Tiny garden

全部、本物になる(1)

 転校してきてから、いつだって学校に行ける日が待ち遠しかった。
 だけど今日くらい早く行きたいって強く願った日もないだろう。

 いつものように、私と庸介は教室に一番乗りだった。
 そして私だけがそわそわしながら、彼女が登校してくるのを待っていた。
「ミナ!」
 その姿を教室の戸口に見た時、もういてもたってもいられなくなった。駆け出してって飛びついて、早速報告をする。
「私、卒業までここにいられることになったよ!」
「ええ!?」
 私に抱きつかれてよろけたミナが、驚きの声を上げる。
 それから瞬きをして、私と、あとから近づいてきた庸介の顔を見比べた。
「リッカたち、転校するって可能性もあったの?」
「うん!」
「うんって……そんなことになってるの、全然知らなかったんだけど」
「ごめん、黙ってて」
 私は詫び、ちらりと庸介の方を振り返る。
 彼は黙っていたけど、私と同じようにほっとしている様子に見えた。
「そうなるの嫌だったから、私たち、頑張ったんだ」
 するとミナはようやく歯を見せて笑う。
「やるじゃん、おめでとう! 一緒にいたかったから本当によかった!」
 大好きなお友達からのその言葉が、今はたまらなくうれしく思えた。
 本当に頑張ってよかった、ここに残れてよかったって思う。両親と向き合って、ちゃんと気持ちを伝えられてよかったって。そして両親が私の気持ちを受け入れてくれたことを、うれしくも、誇らしくも感じていた。
 私、本当に幸せだ。
 大好きな人たちがたくさんいる。
「ありがとう、私もミナと一緒にいたかったの!」
 私はミナにぎゅっとしがみつく。
「卒業まで仲良くしてね、ミナ!」
「卒業したら終わり? そんなことないでしょ?」
 そう言って、ミナが私を抱き締め返してくれた。
「じゃあ卒業してからも友達!」
「当ったり前! それどころか一生もんだよ!」
「一生? わあ、すごいスケール!」
「あたしたちの友情はまだ始まったばかりだからね!」
 抱き合いながらきゃあきゃあ騒いでいれば、庸介が何とも言えない顔をしていた。
「朝から二人ともテンション高いな……」
 むしろ庸介が低すぎるんだと思う。
 こんなにも喜ばしいお知らせがある朝なのに。

 するとこのタイミングで、教室に蒲原くんが飛び込んできた。
 彼はすぐさま私たちに気付き、庸介と同じような表情を浮かべる。複雑そうな、何が起きているのか全く把握してなさそうな、何とも言えない顔だ。
「えっ、何だこれ。抱き合って何の騒ぎだよ」
 私とミナの顔をたっぷり四往復見比べた後、首をかしげてこう言った。
「めでたい話でもあったのか?」
「あった!」
 ミナが即答してから、にやにやと私を見る。
 それで私も胸を張って答えた。
「私、卒業までこの学校にいられることになったの!」
「え!? むしろいられん可能性あったのかよ!」
 蒲原くんも、ミナと同じ反応をした。当然か。
 愕然とした顔を庸介の方に向け、少し責めるような口調になる。
「おい徒野、なんでそういう大事なこと黙ってんだよ」
「どうして俺に言うんだ」
 庸介が眉をひそめれば、蒲原くんも鼻の頭に皺を寄せてみせた。
「主代さんが転校するんなら、お前も一緒にいなくなるってことだろ。どういう事情か知らないけど、まさかいきなり黙っていなくなるつもりだったんじゃねえよな?」
 蒲原くんのその言葉は、庸介にとって思いがけないものだったようだ。
 途端にその顔から険しさが消え、
「……ああ、確かに」
 庸介は珍しくぽかんとしている。
 それを見た蒲原くんはなぜか得意そうだった。
「ま、よくわかんねえけど転校免れたって話なら事実めでたいよな! よかったじゃん、主代さんも」
「うん、ありがとう!」
 私はお礼を言ってから、次に話したかったことを切り出してみる。
「それでね……もしよかったらなんだけど、二人とも、今度私の家に遊びに来てくれない?」
 もし全部が上手くいったら、ミナと蒲原くんを家に招こうと思っていた。
 ミナとは前にも約束をしていたし、それにお祝いだってしたい。
「私、十二月が誕生日なの。それでささやかだけど、四人でパーティができたらなって」
「パーティ!?」
「主代さん家で!?」
「四人で!?」
 ミナと蒲原くんと庸介の、驚きのポイントはそれぞれ違った。
「行く行く絶対行く! リッカの家一度見てみたかったんだって!」
「俺も俺も! つかパーティって、何着てけばいいんだ? 羽織袴?」
「普段着でいいよ。私の部屋で、ささやかにお祝いするだけだから」
 そう答えた私の肘を、庸介が掴んで軽く引っ張る。
「どうかした?」
 尋ねてみれば、彼は私を教室の隅まで連行した後、小声で言った。
「蒲原まで呼んで、いいのか」
「え? 逆にどうしてだめなの?」
「だめではないけど……」
 庸介は少し言いにくそうにしている。難しい顔つきになって、続けた。
「俺は、帰宅したら仕事がある。いつも通りに振る舞うわけには……」
 ぼかした物言いだったけど、どうやら庸介は、お友達の前で仕事モードになることに抵抗があるみたいだ。
 もちろん、それだって当然のことだろう。彼だってこのクラスでは私の幼なじみとして振る舞い続けてきた。使用人としての顔は彼にとって、蒲原くんたちに最も見せたくないもののはずだ。
 そういう心境も私には理解できるし、正直に言うと、庸介がそう思っているという事実がなぜだかうれしい。
「じゃあ庸介も、その日はお休みにしたら?」
 私が提案すれば、彼は信じられないという顔をする。
「何を言うんだ。俺が休んだら、誰があの二人をもてなす?」
 どうやらパーティに対する意気込みは十分みたいだ。
 だったらその意気込み、別の形で発揮してもらえばいい。
「私と庸介でやろうよ」
 私は彼にそう告げた。
「お仕事じゃなくて、お友達として二人をもてなすの。どうかな?」

 思いつきで口にしてみたことだけど、とてもいいアイディアだと思う。
 私の部屋に来る時、庸介はいつだって仕事モードの庸介だ。でもミナと蒲原くんが来るならそうはいかないだろう。いやでも『幼なじみの』庸介として振る舞うしかなくなる。
 それで四人でパーティができたら、絶対に楽しいと思う。

「私も準備手伝うから」
 持ちかける私に対し、庸介はしばらくの間迷っていた。
「でも……それだと俺の仕事が……」
「これは仕事じゃないんだよ、庸介。好きでやることなんだから」
 ホームパーティなんて好きでもなければできないはずだ。
 私も実を言えば、両親が開くような家でのパーティはそれほど好きではないけど――お客様がみんな大人ばかりだからお行儀よくしていなくちゃいけないからだけど、お友達とするなら話は別だ。パーティそのものはもちろん、準備や後片づけだってきっと楽しくできると思う。
「ね? 私も家にお友達を呼ぶの初めてなの。一緒にパーティを盛り上げてくれたらうれしいな」
 しきりに頼み込んでみたら、ためらうように視線をさまよわせた後、ようやく答えを捻り出したようだ。
「……わかった。その計画に乗るよ」
「本当? ありがとう、庸介!」
 感謝を告げたら、彼の表情が一瞬だけほどけた。
 もっともすぐに真面目な顔に戻って、こう言ってきたけど。
「俺の両親に見つかったらうるさいから、六花から口を利いてくれるとありがたい」
「いいよ。でも、このくらいでうるさく言うかな?」
 私が頷くと、庸介はものすごく気まずそうに苦笑した。
「からかわれるんだよ。あの人たち、俺が普通の高校生してるのが面白いみたいだ」
 それは私もわかるな。
 庸介の『普通の高校生』っぽさ、すごくいいなと思うから。

 パーティの日取りは、十二月の最初の土曜日に決めた。
 本当は私の誕生日近くがよかったけど、その週末はもう予定が入っている。両親が親戚や親しいお友達を招いてパーティをすることになっていた。祝ってもらう立場だからこればかりは欠席というわけにもいかない。
 だからそれより先に、お友達とお祝いしちゃうことにした。
「リッカの家ってどの辺? 電車で行ける?」
「行ける……けど、せっかくだからお迎えに行くよ。蒲原くんと一緒に待ってて」
 ミナの疑問にはそう答え、待ち合わせ場所もちゃんと指定した。当日は行田さんに車を出してもらう予定だ。

 そしてわくわくしながら迎えた十二月、最初の土曜日の朝。
 この日、私は庸介に朝早くから駆り出され、おもてなしようのお菓子やお料理作りを手伝わされていた。もともとそういう約束ではあったし、手伝うと言ってもお料理の腕なら庸介の方が段違いで上手い。だから私はほぼ雑用係だった。
「お嬢様、ゆで卵の殻むきは終わりましたか? ではマッシャーで潰してください。それが済んだらメレンゲの泡立てを――おや、お願いしていたオーブンの予熱が始まっていないようですが」
 手際のいい庸介と比べると、私はぎりぎり足手まといではない程度だ。おまけに彼はそこそこ人使いが荒い。
「私がいない方が実は楽だったりしない?」
 気になって尋ねてみたら、泡立て器を動かす庸介が横顔で笑った。
「そんなことは。むしろお嬢様を顎で使って、申し訳ないと思っております」
「嘘。けっこう楽しそうに見えるけど」
 私の言葉を、彼は結局否定しなかった。
 その態度がちょっと癪に触ったので、やり返してみる。
「庸介、蒲原くんたちが来たらその口調は封印だからね。間違って『お嬢様!』なんて呼ばないように」
 すると彼はいくらか不安になったようだ。心細そうに首をすくめた。
「やりかねないのが怖いですね。用心しておきます」
「でも庸介、いつも完璧に振る舞ってるじゃない。今日に限って失敗することなんてある?」
「このお家で、というのは初めてですから」
 庸介は私の家にいる時、いつでも使用人としての態度を崩さなかった。
 多分、今日が初めてだ。彼が幼なじみとして私の部屋へやってくるのも、お友達をここへ招くのも、それから――生涯で一番楽しいパーティをすることも。
「初めてって楽しいね」
 ゆで卵を潰しながら私が言うと、庸介は少し間を置いてから、頷いた。
「確かに、そうですね」

 約束の午前十時前、私は庸介を連れて行田さんの車に乗り込んだ。
 出発前には徒野さんに声を掛けられ、庸介の予想通りに少しからかわれた。
「お嬢様、本日はうちの息子がご面倒をおかけします」
 私に向かってそう言った後、徒野さんは庸介を呼び止める。
「お招きいただいた以上、お嬢様に失礼のないようにするんだぞ」
 その口調はいつもの生真面目さとは違って、どことなく愉快そうで、それでいて温かなものに聞こえた。
「あ……はい、承知して……ます」
 庸介の方がもごもごと、落ち着きなく答えていたのもおかしかった。
 家を出て、車に乗り込んでから、
「庸介ってお家でも敬語なの?」
 とつついてみたら、恥ずかしそうに睨まれた。
「お嬢様まで! からかうのはおやめください」
「そんなつもりはなかったんだけど、だって面白いんだもの」
「面白がってるじゃないですか!」
「庸介のそういう顔、なかなか見られるものじゃないからね」
 小さな頃から一緒にいるのに、まだ見慣れない顔がある。
 私はそんな庸介を、全部知りたいって思っている。
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