Tiny garden

レプリカナジミ(1)

 放課後の教室にて、クラスメイトの渡邉美菜さんが私に言った。
「主代さんって、ちょっと変わってるよね」
「そう? どこが?」
 すかさず聞き返すと、渡邉さんはきれいに整えた眉を顰める。
「どこが……っつうか、全体的に。あ、いい意味でだよ?」
 それから私をしげしげと、頭の頂からブレザーを着た上半身まで眺めた。
「何か、醸し出す雰囲気からしてあたし達とは違う感じ」
「そんなに違うかな」
 私は首を傾げる。

 髪型は校則の範囲内で清潔かつ女の子らしく切り揃えてもらったし、ブレザーのボタンは全て留めている。タイリボンだって緩みなく結んでいるしブラウスも学校指定の専門店で購入したものだ。『変わっている』ところなんてあるはずがない。
 でも言われてみれば渡邉さん、あるいは彼女以外のクラスメイト達と私は少し違うところがある。
 渡邉さんはブレザーのボタンを全て外しているし、ブラウスも第二ボタンの位置まで開けて、タイリボンはペンダントみたいに緩めた結び方をしている。今は机の陰に隠れて見えないけど、席を立てばスカートが膝上より短い丈であることもわかるはずだった。
 この高校に入ってから学んだこと、一つめ。
 校則とは必ずしも絶対遵守のルールというわけではないらしい。

「それにいつもいい匂いするし。香水じゃないよね? 落ち着いた匂いのやつ」
 渡邉さんは私に興味を持ってくれているようだった。この高校に入学して初めてできたお友達だから、いろいろ知りたいと思って尋ねてきてくれるのは嬉しかった。
「お香かな。実は好きで集めてるんだ」
「それそれ。そういうのも含めて、主代さんってお嬢様じゃないかと思ってて」
 頷く渡邉さんからは、いつも香水の甘い香りが漂っている。私はまだ香水を使ったことがないけれど、彼女といると試してみたくなる。そっちの方が普通の女子高生らしいのかもしれないから。
「お嬢様なんて、そういうんじゃないよ。普通だよ普通」
 ともあれ、私は笑ってごまかした。
 それが通用したのかはわからなかったけど、渡邉さんも深く追及してくる気はなかったらしい。つられたように微笑んだ。
「実は結構、他の子にも聞かれたりするんだ。男子とかにもさあ」
「そうなの? 私のこと、だよね?」
「うん。主代さんを気にしてる奴、これが結構多いんだって」
 渡邉さんは楽しそうに声を弾ませる。
「男子って清楚な子が好きって言うじゃん。主代さん、そんな感じだもんね」
「清楚かなあ……。私、男子とはあまり話さないし、わからないよ」
 この高校に編入してから二ヶ月が過ぎていたけど、なぜかクラスの男子とはほとんど話す機会がなかった。挨拶をしてもぎこちない返事しかしてもらえず、妙に遠巻きにされているような、不快になるほどではないよそよそしさがあった。どうも話しにくいと思われているようだ。
「興味ない? 誰かに告られたりとかしたらどうする?」
 渡邉さんは脅かすみたいに言ったけど、そういうのはまだ私の手に負える話ではないと思っている。
 私にとっては今の高校生活さえ夢のような、信じがたい時間だった。こうして放課後に居残って、夕日差し込む教室でクラスの友達と他愛ないお喋り、なんて昔からの憧れだった。それが叶っているだけでも素敵なのに、更に彼氏なんてできたりしたらどんな毎日になるんだろう。想像もつかない。
 憧れの漫画みたいな空想にたゆたいかけた私を、渡邉さんの、
「ああでも、主代さんには徒野がいるから関係ないか」
 という言葉が現実へ強制送還させた。
「渡邉さん、庸介のこと誤解してるよ。ただの幼なじみなんだから」
 私がまるでお手本のような弁解の台詞を口にすると、渡邉さんはそこでわざとらしく目を逸らした。
「ふうん。朝起こしに来てくれて、一緒に登下校して、お昼にはお弁当まで作ってきてくれる相手が『ただの幼なじみ』ねえ……」
 漫画でならそういう世話焼きの幼なじみはたくさんいるものなのに、庸介のそういう行動はクラスメイトの目を引くようだった。
「本当だからね。庸介は世話焼きだからそういうことをするのが好きなの」
「だからって普通はねえ、あんな甲斐甲斐しくお世話しないって」
「そ……そう、なのかな」
 にんまりする渡邉さんに、私は焦るあまり言葉を詰まらせてしまう。
 徒野庸介は私がこの高校で唯一心を許せる男子生徒であり、一番近しい相手でもある。職員室に呼ばれているから今はいないけど、普段は私の傍にいて、いつも私を気遣ってくれる。そういう間柄はクラスメイト達にとって誤解を招くものらしい。
「いいよね幼なじみって。長い付き合いなんでしょ、そういうの憧れるわあ」
 まるで冷やかすみたいに渡邉さんは私をつっつく。
 私はそれをくすぐったく思いつつ、答え方には迷う。
「それはもちろん、幼なじみだからね。付き合いはすごく長いの」
「学校だけじゃなくて塾まで一緒なんでしょ? 超仲良しだよね」
 渡邉さんは内緒話でもするみたいに声を潜め、
「実はこっそり付き合ってるんでしょ? ぶっちゃけてよ」
 と促してきたから、私は苦笑いするしかなかった。
「そういうのではないよ。庸介は、本当にただの幼なじみ」
「本当に? でも徒野は絶対、主代さんのこと好きだと思うんだけど」
「本当に。庸介は自分のこと、私の保護者みたいに考えてるしね」

 実を言えば渡邉さん以外の子にも、庸介について聞かれたことがある。
 彼が物心ついた時からいつも私の傍にいて、登下校も一緒で、休みの日まで一緒にいるという話をすると、皆同じような受け取り方をする。つまり、私と庸介が交際をしているのではないかという解釈だ。
 だけど私は幼なじみとはそういうものだと解釈していた。漫画でもよくある。幼なじみとはいつも傍にいて長い付き合いでとても仲がいいけれど、だからと言って恋愛関係であるとは限らない間柄のことだ。
 この高校で学んだこと二つめ。
 距離の近い男女は、まず真っ先に交際を疑われるものらしい。

「徒野っていつも主代さんのこと見てるじゃん。体育の時間とかもさ、男女別なのにわざわざ遠くから観察してるし、噂になってんだよ」
 渡邉さんは目を輝かせて力説する。
「やっぱ幼なじみっつったらそういうのも定番でしょ。実はずっと好きでした、みたいなの!」
 確かにそういうのも漫画ではよくある。仲のいい幼なじみと見せかけて、片方もしくは双方が相手を異性として見てしまっているというもどかしい恋愛。
 でも私と庸介は違う。そういう幼なじみではない。
 どうして断言できるのかと言えば――。
「あ、噂をすれば徒野」
 渡邉さんが視線を教室の戸口へ向けたので、私もすかさず振り向いた。
 足音もなく教室へ入ってきた庸介は、私達を見て怪訝そうな顔をする。ネクタイをきっちりと結び、ワイシャツのボタンも一番上まで、ブレザーのボタンだって全て留めている。私と同じように校則遵守の着こなしをした庸介がきびきびとした歩き方で近づいてくるなり渡邉さんに尋ねた。
「噂って俺の話かな、渡邉さん」
「聞こえてた?」
 渡邉さんが悪びれずに聞き返すと、庸介は困ったように微笑む。
「話の内容までは聞こえなかったけどね。いい噂であることを願うよ」
「もちろんいい噂だよ。主代さんと仲いいね、って話だもん」
 ね、と渡邉さんが同意を求めてきたので、私は曖昧に頷きながら庸介を見やる。
 庸介も私を見た。困ったようでいて少しも動じていない、静かな目をしていた。
 彼は見た目は他の男子生徒と変わらない――と私は思っているけど、普通の女子高生でいるつもりの私が『ちょっと変わっている』と評されるくらいだから、もしかしたら庸介も少し変わっているのかもしれない。私も彼の年齢にそぐわない落ち着きよう、肝の据わった態度にはいつも感服させられていたし、頼りにもしていた。夢のような高校生活は同時に不慣れなせいで戸惑うことも多く、そんな時に庸介と目を合わせると、それだけで安心できた。
「……幼なじみなんだから、仲良しなのが普通だよね」
 だから私も落ち着きを取り戻して、庸介に問いかけた。
 間髪入れず彼は頷く。
「そうだね、六花。普通のことだよ」
 庸介が私の名前を呼ぶ声はとても優しい。それに温かい。
 くすくすと、渡邉さんが笑い声を立てた。
「すごいね、息ぴったりじゃん。それも幼なじみだから?」
「ああ。付き合いが長いと自然とこうなるよ」
 答えた庸介はまた私を見て、穏やかに続けた。
「さて六花、用も済んだし帰ろうか。今日も予備校があるし」
「もう帰らなくちゃ駄目?」
「たった今言った通りだ。予備校があるから、バスに乗り遅れないようにしないと」
 庸介の言うことももっともだけど、もう少しここにいてお喋りしていたい。私は名残惜しい気持ちから、なかなか立ち上がれずにいた。
 それを見越したように、庸介は静かに声を発する。
「六花、行くよ。時間がない」
 そう言われると私も慌てて席を立つしかなく、
「じゃあ渡邉さん、また明日ね。さよなら」
「ばいばい主代さん。徒野と仲良くね」
 手を振る渡邉さんに見送られながら教室を出る。
 その時、庸介は既に廊下に立っていて、何か言いたそうな顔をしながら私を待っていた。私が隣に並ぶと、一瞬眉を顰めてからゆっくりと歩き始める。
「先生とのお話、随分長引いてたね。三十分くらいかかったんじゃない?」
 歩きながら私は庸介に尋ねた。
 庸介は軽く頭を振る。真っ直ぐで丈夫そうな黒髪がさらさらと揺れた。
「話自体はすぐに済んだ。でもその後、蒲原に呼び止められて話をしていたから」
「かんばら、って誰?」
「うちのクラスの男。出席番号十一番。知らないなら気にしなくていい」
 言われた通り、知らない人だった。私もクラスメイトの名前を早く覚えようと必死になっていたものの、女子と違って話す機会のない男子はなかなか覚えられない。
「庸介にもお友達ができたんだね」
 立ち話とは思えない長さでお喋りをしたというのだから、きっとそういうことなんだろう。私が嬉しい気分で告げると、庸介も今度は首を横に振る。
「違うよ、そういう用件じゃなかった」
「そうなの?」
「六花は気にしなくていい。それより、俺のせいで悪いけど少し急ごう」
 庸介は腕を上げてブレザーの袖をずらすと、覗いた手首に巻きつけられた腕時計を見た。
「予備校の迎えが来る頃合いだ。待たせるとうるさいからな」
「もうそんな時間? 学校を出たら、少し走らないといけないかな」
「六花を走らせたらそれはそれでうるさく言われる。早足で行こう」
 人が少なくなった放課後の廊下を抜け、生徒玄関まで辿り着く。上履きから外靴へ履き替える時、私は少し寂しい気分になる。この高校での生活は夢のように楽しくて、だからその分、帰宅する時間になると名残惜しくて仕方がない。
 のろのろと上履きをしまう私の横で、庸介は既に外靴を履いて私を待っていた。教室にいる時は表情豊かに笑ったり困ったりする彼だけど、私と二人きりになると次第に表情が消えていくのがわかる。それがまるでこの時間の終わりを告げているようで、私はそういう顔を見るのが好きではなかった。
「ねえ庸介、もう少し笑って」
 私がねだると、庸介は言われるがままに唇だけで笑む。
「これでいい?」
「よくない。もっと心から」
 いかにも手抜きな笑いでは気分が晴れない。私が拗ねたからだろう、彼は困った様子で続ける。
「一応、心は込めたつもりだけど」
「全然駄目。もっと幼なじみらしく笑ってくれないと」
「今日帰ったら練習しておくよ。そろそろ行こう、六花」
 庸介が急かすので、私も渋々生徒玄関を出た。
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