Tiny garden

偽物だからこそ(1)

 学園祭当日、私たちは廃病院の中にいた。
「うわあ……明かり点いてても結構不気味」
「思ったより凝ったのできたよね」
 ミナと私は周囲を見回し、そわそわしながら笑い合う。
「ほら、こことか見てよこの血しぶき」
「わ、わ、見ない見ない」
「向こうにかかってる絵も怖いよ」
「見ないったら!」
 私たちは浮かれ気分ですっかりはしゃいでいた。
 まだ照明を消していないからそこまで怖くないんだけど、それでもこのセットはとてもいい出来だ。

 教室をまるごと使って作られたお化け屋敷は、わざと距離感がわからないように通路をうねらせている。
 エントランスを入ってすぐに非常灯の点る待合室があり、無人の受付がある。そこを抜けると通路の両側にいくつかのブースが設けられていて、診察室、手術室、病室、遺体安置所などを鉄格子越しに覗きながら歩くことになる。もちろん各ブースにはゾンビに扮する私たちが待ち受けていて、通る人を思い思いのパフォーマンスで脅かす――という段取りだ。
 鉄格子の導入にはホームルームで賛否両論あった。ゾンビがそれを抜けられないとわかると怖さが半減する、というのが否定派の意見だ。
 でもどんなお客さんが来るかわからないし、怖さのあまり暴れる人もいるかもしれない。ただでさえ暗がりの中で、ゾンビ役の子が殴られたり、突き飛ばされたりしたら困るから、賛成多数で導入が決定した。

 そうは言っても、視覚だけで十分な怖さはあると思う。
 待合室にぽつんと飾られた肖像画は目が動くよう、裏から操作できるようになっている。
 受付に飛び散った血しぶきから、点々と続く血痕を辿ると怪しいクーラーボックスがある。迂闊に近づくとがたがた派手に動く仕組みだ。
 そして鉄格子越しの各ブースも小道具とライティングにこだわり、起き上がってくるゾンビの怖さを追求した――らしい。

「でも鉄格子は明らかに変だよなあ」
 蒲原くんを始めとするリアル志向の生徒は、最後まで鉄格子に難色を示していたけど。
「だって鉄格子で区切られた診察室とか手術室って不自然じゃね?」
 確かに、病室の窓ならともかくという感じはする。
 誰が、いつ、何の為に鉄格子を造ったか――考えるとつじつまは全く合わない。お化け屋敷に辻褄が必要かどうかはともかくとして。
「仕方ない。安全には代えられない」
 庸介が肩を竦める。
 それで蒲原くんは不満そうに顔を顰めた。
「そうまでして守られるゾンビの安全って何よ……」
「ゾンビだろうと、六花は守られる必要がある」
「結局そこかよ! お前の判断基準わかりやすいな!」
「ああ、当たり前だろ」
 躊躇なく言い切る庸介に、蒲原くんはすっかり毒気を抜かれたようだった。
「あたしもお客さんを追いかけ回したい願望はあったけどね」
 ミナは元々『脅かしたい』という気持ちでお化け屋敷を希望していた。だからかやはり残念そうだ。
「でも鉄格子から手を出すのはオッケーじゃん? だから思いっきり腕とか服とか掴んでやろうと決めてんだ」
 すごく張り切っているのが何だかおかしい。
「リッカも頑張ってカップルとか中房とかビビらせてやろうね!」
「う、うん。頑張る!」
 怖くないお化け屋敷なんてつまらないだろうし、私も多少はちょっかいをかけてみるつもりでいた。
 もっともミナとは違う意味で相手は選ぶつもりでいたけど――小さな子が来たら手加減する。中学生はどうかな、見てから決めよう。
「あまり危ないことはしないでくれ、六花」
 庸介がそっと釘を刺してくる。
「迂闊に手なんて出したら、逆に引きずり出されるかもしれない」
「ゾンビの手なんて握りたがる人いるかな……?」
「それもあるな。六花の手を握りたがる不逞の輩がいるかもしれない」
「考えすぎだってば!」
 心配性なのは相変わらずだ。
 でもあの庸介ですら、本番当日にはそわそわするらしい。落ち着きのない様子が新鮮だった。

 私たちは今日、学園祭の初日を迎えていた。
 あと一時間もすれば門が開き、父兄や他校生が校内に大勢訪ねてくるはずだ。
 今は明かりが点いている廃病院も、そろそろ照明を落とし、暗幕を張る時間だった。

 その前に、私たちゾンビ一同には最後の仕上げの作業がある。
 いかに血まみれの白衣やナース服、パジャマなどを着ていたところで、つやつやと血色のいいままではゾンビに見えようもない。
 そこでゾンビ役の生徒たちは、事前にメイクをしなくてはならない。

 私も自分でメイクを始める。
 まず顔全体にファンデーションを塗った。できるだけ顔色が悪く見えるように明るめの色を選んだ。
 それから目の周りをアイライナーでぐるりと囲み、更に暗めのアイシャドウを塗りたくる。ゾンビというのはなぜか目に隈があるものなので、下瞼にもたっぷり広げた。
 自分でメイクをするのは初めてだったから、家で動画を見て自習してきた。隣でお化粧中のミナの手際のよさも参考になった。メイク道具を揃えるのに、また両親に内緒でドラッグストアへ行った。庸介が付き合ってくれて、買うのも手伝ってくれた。

 だけどその庸介は、私がメイクをする横で口を挟んでくる。
「六花、少し化粧が濃すぎないか?」
「ゾンビだもの、濃い目でいいじゃない」
「いや、しかし、あまりやりすぎると写真に撮りにくい」
 彼はそう言ってから声を落とし、囁いた。
「ご両親に見せにくいじゃないか」
「仮装だし、わかってくれるんじゃないかな」
 と、私は思う。
 私は過去にもコスメの類を欲しがったことがあり、だけど母にはまだ早いと却下されていた。
 母は美容にうるさい人だから、専属のメイクアーティストさんを呼んで基礎から学んで欲しい、みたいなことを言っていた。
 それも悪いことではないだろうけど、こうして自分で一から初めてみるのはとても楽しいことだった。アイラインは動画で見ると難しそうだったけど、意外とするする引けた。そしてシャドウも加えたアイメイクは、見慣れたはずの私の顔を驚くほど斬新に変えてしまう。
「学校でゾンビになったよって言ったら、むしろ笑ってくれるかも」
 私の言葉を庸介は肯定しなかったものの、ひとまず見守ることにしたようだ。
 だから私も手早くメイクを済ませてしまう。この日の為に買ってきたパープルのリップでゾンビらしさを加えたら、アイライナーで唇の横に線を引く。裂けたように見せる為、そちらにもリップを引いておく。
 そしてタトゥーシールで頬に傷口を作ったら、鏡の中には割と本格的なゾンビがいた。
「いいじゃんリッカ! よく似合ってる!」
 そう声をかけてくれたミナも、目の周りを黒く塗り、つやつやの唇から血を滴らせた見事なゾンビナースになっていた。
「ありがとう。ミナもいいゾンビぶりだよ」
「まあねー。ハロウィンとかだと定番だし」
 私たちは頷き合うと、揃って同じ方向へ振り返る。
 そこには白衣を着たものの、顔はまだつやつやの生者な庸介がいて――私たちの視線を浴びるなり眉を顰めてみせた。
「次は庸介の番だよ」
「リッカ! 思いっきりやっちゃって!」
「渡邉さん、あまり六花を焚きつけないでくれ……」
 庸介もメイクについてはからきしだから、彼のゾンビメイクは私がやってあげることになっていた。
 クラスでも他の子にお願いする子は結構いて、教室には向き合って真剣な顔でアイラインを描いてあげる子、リップを塗りたくっている子、鏡を見せて愕然とされている子などが散見された。
 お化け屋敷の開店前ってこんな感じだろうか。何だか面白い。
「徒野が化けたら写真撮ってやろ」
 そう言って蒲原くんが携帯電話を取り出すと、ミナが笑ってその肘を引っ張る。
「つか蒲原、あんたのメイクはあたしがやるからね」
「うえ、マジで? 俺も主代さんがいいー」
「つべこべ言わない! ほらとっとと済ますよ!」
 ミナが手術着姿の蒲原くんを引きずっていったのを見届けてから、私は庸介に笑いかけた。
「じゃあこっちも手早く済ませちゃおうか」
「その顔で笑いかけられると、何かどきどきするな」
 庸介が真面目な顔で言う。
 どういう意味なのか、今回は別に聞かなくてもよさそうだ。

 私は庸介を床に座らせ、その前で膝立ちになる。
「まずファンデ塗るから、目をつむって」
「ああ」
 庸介が目をつむる。
 そうしたら意外と睫毛が長く見えた。
 高校生にしては大人びた、静かな顔立ちをしている。でも目をつむるとその落ち着いた雰囲気とはまた違って、きれいな顔だなと思う。
 少女漫画に出てくるような美形ではないし、イケメンと呼ぶのも違う気がするけど、その精悍さはとても素敵だ。
「……六花、まだか?」
 問われてはっとする。
「ご、ごめん。すぐやるね」
「お願いするよ」
 庸介の閉じた瞼がぷるぷる震えている。黙って目をつむっているのも辛いのかもしれない。
 あるいは彼も緊張している、とか。

 私はファンデをスポンジに取り、彼の額から鼻筋に塗る。
 そこから瞼、頬、顎へと徐々に広げていく。みるみるうちに庸介の顔が白っぽくなり、頬の血の気が覆い隠される。
 あまり化粧が似合う顔立ちではないからか、ファンデを塗っただけでは少し浮いて見えた。庸介は女装なんて似合わないタイプだろうなと思う。

「まだ開けちゃだめだよ」
 私は彼の頬に触れ、軽く上を向かせると、その上瞼に暗めのアイシャドウを塗る。
 庸介はされるがままだ。私がシャドウを伸ばす為に瞼を撫でても、その指を滑らせて下瞼に触れても抵抗一つしない。
 黙って上を向いて目をつむっている庸介は、何だか妙な感じがした。
「開けてもいいよ」
 アイメイクを終えて声をかける。
 すると庸介はゆっくりと目を開け、数回瞬きをしてから私を見た。
「六花、鏡を見てもいいかな」
「だーめ。全部終わってからのお楽しみ!」
 私は手鏡を遠ざけると、再び庸介に上を向かせる。
「次はリップを塗るからね」
「色つきのやつだろ? ちょっと恥ずかしいな」
 彼は抵抗を示していたけど、構わずその唇にパープルのリップの先端を置く。
「……ん」
 そこで庸介が微かに呻いた。
「どうかした?」
「くすぐったかっただけだ。大丈夫」
「そう、じゃあ口閉じて」
 彼は言われるがままに口を閉じる。
 庸介の唇は思ったよりもなめらかだった。女子みたいにつやつやさせているということはないけど、リップは引っかかりもせずするする伸びて、彼の唇を紫色に塗り替えた。似合うかどうかで言うと、あまり似合わない。
 でも、柔らかそうだなと思った。

 いや、私、何を考えているんだろう。
 唇の柔らかさなんて今はどうでもいい。それに柔らかいことはちゃんと知っていたし――そうじゃなくて!
 確かに彼の顔をこんなに近くで、しげしげ見られる機会なんてあまりない。幼い頃からの付き合いでも、今はお付き合いをしていても、これほど近づいたことなんて数えるほどしかない。おまけに庸介は無防備で、私の言いなりだ。
 二人きりだったらいたずらしてたかもな、なんて思う。

「……はい、終わり。あとはタトゥーを貼るだけだよ」
 彼の唇を塗り終えると、私はタトゥーシールも貼ってあげた。
 ぱっくり裂けた傷口のシールを額に貼られた庸介は、なかなかいいゾンビ具合になっている。
「すごいな、俺じゃないみたいだ」
 庸介は鏡を見ながら感心していた。
 そして私に向き直り、ゾンビの顔で笑ってみせる。
「六花もそう思うだろ? 随分しげしげ見てたもんな」
「そ、そうかなあ。どうメイクしようか迷ってただけだよ」
 鋭い指摘に私はどぎまぎして、何となく彼から目を逸らした。
 それをどう捉えたか、庸介が独り言のように呟く。
「六花のメイク、俺もやってみたかったな」

 そうしたら庸介も、さっきの私と同じ気持ちになっただろうか。
 いたずらしてみたい、とか――それは困る。お願いするのはやめておこう。
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