Tiny garden

偽物だからこそ(3)

 何十組とお客さんを脅かした後、私たちの当番は終わった。
 午後の部の子たちと交替して、ようやくほっと一息つける。

「はー! すっごい面白かった!」
 ミナはかねてからの願望を叶えてか、誰より一番満足そうだった。
「カップル脅かすの超気分いいね! 彼氏の方が悲鳴上げてビビってるのとかもう最高!」
「お前、趣味悪くね……?」
 げんなりした顔の蒲原くんに問われてもどこ吹く風だ。
「日頃のストレス発散ってやつだよ」
 そう言いながら手鏡を覗き込み、ゾンビメイクを愉快そうに眺める。
「これから自由時間だけど、このまま練り歩いちゃおうかな」
「やめろ! ちっちゃい子が泣くぞ!」
「むしろ泣かす!」
 泣かせるのはどうかと思うけど、何にせよミナはゾンビナースをすっかり気に入っているみたいだった。

 私もこのメイクは手間がかかったし、いざとなると落とすのが惜しい気がする。
 だけど庸介は既にメイク落としシートを用意していて、粛々と私に差し出した。
「六花、これを使ってすぐに落としてくれ」
「私もこのままがいいな。面白そう!」
「駄目だ。せっかくの肌が荒れる」
「お母さんみたいなこと言うね……」
 それで私は仕方なく、ゾンビメイクをきれいに落とし始める。
 蒸し暑いところにいたせいで多少は汗で落ちてもいたけど、目元のシャドウを落とすのはかなり手こずった。つい、ごしごしこすりたくなってしまう。
「手伝うよ、六花」
 いち早くメイクを落とした庸介が、見慣れた顔でそう言った。
「じゃあ、お願い」
 私が頷くと、彼はちょっと嬉しそうに笑んだ。
「目をつむってくれ」
「……こう?」
 言われた通りに目を閉じる。
 ひやりと冷たいメイク落としシートの感触が、上瞼を覆うように感じられた。そのままメイクを浮かせるようにそっと押し当て、優しく撫でられる。
 それ自体はむしろ心地いいくらいだったけど、庸介の優しい手つきがなぜか恥ずかしい。
 さっきの、診察室での出来事を思い出すからかもしれない。
「そう言やさあ」
 目をつむった私の耳に、蒲原くんの声が聞こえてきた。
「女の子の集団が入ってきた時、お前らのブースめっちゃ騒がれてたじゃん。あれ、何かあったん?」
「何もない」
 庸介はひやりとする間もないほどの反応速度で答える。
「え、マジで? 何か笑われてなかった?」
「気のせいだ。動き出す前のゾンビは滑稽なものだからな」
「ふーん……」
 頑なに言い張る庸介の主張に、蒲原くんは釈然としない様子だ。
 でもまさか本当のことなんて言えるはずがないし、思い出すのだって恥ずかしいくらいなのに――。
「何もないところで笑われたんだ。そうだよな、六花」
 黙る私の目元を拭う庸介の手は、その時緊張したように震えていた。

 ともあれ、ゾンビの痕跡はすっかり私の顔から拭い去られた。
 着替えも済ませた私たちの次の目的はと言えば、やはり学園祭らしいことだ。
「とりあえずメシ! 学園祭グルメだろ!」
 そう、蒲原くんの言う通りだ。
 この学校ではうちのクラスのお化け屋敷以外にもたくさんの模擬店が出されている。そのせいで校内にはいろんな食べ物のいい匂いが漂い、空腹を抱える私たちを急き立てた。
「今年も美味いもんいっぱいあるぜ。肉と粉もんと甘いのと――何から行く?」
 どうやら蒲原くんは既にリサーチ済みらしい。
「やっぱ最初は粉もんでしょ。お好み焼きとか食べたい!」
 まだゾンビメイクのミナが言い、私も食べてみたいなと思ったところで、
「六花、君の分のお弁当は用意してある」
 庸介が、至って当たり前のように告げてきた。
 それから声を落として言い添える。
「外食はまずい。お母さんに写真を見せるんだろ?」
「……そうだけど」

 うちの母は私が外食をするのをよく思っていなくて、それは学園祭でも例外ではなかった。
 前の学校でも模擬店の食べ物は買わないように言われていて、今日みたいにお弁当を持たされて、私は学園祭をあまり楽しめなかった。
 でもこっちの学校では思いきり楽しみたいって思っていた、のに。

「ちょっとだけ、食べてみちゃだめ?」
 おずおず尋ねてみたら、庸介は困った顔をした。
 もちろん彼がいつも朝早く起きて、美味しいお弁当を作ってくれてることも知っている。その苦労をむげにするつもりはない。
「お願い。庸介のお弁当もちゃんと食べるよ」
「六花はそんなに食べられないだろ」
 両手を合わせて懇願すると、彼はそう言いつつも仕方なさそうに首を竦める。
「しょうがないな。なら、俺が多めに食べるから――」
 と言いかけた時、すかさずミナと蒲原くんが挙手をした。
「はいはい! だったら徒野の弁当食べたげる!」
「俺も俺も! 一度食ってみたかったんだよなー!」
 二人の反応に驚いたのは私だけではなかった。
 当の庸介が目を瞬かせて聞き返す。
「君たちが? どうして?」
「いいじゃん。リッカがいろいろ食べたいって言ってんだし」
 ミナは明るく答えると、そこでぱちんと手を打ち鳴らした。
「お弁当ごちそうになる分、模擬店の食べ物はうちらで買ってくるよ! それで持ち寄りパーティってのはどう?」
「持ち寄りパーティ?」
 何だかすごく素敵な響きだ。
 わくわくし始めた私に彼女は言ってくれた。
「リッカに学祭楽しんで欲しいしね。蒲原と一緒にひとっ走り行ってくるよ」
「お前はそのメイク落としてからな!」
 蒲原くんが慌てたように指摘すると、声を上げて笑っていたけど。
「このままでもよくね?」
「よくねーって! 待っててやるから急いで落とせ!」
 漫才みたいな二人のやり取りに私もつられて笑いつつ、横目で庸介の反応を窺う。
 庸介は呆気に取られた顔で、どう答えようか迷っていたみたいだ。
「お言葉に甘えちゃう?」
 私が小声で尋ねれば、やがてぎくしゃく頷いた。
「二人がそれでいいなら……でもいいのか? 今日は普通のベーグルサンドだ。中身はベーコンレタス、ローストチキン、目玉焼き、それから柚子ジャムとクリームチーズ――」
「全然いい! むしろ食べたい!」
「急げ渡邉! 腹減ってきた!」
 ミナと蒲原くんは目を輝かせて食いつくと、手早くメイクを落としてお買い物に飛び出していった。

 二人が買い出しをしている間、私と庸介は食事の為の場所取りをすることになった。
 といっても学園祭期間は空き教室がイートインスペースとして開放されている。ちょうどお昼時で結構な混みようだったけど、私たちはどうにか四人掛けの席を確保することができた。
 空き教室には校外からののお客様の姿ばかりがあった。家族連れもいれば小学生のグループもいたし、他校生らしき私服姿の少年少女も見受けられた。
 前の学校ではほとんど見かけなかった光景だ。

「学園祭って、学校によって全然違うんだね……」
 椅子に座って一息ついて、ミナたちに居場所を連絡した後で、私はしみじみ呟いた。
 前の学校はそもそもチケット制だったから、ふらりと遊びに立ち寄る、なんて人は全然いなかった。男の人も父兄以外は見かけなくて、だからこの学校の光景がとても新鮮だ。
「そうだな。ここは随分と賑やかだ」
 隣に座る庸介が頷く。
「庸介の前の学校も、もっと静かだった?」
「ああ」
 前の学校について話す時、私たちはいつも言葉少なだ。
 その理由も、彼に尋ねてみたことはない。
 ただ、私の理由ははっきりしている。いい思い出がなかったからだった。
「私もそう。寂しかったな」
 つい本音が口をついて出た。
 けど、今日は全然違う。とても楽しい思いをしている。
 だからこの話はここでおしまいにしよう。
「いいお友達ができたね」
 もう一つ、心の底から呟いてみた。
 庸介はそれには頷かず、だけど静かに微笑んだ。
「俺もそう思うよ、六花」
「うん。ミナも蒲原くんもすごくいい人たちだった」
 ミナには私の家の事情を話してある。そのせいか、さっきみたいに気遣ってくれることが増えた。
 蒲原くんはまだ知らないはずだけど――うすうす察してはいるのかもしれないな。私は『変わっている』そうだし、今となっては自分でも思う。ここでは確かに変な子にしか見えないだろうって。
 でも、そんな私にも友達ができた。
 そしてもちろん、庸介にも。
「確かに、二人ともいい人だ」
 庸介は同意してみせた後、どこか不満げに続ける。
「でもやっぱり、蒲原に六花は渡せない」
「あ……そういえばそんなこともあったね」
 すっかり忘れていたけど、蒲原くんとはそういうきっかけで知り合ったんだった。
「あれからあまり言われてないし、気にしてなかったよ」
「『あまり』? 何度かは言われたのか、六花」
 聞き捨てならないという顔で、庸介が眉を顰める。
 心配をかけてもいけないから、私はあえて笑い飛ばした。
「ううん、最近は全然。蒲原くんはもう、私のこと好きじゃないと思うな」
 好きじゃないというと語弊があるかな。
 でもそう思っている。私たちはいいお友達になれていると思う。
 どちらかと言えば、庸介との方がいいお友達だけど。
「それに庸介は、蒲原くん好きでしょう?」
 私の問いに、彼はゆっくり首を傾げた。
「昔ほど不快に思っていないのは確かだ」
「何、それ。結構いいコンビに見えるよ」
「そういうふうに括られるのは不本意だな」
「難しいなあ、庸介は」
 なぜか拗ねた様子の彼に笑いかけてみる。
 しばらくそのまま見つめてみたら、庸介もやがて根負けしたように苦笑した。
「嫌いじゃない。ただ元とは言え恋敵をどう捉えていいか、まだ困惑してるだけだ」
 恋敵、なんて単語を出されるとこちらの方が困ってしまう。
 私の方は蒲原くんをそんなふうに見たことがなかったから、余計に。
「あんまりそうは考えたことなかったな」
 思わず口にすると、庸介が訝しそうな顔になる。
「そうは、って?」
「私、庸介のことしか見てなかったから……」
 するりとそんな言葉が飛び出て、言ってしまってから後悔した。
 もちろんそれを聞き逃すような庸介じゃない。ひょいと眉を上げたかと思うと、口元を隠すように頬杖をついた。
「それはすごい殺し文句だ」
「う、ご、ごめん。忘れて」
「忘れたくはないな」
 庸介が含むような言い方をするから、私は拗ねたいのか恥ずかしいのかわからないまま黙り込むしかなかった。

 それから程なくして、ミナと蒲原くんがやってきた。
「お待たせー! リッカに食べさせたくて買い込んじゃった!」
「見かけたもん一通り買ってきたからな!」
 二人がそう言ったように、テーブルには大量の食べ物が並んだ。
 焼きそばにお好み焼き、クレープ、アメリカンドッグ、フライドポテトにチュロス――そして庸介のお弁当。
 こんなにジャンクフードばかり並んでいるテーブルを見たのは初めてで、感激してしまった。
「わあ、すごい……! 二人ともありがとう!」
 お礼を言う私の横で、庸介はカメラを取り出しながら複雑そうな顔をしている。
「どういう写真を撮るか、迷うな……」
「正直に食べてるところを撮っちゃおうよ!」
「……本気で?」
 もちろん本気だ。

 今更、嘘をついたって仕方がない。
 学校での偽らざる私を両親に知ってもらういい機会だ。
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