ただ切に幸せを願うひと
「今日の晩ご飯、カレーなんだ」にこにこしながら理緒が言う。提げた買い物かごには、カレールーとじゃがいもが入っている。
「理緒が作るのか」
気になって尋ねてみたら、すぐに頷いてくれる。
「うん。カレーは作れるの。キャンプとかでよく作って、覚えてたから」
「へえ」
理緒の作るカレーはどんな味がするんだろう。あまり辛くなさそうな気がする。勝手なイメージだけど。
一度、食べてみたい。出来れば一度と言わず、何度でも。
スーパーの店内は冷房が効いている。さっき一人で来た時は、雨の日だからか肌寒ささえ感じていた。だけど本日二回目のスーパーは、冷房のきつさも気にならなかった。理緒と一緒だからかもしれない。半袖シャツの彼女は、時々腕をさするようにしていたけど。
かごくらい持つよと言った俺に笑顔でかぶりを振って、理緒はかごを提げている。どことなく楽しそうにしながら店内を巡っている。俺はその隣で少し気まずく思いながらも、やっぱり楽しいと思い始めている。
二人でいられるのは幸せだ。理緒が作ってくれた時間を、しみじみと味わっていた。
「後は? 買う物あるのか?」
俺が尋ねると、
「ええと、じゃあ……お菓子のコーナーも見ていい?」
お菓子売り場を指差す理緒。
「見ていいって、買わなきゃいけないものなんだろ?」
「ううん、そうじゃないの。見るだけ」
彼女は言って、笑いながら首を竦める。
「出来るだけゆっくりしようと思って。あ、彰吾くんの時間が許す限りね」
いいのかなと思いつつ、俺もその言葉に甘えたくなる。時間ならたっぷりあった。理緒が許してくれる限り、出来るだけのんびり買い物をしたかった。
「俺はいいよ、もちろん」
そう言ってから、半袖から伸びる彼女の腕に目を留めて、更に添えた。
「でも冷房きついから、ほどほどにしよう」
「うん」
頷いた彼女がまた笑った。
二人でお菓子売り場へ足を運んで、あれこれと吟味する。新発売のスナック菓子に付けられた風変わりな味の名前を予想してみたり、定番のお菓子ならどれが好きかを教え合ってみたり。理緒はやっぱり甘いお菓子が好きで、特にクッキーやらチョコレートやらに目がないみたいだった。
「理緒は甘党だと思ってた」
俺がそう言うと、怪訝そうにされた。
「どうしてわかったの? 私、まだ話したことなかったと思うんだけど……」
「だって、理緒の作ってきてくれるお菓子、いつも甘い奴ばかりだから。それにこの間のお祭りだって、りんご飴をおいしそうに食べてた」
ふと思い返せば、付き合ってすぐ、初めて放課後のデートに誘った時もそうだったな。理緒はアップルパイを食べてた。猫舌だから、ふうふう言いながら随分時間を掛けていたっけ。あの時も可愛かった。
「あ、それもそうだね」
見破られたことが恥ずかしかったのか、理緒はほんのちょっと俯いてみせた。その後で逆に尋ねてくる。
「彰吾くんは? どんなお菓子が好きなの?」
「何でも食べるよ。好き嫌いもない」
「そうなんだ。じゃあ、特に好きなのは何?」
問われて、少し考え込んだ。特にと言われても、どれも好きだからな。甘いのだって普通に食べる。理緒の作ってくれるお菓子は美味しい。
でもそれだと芸のない答えのような気がして、とりあえず答えてみる。
「辛いのも好きだな。夏だから、汗の出そうな辛いのを食べたりする。そうすると暑さに強くなれそうな気がするんだ。……気がするだけ、だけどな」
言いながら、激辛と謳われたスナック菓子の、赤いパッケージを指差した。理緒が目を丸くしたので、提げていたこのスーパーの袋も掲げてみせる。
「今日も買ったんだ、好きだから」
「ふうん。本当に好きなんだね」
何やらおかしそうに彼女が笑って、俺もつられて笑いたくなる。彼女が笑顔でいる、それだけで楽しい。
と、彼女の視線が外れた。俺の持つビニール袋をもう一度見てきた。中には件のスナック菓子のほか、お茶とそうめんが入っている。
「彰吾くん、彰吾くんの今日の晩ご飯って何?」
笑顔の中に、ちらっとだけ心配そうな色を浮かべた理緒の、そんな問い。
そういう顔をされると答えにくい。答えは、つまり――。
「ええと、そうめん、だけど」
週に五回は食べるそうめん。特別好きな訳じゃなく、一人で作るならこれくらいしかないってだけ。前にそう話したから、理緒も尋ねてきたんだろう。向上心のない奴って思われただろうか。
理緒がまた、ためらうような間を置いた。目を伏せて少しの間黙る。俺が次の言葉を継ごうかどうか、考えて始めた時、彼女は言った。
「ね、彰吾くん。彰吾くんのおうちにカレーを届けたりしたら、迷惑かな?」
「え……いや、迷惑じゃないよ。迷惑ではないけど」
さすがにそれは、俺も慌てた。理緒の優しさはうれしいけど、そこまで甘える訳には行かない。そりゃあ彼女の作ったカレーは、食べたいけど。
あまり優しくされるとかえって不安になる。俺は同じくらいの優しさを返せているだろうか、考え込んでしまうから。そして、ちっとも返せていないことに気付いて、こっそりへこんでしまうから。
「それは悪いよ。気にしなくてもいいから、そうめんばかりの夏も、慣れてるし」
俺はそう言ったけど、理緒は珍しく眉根を寄せてきた。
「でも、そうめんばかりだと身体によくないんじゃないかな……。ちゃんと食べた方がいいよ。お野菜でも、お肉でも」
それもわかってる。
でも。
「夏ばてしない為にも、しっかり食べるのって大事だよ。彰吾くん、辛いの好きなんだよね? カレーを作って持っていくから、よかったら食べてくれないかな」
「でも、理緒こそ大変じゃないのか」
家の分に加えて俺の分までなんて、作ってもらうのも届けてもらうのも気が引ける。
「ううん、ちっとも。それに、……ね」
両手で買い物かごを提げた彼女は、うってかわってたどたどしく続けた。
「あの、私も、彰吾くんに一度、食べてもらえたらって思ってたの。味見って言ったら失礼だけど、好みの味を教えてもらえたらなって……。どうかな?」
問いかけられた俺はその瞬間、全く場違いなことを考えた。
――幸せにしたいな。理緒を。
今の俺には図々しいほどの願いだってわかってる。だけど思ってしまった。理緒みたいな子は幸せにならなくちゃ駄目だ。何で出来てるんだろうと考えたくなってしまうような可愛い彼女を、俺が幸せにしてあげたかった。彼女に貰った優しさの分だけ、彼女を幸せにしてあげたい。
むしろそうしないと、俺は大層な罰当たりになってしまう。
「ありがとう、理緒」
この夏、何度目になるかわからない感謝を、彼女に伝えてみた。
はにかみ笑いの理緒は幸せそうに見えた。だけど俺は、もっともっと彼女を幸せにしてやらないと、気が済まない。
だから肌寒いスーパーでの時間は、やはりほどほどで切り上げた。
その代わり、彼女が俺の家まで来てくれる時を、じっと待つことに決めた。