鍍金細工の女の子(5)

 初めてのデートの翌日から、庸介はリレーの練習に出ることになった。

「じゃあ、俺はグラウンドに行くけど」
 放課後になると、庸介は真っ先に私の席までやってくる。
 そして、まだ少しだけ気兼ねした様子で尋ねてきた。
「六花はどこで待ってるつもり?」
「私もグラウンドまで行くよ」
 どうせなら庸介が走るところも見てみたかったから、そう答える。
 リレーの選手に選ばれるくらいだ。きっと、とっても速く走ってみせるに違いない。フォームも格好いいのかな。そういう庸介、あんまり想像つかないけど。
「今日は日差しが強い。外へ出るなら気をつけてくれ」
 庸介は釘を刺すように言った後、表情を和らげて続けた。
「やるからには練習にも励んでくるよ。また後で、六花」
「頑張ってね、庸介」
 私が頷くと、彼はほんの少しだけ口元をほころばせる。
 だけど、
「練習行くくらいで、いちいち別れ惜しんでんじゃねえよ」
 蒲原くんがすれ違いざまにぼやいていくと、たちまち振り返って眉を吊り上げた。
「立ち聞きか、蒲原。悪いけど口を挟まないでもらえるかな」
「聞こえんだよ! 聞きたくもねえのに!」
 庸介の言葉に蒲原くんも顔を顰め、そのまま二人は睨み合う。
 リレーではチームメイトとなるはずの二人だけど、こんな調子でチームワークは大丈夫なのだろうか。私ははらはらしつつ口を挟んだ。
「ほ、ほら、練習行くんでしょう? 仲良く行っておいでよ」
 すると庸介は真面目にかぶりを振り、
「仲良くは無理だ」
「そりゃこっちの台詞だ!」
 ぷいっと横を向いた蒲原くんが、一足先に教室を出ていく。
 肩を怒らせ去っていく彼を見送ってから、庸介は首を竦めた。
「あいつもしつこい奴だな」
「仲良くしないと、庸介。一緒にリレーするんでしょう?」
「俺はやぶさかでもないよ。あいつが君に絡んでこなければな」
 そう言うけど、さっきだって蒲原くんは、私に絡んできたわけではないと思う。
 それを指摘すべきかどうか迷っている間に、庸介もまた踵を返していた。
「じゃあ、行ってくるよ。悪いけど待っていてくれ、六花」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
 私の返事に目で頷くと、彼も教室を出ていく。

 さて、私もグラウンドへ行ってみようか。
 鞄を手に席を立った時、
「『行ってくるよ』『行ってらっしゃい』って、新婚夫婦みたーい!」
「わわっ、渡邉さん!」
 すぐ背後から声をかけられ、思わず跳び上がりそうになった。
 振り向けば、いつからいたのか渡邉さんが、意味深長な微笑を浮かべて立っていた。
「今日も仲良しだね、お二人さん。昨日のデートはどうだった?」
「ど、どうって……買い物行ったよ、ドラッグストアに」
 私は昨日のことを思い出し、おずおずと答える。
 初めてのデートは楽しかった。香水を買ってもらったし、バニラシェイクも飲めた。庸介がリレーに出るという話だって、蒲原くんと出会えなければ教えてもらえなかったはずだ。そういう意味でも充実したひとときだった。
 でも昨日のことを振り返ると、なぜだかちょっと気恥ずかしくなる。どうしてだろう。
 庸介に手を繋いでもらったからか。
 蒲原くんが庸介について、私に『昔から好きだったんだろ?』なんて聞いてきたからか。
「香水買ってもらえた? 何にしたの?」
 渡邉さんが尋ねてきたので、私は鞄から香水の瓶を取り出し、彼女に見せた。
「これ。シークレットウィッシュ、だって」
 可愛い小瓶は実のところ持ち運びに適した形状ではなかったけど、家に置いておくと見つかった時に厄介なので、今日は持ってきていた。帰ったら隠し場所を作らないといけない。
 小瓶をしげしげと眺めた渡邉さんが、そこでにんまりした。
「へえ、アナスイ? 徒野、頑張ったじゃん」
「……頑張った、って?」
「お値段結構しなかった? 社会人ならともかく、高校生にはきついかなって」
 そう、なのかな。
 言われてみれば私は昨日、香水の値段を一切確かめなかった。そもそも庸介がどのくらいのお給金を貰っているのかすら知らないままだ。
 だというのに私は香水をプレゼントしてもらって、バニラシェイクまでごちそうになって――悪いことしたかな。今度、何かでお礼をしよう。
「主代さん、今これつけてる?」
「ううん。何かもったいなくて、まだ試してない」
 昨日も貰って帰ったはいいけど、部屋で瓶を眺めるだけですっかり満足してしまった。
 そう答えると渡邉さんは手を叩いて笑う。
「可愛いねえ、主代さん。そんなに嬉しかったんだ?」
「う……変、かな」
「気持ちはわかるけど。せっかく徒野がくれたんだし、使ったげないと」
 それは確かに真理だ。庸介だって、私がただ瓶を眺める為だけに大枚をはたいてくれたわけではないはずだった。
 でも私は、庸介がプレゼントしてくれたこと自体に満足してしまったというか――とても、嬉しくて。
 父からも香水を貰っていて、父には悪いなと思いつつも、やっぱり庸介がくれたプレゼントは特別だった。
「で、その徒野は? 今日は一緒に帰んないの?」
 渡邉さんが教室を見回すので、私は我に返って告げる。
「庸介は、リレーの練習なんだって。蒲原くんと」
「リレーって体育祭の? マジで?」
「うん。グラウンドでやるみたいだから、見に行こうと思ってるんだ」
「へえ、私もついてっちゃおうかな。蒲原もいるなら面白そうだし」
 それで私達は連れ立って、グラウンドまで向かうことにした。

 渡邉さんと並んで廊下を歩いていると、立ち話をする何人かの生徒とすれ違った。
 そのうちの一組が私達を見るなり眉を顰め、何やらひそひそやり始めた。何だろうと思った時、渡邉さんが明るい声で言った。
「にしてもさ、徒野って脚速かったんだね」
 それで私も頷いて、
「そうみたい」
 と答えた。
 隣を歩く渡邉さんがそこで怪訝な顔をしたから、説明を添える。
「私、庸介と同じ学校に通うの、ここが初めてなんだ。だから知らなかったの」
 別に嘘をついてもよかった。庸介の脚の速さを知っているふりをして、幼なじみらしく自慢する方が自然だったのかもしれない。
 だけど私は正直に言って、渡邉さんはより不思議そうに長い睫毛を瞬かせた。
「へえ、そうなんだ。実はそこ、気になってたんだよね」
「何のこと?」
「揃って二年から編入って珍しいと思ってさ。前の学校も一緒だったのかなって」
「う……うん。お互い父親の仕事の都合で、転校しなくちゃいけなくて」
 これは、嘘。
 本当の理由はただのわがままだ。だからか嘘をついた時、胸の奥が微かに痛んだ。
「そっかあ。家の事情で転校とか、大変だね」
 渡邉さんが同情するみたいに苦笑したから、余計に罪悪感が募った。
 嘘をついてまでわがままを通して、毎日楽しく学校に通えてはいるけど、時々こうして胸が痛くなる。
 些細なほころびを慌てて訂正するのも大変だし、私なりに精一杯取り繕っていても『ちょっと違う』みたいに言われるし――私の方こそ、この学校で浮いてはいないだろうか。時々、無性に気になった。
「ね、渡邉さん」
 生徒玄関で外靴に履き替えながら、私は彼女に切り出した。
 靴箱に上履きを放り込んだ渡邉さんが、髪をなびかせ振り返る。
「ん?」
 彼女からは甘い香水のいい匂いがする。エンジェルハート。下ろした長い髪と着崩した制服、きっと彼女こそが普通の女子高生なのだろう。
「私、変かな」
 そう尋ねたのは、渡邉さんに笑い飛ばして欲しかったかもしれない。
 いつもみたいに明るく『主代さんって変わってるよね!』と笑って欲しかった。だから、だと思う。
 だけど私の予想に反し、彼女は一度唇を閉ざし、真面目に考え込んでみせた。
「うーん……そりゃまあ、ちょっと変わってんなと思うことはあるけど」
「やっぱり、そうかな……」
「でもさ、徒野のことで赤くなってるとことかは、普通だなって思う」
「――えっ」
 意外な指摘に私は息を呑む。
 そこを、渡邉さんは嬉しそうにつついてくる。
「ほら、今も。何かもう、普通に恋しちゃってんじゃん、みたいな」
「そ、そんなこと……」
 ない。
 だって付き合っている『ふり』だし、本当に好きになったわけではないし、本物の彼氏ではないし――だけど、私はどぎまぎしていた。
「それにさ、変わってるって言うなら私だって結構変だし」
 渡邉さんはいつものように明るく言って、首を竦める。
「でもうちのクラスって変なやつ、割といるじゃん。徒野も変だし、蒲原とかも変な奴だし。だからさ、私も主代さんも、徒野も蒲原も、ある意味普通なんじゃない?」
 あっけらかんと告げられたその言葉に、目が覚めたようだった。
 私も彼女も庸介も蒲原くんも、皆が変で、だから普通。
 そう言ってもらえて、何だか無性にほっとした。
「とても、含蓄のある言葉だね」
 私が誉めると、渡邉さんは細い眉を顰めた。
「がんち……? 何?」
「えっと、いい言葉だなあって」
「まあね。私、こう見えて結構ポエマーだから」
 外靴の爪先をとんとん鳴らして、彼女は得意げな顔をする。
「さ、行こ。徒野を見てくるついでに、蒲原も思いっきり弄ってやろ」
 マスカラとリップグロスでメイクをした彼女のことを、私は、普通の女子高生だと思っていた。
 でも、普通って、一体どういうことだろう。

 言われていた通り、グラウンドには強い西日が差し込んでいた。
 庸介の姿はすぐに見つけた。学校指定の白いTシャツと紺色のジャージ姿で、他の生徒と共に柔軟体操をしている。蒲原くんとペアになっているのか、ぐいぐいと背中を押されて、何か文句を言うのが遠目にわかった。
「あいつら、じゃれてるよ。実は仲いいんじゃないの?」
 渡邉さんが笑ったので、私もつられて少し笑った。
「私も思ってたの。あの二人、相性いいんじゃないかって」
 庸介は蒲原くんの前では笑ったりこそしないけど、腹を立てたり嫌な顔をしたりと、自然な表情をしていると思う。
 鍍金が剥がれた庸介の顔――でもあれは、私の家で見るのとはまた違う庸介だ。
 彼には一体、何層の鍍金細工がされているのだろう。
 そして私は、渡邉さんに『普通だ』と言ってもらえた私は、まだ鍍金が剥がれてはいないだろうか。それとも――。
「あ、ほら。走るみたいだよ」
 渡邉さんに腕を引かれて、私はグラウンドへ近づく。
 庸介や蒲原くん、それに他の生徒達が、ぞろぞろとトラックに並び始める。立ち位置からして庸介は第一走者、蒲原くんが第二走者のようだ。
「あの二人でバトン受け渡し? まずくない?」
 渡邉さんが懸念を示す中、指導の先生が号砲代わりのホイッスルを吹く。

 庸介が全力で走る姿を、私はこの時、初めて目の当たりにした。
 短い髪をわずかに揺らし、白いTシャツをはためかせ、恐いくらい真剣な横顔でグラウンドを駆け抜けていく彼。赤いバトンを握った腕を強く振りながら、見覚えのある二十八センチのスニーカーで地面を蹴り上げながら走る庸介は、確かにとても速かった。
 そして、思わず釘づけになるくらい、格好よかった。
「……あ、やっぱり」
 ぼそりと渡邉さんが呟いた通り、庸介が渡したバトンを蒲原くんがを取り落として――レース後に二人でまたじゃれていたけど。

 私の『幼なじみ』は、知っていたよりもずっと素敵だ。
 彼が練習に打ち込むその姿を、私は最後まで、飽きもせずに見守っていた。