偽物だからこそ(2)
やがて、校内放送が私達を急き立て始めた。『全校の皆さん、学園祭の開始まであと十分です。開門に備えて準備を始めてください』
教室の窓には暗幕が引いてあるから、もう外の様子はわからない。
だけど自由に門戸が開かれているだけあり、来校者は例年とても多いと聞いている。
ゾンビとしても脅かし甲斐があるというものだ。
私たちのお化け屋敷は午前と午後の二部制だ。
担当ではない時間帯は校内を自由に見て回ってもいいことになっている。もちろんお昼の休憩もタイミングのいいところで済ませる必要がある。
そして初日の私は庸介と一緒に、午前の当番を任された。
と言うか、庸介とは配置につくブースまで一緒だった。
「庸介、何か工作した?」
「まさか」
私の疑念を、彼はゾンビの顔で一笑に付した。
まだ照明がついたままの教室はすっかり準備が整っていて、私と庸介は二人で診察室のブースにいる。
診察室と言っても机と椅子、それに診療台を置いたら手狭になってしまうような広さだ。机は教室の机を二つ繋げてお医者さんの机らしく見せただけのものだし、診療台は古い長椅子にシーツを巻いただけの代物だった。薬品棚は書き割り、点滴袋はビニール袋で点滴台は竹ひご製、注射器は誰かが家から持ってきたおもちゃだ。
そんな中で血痕だけが本物らしく、診療台から床に点々と残されている。
それは通路に面した鉄格子まで続き――入ってきたお客さんの興味を引くようにしてあった。
各ブースのゾンビたちは死んだふりをして待ち伏せる。
そしてお客さんが近づいてきたら、タイミングを見計らって動き出すルールだ。
診察室ではナースが診療台の上に倒れ、お医者さんが机に突っ伏しているというのが設定らしい。
それならと、私は早速診察台の上に横たわる。
仰向けになって、手持ち無沙汰の両手をお腹の腕で組んでみたら、脇に立つ庸介がかぶりを振った。
「六花、そのポーズだと安らかすぎる」
「やっぱりそうだよね……」
私も何か違うと思っていた。
ゾンビはこんな安らかな倒れ方はしないだろう。ウイルスに感染してこうなってしまったのだから、もっとそれらしいポーズを取らないと。
そこで今度は、診察台の上に斜めに倒れ込んでみた。
診察台は隣のブースとの壁際にくっつくように設置されていたので、斜めになると手がぶつかる。私は診察台を壁から少し離し、さながらブリッジのような体勢で仰向けになる。
両腕も両脚もだらんとさせて、いかにも死体らしく――この体勢、ちょっと辛いけど。
「六花」
庸介はわざわざ私の顔を覗き込んでまで、もう一度かぶりを振ってきた。
「これも駄目だ」
「どうして駄目?」
「脚が露わになっている。スカート丈を気にしてくれ」
「えっ……やだ、どこ見てるの!」
私は慌ててナース服の裾を引っ張る。
そうは言ってもこの衣裳、いわゆるコスプレ用の偽物だ。本物の制服とは似ても似つかぬミニ丈で、仰向けになるとどうしても太腿まで見えてしまう。見せたいわけではないけど、照明を落としてしまうからいいかと思っていた。
「誤解しないでくれ。何気なく目に留まっただけだ」
心外だとばかりに庸介は言い張る。
「ゾンビの脚なんて誰も気にしないでしょう」
お化け屋敷に入ってまでナース服から伸びる脚に気を配れる人がいるだろうか。ましてやこちらは設定上とは言え、腐りかけたゾンビだというのに。
「そんなことはない。向こうから歩いてきたらしっかり見える位置だ」
だけど庸介はゾンビの顔で、真っ向から反論してくる。
「六花の脚を衆目に晒すわけにはいかない」
「それを気にするの、庸介だけだと思うけど?」
「そうだといいけどそうでもない。膝掛けを取ってこよう」
「膝掛けしてるゾンビなんていないよ!」
「なら、俺の白衣を使って隠してくれ」
「お医者さんが白衣脱ぐ方が駄目でしょう!」
庸介が白衣を脱ごうとするから、私は大急ぎで止めた。
何から何まで本当に心配症というか、気にしすぎなんだから!
すると隣の壁がこつこつ叩かれて、
「おーい、お二人さん。何揉めてんだよ」
蒲原くんの半笑いの声が聞こえてきた。
そういえば彼の配置はすぐ隣、手術室のブースだ。彼は手術着を着て手袋をはめたお医者さん役で、『怪しい手術の魅力にとりつかれてしまったマッドドクター』という設定らしい。血まみれのメスを何本も作っていたのを準備期間の間に目にしていた。
さておき、蒲原くんが言う。
「本番前に夫婦喧嘩とかやめろよ、怖さ吹っ飛ぶだろ」
「ふ、ふうふ……!?」
私はうろたえたけど、それを遮るかのようにほうぼうからは押し殺したくすくす笑いが聞こえてきた。
そうなると私も刃を引っ込めざるを得なくなる。
「……なら、私が椅子に座るから」
机の前に置かれた椅子を指差して、庸介に告げた。
「庸介は診療台に行って。それなら脚見えないから」
「わかった」
お医者さんが診察台に上がるという不自然な状況には一切異を唱えず、庸介は粛々と横たわってみせる。
そして私は椅子に座り、いかにも死んでいるように力なくもたれかかった。本来ならお医者さんが座る椅子のはずなんだけど――この診療室でどんな出来事が起きたのか、想像できるお客さんはいないだろう。
くすくす笑いはまだ収まっていない。
「もしかして、だから一緒の配置にしてもらえたの?」
声を落として尋ねたら、少し遅れて診察台から返事があった。
「ああ。俺たちはセットにすべきだと言ってくれる人が大勢いた」
それで夫婦扱いか。
クラス公認カップルなんて漫画みたいなことが本当にあるものだと思いつつ、私は頬に手を当てる。
顔が赤いゾンビはあり得ない。始まる前に冷ましておかないと。
開門直後から、我がクラスのお化け屋敷は大変な盛況ぶりだった。
廃病院とウイルスによって生まれたゾンビは投票で圧倒的支持を得たテーマだけあり、多くの人の興味を引けたようだ。午前中のうちから休む暇もないほどだった。
教室のドアが開く音が、お客さんの入ってくる合図だ。
そうすると私たちは息を潜め、目の前の通路に人がやってくるのを待つ。
「え、マジで暗いんだけど」
「わー、何あれ血の跡? 気持ち悪っ」
「立ち止まんなって、さっさと進めよ」
今度のお客さんは男の子の三人連れだ。
声の感じからは若いというより幼い印象だけど、賑やかにお喋りしてくる様子からして、脅かしても大丈夫そう。
面白がっている子は思いっきり脅かして、怖がっている子にはちょっとだけ甘く。
これがお化け屋敷のお化けのルールだ。
「……なんだ、ここ。牢屋?」
近づいてきた足音が止まり、すぐ近くで声がする。
どうやら鉄格子前まで辿り着いたらしい。こちらを覗いているようで、微かな息遣いまで聞こえてくる。
私も椅子の背もたれ越しに、そっと向こうを窺った。
通路に点った青白い明かりの下、三人の少年の姿が見える。表情は硬い。
「あそこに脚見えんだけど……」
「やべえ、あれ死体? 人形?」
「医者っぽくね? 白衣着てるし」
どうやら興味を持ってくれたようです。
それならこちらとしても、全力で歓迎しないとね。
突撃の先陣を切るのは庸介と決まっている。
彼が診療台から下りたら私も椅子を下り、一気に鉄格子まで距離を詰める。
お客さんが鉄格子の真正面にいる時は這い寄るように、通り過ぎてしまったら駆け足で鉄格子にしがみつく。
「ぐおおおおおおおお!」
「ふしゃああああああ!」
庸介も私もゾンビらしい声を上げながら、ずるずると床を這いつつ次第に顔を上げていく。
そうすると通路の明かりに照らされて、渾身のゾンビメイクを見ていただける計算だ。
「うわああ、ゾンビだ!」
「こっち来るやばいこっち来る!」
「逃げろ逃げろ逃げろ!」
三人の男の子たちはまんまと驚き駆け出した。
けど通路はまだ続き、その脇にあるブースには他のゾンビたちが手ぐすね引いて待ち構えている。
「やべーここゾンビしかいねー!」
「早く行け走れって!」
「出てくる出てくる! 捕まっちゃうだろ!」
クラスメイトの呻き声に混ざって、男の子たちの悲鳴が聞こえた。
それはあっという間に遠ざかり、随分と急ぎ足で廃病院を脱出してしまったようだ。楽しんでもらえたかな。
次のお客さんが入ってくるまでのわずかな時間、ゾンビたちにもブレイクが許される。
と言っても持ち場は離れられないし、水分補給をする程度だけど。
「六花の唸り声は、ゾンビというより猫だな」
その休憩時間に庸介が私に言った。
「このタイミングで駄目出し?」
水筒のお水を飲む私が聞き返すと、彼は心外そうに苦笑する。
「違う。可愛いなと思って言ったんだ」
「可愛いゾンビっていうのも違うと思うけどな」
私も本物のゾンビみたいな――本物というか、映画さながらの唸り声が出せたらとは思う。
だけどあの声は一朝一夕で出せるものではないようだ。本番前、試しに唸ってみたらミナから『お腹痛いの?』と聞かれる始末だった。
その上、唸り声は意外と喉が可愛く。今日は秋晴れを通り越した快晴で、暗幕を張った教室内は結構な蒸し暑さだ。
「……しまった、お水飲みきっちゃった」
気づけば私の水筒は空っぽだ。
じんわり汗も掻いてるし、メイクが落ちていないか気になる。
「水筒なら俺の分がある。飲むか?」
すると庸介が言ってくれて、診察台の足元に隠していた水筒を取り出した。
飲み口をハンカチで拭ってから手渡され、私は笑って受け取る。
「気にしないのに。でも、ありがとう」
「どういたしまして。急いで、次のお客さんが来る」
それで私は借りた水筒からお水を飲んだ。
そして、同じようにハンカチで拭って返そうとしたところで――教室の戸が開く音がした。
「六花、持ち場に」
庸介が低い声で促す。
でも私はまだ水筒の蓋も閉めていなくて、これが通路から目につくところにあると興醒めだから隠さなくてはならず、あわてて診療台の陰にしまった。
「さっきの血しぶき見た? かなりベタだよね」
「どうせこの先ゾンビとかいんでしょ、お約束」
「その程度じゃ驚けないよねー」
今度は若い女の子たちのようだ。
声の感じからして高校生だと思ったけど、賑やかな声が思ったよりハイペースで近づいてくる。
「わ、わ」
私は大慌てで持ち場の机まで戻ろうとした。
これから椅子に座って死体らしくだらんとして、お客さんを待たなければいけない。
でもそういう時に限って足がもつれて、私は危うく転びそうになり――、
「六花!」
すんでのところで庸介が、腕を掴んで引っ張り上げてくれた。
いや、それだけではなかった。私の身体は強く引き上げられたかと思うと診療台にぽんと投げられ、すぐに上から庸介が覆い被さってきた。
私にすぐ目の前に、庸介の顔がある。
二人揃って診療台の上で、折り重なるように倒れ込んでいる。
「え……よ、庸介……」
いきなりのことに声が震えた。
庸介もうろたえたのか、至近距離で見る目が泳いでいる。
「す、すみません。庇おうと思って、とっさに……」
おまけに敬語になってる。
「あ……ありがとう……」
私がお礼を言うと、彼はいたたまれなくなったのかもしれない。私の肩口に顔を埋め、ぎゅっと体重をかけてきた。
頬には庸介の、少し硬めの髪が刺さる。
彼の吐息が首筋をくすぐり、くすぐったいけど我慢した。
そして白衣越しに感じる体温が、何だかひどく場違いで、どきどきして――。
「え、何あれ」
通路から聞こえる声に、私ははっと我に返る。
「あれって、医者とナース、だよね……」
「えーちょっとやばくね? お取込み中?」
「脚四本あるよね……うちら、まずい時に来ちゃった?」
次のお客さんたちが明らかにこちらを覗いているのがわかった。
私もまたいたたまれない気持ちになり、ちょうど庸介が合図のように頷いたから、自棄になって二人で飛び出した。
「ぐおおおおおおおお!」
「ふしゃああああああ!」
多分、生前はお付き合いをしていたお医者さんとナースさんだったんじゃないかな。
――と、今更な後付設定をして誤魔化そうと思います。