Tiny garden

ヒーローと猫耳少女(3)

 体育祭の日も、お昼休みは校舎に戻ってご飯を食べる。

「どうせなら外で食べたいと思わない?」
 渡邉さんはそのことを、少し不満に思っているようだった。
「グラウンドにレジャーシート敷いてさ。運動会みたいでよくない?」
「こんなに日差しが強いのに? お弁当が悪くなるよ」
 庸介は真っ向から反論した後、私に言った。
「それじゃ六花、お弁当を頼むよ」
「うん」
 私がいそいそとお弁当箱を――徒野さんが持たせてくれたピクニックバスケットを取り出すと、渡邉さんはきょとんとした。
「今日は主代さんが作ったの? 愛妻弁当?」
「ち、違うよ。庸介のお父さんが」
「お父さん?」
 正直に答えたら、それはそれで驚かれたようだった。
「徒野ん家って、お父さんも料理するんだ。珍しいね」
「共働きだからな。手が空いてる人が作るよ」
 庸介がさらりと答える。
 そういえば、庸介が家ではどんな食卓を囲んでいるか、よく知らない。共働きなのはうちと同じだけど、徒野さん夫婦は職場が同じだ。家族全員でご飯を食べる機会は多いのだろうか。
 私は家族一緒にご飯を食べること、滅多にない。それが寂しいという年頃でもないけど、よそのご家庭の食事風景がどんなものか見てみたいと思う。
「でも、デザートは六花が作ったんだろ?」
 ふと庸介がそう言い出して、今度は私が目を瞬かせた。
「その話、庸介にしてた?」
「うちの父が言っていた」
 徒野さん、庸介に話しちゃったんだ。内緒にしてとお願いしていたわけではないから、仕方ないか。
「えっ、主代さんの手料理?」
 そこへ蒲原くんが割り込んできて、途端に庸介がうんざりした顔になる。
「何だよ、蒲原……」
「主代さんがどんなお弁当作るのか、覗いたっていいだろ」
「六花は俺に作ってくれたんだ。言っておくけど、あげないからな」
 そう言うと、庸介は腕でバスケットを庇うように抱え込んだ。
「そこまで意地汚くねえよ。一口でいい」
「あげないって言っただろ!」
 蒲原くんが屈託ないからか、庸介がむきになっている。最近はそういう彼をよく見るようになったな、と思う。

 結局、何となく四人でお弁当を囲むことになって、
「わあ……これマジで徒野のお父さん作?」
「すげー! 仕出し弁当かよ!」
 渡邉さんと蒲原くんは、その中身を見るなり歓声を上げた。
 何せ徒野さんが腕を振るってくれただけあり、お弁当は美味しいものでいっぱいだった。お煮しめと鶏のから揚げ、海老のフリッター、卵焼き、枝豆、いなり寿司と巻き寿司――これ全部が今朝作られたものだというのだから驚きだ。
「あまり、見ないで欲しい。恥ずかしいから」
 庸介が居心地悪そうに呻く。
「どうして恥ずかしいの? 庸介のお父さんが作ってくれたんだよ」
「だからだよ。体育祭くらいで張り切っちゃって」
 それは張り切るに決まっている。何せ一人息子の晴れ舞台だもの――とは、庸介が本当に恥ずかしそうなので言わないでおいてあげた。
 お弁当の量が多かったので、渡邉さん達にもお裾分けした。二人とも美味しい美味しいと喜んで食べてくれて、少なくとも残る心配はなさそうだ。
「いいなあ、料理できるお父さん。うちなんて台所に立ったの見たことないよ」
 渡邉さんが嘆くので、私もすかさず頷いた。
「うちのお父さんもだよ。包丁も持ったことないと思う」
 得意料理は学生時代によく作った鍋ラーメン、なんて言っていた。もちろん手料理なんて食べさせてもらったことはない。
「六花のお父さんはお仕事が忙しいからな」
 たしなめる口調で庸介が言うと、そこで蒲原くんが思い出したように、
「そう言やさ、主代さんのお父さんって何の仕事してんの?」
 と尋ねてきた。
 ぎくりとした私より先に庸介が応じる。
「そんなこと聞いてどうする気だ、蒲原」
「主代さんって何か雰囲気違うし、実は社長令嬢とかなんじゃないのって思ってさ」
「六花のお父さんなら、職業は公務員だ」
「公務員? へえ、意外と普通なんだな」
 庸介が機転を利かせてくれたお蔭で、蒲原くんはすんなり納得したようだった。
 社長令嬢というのもある意味では正しい読みだった。父ではなく、母の方だけど。
「意外と普通って、あんた失礼すぎ」
 更に渡邉さんも庇ってくれて、蒲原くんはしゅんとなる。
「う……悪い、主代さん」
「気にしてないよ」
 この話題を早く終わらせたくて、私は笑ってかぶりを振った。
 それからデザートが入った容器を差し出し、
「よかったらこれも食べて。私が作ったデザートだよ」
 と告げると、庸介が誰より先に眉を顰めた。
「六花! それは俺に作ってくれたものじゃないのか」
「そうだけど、いっぱいあるから」
 あと、話を逸らしたかったから。
 ちなみに作ってきたのは牛乳寒天のフルーツ寄せ。白い牛乳寒天に、イチゴやキウイ、オレンジを閉じ込めてある。見た目の可愛さの割にとっても簡単なので、徒野さんに見てもらいながら作った。
 シリコンカップに詰めた寒天はほんのり甘くて、フルーツの酸味も効いていて、いっぱい運動した後にはちょうどよかった。
「うん、美味しい! お弁当にデザートってのもいいね」
「主代さんが作るデザートって感じするよな。美味いし可愛いし」
 渡邉さんも蒲原くんも揃って誉めてくれた。
 何より、
「美味しかったよ。六花、俺の為にありがとう」
 庸介が喜んでくれて、お弁当もたくさん食べた後なのに、牛乳寒天もぺろりと平らげてくれた。
 私もとても嬉しくなって、照れながら告げる。
「午後のリレー、頑張ってね。応援してるから」
「ああ、頑張るよ」
 すかさず庸介も頷いてくれたけど、渡邉さんたちがいたからだろうか。
 写真を撮る約束のことは何も言わなかったし、私も何も言えなかった。

 昼休みの後、リレーの選手たちが集まるように呼び出されて、庸介と蒲原くんはそちらへ行ってしまった。
 私は鞄からいそいそとカメラを取り出し、本番に備えて準備をしておく。
「あれ、主代さん。カメラ持ってくるなんて用意いいね」
 渡邉さんがそんな私を冷やかすように笑ったけど、彼女もデジカメを持参していた。その目が私のカメラに留まると、驚いたように見開かれた。
「って言うか、主代さんのカメラすごくいいやつじゃない?」
「そうなのかな。父が選んで、買ってくれたんだけど」
「うわあ、いいなそういうお父さん! 私も買ってもらいたいよ」
 羨ましがられて、内心は少し複雑だった。

 このカメラを貰った日のことを思い出す。
 カメラが欲しい、買いに行きたいと言ったら、父は自分でカメラを買って、私に与えてくれた。
『六花に一番ぴったりのやつを選んだよ』
 香水の時と同じだ。私には選ばせてくれなかった。
 でも、父の気持ちもわからなくはないから、そして忙しい合間を縫って買ってきてくれたことには感謝しているから、私はお礼を言って受け取り、カメラはちゃんと使っている。

 だから、複雑に思うことさえ後ろめたくもある。
「渡邉さんも、やっぱりリレーを撮るの?」
 私は罪悪感から話を逸らした。
「一応ね。っつか、私は誰を撮るってことでもないんだけどさ」
 渡邉さんは謎めいた言葉の後、照れくさそうに続ける。
「土埃舞うグラウンドの風景……なんてのを撮ろうかな、と思って」
「風景写真を?」
 リレーの選手を撮るんじゃなくて、彼らが走るグラウンドの風景を撮る。
 それは私にはぴんと来ない発想だった。
 多分、理解が追い着かないのが顔に出ていたのだろう。渡邉さんはますますはにかんで、
「実はさ……。私、写真が趣味なんだ」
「そうなの? 知らなかったな」
「いや、柄じゃないじゃん。私みたいなのが写真好きとか」
「そんなことないよ」
 むしろ明るいけどどこか大人っぽい渡邉さんにはぴったりの趣味だと思う。私がかぶりを振ると、彼女はもじもじしながら聞き返してきた。
「本当? そう言ってくれるの、主代さんだけだよ」
「よかったら見せて欲しいな。お願いしたら失礼かな?」
「全然。ちょっと恥ずいけど、いいよ」
 私がお願いすると、渡邉さんは愛用らしいデジカメを、丁寧な手つきでケースから取り出してみせた。
 そしてディスプレイに写真を呼び出し、私に見せてくれた。
 写っているのはやはり風景写真ばかりだ。誰もいない夕暮れの教室、無人の公園で風に揺れるブランコ、オフシーズンらしい海水浴場――ほとんどの写真に人の姿が見当たらなかった。写っていてもはるか遠くでぼやける程度の人影だけだ。
 寂しいようで、だけど素敵な写真だと思った。
「すごくきれい。それに、想像を掻き立てる写真だね」
「ありがと。カメラがいいから上手く撮れてるだけなんだけど」
 渡邉さんは謙遜した後、ぼそりと続けた。
「けどいつかは、写真で食べていけるようになれたらなって……夢なんだよね」
 どうやら彼女は写真家を目指しているらしい。
 私には写真の良し悪しがわからないし、きれいかどうか、好みかどうかでしか語れないけど、私は渡邉さんの写真がとてもきれいで、好きだと思った。いつか、この写真が他の誰かを、大勢の人たちの心を揺り動かすようにもなるかもしれない。
「素敵な夢だね」
 私は心から告げたつもりだったけど、そこで渡邉さんは困ったように笑ってみせた。
「参ったなあ。主代さんってちょっと素直すぎない?」
「えっ、そう?」
「やー、もう、めっちゃ照れるんですけど。そこはさらっと流してよ」
「う、うん。次からはそうするね」
 渡邉さんは本気で照れているようだ。ハチマキの猫耳を両手で覆い隠しつつ、聞き返してきた。
「主代さんは将来の夢とかある?」
「ううん、特にないよ」
 これも素直に答える。
 だって、事実だから。
「てっきり、徒野のお嫁さんって言うかと思った」
 渡邉さんはいつもの冷やかしのつもりで言ったのだろうけど、それは、私にとっては非常に難しい話だった。
 遠い未来の話だからではなく、――そもそも庸介とは、本当に付き合っているわけでもないし。
「まだちゃんと考えたことないんだ。志望校さえ決めてない」
 何になりたいとか、どんな仕事に就きたいとか、そういう夢が私には皆無だった。
 こうなりたい理想の自分なら、いくらでも思い浮かぶのだけど。
「そっか。まあ、皆そんなもんじゃない?」
 渡邉さんが明るく笑い飛ばしてくれたので、私も胸の憂鬱は遠くに放り投げてしまうことにした。
「そうだよね。そのうち見つけるよ」

 カメラも香水も、私には選ばせてくれなかった両親だけど、将来の夢だけは何も言われたことがなかった。
 きっと二人とも、自分の後を継いで欲しいとか、いい結婚をして欲しいとは思っているに違いない。だけどそういうことを、娘の私には言わない。ただ『志望校を決めておくように』とだけは繰り返し言われていた。
 将来だけは私に選ばせてくれるつもりなのかもしれない。
 今の私にはまだ夢なんてないけど――渡邉さんの夢を聞いた後では、何だか羨ましくなった。

 それから、庸介には夢があるのかなって、ふと思った。
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