Tiny garden

負けない為の第一歩

 本がいっぱいある、というところは一緒なのに、本屋さんと図書館はどうしてか違う匂いがする。
 図書館は少し懐かしい匂いがして、時間がゆっくりゆっくり流れているように思える。静かでとても居心地がいい。でも本屋さんは真新しい本の匂いのせいか、何だかそわそわと落ち着かない気分になる。あまり長居しちゃいけないような、申し訳ないような、そんな気がしてしまう。
「本、取ってくるから」
 お店に入ってすぐ、木谷くんは私にそう言った。今日二人で本屋さんに来たのも、木谷くんが頼んでいた参考書が届いたからだった。レジカウンターの方を手で指し示して、小さな声で言い添えた。
「少しだけ、待っててくれるかな」
「う、うん」
 私は頷く。それだけしか言えないのがもどかしい。
 木谷くんも一度、頷いた。その後で私に背を向けて、レジへと歩き出す。
 背の高い後ろ姿を見ながら、ちょっと思った。――もうちょっと何か、言えばよかったな。いってらっしゃい、とか。友達が相手ならそういうことも言えるのに、木谷くんには言えないのが悲しい。もっといろんなこと、簡単に言えたらいいのに。
 そう思っていたら、
「あ」
 急に足を止めた木谷くんが、声を上げながらもう一回、振り返る。離れたところから私の顔を見て、こう言った。
「並川さん、どの辺りにいる?」
「え……」
「後で探しに行くから。どの辺で待ってるか、教えて」
 そんなこと聞かれるとは思わなくて、びっくりした。どこで待っていようかも考えてなかった。とっさに、目に入った傍の雑誌コーナーを指差した。
「えっと、そこの、雑誌のとこ……」
「わかった」
 木谷くんは言って、ちょっと笑った。いつもの優しそうな顔。
 でも、
「すぐ戻る。また後で」
 そう言ってくれたのは、いつもと違うように感じられた。どうしてだろう。
「うん、……いってらっしゃい」
 早口で付け加えた言葉はちゃんと届いただろうか。木谷くんはまた笑んでから、レジへと歩いていった。私はそれを見送って、雑誌コーナーへと向かう。

 木谷くん、優しいな。
 もちろん優しいのは、前からずっと、なんだけど。もっと優しくなったような気がする。前よりも更に、温かいなって感じてる。多分気のせいじゃない。
 変わったのかな、少し。いいな、そういうのって。ちょっと照れるけどうれしい。
 私も木谷くんの為に変わりたい。優しくなりたい。優しく出来るようになりたい。どうすればそうなれるのかな。

 放課後だからか、女の子向け雑誌のコーナーは混み合っていた。いろんな制服姿の女の子が立ち読みをしている。私も手に取ろうと脇から手を伸ばしてみたけど、お目当ての占い雑誌までは届かない。
 ようやく届いたのはちょっとお姉さん向けのファッション雑誌。割り込んでまで違う本を取る気にはなれなくて、結局それを開くことにした。
 大人っぽいモデルさんが素敵な服を着ている写真を眺める。こういう雑誌ってあまり読まないから、新鮮だった。私がこんな服を着ても似合わないだろうな。それにうちはお母さんが厳しいから、大人っぽい服を着るなんてこと、絶対許してもらえない。友達は皆おしゃれにしてるから、気になったりすることもある。
 ぱらぱらとページをめくったら、今度は『デート必勝メイク特集』なんて謳い文句を見かけた。――必勝。必勝、って何だか仰々しい響きだ。一体何に勝つんだろう? 恋のライバル? それとも可愛くなって、好きな人をノックアウトさせるって意味なのかな。自分で考えて、それはちょっと恥ずかしいけど。
 お化粧も、興味はあるけどほとんどしない。というか、出来ない。お母さんにばれないようにしまってある透明なマニキュアだけが唯一のお化粧品だった。学校に塗っていくことも出来ないから、結局しまい込んだままだ。
 でも、きれいになりたいな、とは思う。服でも、お化粧でも、私に似合うものを見つけて、もっときれいになりたい。
 もしきれいになれたら、もっと大人っぽくなれたら、木谷くんも喜んでくれるかもしれない。私が変わること、喜んでもらえるかもしれない。そうしたら私も自信を持って、木谷くんに接することが出来るかな……?

 必勝メイク。その言葉をもう一度、噛み締めてみる。本屋さんの匂いのせいか、妙に気持ちがそわそわした。
 勝たなきゃいけないもの、って何だろう。ライバルだとか、好きな人だとか、そういうことじゃないのかもしれない。少なくとも私はそうだった。それよりも先に、負けられないものがある。
 一番に、打ち勝たなきゃいけないのは――。

「並川さん、お待たせ」
 あ、木谷くんの声。私は慌てて雑誌を閉じ、顔を上げた。
 いつの間にか木谷くんは、私のすぐ傍までやって来ていた。手には本屋さんの名前が入った袋。もう、お買い物終わったんだ。
 目が合うと、何かを思い出したような顔になって、木谷くんはふと言った。
「あ、ええと……ただいま」
 その後で照れたように笑う。
 私も、あ、と思った。同じように照れたけど、今度はちゃんと言いたかった。
「あの、……お、お帰りなさい」
「うん」
 木谷くんが頷く。たったそれだけのやり取り。
 でも、ちょっとうれしい。言いたいことが言えたこと。何となく、通じ合ったような気がすること。
 自信さえあればこんなやり取りも、もっと気楽に出来るのにな。今は、木谷くんの方から先に言ってくれたから、言えた。今度は私から言えるようになりたいな。大したことじゃないのかもしれないけど、今の私にとってはやっぱり、大変なことだった。
「じゃあ、帰ろうか」
 と言ってから、木谷くんは私の手元に目をやった。怪訝そうな顔になった。
「その本、買うの?」
「え?」
 私も手にしていた本を見下ろす。さっきまで読んでいた、お姉さん向けのファッション雑誌。買うの、と聞かれて、不思議と迷ってしまった。どうしよう。
 写真の中のモデルさんも、モデルさんが着ている服も、私と違ってとっても大人っぽい。私がしないお化粧の仕方も載っている本。何もかもが大人っぽくて、素敵な本。
 今、私が欲しいなと思っているものが、この中にたくさん詰まっているような気がした。
 私もきれいになれるかな。モデルさんたちみたいにじゃなくても、大人っぽくなれるかな。なりたい。そうなりたい。
「う、うん」
 だから、私はそう答えた。この本、買おうと思った。
 欲しかった。大人っぽさ、きれいになる方法、木谷くんと向き合う為の自信、強さ。何もかも今の私にはなくて、でもどうしても欲しいもの。この本を買えば、欲しいものの手に入れ方がわかるような気がした。
「ごめんね。買ってくるから、少しだけ、待ってて」
 謝る私の言葉に、木谷くんはすぐに言ってくれた。
「わかった。いってらっしゃい」
 照れたような笑い顔と、優しい言葉。やっぱり木谷くんは優しくなった。私がいちいちどきどきしてしまうくらい、優しくなった。
 でも私だって、変わってみせるんだ。
「うん。行って、きます」
 くるりと踵を返して、レジまで向かう。こんなに背伸びした本を買うの、初めてだ。お母さんには見つからないようにしないと。
 でも私、強くなりたい。変わりたい。もっともっと、自信を持ちたい。
 だって、負けたくないんだもん。
 誰よりもまず、自分自身に。
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