい、丈夫ですよ」
「まあ、頑固ではあるよな」
 先輩が笑う。だけど、あたしは笑わない。
「だから、もっと優しくなくても大丈夫です」
 花よりは脆くない。
 あたしには、優しさなんて要らない。
 簡単に散ったり枯れたりしないから、もっと手荒にしてくれたっていいんだ。
「次は優しくしないでください。少しくらい乱暴だっていいから」

 その言葉を、先輩はどう受け取ったんだろう。
 繋いだ手から腕、肩までずっと触れ合っている肌が、やがて動いた。
 抱きすくめられた。
「大切にしたいんだよ」
 先輩が囁いてくる。気障だ。気障過ぎる。
 別に、いいけど。そういう人でも。
「やっぱ、寒くないですね。二人で布団入ってると」
 あたしは色っぽいんだかそうじゃないんだかわからない台詞を口にして、また先輩に笑われた。
「確かに君は脆くないな。まるで平然としてるもんな、こんな時でも」

 実はそうでもないんだと言ったら、先輩は驚くだろうか。
 花よりは脆くない。だけど今、心臓が口から飛び出しそうだった。
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