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花嫁たちは美しく(2)

 カートは小さな身体をさらに縮こまらせた。
「未熟者ですが、閣下のお傍に置いていただきたくて……」
 ロックに対し、上目遣いで告げてくる。
「その、やれることは何でもいたします。僕は帝都で働きたいのです」
 すがるような口調は、どことなく言い訳めいて聞こえた。
 ロックは戸惑いつつ問い返す。
「そう言うけど、あんたは帝都の外に住んでたんだろ? 市民権だってないだろうし、そもそも帰るところがあるんじゃないの?」

 以前、カート自身が語っていたはずだ。
 生まれは帝都近郊の農村で、親はすでになく、村長の元に身を寄せていたと。そして畑仕事の最中にあの仮面を見つけて――そこから彼の記憶はあいまいなものになった、とのことだった。
 少なくとも身元不確かというわけではない。
 彼の言い分を信じるなら、だが。

「そ、そうですが――」
 カートはロックの問いにぐっと詰まる。
「でも閣下は、行くあてがないならいてもいいと言ってくださってて」
 それでロックはエベルに目をやり、エベルは小さくうなづいた。
「我が家は目下人手が足りない。働き手は歓迎するし、必要であれば身元は保証するつもりだ」
 しかしそこで彼はカートを見下ろし、諭すように続ける。
「だが道理として、一度は故郷へ帰っておくべきだろう。私からも君を雇い入れる旨を村長に伝え、許しをもらわなくてはならない」
 エベルの口調はあくまでも穏やかで優しい。
 にもかかわらず、カートの表情からさっと血の気が引くのをロックは見た。
「で、でも……」
 もごもごと、言いにくそうに反論しようとしている。
「何か、帰りにくい事情でもあるの?」
 ロックが突っ込んで尋ねれば、カートはぎこちなく目をそらした。
「僕はあの村では厄介者ですし、許しなんていらないと思います」
 どうやら、帰りたくない事情はあるらしい。

 人種のるつぼのような帝都とは違い、このあたりの農村はどこも閉鎖的だ。よそ者は得てして色眼鏡で見られるものだし、親を亡くした子供が厄介者扱いされるのも、そうして育った子らが故郷を飛び出し二度と帰らなくなるのも珍しいことではない。
 ロックも似たような事情で生まれ故郷を出て、帝都まで父を訪ねてきた事情がある。
 だからカートが同じ身の上なら、同情すべき点はあるだろう。

 ただ、ロックはカートのことを信用しているわけではない。
 何せこの目で見たのだ。彼がアレクタス夫妻を扇動し、ロックに人狼の呪いをかけようとしたのを。そしてラウレッタにもあの彫像を手渡そうとしたのを。
 この少年の言うことをまだ鵜呑みにはできない。理屈ではなく、直感で思う。

「閣下にお世話になるっていうなら、閣下のお考えには従うべきだよ」
 ひとまず、口ではもっともらしいことを言っておいた。
「僕が口を挟むことじゃないけど、働きだすつもりなら礼節を知っとかないとね」
 わざと先輩風を吹かしてみれば、カートは言い返しもせず黙り込む。
 その小さな肩に、エベルがそっと手を置いた。
 カートは黙って、じっとしている。直立不動の姿勢で真面目くさった表情を保っている。それはどことなく不自然な態度にも見えたし、まるで懸命に『いい子』を装っているような必死さもあった。
 ここで下手な反応をして、くびにされてはたまらないとでもいうような――。

 眉をひそめかけたロックの手を、エベルが引きつけるようにぎゅっと握る。
 そしてロックが視線を戻すと、囁く声で言ってきた。
「心配はいらない」
 たった一言だったが、彼の意図はつかめた。
 エベルはロックの懸念を把握しているようだ。恐らくは彼も、カートの身元を確かめたいとは考えているのだろう。
 それでロックも少し安堵し、エベルに対してうなづいた。
「今日は、大切な仕事があるんだろう」
 ちらりと、エベルが店の奥に目をやる。
 作業台の上には縫いかけの青い花嫁衣裳がある。そういえば七枚接ぎのスカートを縫い合わせたばかりだった。
「我々はもう少しここにいる。フィービの代役というには力不足かもしれないが、あなたの話し相手くらいにはなれる」
「ありがとうございます、エベル」
 それでロックはニーシャの花嫁衣裳に再び取りかかり、その様子をエベルは興味深そうに観察し始めた。椅子を引き、カウンター越しに覗き込みながら時々話しかけてくる。
「クリスターたちの結婚式は再来週だったな」
「ええ。伯爵閣下がいらっしゃるなんて、豪華な式になりますね」
「私はただの参列客だ。こういう結婚式に出るのは初めてだから、とても楽しみにしている」
 エベルが言うには、貴族の結婚式とは神聖地区の聖堂で厳かに挙げるものらしい。神々の前で信仰と永遠の愛を誓う姿を、参列客を証人として披露するのが一般的だそうだ。
 ロックが知る結婚式はただひたすら酒を飲み、ごちそうを食べて大騒ぎをするものだから、二人の認識にはずいぶんと大きな開きがある。
「あなたとはどんな式を挙げようか。その参考にもさせてもらおう」
 何やら楽しそうにエベルが言ってのけたので、ロックは手元が狂わないように気を落ち着けなければならなかった。
 そしてふたりがお喋りに花を咲かせている間、カートはやはり、行儀よく黙っているだけだった。

 エベルとカートは日暮れ前に帰っていき、ロックもこの日は少し早めに店を閉めた。
 家に帰ってから風呂を沸かし、夕食の支度をして父の帰りを待った。
 日が変わる前に帰ると言ったフィービだが、その言葉通り、帰宅したのは夜も更けた頃のことだった。束ねた髪も革鎧もすっかり埃まみれになって、さすがにくたびれた顔で娘の前に現れた。
「大した収穫はなかった。一応、残ってたもんはリーナス卿が回収していたが……」
 あの遺跡に潜ったフィービたちを待っていたのは、人狼教団が集団生活を送っていた際に使っていた日用品や衣類が主だったらしい。他に目ぼしいものはなかったが、グイドはその乏しい手がかりにすがるように様々な品を持ち帰ったそうだ。
 湯浴みを済ませた後、フィービはロックが作った麦粥を食べた。ずいぶんと腹を空かせていたようで、すいすいと二杯お替わりをした。
「肉体労働の後だからな。もう誰も入れないよう、あの遺跡にはしっかり封をしてきた」
 ロックが見た通り、遺跡の奥には石灰石を削った大きな人狼の彫像があった。
 それにどんな力があるのかはフィービにも、グイドにもわからなかったそうだが、二度と人の手に触れることのないように厳重に埋め立て、入り口を閉ざしてきたとのことだ。
「もっとも、封じたってことは俺たちも二度と入れないってことでもある。あの場所に手がかりがあるとは思えんが……」
「これだけ探してもないなら大丈夫だよ」
 父の言葉に、ロックはそう答えた。
 根拠のない気休めだったが、本心からの願いでもあった。

 あの遺跡には忌まわしい記憶しかない。もう二度と掘り起こされない方が誰のためにもいいはずだ。
 しかしエベルやグイドにとっては、人狼に関する手がかりの一つが潰えてしまったということでもある。

「そういえば今日、閣下がいらしたよ。カートを連れて」
 エベルの顔が胸をよぎったので、ロックは父に打ち明けた。
 随伴者の名前を聞くと、フィービの疲れた顔に警戒の色が走った。
「あの子供か? もう出歩けるほどになってんのか」
「クリスターが歩けるくらいだからね。閣下のところで働きたいって言ってるんだって」
 続けて告げるとフィービはあからさまに不審げにする。
「どういうつもりだ?」
「わからない。何か隠してるようにも見えたけど、閣下も信用はしてないみたい」
「そうか……」
 気に食わない様子で目を伏せたフィービは、その後しばらく黙り込み――少しして、大きく舟を漕いだ。
「ああ、父さん。眠いんだったら寝室行きなよ」
 どうやらひどくお疲れのようだ。ロックも会話はそこまでにして、父を寝室に送り出すことにする。
 大きく伸びをしながら、フィービは苦笑を零した。
「俺も歳かな。一日仕事でくたびれるようになったか」
「父さんはまだ若いよ。クリスターの結婚式ではドレスを着るんでしょ?」
「若かろうが若くなかろうがドレスは着る」
「じゃあ洗って、きれいにしておくよ。僕は何を着ようかな……」

 一見風変わりなやり取りをしつつ、父と娘の夜は穏やかに過ぎていく。
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