あなたの影になりたい(3)

 そもそもアロイスの居室は、客人を招くのにふさわしい環境ではなかった。
 椅子は机と対になった一脚のみで、誰かと囲める食卓すらない。ここで茶を飲むのはどうかと一応進言はしたのだが、ルドミラは平然と答えた。
「一度、あなたが暮らすお部屋を見てみたかったの。以前は隙間から覗いただけだったんですもの」
 そして招き入れたら招き入れたで、訝しげな目を向けられた。
「ここが、お部屋? 物置ではなくて?」
 やむなくアロイスは宿舎内を駆けずり回り、客人の為の椅子をもう一脚借り受けてきた。
 食卓は運び込めそうになかったので、倉庫に放り出されていた木箱を積み、布をかけたらそれらしくなった。

 最後に茶器一式と茶葉を調達して戻ると、行儀よく待っていたルドミラがにわかに眉を顰めた。
「お茶はわたくしに任せてもらえないかしら」
 言外に『お茶の入れ方を知っているのか』と疑う様子が見て取れた。
 アロイスも茶器の使い方くらいは知っているが、いつもは食事時にがぶ飲みするだけで、要は味など二の次だった。舌の肥えたご令嬢を満足させられるだけの茶が入れられるとは到底思えない。
 そこで任せてみたところ、ルドミラはドレスのふくらんだ袖をまくり、実に優雅な所作で茶を入れてみせた。本より重たいものなど持ったことがなさそうな繊手で、しかし淀みなく支度を済ませてしまう。
「あなたはお茶を入れるのがお上手なのですね」
 アロイスが誉めると、ルドミラは伏し目がちに答える。
「こんなもの、花嫁修業では初歩の初歩よ」
 そしてアロイスの表情を窺うなり、くすくすと朗らかに笑った。
「修業をしているというだけよ、安心してちょうだい」
 からかわれたようだと、アロイスは黙って顔を顰める。
 もっとも言われた通りに安心できたかといえばそうではなく、更に複雑な思いが去来した。

 本来ならこんな急ごしらえの『客間』に通されるべきではない令嬢は、茶を入れ終えると改めて椅子に腰を下ろした。
「では、いただきましょうか」
 彼女に促され、ひとまず茶を口に運んでみる。
 明らかに安物の茶葉だったはずだが、驚くほど芳醇な味わいに仕上がっていた。
「大変美味しゅうございます」
「そうでしょう? わたくしが入れたんですもの」
 何でもないように答えたルドミラだったが、得意げな色は隠しきれていない。茶の湯気越しにしばらくその顔を観察していれば、視線に気づいた令嬢が表情を引き締める。
「お茶菓子をいただいてもよろしいかしら。マリエが作ってくれたのでしょう?」
「ええ、そのようでございます」
 いかに日々の仕事の一つとは言え、これだけの種類を拵えるのは大変だったことだろう。後程、礼を言わなくてはなるまいとアロイスは思う。

 二人は大皿の茶菓子を分け合って食べた。
 包み焼きのリンゴはしっとりと柔らかく、ビスケットはさっくり軽く、クリーム焼の焦げ目は匙でつつくと硬い音がして、その下のクリームは濃厚な卵の味がした。
「どれもよそではいただけない、素晴らしい味ですこと。さすがはマリエね」
 ルドミラはここにはいない料理人を誉めそやした後、独り言のように続けた。
「もちろん、あなたがお休みをいただけたことそのものが素晴らしいことですけど。殿下のご恩情に感謝申し上げなくてはね」
 アロイスはその言葉に頷いたが、できればもっと早くに知らせて欲しかったとも思う。
 無論、休暇を与えてくれた主にはこの上なく感謝している。こうしてルドミラと食卓を囲んでいるこの時間にまだ実感が湧いていないほどだ。
 だが、どうも知らされていなかったのは自分だけではなかったかという気もしてならない。
「殿下はあなたにお手紙を送られたのですか?」
 尋ねてみると、ルドミラは首肯した。
「ええ、今日のことがしたためてありました」
「私が暇をいただくと?」
「ええ、そのように。あと……あなたがわたくしに、とても会いたがっていると」
 そう言い添えた時、さしもの令嬢もいくらか気恥ずかしそうにしてみせた。
 もっともそれが事実でないことは――少なくともアロイスの口からカレルに伝えていないことは、ルドミラもたやすく見抜いていたらしい。アロイスがビスケットをちぎったまま手を止めたのを見て、得心したような顔つきになる。
「……でしょうね。殿下が随分と大袈裟に書き立ててくださったことくらい、わかっていてよ」
「殿下は、何と?」
「それはわたくしの口からは……」
 ルドミラが言いよどむような文面であったという事実が、アロイスをわずかながら動揺させた。
 そしてその動揺を見かねたように、ルドミラが自ら語を継ぐ。
「でも、とても熱烈に書いてくださったことは確かよ。あなたがそんなことを殿下に申し上げるとは思えなくて、話半分くらいに読んでおりましたけど」

 どうやらこの辺りは、後で当人に確かめておいた方がいいようだ。
 言いもしないことを代筆されるのはぞっとしないし、その熱烈な文句とやらが意中の婦人を赤面させているのは更に気に食わない。

 内心で嘆息しつつ、アロイスは口を開く。
「殿下は近頃少々浮かれていらっしゃるのです。あなたへのお手紙も、きっとよいご気分のうちに書き綴られたのでしょう」
 何せ、とてもよいことがあったばかりだ。
 アロイスは半ば仕返しのつもりで明かしたのだが、ルドミラはそこで表情を輝かせた。
「そのようね。わたくしも、あなたに会ったら是非尋ねておこうと思っていたの」
「殿下のことでございましょう?」
「そうよ。お手紙でもわかるくらいご機嫌よろしいから、何かよいことがあったのかと」
 無論、あった。
 だが事が事だけに、妙齢の婦人、それも育ちのいい貴族令嬢に包み隠さず打ち明けるのも気が引けた。ルドミラは年齢以上に聡明かつ博識な婦人だが、さすがに男女の機微にまで造詣が深いようには思えない。
 クリーム焼を匙できれいに掬いながら、アロイスは少し考えて答えた。
「よいことがあった、というのは恐らく事実でございます」
 するとルドミラは推し測るような目を向けてくる。
「ふうん。恐らくと言うと、あなたはご存じないの?」
「いいえ。しかし正直に申し上げると、殿下がお怒りになるかもしれません」
 アロイスはかぶりを振り、
「あら、どういうことかしら」
 更に尋ねられたので、続けた。
「それにマリエ殿がどんな顔をするか。残念ながら、申し上げられません」
 そこまで話すとルドミラも大方を察したようだ。美しい顔立ちをはにかませて言った。
「もう言ってしまったようなものじゃない、いけない人ね」
 しかし口止めされていたわけでもなく、手紙に好き放題書かれた後ではこのくらい言ってやってもいいとアロイスは思う。
 誰の為に、一晩中たった一人で見張りをしていたと思っているのか。
「では、あなたがお暇を貰えたのもそういうことなのね」
 そう言って、ルドミラは上品な手つきでビスケットを割る。
「殿下のご機嫌がとびきりよろしいから、お休みをいただけたということでしょう?」
「ええ、恐らくは」
 アロイスは曖昧に頷いた。
 もちろん事実は違うはずだ。カレルなりにあの晩のアロイスの働きを労い、そして不敬にも『羨ましい』と口走ったことに気を遣ってくれた。恐らくはそんなところだろう。
 だがそれは、それこそ彼女には話せない。
「ではやはり、殿下に感謝を申し上げなくてはなりませんわね」
 ルドミラは満足そうだった。ビスケットに蜂蜜を少しだけ垂らして、それから可愛らしくかじりつく。茶菓子はどれも彼女の口にあったようで、堪能している様子が美味しそうな表情からも読み取れた。
 そんな令嬢を目の前にして、アロイスは胸が高鳴るのを正直に自覚する。

 改めて考えてみれば、ルドミラはまだ十八――もうじき、十九になるという。
 アロイスが歩んできた人生のようやく半分だ。本当なら罪悪感を覚えてもおかしくないほどの年齢差を、しかしアロイスはこれまでほとんど意識したことがなかった。ルドミラが時折見せる歳相応の婦人――あるいは少女らしいともいえる表情を愛らしいと思うことこそあっても、彼女を幼いと思うことはない。
 かつては確かに『生意気な小娘だ』と思っていた。
 だがお互いに歩み寄り合い、そして言葉を重ね合ううち、彼女の思慮深さと心優しさに惹かれるようになった。
 今ではこうして話をする機会があることをとても貴く、そして嬉しく思っている。

 久方ぶりの休暇で、積もる話は山ほどあった。
 さて何から話そうか。思案を巡らせるアロイスと同じように、ルドミラもしばし黙って茶菓子を味わっていた。浮かべた穏やかな表情は、次に何を語ろうか考え込んでいるようにも、この沈黙のひとときさえ楽しんでいるようにも見えた。

 それでも、次に口を開いたのは彼女の方が先だった。
「一つ、失礼なことを聞いてもいいかしら」
 何気ない調子で切り出され、アロイスは快く応じる。
「何なりと」
「あなたは隊長さんなのに、どうしてこんな小さなお部屋で暮らしているの?」
 そう言うとルドミラは、先刻『物置』と評したアロイスの居室をぐるりと眺めやる。
 身分貴き令嬢からすれば、物置小屋よりも狭く映る部屋だろう。もっともアロイスはこれまで特段の不便を感じていなかったので、部屋を移りたいと思ったことすらなかった。
「広いと掃除が大変になりますゆえ」
 アロイスは冗談でもなく答えた。
 だがその答えは令嬢にとって納得できないものだったようだ。
「そんなもの、小姓にでも任せておけばよろしいのではなくて?」
 苦笑いと共に返されて、アロイスもつられたように笑う。
「それに、部屋が広くなれば荷物の少ないことが際立ってしまいます。私の部屋には、これしかございませんから」
 室内に置かれた調度の数々を手で指し示して答えた。
 寝台と机と戸棚、そして徽章をつけた鎧と使い込まれた剣。この部屋に置かれているものはそれだけだった。
「なら、お部屋に合わせて調度も揃えたらいいでしょう」
 ルドミラは尚も不思議そうに異を唱える。
 その後で思い出したような表情をひらめかせて、
「ああ、それならよいものがあるわ。わたくし、先日画家に絵を描いてもらったの。よかったら差し上げましょうか」
「絵は……申し訳ないながら明るくはございません」
 アロイスは正直に答える。
 するとルドミラは楽しそうに問い返してきた。
「わたくしの肖像画でも?」
「あなたの?」
「そうよ。当代きっての天才と評判の画家に、お父様がわたくしを描かせたの。それはそれは素晴らしい腕前で、まるで鏡を見ているような仕上がりだったわ。だけど自分の部屋に自分の姿を飾っておくのも妙でしょう。だからずっと布をかけたまま、しまい込んでいたのだけど」
 そこまで語るとルドミラはほんの少しだけ頬を赤くして、続けた。
「あなたのお部屋に飾るものがないなら、その絵を飾ってはどうかしら」

 それは絵画に明るくないアロイスにとっても、実に心惹かれる提案だった。
 当代きっての天才とやらが、美貌と知性を兼ね備えた令嬢をどのように描いてみせたのか、興味が湧きたつのを抑えきれない。
 だが今のは、あくまでも部屋の広さを持て余しているなら、という仮定の話だ。
 狭い部屋で暮らし、そのことに不満を抱いていない今、素晴らしい絵画を貰ったところで飾る余裕はない。

「嬉しいお言葉。ですが、この部屋では残念ながら飾る場所がございません」
 アロイスはそう答えて、少し不満そうなルドミラの顔を見てから言い添えた。
「私は荷物を増やしたくはないのです」
「どうして?」
「この部屋にあるものすら、いつかは捨てゆくさだめでございます」
 城を出る日が訪れた時、アロイスが持ち出せるものはたった一つ、守るべき人を守る為の剣だけだ。
 手が塞がるような他の荷物は置いていくより他ない。
「わたくしの絵でも?」
 ルドミラが唇を尖らせたので、アロイスは少し慌てた。
「あなただからということではなく、何についてもです。やがて去る私に、広い部屋など必要ないのでございます」
 するとルドミラは拗ねるのをやめたが、代わりに深く思案するような顔つきになる。
 そして考え考え、次の言葉を口にした。
「思うのだけど……あなたは、もっとよい暮らしをするべきではないかしら」
「よい暮らしとは、広い部屋に住めということですか」
 アロイスが聞き返すと、わずかな間を置いてからかぶりを振る。結い上げた栗色の髪が揺れる。
「それもあるけど、それだけではなくて、もっと文化的な暮らしをすべきよ」
 その言葉にアロイスは思わず吹き出した。無骨な男達を総べる無骨の極みのような男を捕まえて、文化的に暮らせとは全く愉快な冗談に思えた。
 だがルドミラは本気のつもりだったらしい。
「だって、あなたはいつまでも『隊長さん』でいるわけではないのでしょう」
「仰る通りです」
「それなら、あなたの次に隊長になる方のことも考えてあげるべきだわ」
 次に飛び出してきたのは予想外の言葉で、アロイスは直前まで浮かんでいた笑みを引っ込める羽目になった。
 ルドミラは咎めるように、形のいい眉を顰めてみせる。
「考えてもごらんなさい。あなたの後任の方は、あなたの姿を見て隊長とはかくあるべきと思うのでしょう。その規範となるあなたがこんな狭くてみすぼらしい部屋に住んで、真っ当な趣味もないまま、せいぜいがわたくしの来訪だけを楽しみに日々暮らしているだなんてあまりにも寂しいことじゃない。あなたの後任の方だって、あなたのような暮らしをする羽目になるなら隊長になんてなりたくないって言うかもしれなくてよ」
 歯に衣着せぬ物言いとはこのことだ。
 アロイスは圧倒されかけたが、ひとまず思った通りのことを答える。
「ですが、隊長の位には他では得られぬ名誉が伴います」
「名誉だけでお腹がくちくなる方なんてどこにもいらっしゃらないわよ」
 つんと澄ましたルドミラが、リンゴの包み焼きに手を伸ばしてかじりつく。
 そして幸せそうに食べ終えた後、反論を封じられたアロイスに笑いかけてきた。
「お休みのことだってそうよ」
「は……どういうことでございましょうか」
「あなたは大変お忙しいのでしょうけど、あなたが働きづめでろくに休めもしないのを見ている方々はどう思うかしら。あなたの後に隊長になる方は、隊長になったからには自分も休んではいけない、なんて考えてしまうのではないかしら」
 アロイスの人生の半分しか生きていないルドミラは、時として恐ろしいほどの正論を口にする。
 それはもちろん恐れを知らぬ気の強さから来るものでもあるのだろうが、それだけではないこともアロイスはわかっている。その鋭い洞察には敬服すると同時に、自分がこれまで打ち捨ててきたものを突きつけられるようで、痛い。
 ぐうの音も出ないアロイスを見て、ルドミラはそこで少女のように微笑んだ。
「だからあなたは、こういうお休みをもっといただくべきよ」
 それから照れているのを隠すように長い睫毛を伏せ、小声で呟く。
「そしてわたくしと、もっと一緒に過ごすべきよ」
 彼女の言わんとするところをようやく察して、アロイスは心から頷いた。
「仰る通りです、ルドミラ嬢」

 刻限までに考えなければならないことは山ほどある。
 城を出るまでに済ませておかなければならないこと、その時が来たら捨ててゆかねばならないもののこと、城に残していくもののこと――考えれば考えるほど混迷を極めるそれらの課題に、いつかは必ず答えを出さなければならない。

 ただ、わかっていることも一つある。
 剣だけを持っていくつもりだったアロイスは、既にもう一つ、新たな荷物を手にしている。貴くもいとおしい思い出の荷物は、今のこの時間も少しずつ積み重なって増えていくばかりだ。
 その時が来たら、決して忘れず持ち出さなくてはなるまい。

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