種蒔く日々の移ろい(2)

 その日の夜、城の大広間では晩餐会が催された。
 剛健質実と言ってもよい石造りの居城において、大広間だけは客人をもてなす為に絢爛豪華な調度が揃えられていた。
 高い天井はガラス張りで遠い夜空が透けて見え、壁には建国の経緯を辿る壮麗な歴史画が描かれている。きらびやかなシャンデリアに灯された蝋燭は明々と広間を照らし、磨き上げられた大理石に客人達のゆらめく影を映す。
 招待客達はこの賀宴の為に華やかに着飾り、調度の美しさに負けるとも劣らぬ輝きを広間のあちらこちらで放っていた。

 だというのに、主役の王子殿下は先程からリンゴを食べるのに夢中だ。
「どこかで抜け出すことはできぬものか」
 声を落とした呟きに、傍らのマリエは当然聞こえぬふりをした。
 今日の為に新しく仕立てた上着は美しい青色をしていて、袖口と襟ぐり、そして裾に金糸でぐるりと蔓草の刺繍がされている。カレルが歩く度に長い裾は優雅にはためき、金の刺繍はちかちかと星屑のように光った。
 白金色の髪も今日はきれいに梳いてあるから、ひとたびシャンデリアの元へ躍り出れば誰よりも注目を集める存在であることは間違いなかった。実際、カレルが大広間へ現れた時は居合わせた客人達が一斉にどよめき、感心の溜息をついたものだ。
 だがカレルは客人達への挨拶を一通り済ませると、役目は済んだとばかりに席へ戻り、以降は食事を楽しむばかりだ。歳相応の健啖ぶりは微笑ましいものだが、大広間に居合わせた客人達も王子殿下の食事風景を見に馳せ参じたのではない。
「殿下、楽隊が舞曲を奏で始めました」
 マリエは身を屈め、カレルの耳元に囁いた。
 フィドルにリュート、太鼓に笛で編成された城つきの楽隊が祝歌の演奏を終え、軽快な舞曲を披露し始めた。晩餐会の目玉の一つ、舞踏の時間が幕を開ける合図だ。
 紳士達が続々と婦人達に声をかけ、了承を貰えば二人は手を取り合って大広間の中央へ進み出る。婦人を誘うことができた紳士の顔は誇らしげで、婦人の方もまた楽しげだったり、あるいは恥ずかしげに手を取られていたりしている。中には次々と声をかけては断られ、やむなくお年を召した貴婦人と踊る紳士もいたようだ。
「殿下をお待ちの方もいるようです」
 複雑な本心は押し隠し、マリエは続けた。
「一度くらい踊られませんと、皆も寂しく思うことでしょう」
「そうは申すが、一人とだけ踊ればその方が角が立つ」
 カレルも眉を顰めて言い返してくる。
「そうなれば皆と公平に踊らねばならぬだろう。一体何曲踊らされることとなるのか、わかったものではないぞ」

 招かれた客人達のうち、ひときわ華やいだ一団が大広間の隅にいる。
 今日の為にドレスで着飾ってきた若き貴族令嬢達が、先程から王子殿下に熱い視線を送っているのにマリエも気づいていた。他の紳士に声をかけられてもやんわり拒んでいたようで、誰もが王子殿下からの直々の誘いを待っているのは明らかだ。
 こういった晩餐会は貴族達とその令嬢達にとって、本来の賀宴とはまた別の意味合いを持っている。
 カレルも今日で十九歳、既に少年と呼べる年頃ではなくなっており、その凛々しさが多くの令嬢の目を惹きつけている。そして王子殿下にまだ妃を迎える様子がないことを、若い娘を持つ貴族達が関心をもって見ているのも確かだ。
 舞踏を好まぬカレルがもしも誰か令嬢の手を取ることがあれば、それこそが王子妃殿下に最も近い存在だと捉えられることだろう。

「一小節ごとに相手を替えてよいというのであれば、一曲のみで済むのだが」
 カレル自身は舞踏そのものがひたすら億劫なようだ。気乗りしない様子でリンゴをかじり続けている。
「そもそもおかしいではないか。私と踊りたいなら自ら声をかけにくればよい」
「それは……婦人の方から殿方に声をかけるものではないそうですから」
 この国でももはや時代遅れになりつつある作法だが、ことこういった格式高い宴の場では婦人の側に慎み深さが求められるものらしい。殿方に声をかけられるまでは楚々として待っているべき、というのが令嬢達の共通意識であるらしく、これまでカレルに直接誘いの言葉をかけてきた令嬢は一人としていなかった。
「皆、殿下がお声をかけてくださるのを待っているのです」
「わかっている。だがああしてじろじろ見られては、踊る気など起こりようもない」
 カレルは肩を竦めた時だ。
 舞曲の流れる大広間に、細波のような動揺が広がった。
「――殿下、本日はおめでとうございます」
 同時に、マリエにとっても聞き慣れた婦人の声がそう言った。
 令嬢達の集団をたった一人で抜け出して、ルドミラがカレルの面前へ現れたのだ。
 軽く柔らかい縮緬の、水色の舞踏服をふわふわと波打たせ、今宵の彼女は歳相応の愛らしさと色香を漂わせている。栗色の髪は娘らしく編まれ、宝石で作られた青い蝶を留めていた。その無垢な美しさと堂々たる姿勢は、大広間に集う人々の視線、とりわけ歳の近い令嬢達の抜け駆けを咎める眼差しを捻じ伏せるだけの力があった。
 大広間中の視線を集めていることなど気にも留めず、ルドミラはカレルとマリエに笑いかける。
「噂になっておりますわよ。殿下はこういった宴の場になると、ひとたび椅子に座れば根が張ったように席をお立ちにならない、って」
「そうだ。根が張ってしまったから、立ち上がろうにも立てぬのだ」
 カレルは自棄気味に応じた後、気安い苦笑をルドミラへ向けた。
「あなたもそれだけ美しく着飾っておきながら、口の方は一切飾っておらぬのだな」
「言葉を飾るのはドレスを着るよりよほど窮屈ですもの」
 賀宴の場であってもルドミラは相変わらずのようだ。勝気そうな目でカレルを見返し、続けた。
「ところで、妙齢の婦人が着飾って目の前におりますのよ。賛辞のお一つでも賜りたいところですわね」
 それで初めてカレルはルドミラがまとう舞踏服をしげしげと見やり、
「確かに美しいドレスだな。色もあなたに合っている。どう思う、マリエ」
「ええ、お美しいです。ルドミラ様には清楚なドレスもお似合いですね」
 マリエが後に続くと、令嬢は満足そうに微笑んだ。
「ありがとう、マリエ。あなたは殿下よりも誉め上手ね」
「お、畏れ多いお言葉です」
 主と比べて誉められてマリエは慌てたが、カレルは気にするふうでもなくリンゴをかじっている。
 そしてそんな主に、ルドミラが向き直って尋ねた。
「ところで、殿下は踊られませんの?」
 途端、カレルの表情が目に見えて翳る。
「先程言った通りだ。根が張っているので私は踊らん」
「そう仰らずに。わたくしと踊ってくださいませんこと?」
 ルドミラが繻子の手袋を填めた繊手を差し出す。
 様子を見守っていた客人達がざわめいた。名家の令嬢らしからぬ大胆さに眉を顰める者すらいた。
「一曲だけで構いませんの。是非お願いいたしますわ」
「できれば遠慮したいのだが」
「殿下ともあろうお方が、この程度のことに及び腰とはみっともないですわね」
 カレルが難色を示せば、ルドミラは挑発的な物言いまでしてみせる。
「なぜそこまでして私を誘う。あなたと踊れば、彼奴が気を悪くする」
 逃げを打つつもりか、カレルはアロイスを引き合いに出した。

 話題に上がった人物は、いくらか距離を置いたところにいる。
 壁を背にして立ち、カレルの動向に注意深く視線を注いでいる。近衛兵の正装は詰襟の赤い上着で、体格のいいアロイスはどうにも窮屈そうに着ているようだ。
 果たして彼の目に、華やかに装ったルドミラの姿は映っているのだろうか。マリエはちらりと盗み見たものの、この距離からは判別つかなかった。

「あの人が気なんて悪くするかしら」
 ルドミラもマリエと同じ方向を一瞬だけ見て、それから声を落とした。
「確かに、わたくしが本当に踊っていただきたい相手は殿下ではございませんわ」
「また随分きっぱりと申すな」
「でもそれは殿下も同じことでございましょう?」
 そう問われた時、カレルは答える前にマリエを見た。
 マリエはその視線に動揺し、口を噤む。
「だからあなたは私を誘うと?」
 カレルが聞き返すと、すかさずルドミラは頷いた。
「ええ。お互い、代役を務め合うということでいかがかしら」
「あなたの言い分はわかった。しかし、そこまで踊りたがる気持ちはわからぬ」
「殿下は本当に踊りがお嫌いですのね」
 そこでルドミラは少女のように無邪気な笑顔を浮かべた。
「実は、どうしても殿下にわたくしと踊っていただきたい理由がありますの」
「理由とは何だ」
「父に、殿下と踊るよう強く頼まれたのです。今日の晩餐会で殿下のお相手を務めることができたら、何でも好きなものを買ってくれるんですって」
 大広間にはルドミラの父親の姿も客人としてあった。娘と王子殿下のやり取りを見守る表情までは見えないが、片時も視線を逸らさぬ様子には遠目からでも緊張感が窺えた。
 彼と、彼の娘たるルドミラにとっても、今宵の賀宴には特別な意味があるようだ。
 マリエが見守る中、カレルも事情を察したようだった。やがてルドミラに対し、溜息まじりに告げた。
「……一曲だけでよいのだな」
「感謝いたしますわ、殿下」
 ルドミラはドレスの裾をつまんでお辞儀をした。
 それからマリエの方を向き、小声で言い添える。
「マリエ、少しの間だけ殿下をお借りするわね。すぐ返しますのでご心配なく」
「えっ、あの、わたくしは……」
「私を物のように扱う婦人はあなたくらいのものだろうな」
 答えに詰まるマリエを庇うようにカレルは唸り、それから食べかけのリンゴをマリエに手渡す。
「すぐに戻る」
 目を合わせ、はっきりと告げてきた。
「は、はい。行ってらっしゃいませ」
 マリエはリンゴを手に恭しく一礼して、カレルとルドミラを舞踏の場へ見送る。
 同じように、居合わせた全ての客人達が連れ立って歩く二人を見つめていた。

 間もなく楽隊は先程以上に軽やかな舞曲を奏で始めた。
 カレルはルドミラの左手を取り、ルドミラは右手をカレルの肩に預けて、二人は大広間の中央で踊っている。マリエが思っていた通り、カレルの舞踏は拙劣どころか実に優美で巧みだった。ルドミラの方は元より手慣れたふうだったが、やがて安心しきった様子でカレルにその身を任せ、ぴったり息の合った舞い歩きぶりを披露した。
 大広間の客人達も初めのうちは成り行きを見守っているだけだったが、やがて口々に称賛の呟きを漏らし始めた。若い二人の舞踏は実に快活で、楽しげで、特にカレルの方はあれだけ踊りを渋っていたのが嘘のようだった。
 見目麗しい二人の舞踏は居合わせた人々の心を惹きつけ、そして人々を舞踏の場へと誘い込んでいく。大広間にはかつてないほどの人波が広がり、華やかな賀宴を更なる歓喜と興奮の渦へと巻き込むようだった。

 マリエはその様子を、先程まで主がいた席の傍らから眺めていた。
 初めのうちは確かにカレルを目で追っていた。躓くこともなければ令嬢の踊り靴を踏むこともなく、ただただ紳士らしくルドミラを先導するカレルを、眩しい思いで見つめていた。
 二人は時々何か言葉を交わし合っているようだった。カレルが何事かを囁き、ルドミラがおかしそうに肩を揺らし、楽しそうな顔を見合わせている。その様子が、マリエの目には夜空の星のように目映く、そして手の届かぬ程遠いものに見えていた。
 だが、それは事実だ。本来ならば手の届かぬ相手をマリエは想い、慕っている。その想いが通じただけでも十分であり、それ以上のことを望むべきではない――。
 そのうちカレルの姿は星空を覆う雲のように、人波によって遮られ、見えなくなった。
 マリエはそれでも目を逸らさず、舞踏の輪をじっと見つめ続けていた。

 その後、カレルはルドミラとマリエを連れて、大広間の外にある露台へと逃げ込んだ。
「あなたのせいで酷い目に遭ったぞ、ルドミラ嬢」
 露台の欄干に倒れ込むように寄りかかり、マリエが運んできた水を一息に飲み干した後、カレルはルドミラを睨みつけた。
 ルドミラはきょとんとして聞き返す。
「わたくしのせいですって? なぜそのように仰いますの?」
「元はと言えばあなたが私を踊りに誘ったから、あんなことになった」
 二人が和やかに一曲踊り終えた後、それまで慎み深く振る舞っていた他の令嬢達が、一斉にカレルを踊りに誘ったのだ。取り囲まれて口々に乞われ、カレルもやむなく彼女らとも踊ることを決めたようだ。
 マリエも初めのうちは主の帰りが遅いことを寂しく思い、その舞踏を心中複雑に見守っていたが、さすがに十人目を超えたところで主の身体を案ずる気持ちが勝った。十六曲めまで踊り終え、よれよれと戻ってきたカレルを目にした時には同情さえ覚えた。
「立て続けに十六曲も踊るものではないな。喉が渇いて仕方がない」
 水差しからお替わりを注いでもう一杯飲み干した後、カレルは深く息をつく。
「おまけにあなたは私と踊り終えた後、早々に輪を外れて戻っていったであろう」
「それが何か?」
「誰に声をかけられても二度と踊らなかったと聞いたぞ。ずるいではないか」
「わたくしだって相手を選ぶ権利がございますもの」
 澄まして答えるルドミラには貴族の子息達から次々と誘いがあったようだ。だがルドミラはそれをことごとく拒み、マリエの元へ一足先に戻ってきたかと思うと、その後はマリエ手製の菓子を食べながら他人事のようにカレルの舞踏を眺めていた。
「相手をお選びにならない殿下は、さすが公明正大ですわね」
 ルドミラの賛辞に、カレルはもはや言い返す気も起こらないようだ。欄干にもたれたまま遠くの景色に視線を投げた。
 空気の澄んだ、星のきれいな夜だった。
 小高い丘の上にあるこの城に吹きつける風は少し冷たい。だが見下ろす街並みには煌々と明かりが点っており、耳を澄ませば微かな喧騒が風に乗って聞こえてくるようだった。
「見ろ、マリエ。街でも祭りをしておるようだ」
 カレルの言葉に、水差しを抱えるマリエも頷く。
「本日は街でも殿下のめでたき日を祝うとのことです」
「おかしな話だ。私が祝われる日だというのに、私はその祭りを見に行くことができぬのだから」
 不満げとも、冗談めかしているとも取れる口調でカレルは零した。
 今日の昼間は街でも式典を開き、そこでカレルは臣民を相手に堂々たる演説を披露した。だが式典の後はすぐに城まで取って返さなければならず、街でどのような祭りが行われているかは行き帰りの馬車の窓から眺めたのみだった。
「では、またお城を抜け出す算段でもいたします?」
 ルドミラが微笑むと、カレルはマリエと目を合わせてきた。
 そしてマリエが面映さにはにかめば、カレルも苦笑して答えた。
「やめておこう」
「あら、残念ですわね」
「あれだけの騒ぎを起こして、何の反省もないようではな」
 カレルはそう言って、またマリエと目を合わせる。
「それに、せっかく手に入れたものを失いたくはない」
 向けられた真摯な眼差しに、マリエもまた深く頷いた。
 街明かりは遠く、それこそ手の届かぬところにある。
 だが想う人の姿は目の前にある。マリエは手を伸ばし、その肩にそっと触れた。
「殿下、風が冷たくなって参りました。お風邪を召されませんよう」
「そうだな。もう少ししたら戻る」
 カレルはその手に自らの手を重ねてくる。
「お前の手が、冷たくなる前にはな」
 それをルドミラは小さく笑い、見て見ぬふりをしてくれた。

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