Tiny garden

偽物だからこそ(4)

 せっかく買ってきてもらった美味しいものたちだ。
 温かいうちにいただくのが礼儀に敵っていると思う。
 うちの父もよく言う。料理人には敬意を払うべき、って。

 それにしても何からいただこうか迷う。
「やっぱクレープじゃない? 焼きたて食べないと損だよ」
 ミナは紙に包まれたチョコレートのクレープを指差した。
「粉物は熱いうちの方いいって。お好み焼き行けよ」
 蒲原くんはソースのかかったお好み焼きを推してくる。
「庸介はどれからがいい?」
「俺は作ってきたものがあるから――」
「それはあたしと蒲原で食べるって言ってんじゃん!」
「お前せっかく奢ってやったんだから食えよ!」
 庸介の言葉は即座に二人から遮られ、彼はむっつりと口を閉ざした。
 これは私が手をつけないと始まらないなと思い、まずはミナお薦めのクレープに手を伸ばす。
「あ、六花……」
 庸介はまだ抵抗がありそうな顔をしたから、私はわざと彼の方を向いて一口、かじりついた。

 クレープは確かに焼きたてで、手に持つとほんのり温かい。
 一口目でチョコレートソースと生クリームが溢れ出てきて、
「わあっ」
 慌ててもう一口かじる羽目になった。
 母が見ていたらお行儀が悪いと叱っただろう。

 でもそこは庸介、私が体勢を立て直した三口目でようやくカメラを構えてくれた。
「こんな姿を見せて、本当に大丈夫なのか……」
 彼はぼやきつつもクレープを味わう私をちゃんと写真に収めた。
「お味はどう?」
 ミナが尋ねてきたので、私は微笑んで答える。
「とっても美味しい! アーモンドとチョコレートがぱりぱりしてて、いい食感だね」
「チョコスプレー増量してもらったからね!」
 クレープには食べる前からわかるくらいにたっぷりとチョコスプレーがまぶされていた。
 青、緑、ピンクといったそのカラフルさにも庸介はいい顔をしない。
「口に入るものの色合いとして、これはどうなんだ」
「いいから食べてみたら?」
 私が告げると、彼は意を決したようにカメラを置き、もう一つのクレープを手に取る。
 そして三人が見守る中で、意外と大きな一口目を披露した。そのまま、もぐもぐと口を動かす。
「どう? 美味しいでしょう?」
 尋ねてみたら、庸介は飲み込んでから答えた。
「クリームが植物性だ」
「そここだわるか!?」
 蒲原くんが天を仰ぐ。
 だけど庸介はかぶりを振り、むしろほっとしたように言った。
「いや、安全性ではこちらの方がいい。素人の作るものなら衛生管理のしやすさは大事だからな」
「……自分はプロみたいな言い方すんね」
 ミナの指摘ももっともだ。庸介の料理作りは仕事のうちだから、そういう言い方になってしまうんだろう。
 でもこんなお祭りでしかつめらしい顔をしているのも変だ。
 だから私は庸介が置いたカメラを攫って、彼に向かって構えた。
「庸介、クレープ食べてるところ撮るよ!」
「俺を? いや、俺の写真なんて――」
「だめ。私も欲しいから!」
 ファインダー越しにねだると、庸介は困ったような顔でもう一度クレープを口に運んだ。
 隅の方に蒲原くんとミナの冷やかしめいた笑みも収めつつ――私は笑いを堪えてシャッターを切る。
 これはいい写真が撮れたに違いない。

 それからも私たちは学園祭ならではのグルメを楽しんだ。
 お好み焼きはしっかりと焼しめられていてソースが固まっていたし、焼きそばは早くも冷めてくっついていた。アメリカンドッグを食べるのは初めてで、最初の一口ではケチャップをかけ忘れてしまった。デザート代わりのチュロスを食べる頃にはお腹いっぱいになっていたけど、その辺りまで来ると庸介も吹っ切れたのか、私の分まで食べてくれた。
「庸介、しっかり食べてるじゃない」
 私がからかうと、彼は真面目な顔で応じる。
「お弁当はもうないし、空腹のままでは午後の活動に差し支えるからな」
 庸介の言葉通り、彼お手製のベーグルサンドはあっという間にミナと蒲原くんのお腹に収まった。
 二人の口にも合ったようで、食べている間は絶賛の嵐だった。
「美味しー! 徒野も料理の才能あるじゃん!」
「何だこれ! また作ってこいよ俺一人で食うから!」
「有料なら考えてもいい。材料費が余分にかかるんだ」
 称賛の言葉を、庸介は軽くかわしている。
 もっともその表情はどこかきまり悪そうにも見え、撮ってやろうとカメラに手を伸ばしたら、それより早く庸介が眉を顰めた。
「六花、俺の写真はもういいから」

 でもこのランチタイムの間に、私の写真はずいぶんと撮影していたはずだ。
 クレープから始まってお好み焼きも焼きそばも食べているところを撮っていたし、アメリカンドッグを頬張る顔も、チュロスを食べきれなくて半分に割ったところまで押さえられている。気がつけば食べている姿ばかりになっているような。

「じゃあ今度は四人で写らない?」
 食事が大方済んだところで持ちかけたら、庸介とミナと蒲原くんはそれぞれにきょとんとした。
「四人で? 交友関係も写真に収める気なのか?」
「あたしらまで写っちゃっていいの?」
「やべえ、主代さんのご両親に見られちゃうとか一大事じゃね?」
 大げさだ。別に一大事でも何でもない。
 私も両親には、友達の顔や学校での過ごし方をちゃんと見てもらいたかった。
 ここで過ごした時間がどれほど素敵で、楽しくて、貴重なものかということを、知ってもらう為に写真を撮っている。
 もちろん最後には私の言葉で伝えなくてはならない。
 だけど私は、忙しい両親にはなかなかわがままを言えなかったから。
「四人で写れるかな」
 私は腕を伸ばして自分にカメラを向ける。
 庸介とミナと蒲原くんが、それぞれに顔を寄せてカメラに入ろうとする。
「ほら主代さん、もっと俺に寄りかかってもいいんだぜ」
「蒲原は六花から離れてくれ。下心しか感じない」
「男同士でくっつきゃいいじゃん。リッカ、同じポーズで写ろ」
「うん!」
 それで私とミナは顎の下でピースサインを作り、庸介と蒲原くんは互いに睨み合うような顔で写真に写った。
 これもまた、なかなか面白い一枚になったと思う。

 そうして、三日間の学園祭はあっという間に過ぎていった。
 最終日はほとんど後片づけだけで終わり、後夜祭はミナ曰く『お決まりの』キャンプファイヤーだった。
 学園祭のフィナーレに、薄暗い校庭で灯されるキャンプファイヤーは、カップルで眺めるものと相場が決まっているらしい。

 だからというわけではないけど、私は庸介だけを誘った。
「どこか高いところから校庭を見下ろしてみたいな」
 そんなふうにお願いしてみたら、彼は三階の空き教室まで私を連れていってくれた。
 そして教室の窓から、二人で並んで校庭を眺めた。

 空は既に薄暗く、遠くに赤々とした残照がわずかに名残を留めている。
 微かな星の光は、だけど今夜ばかりは地上の炎に敵わない。
 燃え上がるキャンプファイヤーは篝火のごとく校庭と校舎を照らし、炎の周囲に集うたくさんの影をゆらゆらと揺らめかせていた。
 あの中のどこかにミナや蒲原くんもいるだろうか。残念ながら遠すぎて、わからない。

「お祭りって感じがするね」
 窓枠に頬杖をついて呟くと、庸介は真面目に答える。
「そうだな。その点だけは本物だと思えるよ」
「それ、どういう意味?」
「学園祭にあるものは何もかもが偽物だろ」
 私の隣に立つ彼は、もっともらしく続けた。
「お化け屋敷はあの通り、手作り感いっぱいだった。売られている食べ物だって素人が作った手軽なものばかりだ。そもそも店自体が『模擬店』だからな。学園祭なんて、規模の大きなごっこ遊びに過ぎない」
 それは何だか皮肉っぽい、斜に構えた意見に聞こえた。
 私は思わず反論する。
「ごっこ遊びだから楽しいんじゃないかな」
「もちろんそうだろう。俺も批判するつもりはないよ」
「すごく苛烈な意見に聞こえたけど」
「そうじゃない。偽物だからいいんだと言いたかった」
 彼はゆっくりとかぶりを振る。
「世間的には、本物の方が素晴らしいということになっている。偽物には価値がなく、本物を知らないうちは何も知らないのと同じだって」
「それはそうだよ」

 偽物には価値がない。それは残念ながら事実だ。
 学園祭の出し物が偽物だというのならそれも一理ある。たくさんの時間を費やして製作された私たちのクラスのお化け屋敷は、今夜のキャンプファイヤーと共に燃やされる。明日からはまた元通りの授業が始まり、ゾンビになった経験が求められるということもない。
 全ては私たちの心に、記憶として残るだけだ。

「でも、偽物は本物の為にあるんじゃないかと、俺は思う」
 庸介が肩を竦める。
 その顔を見上げると、キャンプファイヤーの炎に微かに赤く染められていた。
 窓からは秋の夜風が吹き込んでいて、彼の硬そうな髪を静かに揺らしている。
「いきなり本物を試すのは無謀だ。お化け屋敷でも模擬店でも、一つの経験として偽物が活かされ、いつか本物に繋がることはあるかもしれない」
「そうかもね。将来、そういうところで働くなら」
 遊園地のキャストやお店の店員さんなら、学園祭の経験が活きることもあるかもしれない。
 私はどうだろう。まだ進路も決めていないけど――いつかこの日々の記憶が、私の糧になるといい。
「でも真面目なんだね、庸介は。私はそこまで思わなかったよ」
 学園祭をただお祭りとして堪能してきた私は、彼の言葉に少し恥ずかしさを覚えた。
 すると庸介は私に向かって、意味ありげに目を細める。
「学園祭に限った話じゃないからな」
「どういうこと?」
「俺たちも、始まりは偽物だった」

 言われてみればその通りだった。
 偽の幼なじみとして、私たちはこの高校にやってきた。
 そしてそう振る舞ううち、偽の恋人同士にもなって、それから――本物になった。

 もっともこの件に関しては、偽物時代の経験が上手く活かせたとは思えない。
 私はまだ庸介といると緊張することがある。
 今も、そうだ。
「……あの、庸介」
 窓枠にもたれる私の頭を、彼の腕がそっと抱き寄せた。
 お蔭で私はどぎまぎしてしまい、彼の顔を見上げることもできなくなる。
「キャンプファイヤーだからって、無理にいい雰囲気にしなくていいから……」
「無理はしてない。偽物の存在価値を実感していただけだ」
 ぎゅっと私の頭を抱え、庸介は少しだけ笑ったようだ。
「六花とこうしていられて、とても幸せだ」
 制服越しの体温が、今も私を戸惑わせる。
「う、うん……私も、そうだけど」
「それに楽しい学校生活も送れた。思い出が、たくさんできた」
「私も、そう思うよ」

 庸介と二人、この学校に来てからは楽しいことばかりだった。
 もちろん戸惑うことや不慣れなこともなかったわけではない。転校直後の私は明らかに浮いていただろうし、もしかすれば今でさえそうかもしれない。
 だけど、振り返った日々に悔いは何もないと言える。
 この日々の思い出を糧に、今なら両親とちゃんと向き合える。

「写真、たくさん撮れたね」
 決意が胸に満ちてくると、庸介の温もりが心地よく思えてくるから不思議だ。
 私も、幸せ。彼が隣にいてくれて、本当によかったと思う。
 だから、きっと頑張れる。
「両親と話すよ。傍にいて、支えてくれる?」
 私の言葉に、庸介は大きく頷いた。
「もちろん。どこまでもお供しよう」
 そうして私の手を取ると、さながらお伽話の騎士みたいに、手の甲に唇で触れた。
 その柔らかい感触にどきっとしつつ、私は笑わずにもいられなかった。
「何だか、忠誠のキスみたい」
 でも庸介は笑わなかった。
「ご不満ならやり直そうか」
「あっ、ううん、別にいい!」
「どうして拒むかな……初めてじゃないのに」
 そんな言葉の後、今度は私の唇に柔らかいものが触れた。

 窓の下では今もキャンプファイヤーが燃え盛っている。
 微かに焦げた匂いの中、私は間近に庸介の顔を見つめて――偽物じゃない彼にひたすらどぎまぎしていた。
 本物になったはずなのに、いつまで緊張していればいいんだろう。
 この気持ちもいつか落ち着いて、恥ずかしくなくなったりするのかな。
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