Tiny garden

デート、しよう

 放課後、いつもの帰り道。
 いつ言い出そうか、ずっとタイミングを計っていた。なのになかなか言えなくて、結局焦りながら切り出した。
「あ、あのね、木谷くん――」
 どきどきする気持ちを静めてからじゃないと。そう思って待っていたら、結局別れ際、ぎりぎりになってしまった。
 もう少し行ったら、また明日ね、と言い合う道の手前。私は慌てて呼び止めるみたいに声を掛け、その場で立ち止まった。
 木谷くんも足を止める。ちらっとだけ視線を上げたら、不思議そうにする顔が一瞬見えた。
「何? 並川さん」
 すぐに尋ねられて、どきどきが大きくなる。
 言おうと思っていた言葉が、やけに心許ないものに思えてきた。こんなこと言って、笑われたりしないだろうか。変な子って思われたりしないだろうか。
「うん、ええと……」
 私は俯いたままで、乾いた声を立てた。
「木谷くんのね、……す、好きな場所って、どこかな」
 それだけ言うのに思っていた以上の勇気を必要とした。この後、もっと大切で、もっと言いにくいことを言わなくちゃいけないのに。ちゃんと言えるだろうか。
「場所?」
 怪訝な様子で、木谷くんが聞き返してくる。
「う、うん、場所。どこか、好きな場所ってある?」
「場所か」
 木谷くんは考えてくれているようだ。スニーカーから伸びた背高の影がゆっくりと首を傾げてみせた。そのまま、一分くらいの間、考えていた。
「強いて言うなら」
「うん」
「自分の部屋」
 と、木谷くんが短く答える。
 思わず私は顔を上げて、きわめて冷静な眼差しでいる木谷くんを見た。木谷くんも私を、じっと見下ろしていた。
 私にとってはすごく、予想から外れた答えだった。
「好きな場所って……お部屋なの?」
 確かめる為にもう一度尋ねると、木谷くんは、今度は即座に頷く。
「そう。やっぱり自分の家が、一番気楽だから」
 それはいかにも木谷くんらしい答えだな、とちょっと思った。私も自分の部屋にいるのは好き。楽だし、落ち着くもの。でもこの場合の欲しかった答えとは違っていたから、私は何も言えなくなって、これからどうしよう、と考え込んだ。

 初めてのデートは、木谷くんの好きな場所がいいと思っていた。
 私から誘うんだから、付き合わせてしまう木谷くんには、出来る限りの希望を聞いておきたかった。木谷くんの都合のいい日に、木谷くんの好きな場所へ行って、のんびりしながらお話をする。そういうデートがしたいと思った。
 好きな場所を聞いて、じゃあそこへ行こうよって、言ってみるつもりだった。それだけでも私にとっては難しすぎるけど、そのくらいは言えなきゃ、いつまで経っても誘えない。だから今日は努力をしようと思っていた。
 だけど木谷くんの答えてくれた好きな場所は、……木谷くんの部屋。それはちょっと、さすがに無理。木谷くんの好きな場所でデートしたいから、おうちにお邪魔してもいい? ――なんて、失礼すぎて聞けるはずがない。
 聞き方、間違えちゃったかな。どうしよう。

 ぐずぐずしていた私の頭上に、ふと、
「でもそれが、どうかした?」
 木谷くんの声が降ってきた。
 私はもう一度、いつの間にか俯いていた顔を上げ、木谷くんを見やる。
 冷静な眼差しが、今は不思議そうにしていた。私が何を言い出したのか、きっと木谷くんにはまるでわからないだろう。ちゃんと説明しなくちゃいけない。
「どうって、言う訳じゃないんだけど……」
「うん」
「……どこかで、会いたいなって、思って」
 そんなつもりはないのに、声が自然とためらいたがる。もっと楽に、肩の力を抜いて言いたいのに。
 木谷くんは何も言わない。もう少し説明を求めているらしいのが、そのそぶりでわかった。私も呼吸を整えて、もう一言添えてみる。
「あのね、……デート、したいなって、思ったの」
 一番伝えたかった単語を口にした途端、頬が燃えるように熱くなった。上せそうなくらいの熱が頭と頬にまとわりついて、私は目を伏せる。
 嫌だな、こんなの。恥ずかしすぎて。もっと恥ずかしくないような単語が選べたらよかったのに、私の頭じゃ思いつかなかった。
「ああ、なるほど」
 木谷くんは腑に落ちた様子で声を上げ、それからちょっと笑ったみたいだった。
「いいよ」
 後にそんな言葉が続いた。
「デートしよう。今度の日曜日でいい?」
 びっくりするほどあっさりと、木谷くんはそう言ってくれた。デート、という言葉を口にするのにも、私みたいなためらいはまるでなかった。そうして日付まですぐに決めてしまった。
 私は驚きながらも、大急ぎで答える。
「う、うん。……それでいいよ」
 今度の週末、日曜日。私もその日に木谷くんを誘おうと思っていた。予定は空いてる。日付は決まり。
 後は、行き先だ。
「場所はどこにする? 並川さん、希望とかある?」
 木谷くんに聞かれて、危うく、考え込んでしまうところだった。
 違う。駄目なの。私が答えるんじゃなくって。
「ううん、あの、違うの」
 首を横に振って、伝えた。
「私、木谷くんの好きな場所に、行きたい」
「俺の?」
「うん、木谷くんの希望を聞きたくて、それで……」
 好きな場所を聞いてみた。
 そうして聞かなきゃわからないくらい、私は木谷くんのこと、何も知らない。その為のデート、のつもりだった。木谷くんのことをたくさん聞いて、知る為のデート。
「俺は別に、どこでもいいけど」
 その時、木谷くんはちょっと困ったような声で言った。もしかすると自分の部屋以外に、好きな場所はないのかもしれない。それもそれで、木谷くんらしい。多分あんまり騒がしいところとか、人の多いところは好きじゃないだろうから。
「じゃあ、あの、どうしよっか」
 私も困って、今度こそ考え込んだ。どこでもいいよって言ってくれる可能性も、前もって考えておくんだった。木谷くんは優しい人だから、私に譲ろうとしたのかもしれなかった。それなら、私が提案しないと話がちっとも進まない。
 私の好きな場所は、例えば、図書館。――だけど図書館は、話をしたいデートには向かない。並んで一緒に本を読むだけならいいけど、木谷くんとたくさん話をしたいから、違う場所の方がよかった。
 じゃあ、どうしよう。もうちょっと暖かかったら公園っていう手もあったんだけど、今の時期はまだ寒いし。かといって、どこかお店に入るのはお金も掛かるし、長居も出来ない。もっとゆっくり出来て、静かで、たくさん話せる場所は――。
「それならさ」
 木谷くんが言った。
「来る? 俺の部屋」
 さっきよりもびっくりして、私は木谷くんの顔をまじまじと見た。木谷くんは首を竦めて、ごく気安い調子で続ける。
「何にもないとこだけど。外、出歩くよりは暖かいし」
「で、でも……いいの?」
 私は何だか落ち着かない気持ちになった。だって、木谷くんのお部屋に行くってことは、当たり前だけど木谷くんのおうちに行くってことだ。当然、木谷くんは一人で住んでいる訳じゃないだろうし、おうちの人と顔を合わせることにもなるのかもしれない。だとしたら……それこそ失礼っていうか、迷惑じゃないだろうか。
 うちのお母さんなら駄目って言うに決まってる。お友達を家に連れてくるのは駄目だって。ましてその子が男の子なら、絶対に許してもらえないと思う。
 木谷くんのおうちはそういうの、平気なんだろうか。
「いいよ」
 あっさり答える木谷くんに、私は更に尋ねた。
「けど、おうちの人に迷惑じゃない? 私、お邪魔したら……」
「いや。日曜日は俺しかいないから。親、仕事あるし」
「そうなんだ……」
 そんなことも知らなかった。木谷くんのおうちは、お父さんもお母さんもお仕事、してるのかな。日曜日は木谷くん、一人なんだ。全然知らなかった。
「だから気は遣わなくてもいい。おいでよ、遊びに」
 木谷くんがあまりにもあっさりと、何でもない調子で言うから、私もつい、頷いていた。
「じゃあ……お邪魔します」
「うん」
「本当にいいの?」
「うん。気を遣わなくていいったら」
 軽く笑った木谷くんは、その後で照れたように笑った。
「掃除して待ってるから」

 初めてのデートの行き先は、木谷くんの一番好きな場所に決まった。
 誘う時よりも更にどきどきする思いで約束を交わす。きっと次の日曜日まではずっと、どきどきしたままだと思う。
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