Tiny garden

初めてのおつかい(4)

「ああ、そうだ。これお土産」
 かき氷を待つ間に、渡邉さんが小さな包みを取り出した。
 手のひらに乗るくらいの細長い紙袋には、和風の格子柄模様がプリントされている。
「ありがとう。私もお土産があるの」
 私はその包みを受け取り、代わりにバッグから出した別の包みを差し出した。
 ニースで買ってきたプロヴァンス生地のポーチだ。薄い青地に大輪のひまわりがいくつも描かれたその柄に一目惚れして買ってきた。いつも元気な渡邉さんにぴったりだと思って。
 でも、そうして買ってきておきながら、私はそれをどこで買ったか打ち明けることができない。
「早速だけど、開けてみていい?」
 渡邉さんが聞いてきて、私はすぐに頷いた。
「もちろんどうぞ。私も、いいかな?」
「むしろそうして。好みに合うか聞きたいし」
 快い返事を貰ったので、私はいただいたばかりの包みを開いてみた。

 中にはきれいなかんざしが入っていた。
 軸は光る真鍮でできていて、モチーフは雪の結晶の透かし彫りだ。異なる雪華模様が二つ、寄り添うように並んであしらわれている。白いスワロフスキービーズのチャームは振り子みたいに揺れ、お店の照明の下できらきらと輝いていた。

「こんなに素敵なの、貰っちゃっていいの?」
 思わず尋ねると、渡邉さんは照れた様子で笑った。
「あげる為に買ってきたんだけど! 貰ってくれないと寂しいよ」
「そ、そうだよね……すごくきれいで、嬉しくて」
 しかも雪の結晶のモチーフなんて更に素敵だ。指でつまんで持ち上げて、光に当てながらくるくると、ゆっくり回して眺めてみた。真鍮のかんざしは見れば見るほど美しく、溜息が出るほどだった。
「主代さん、『六花』って名前じゃん。だから雪モチーフがいいかなって思って」
 会心の笑みを浮かべる渡邉さんの気持ちも本当に嬉しくて、私の名前の意味を知ってくれていたことも嬉しくて、私は改めて感謝を告げた。
「本当にありがとう! 大事にする!」
「うん。でも、せっかくだから使ってよ」
「そっか、じゃあ大事に使う!」
「そうして。和装でも洋装でも合うデザインだと思うし」
 確かに、着物でもお洋服でも合わせやすそう。せっかくだから近いうちにつけてみたいな。学校につけていくのは、駄目かなあ。
「このかんざし、浅草で買ったんだ。仲見世通りで」
 渡邉さんがそう言ったので、私はすかさず尋ねた。
「旅行って、都内だったんだ?」
「うん、東京観光。しかもすっごいベタなやつ」
 そこで彼女は苦笑して、肩を竦めながら続ける。
「うちの親が行きたいって言うからさ、しょうがなく付き合ったげた。正直行く前は浅草かよって気持ちもあったんだけど、行けば行ったで楽しいのねあれ」
 それは何だか、共感できる言葉でもあった。
 行けば行ったで楽しいのは本当だ。でも、私に聞かないで決めちゃうんだって、がっかりしたのも本当の気持ちだった。
 どこの家もそんなものなのかな。
 私が身につまされている間に、渡邉さんもお土産の包みを開いていた。そして現れたポーチを見るなり歓声を上げてくれた。
「うわあ……可愛い!」
「あ、気に入ってもらえた?」
「もちろん! ってか、私にこんな可愛いのでいいの?」
「渡邉さんのイメージで選んだんだ。ひまわりがぴったりだと思って」
 そう告げたら彼女はもじもじして、それを誤魔化すように首の後ろを掻いていた。
「いや照れるんだけど……ま、悪くないか」
 でもその時に浮かべた笑顔はまさに大輪のひまわりの明るさだ。
 四月に出会ってからずっと、渡邉さんはいつだって元気で、明るく笑っていて、眩しいなと思いながら見ていた。私が思う理想の女子高生。そしてこの学校で初めてできたお友達だ。
 そんな彼女に嘘をつくのは、少しだけ心苦しいけど、
「主代さんはどこ行ってきたの? 里帰りだったんだよね?」
 それについて聞かれた時は、嘘をつくと決めていた。
 私はなるべく普通の口調で答える。
「私も実は都内だったんだ。お土産、フランスのなんだけど、空港で選んだの」
「そうなんだー……」
 渡邉さんは頷き、"Made in France"のポーチを見下ろした。
 少し考え込むような顔つきをした後で、
「ね、主代さんさ」
 不意に笑みを決して、真面目な口調で言った。
「別にいいよ、私には嘘つかなくても」
 一瞬、何を言われたかわからなくて、私は気の抜けた声を上げる。
「え……?」
 それで渡邉さんもちょっと困ったように眉を顰め、
「あ、何て言うかさ。『友達に嘘つかないで』って言ってんじゃないんだ」
「え、え……っと」
「嘘くらい誰でもつくじゃん。悪気ないのとか、どうしても必要なのとか。私もよく話盛るし、そういうのは別にいいんだけど」
 言葉に詰まる私に、優しく言い聞かせるように続けた。
「でもさ、主代さん、何か苦しそうなんだもん。つきたくない嘘ならつかなくていいよ」
 それから凍りつく空気さえ笑い飛ばすように、渡邉さんは微笑む。

 そこまで言ってもらっておきながら。
 私は、すぐには答えられなかった。
 声すら出なかった。

 一番ショックだったのは何だろう。
 嘘をついているって知られていたことか、嘘をつくのが苦しそうと言われたことか。
 そういうのを全て見抜いても、温かい言葉をかけてくれる渡邉さんの、優しさか。
 私は高校でとてもいいお友達を持って、だけどそのお友達をずっと欺いていた。本当のことを言わないまま嘘ばかりついていた。悪気はなく、必要でもあったけど――いざ露見すると、今更のように罪悪感が込み上げてきた。

 庸介の耳に、今のやり取りは聞こえているのだろうか。
 カウンターに見える迷彩シャツの背中は動かない。こちらを振り向きもしなかった。

「ごめんなさい……」
 俯きたくなるのを堪えて、私は渡邉さんをじっと見る。
 長い睫毛とつやつやグロス、髪を下ろした渡邉さんが、どこかほっとした様子で苦笑する。
「謝んなくていいって。さっきも言ったけど、嘘つかれるのが嫌なんじゃないし」
「でも、私が嘘ついてるって知ってて、付き合ってくれてたんだよね?」
 私が聞き返すと、彼女はすぐに頷いた。
「まあ、ね。どっからどこまでが嘘か、とかまではわかんないけど」
「私、苦しそうにしてた?」
「してたしてた。大変なんだろうなっていつも思ってた」
 自分では何も気づかなかった。
 確かに、平気で嘘をついていたわけではない。だんだん嘘に慣れていく自分に嫌気が差したり、本当は違うのになって思ったり、庸介の言葉も嘘なのかなって寂しい気持ちになったりもした。もちろん大本は私のわがままが発端なのだし、そういう心苦しさも結局は自業自得だ。
 それで私は、結局、嘘をつき通せなかった。
「別に私、引かないし。あと誰にも言わないし」
 渡邉さんは言う。
「ってか私、主代さんしか友達いないから言う相手もいないしね」
 明るくて、優しくて、すごくいい子なのに、そんなことを言う。
「ありがとう……」
 私はお礼を言い、彼女が目で頷くのを見てから、初めて本当のことを言った。
「さっきの、嘘なんだ。本当は行ったの、ニースなの」
「ニースって……どこだっけ?」
「フランス」
「おお、じゃあこれ本場もん?」
 ポーチを両手で持ち上げる渡邉さんに、今度は私が頷く。
 すると彼女はポーチに鼻を近づけて、納得した顔になった。
「言われてみればフランスっぽい匂いするかも!」
 それってどんな匂いだろう。私は思わず吹き出し、渡邉さんもつられたように笑う。
「旅行、誰と行ったの?」
「うちの両親と。家族旅行っていうのは本当なの」
「実は徒野と二人で行ったんじゃなくて?」
「な、ないから! それは本当に本当っ!」
 私は慌てて否定して、それからこっそりカウンター席に目をやった。
 結構大きな声を出してしまったにもかかわらず、庸介はやはり動かない。聞こえていないのかもしれない。
「そっかー。そこも嘘でもよかったのに」
 渡邉さんがにやにやしている。
 それから何かに気づいたように、あ、と口を開けた。
「ってかさ、徒野ってそもそも何者?」
「えっ、と……庸介に、何か不審な点とかあった?」
 学校での彼は私にとって完璧な幼なじみだった。その点を疑われたとなると、あとで反省会をする必要も出てくる。
「不審ってか、徒野ってめちゃくちゃ甲斐甲斐しいじゃん。毎日お弁当作ったりとか、他の男子牽制したりとかさ。ああいうの、よく考えたら幼なじみって感じじゃないかなって気はした」
「な、なるほど……」
 転校前から庸介がご飯を作ってくれるのが当たり前だったから、気づかなかった。
 言われてみれば、幼なじみがするには甲斐甲斐しい行為だ。
「庸介は……」
 私はカウンター席の反応を気にしつつ、声を落とす。
「うちで働いている使用人、になるのかな……」
「マジで? 主代さん家、そういうのいる家なんだ」
 渡邉さんは驚いた様子だったけど、約束した通り、引いてはいないみたいだった。
 それで私も安心して、詳細に触れた。
「というか、庸介のお父さんがうちの執事さんなの」
「執事! すごい情報来た! え、じゃあお母さんは?」
「メイド長」
「メイド! しかも長がいる!」
 その辺りはやっぱり、普通のご家庭にはいないよね。
 でもうちはそうやって家を管理してくれる人がいないと、あっという間に何もかも成り立たなくなってしまうから。
「え、じゃあさ、徒野って主代さんと一緒に暮らしてるの?」
「ううん。うちの家の敷地内に、庸介の家もあるって感じで……」
「スケールでかっ! 主代さん家、一度遊びに行ってみたいわ」
「今度来る? お友達招いたことないから、来てもらえたら嬉しいな」
 私も、家に呼べるお友達なんてこれまで一人もいなかった。
 だからそう言ってもらえるとすごく嬉しい。
「是非お願い。主代さんの部屋見たいし、ってか執事さんも見たいし」
 渡邉さんはやや興奮気味に言うと、そこで大きく息をついた。
 それから身を乗り出してきて、
「あのさ……ってことは、お嬢様と使用人の禁断の恋なわけ?」
 小声で尋ねてくる。
 まさにその通りだけど、改めて言われるとかなり恥ずかしい。
 禁断、と言われるほどのものでもない。障害が何もないわけではないけど、必ず乗り越えてみせる。お互いにそう思っている。
 だから、こう答えた。
「うん。まだお互いの親には言えてないんだ。いつか、必ず言うつもりだけど」
「そっかあ。もう将来見据えちゃってんだ?」
 渡邉さんは我が事のように目を細める。
「徒野、外堀埋めてんだなーって感じ。用意周到そうだもんね、あいつ」
「え? そ、そうかな?」

 カウンター席の庸介がその時、帽子を被り直すのが見えた。
 だけどその表情は、トレイの上のふわふわかき氷と、それを運んできた店員さんの陰になって見えなかった。
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