Tiny garden

逢瀬の暇もないくらい(3)

「よう、ロック。昼間はありがとな」
 開口一番、クリスターは気安く声をかけてきた。
 連れがいる事実は意外だったか一瞬目を瞠ったが、その顔に見覚えがあったせいだろう。すぐに笑顔を向ける。
「おお! 英雄殿もご一緒でしたか!」
「英雄……?」
「昼間に助けてくださったでしょう。ありがとうございます、マティウス伯爵閣下!」
 クリスターはエベルに握手を求めてきた。
 エベルは唇だけ微笑んで応じる。
「当然のことをしたまでだ。――ところであなたは、なぜここに?」
 ロックが盗み見たところ、金色の目は全く笑っていなかった。
 それに気づいたかは定かでないが、クリスターはにこやかに答える。
「昼間のお礼でございますよ、閣下」
「私にか?」
「いえ、閣下にお礼を申し上げようにも私は卑しい貧民街の民。そして閣下は貴く気高き伯爵でいらっしゃいます。ささやかながらの感謝さえもお伝えするにはあまりにみすぼらしく、それなら連れのロック・フロリアに、代わりにこのはち切れんばかりの感謝を伝えておこうと思った次第でございます!」
 クリスターはエベルの手を握ったまま、滔々とまくし立てた。
 その芝居がかった調子といったら、自分の言葉に酔っているようにさえ見えた。

 クリスターの熱弁と対照的に、ロックの心は冷え込む一方だ。
 ロックも同じ商売人として、客に多少のお世辞を使うことはある。だがクリスターの言葉は装飾過剰であまりにわざとらしく、かえって神経を逆撫でするように思えてならない。
 現に隣で、エベルは口元を引きつらせている。不快さを面に出さぬよう堪えるそぶりにも見えた。
 ロックとしてもこんな邪魔者、とっとと追い払ってしまいたい。

「感謝なんて要らないよ、クリスター」
 そこでロックは突っぱねることにした。
 エベルからクリスターの手を振りほどき、あえて冷たく言い放つ。
「人ん家の前で騒がれたら迷惑だ。帰って」
「何だよ、せっかくいい話を持ってきたのに」
 するとクリスターは意味ありげに声を潜めた。
「いいのか、お前の大好きな儲け話だぜ?」
 確かにロックは儲け話が好きだ。だがそれ以上にクリスターは信用ならない。
 美味い話には裏があるものだと、フィービもよく言っている。
「あんたの持ってくる話なら興味ない」
 ロックが睨んでも、クリスターはどこ吹く風だ。
「そう言うなって、俺の客を紹介してやる」
「紹介って何?」
「実を言うとな、うちは最近大口の注文が入って忙しいんだよ」
 自慢げに語られると一層腹が立つ。
「それで馴染みの客は断ってたんだが、それでも追いつかなくてな。今度から他の客はお前の店に回してやるよ」
 しかも、とんでもないことを恩着せがましく告げられた。
「あんたの店の客なんて来られても困るだけだ」
 間髪入れずロックは噛みつく。
 だがクリスターは聞く耳を持つ気もないらしい。
「遠慮すんなって。じゃ、そういうことだから頼むな!」
 言い切ると、そのまま二人から逃げるように踵を返す。
「ちょっと、クリスター!」
 ロックが呼びとめてもクリスターは振り返らず、夜闇に乗じてあっという間に姿を消した。

 要は、商売敵に面倒を押しつけられた体だ。
「あいつ、勝手なことを……!」
 ロックは呻いたが、完全に取り逃した後ではどうにもならなかった。
 そもそもクリスターの客なんぞ実入りがいいはずもなく、店に来られたところで追い返すより他ない。値段のことで文句を言われクリスターの価格と比較され、フィービが睨みを利かせて追い出しにかかれば捨て台詞を吐いて逃げていく――そんな柄の悪い客の応対に追われるのはごめんだ。
「彼は信用できる相手ではないのだろう?」
 エベルが眉を顰めて尋ねてきた。
「ええ。あんな奴の紹介じゃ絶対ろくなお客じゃありません」
 溜息をつくロックに、エベルは反論する。
「私としては、彼自身の方が気になる。彼の目を見たか。充血していて赤く、おまけにやつれているようだった」
 ロックはクリスターの顔なんて見たくもないので気づかなかった。
 大口の注文が入り忙しいと本人は言っていたが――。
「それに、彼があなたの部屋を知っていたことも気になる」
「あ、そういえば……」
 クリスターとは個人的な付き合いもなく、互いに商売敵として顔を知っているまでのことだ。向こうが態度ほどロックに好意的だとは思っていないし、ロックはロックで、例えばジャスティアのパン屋に先客として彼の姿があれば即回れ右をする。
 だからクリスターがロックの住まいを訪ねてくるのは少々奇妙だった。
「どうしてあいつ、ここがわかったんだろう」
 ロックが首を傾げると、エベルはそっと切り出した。
「私が後をつけてみようか」
「後を? クリスターの、ですか?」
「ああ、彼の話の裏を取る。彼があなたに騒動の火種を持ち込んでいないとも限らないからな」
 火種というなら既に大概なものを持ち込まれてはいたが、エベルは別の懸念を抱いているようだ。
「危ないですよ、あなたにそこまでしてもらうのは……」
 ロックは引き留めようとした。
 しかしエベルは微笑むと、地面を蹴ってロックの部屋の屋根まで跳躍した。難なく飛び乗ってから振り返り、ロックを見下ろしてから頷いた。
「心配は要らない。見つからないよう尾行してみせるさ」
「で、でも、エベルが行く必要なんてないです!」
「あなたの為だ、ロック・フロリア」
 エベルはそう口にして、器用に片目をつむってみせる。
「では行ってくる。何かあればすぐに知らせよう」
 そしてロックの返事を待たずに駆け出した。
 屋根から屋根へと身軽に飛び移るエベルを、ロックはずっと目で追いかけた。彼の姿が見えなくなると、無性に寂しくなって溜息をつく。
「クリスターめ……」
 恨みがましく呟いてみる。
 久方ぶりの逢瀬の機会を、あんな奴のせいで潰されてしまった。せっかく勇気を出して誘ったのに――ロックの中で、クリスターへの心証が落ちるところまで落ちた瞬間だった。

 ロックにとって心乱れる時間は続いた。
 その夜、エベルは戻ってこなかった。何かあれば知らせると言っていたし、何もなくて帰っただけかもしれないが、クリスターの得体の知れなさともあいまって心配だった。こんなことなら、尾行が済んだら必ず立ち寄ってくださいとお願いしておくんだったと思う。
 寝台の上で何度も寝返りを打ち、切なさと不安に苛まれながら眠れぬ夜を過ごした。

 結局、エベルは翌日の夜明け過ぎにロックの部屋のドアを叩いた。
 寝不足のまま起床して身支度を整えていたロックは、その音を聞くや否やドアに飛びついた。
「戻るのが遅くなって済まない」
 迎えに出たロックの前で、エベルも随分と眠そうな顔をしている。
 それを目にしたらいても立ってもいられなくなり、彼を部屋に迎え入れてから尋ねた。
「まさか、こんな時間までクリスターのところに?」
「そうだ」
 さしものエベルもうんざりした様子で頷く。
「彼を家まで尾行した。思ったよりも勤勉な男のようだ、夜通し仕立てをしていた」
「クリスターが? 嘘でしょう!」
 ロックは信じがたい思いでそれを聞いた。
 あの男が勤勉だったなら、昨日のような絡まれ方をするはずがない。だがエベルが嘘をつくとも思えない。
「事実だ。確かに、仕事が丁寧だとは言いがたいが……」
 エベルはそう前置きしてから、もっともらしく続ける。
「私は窓から覗いていた。あの男が大量の青い布を裁ち、針と糸で一枚一枚縫うところを。大口の注文という話は事実のようで、同じ型の服ばかり作っていたように思う。家に戻ってから夜が明けるまでずっと、机に向かっていた」
 どうやらクリスターが多忙なのは事実らしい。大口の注文というなら、どこかの工場か何かの制服でも頼まれたのだろう。
 景気のいい話が羨ましく、ロックは少々の嫉妬を覚えた。
「彼が寝ついたら離れようと思ったのだが、お蔭ですっかり長居をさせられた」
 肩を竦めるエベルは、そのせいで夜明けまで戻れなかったらしい。
 理由がわかれば安堵もするが、同時にロックは拗ねたくなった。
「音沙汰がなくて心配しました」
 ロックが唇を尖らせると、エベルは眠そうな目を驚きに瞠る。
「そうか……何もなくても立ち寄ると言えばよかったな」
「ええ、いくら僕の為だからって無茶しすぎです。こうして来てくださらなかったら、僕はエベルを案じて一日中やきもきして、仕事が手につかないところでした!」
 声を荒げたのは本当に心配していたからなのだが、それを聞いたエベルは嬉しそうに微笑んだ。
「そんなに心配してくれたのか、ロクシー」
 言うなり彼はロックの背に手を回し、自らの胸にそっと抱き寄せる。
 まだ拗ねていたロックはわずかにだけ抵抗の意思を示したが、彼の体温を感じるとたちまちどうでもよくなった。
「しましたよ、心配……。いつだってしてます」
「そうか、ありがとう。嬉しいよ」
「しかも一晩中、僕じゃなくてあいつと一緒だなんて……」
 筋違いのやきもちをぶつけると、エベルはとうとう声を上げて笑う。
「私も惜しいことをしたと思っている。せっかくあなたがお茶に誘ってくれたのに、ふいにしてしまった」
 それからロックに顔を近づけ、誓うように真剣な眼差しで言った。
「この埋め合わせは、近いうちに必ず」
「……約束ですよ」
「ああ」
 返事の直後、唇が重なる。
 二度、三度と短く口づけを繰り返した後、名残を惜しむように抱き締められた。
「あなたの仕事に支障がなければいいのだが」
「大丈夫です。お蔭で、少し元気になりました」
 ロックはエベルの胸に囁く。
 現金なものだが、彼の無事がわかれば寝不足さえもあっさり吹き飛んでしまった。

 その後、ロックは帰途に就いたエベルを見送った。
 それから店に出たが――大方予想していた通り、店を開けた途端に歓迎できない来客が相次いだ。

「クリスター・ギオネットにここへ来るよう言われたんだ」
 貧民街でも選りすぐりの柄の悪そうな客層が、まるで示し合わせたように『フロリア衣料店』に現れた。
 彼らの注文は安物の仕立てから既製服の購入まで様々だったが、ロックが代金について告げると、一様に不服そうな顔をした。
「クリスターの店ではそんなに取らねえぞ」
「うちではこれが正規の料金です。ツケも値切りもお受けできません」
 自分の仕事を安売りする気のないロックは、客の不満にもきっぱりと応じた。
「もちろん、いただいた分の品質は自信を持って保証いたします」
「偉そうな口利きやがって。小僧、ぼったくってんだろ!」
 凄み始めた客については、フィービがドレスの袖をまくって時に穏便に、時に力づくでお帰りいただいた。フィービに対して悪態をついた人間は、次の瞬間悲鳴を上げながら店を放り出された。彼が守ってくれるお蔭でロックが直接の被害を受けることはなかった。
 だが店としては、そんな客が列をなすだけで大損害だ。
 貴重な時間を割く羽目になる上、代金を払ってくれるまともな客を遠ざけることにもなる。
「……ったく何なのこれ! 営業妨害じゃない!」
 午前中だけで二桁の歓迎されざる客を相手にしたフィービは、当然ながら怒り心頭だった。紅を引いた唇から飛び出してくるのは苛立ちばかりだ。
「クリスターの野郎、忙しいなんて嘘じゃないの? 柄の悪いのばかりうちに回してくるってどういう了見よ!」
「でも、閣下が見たんだ。夜通し仕事をしてたって」
 ロックも昨夜のクリスターとのいざこざは既に報告済みだった。
 しかし、だからと言って対抗策などあるはずもない。
「うちの子の方がよっぽどいいもの作れるのに、あんな野郎に仕立てを頼むなんて余程のけちんぼね!」
 フィービは親心も覗かせつつ、憤懣やる方ない口調で言った。
「もう我慢ならないわ。本人に文句言いに行きましょう!」
「そうだね。こんなのが続いたらこっちの商売あがったりだ」
 ロックとしても異論はない。
 せめて客をこちらに回すのを止めさせないと、本当に営業に差し障る。

 ロックとフィービは日暮れ前に店を閉め、市場通りの露天市へ向かった。
 普段ならクリスターが屋台を出しているはずだ。二人は血眼になって商売敵の姿を探したが、この日はどういうわけか見つからなかった。
「クリスター? あいつなら昼過ぎに帰ったよ」
 別の屋台の主が、どこか訝しそうに教えてくれた。
「いつもなら路上にしがみついてでも商売してたんだがなあ。今日は気もそぞろってふうで、早々に屋台畳んじまったよ」
「……逃げられたかな」
 ロックがこっそり耳打ちすると、フィービはふんと鼻を鳴らした。
「命拾いしたわね、クリスター。明日こそは文句叩きつけてやるわよ!」
 翌日の復讐を誓いつつ、二人はすごすごと店に引き返す。

 だが、ロックとフィービがクリスターに文句を言う機会は訪れなかった。
 一週間ほど露店市に通い詰めたにもかかわらず、銀髪の仕立て屋の姿を見ることは二度となかった。
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