Tiny garden

偽物だからこそ(5)

 学園祭で撮った写真は、全てきれいにプリントした。
 そして私と庸介は、私の両親にその写真を見せることとなった。

 父と母の両方がちゃんと揃う機会はあまりないから、学園祭からやや時間が経っていた。
 それでも或る休日の朝、珍しく三人で朝食を囲んだ後に少し時間を貰えた。リビングで食後のコーヒーを味わう二人に断り、大急ぎで庸介に写真を持ってきてもらった。
 それを父と母に手渡す。
「この間の、学園祭の写真なの」
 そう説明を添えると、二人もはじめは目を輝かせて写真を覗き込んだ。
 ところがゾンビナースに扮した私を見るとさすがにぎょっとしたようだ。
「六花の可愛さが台無しじゃないか」
 父は大げさに嘆いたけど、何枚か眺めるうちに吹き出して、母から軽く睨まれていた。
 写真の中のゾンビの私は、自分で言うのもなんだけど完璧なゾンビぶりだった。どう見ても生きているようではない。ある意味、いきいきしてたけど。
「こんなにごってりお化粧して……お肌が荒れてしまうじゃない」
 母が気を揉んでいるので、私は笑った。
「大丈夫だったよ。すぐに落としたし」
 それからちらっと庸介の方を窺ったけど、彼はお行儀よく控えているだけだ。何も言わないし目配せすらしなかった。
「一緒に写ってるのは庸介くんなんでしょう? あなたまでこんなメイクを……」
 母が水を向ければ、さすがに反応していたけど。
「お恥ずかしい限りです。しかしこれも学校行事の一環でございまして」
「いろんな行事があるものね」
「まあまあ、六花が楽しんでいるならいいじゃないか」
 どうも母はお気に召さないようだ。父に宥められ苦笑していた。

 やがて写真はお化け屋敷から、お昼のお楽しみの光景へと移る。
 その中で私はミナと蒲原くんがごちそうしてくれた学園祭グルメを堪能していて――やはりそこでも母はいい顔をしなかった。
「六花、お外で買い食いはいけないことだと教えたでしょう」
 眉を顰めると、その矛先は庸介へと向かう。
「庸介くんも。こういう時には止めてくれるようお願いしていたはずだけど」
 さしもの庸介も顔を強張らせ、弁解を口にしようとしたみたいだ。
 私は慌てて口を挟む。
「違うの、お母さん。私がそうしたいと言ったの」
「六花が? どうして?」
「それは……食べてみたかったから」
 答えはそれしかない。
 食べてみたかった。今まで食べたことがないから、美味しそうだったから、せっかくごちそうしてもらったから、そのどれもが正解だ。
 だけど一番は、本当に『そうしてみたかった』からだった。
「食べることだけじゃないの。私、いろんなことをしてみたかった。他の同年代の子たちが挑戦しているいろんなことを」
 私は両親に訴える。

 友達を作っておしゃべりしたり。
 香水を買ってみたり。
 お休みの日には外へ遊びに出かけて買い食いもしてみたり。
 それから、恋をしてみたり――。

「私、今の学校がすごく楽しいの」
 編入してから得た思い出は、どれも素晴らしいものばかりだ。
 振り返るだけで自然と唇が微笑むくらいに。
「前の学校では正直言って、あまり馴染めていなかった。だって私は『普通』の子じゃないって思っていたから」
 そう語ると、父が写真をテーブルの上に置いた。
 向き直って聞き返してくる。
「普通じゃないというのは、パパたちのことかい?」
「うん……ううん。私も含めて、そうだと思ってた」
 どんな家に生まれてどんなふうに育ったか、それらが私を普通ではなくしていた。
 ずっと、そう思ってきたけど。
「けど、こっちの学校でお友達と話していて気づいたの。普通の高校生なんて、本当はどこにもいないんだって」
 漫画の中では、主人公がよく自分を『どこにでもいる普通の高校生』と称する。
 だけど普通って何だろう。私と、庸介と、ミナと蒲原くん。誰もが全然違うのに、誰を基準に普通だと決めるのだろう。
 私はミナたちと話してそのことに気づいた。
 普通の子、普通じゃない子、そんなふうにライン引きをするのは無意味なことだ。
「私が今の学校でお友達を作って、楽しく過ごしているのは、私が嘘をついているからじゃない。周りの人が私を大切にしてくれるからなの」
 私がお嬢様じゃなくても。
 主代六花という私個人を、好きになってくれる人がいる。
「庸介もそうだし、他のお友達もそう」
 彼の方を振り返ってみた。
 庸介も私を見る。にこりともしないけど、目元が少し優しかったように思う。
「そういうお友達ができたから、今の学校にずっといたいです」
 私はそこまで語ると、唇をきゅっと結んだ。
 そして審判の時を待つ。

 父と母は、それぞれに酷く戸惑っていたようだった。
 きっと私が前の学校に戻ることを望んでいたのだろう。その方が受験には都合がいいこと、自分でもわかっている。
 だけどこれだけは譲れない。譲りたくない。
「前の学校で、そういうお友達を作るのは駄目なの?」
 先に口を開いたのは母の方だった。
 その問いかけに、私は思わず俯く。
 それができたら――できなくはないのかな。できないと決めつけるのはよくないことだ。
 でも前の学校に戻ったら、今の友達とは一緒にいられなくなる。私が戻りたくない理由はそれだけだった。
「駄目。今、一緒にいたいお友達がいるの」
 恐る恐る反論すると、今度は父が言った。
「その気持ちはわかるぞ、六花。いいお友達ができたのなら、離れたくはないよな」
「うん……」
「でも、今の学校では受験に響くだろう。しなくていい苦労をするかもしれない」
 それも、わかっている。
 私のわがままが選択肢となり、未来を大きく変えてしまう。これまでにも何度も経験したことだ。覚悟はできている。
 勉強は大変かもしれない。でも、今の学校にいていいなら頑張る。いくらでも頑張れる。
 だって、皆がいるから。
「私、頑張れる。お父さんにもお母さんにも心配は掛けないし、後悔だってさせない」
 きっぱりと告げると、二人は揃って目を丸くした。
「まあ、六花……」
「ずいぶんと大きく出たな。自信があるのかな?」
「う、うん。自信、持てるように頑張るよ」
 一瞬だけうろたえてしまったけど、それでも深く頷いた。
 それで父も頷き返すと、次に私から、傍らの庸介に視線を移す。
「庸介くんの意見は?」
「え?」
 庸介は自分に振られるなんて微塵も思っていなかったようだ。驚きに声を上げつつも、すぐにいつもの澄まし顔になる。
「僭越ながら申し上げますと、今の学校に移られて以降のお嬢様は、確かに毎日いきいきとしていらっしゃいます」
 前もって用意していたみたいに、すらすらと答える。
「お嬢様のお心が健やかである為に、今の学校は適した環境であると存じます。旦那様と奥様のご懸念ももっともながら、お嬢様が育まれた交友はやはり貴く何物にも代えがたいものでございます」
 本当に、その通りだ。
 私が心の中で同意すると、庸介もわかっているように胸を張る。
「学業に関しましては、微力ながら俺もできる限りのサポートをいたします」
「その点は確かに頼もしいな」
 父は庸介の答えに満足そうだった。
 微笑んだ後、テーブルの上の写真に再び手を伸ばす。
「それに、この笑顔。これを見たらなあ……」

 庸介が撮った写真はどれも会心の出来だった。
 ゾンビのメイクをする私、実際にゾンビナースとなった私、お化け屋敷のシフトを終えてミナたちと一息ついている私、学園祭グルメを堪能している私――。
 そして、顔を寄せ合い写る私と庸介とミナと蒲原くん。
 いい写真だった。私とミナがにっこり笑って、同じピースサインを取る一方、庸介と蒲原くんは生涯の好敵手みたいに睨み合っている。でもそれもある意味お揃いのポーズで、つまりすごく仲良しに見える。
 私たちはあの学校で、確かな人間関係を築いた。
 そう証明できる写真だった。

 それは父も同じように思ったらしい。
「全く、いい写真だ。庸介くんの腕がいいからかな」
 見惚れるように目を細めたので、庸介も少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます。お嬢様が楽しんでいらっしゃったからこそとれた写真だと思っております」 「それは君も同じだろ?」
 父に問い返されると、どことなく返事に困っていたようだけど――認めたがらないなあ。本当に。
 母はまだ何か言いたげだったけど、父の表情を窺い見てから息をつく。
「どうやら、答えは決まりのようね」
「ああ。六花の笑顔の為には、意見を尊重してあげるのがいいようだ」
 そう言うと父は真面目な顔をした。
「成績が落ちたらまた考え直さざるを得ないが、頑張っているなら認めよう。それでいいかな、六花?」
「はい!」
 私は声を張り上げて返事をする。
「ありがとう、お父さん! お母さん!」
 そして頭を下げたら、父はわざわざ両手を広げた。
「六花、昔みたいに抱っこしてもいいんだぞ」
 でもその手を、母が苦笑いで取り押さえる。
「あなた、六花はもう子供じゃないんですから。庸介くんの前でそんなこと言ったら恥ずかしいでしょう」
 こればかりは同意だ。抱っこなんて歳ではない。
「昔はパパっ子だったのになあ……」
 父は少し残念そうだったけど、でも、あまり落ち込んでいないようにも見えた。

 ともあれ交渉は大成功に終わり――。

 その後、私は自分の部屋で、庸介に勉強を見てもらっていた。
「サポートって、今日からやらなくちゃ駄目……?」
「旦那様とのお約束ですから」
 庸介は机に向かう私の横に、見張るように立っている。私が問題を解くのを見ていてくれるのはありがたいけど、せっかくの休日なのに。
「成績が落ちたら旦那様と奥様を裏切ることになってしまいます。頑張りましょう、お嬢様」
「はーい……」
「もっと明るいお返事をお願いいたします」
「はい。庸介は真面目なんだから……」
 私は溜息をついたけど、本当はちゃんとわかっている。
 庸介は誓ったからには約束を守る気だ。私の成績を落とさせまいとすごく頑張ってくれている。
 だから私としても、手を抜くわけにはいかない。せっかくのお休みだけど。
「本当、庸介は頼もしいね」
 私が誉めると、庸介は澄ました顔で応じる。
「生涯尽くさせていただきます、お嬢様」
「それも約束?」
「もちろんでございます」
「絶対だよ。生涯、だからね」
 私と庸介は指切りで約束を交わした。
 それからちょっとだけ笑い合って、また勉強を再開する。

 庸介と一緒なら、どんな夢みたいなことでも叶うような気がする。
 私達にはまだ乗り越えなくてはならないものがいくつかあるけど、二人でならきっと大丈夫。
 また今日みたいに、一緒に両親を説得しちゃえばいい。  
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