愛を食む人々(1)

 その日、カレルの元を王の伝令が訪ねてきた。
 国王フランツより、本日の夕食を共にせよという誘いだった。

 マリエが知る限り、国王と王子が食事を共にする機会はごく少ない。
 国の祭事などで催される晩餐会を除けば、年に二、三度あるかどうかだ。
 そのせいか知らせを受けた後、カレルは少々複雑そうにしていた。
「父上と食事か……」
 伝令に返答を持たせて帰した後、ぽつりと呟くのが聞こえた。
 ミランと共にお茶の支度を始めていたマリエは、思わず声をかけずにいられなかった。
「随分と、久方ぶりのことでございますね」
「全くだ。しかも今宵の知らせを昼過ぎに寄越すとは、父上らしくもない」
 カレルは落ち着かぬ様子で脚を組み替えると、椅子の上で頬杖をつく。
「大方、私に言いたいことでもあるのだろう。表立って呼び出すと説教のようになってしまうから、食事の席でということであろうな」

 王子殿下の推察が当たっているのかどうか、マリエにはわからない。
 ただ、そうまでして呼び出そうとする国王陛下が、我が子に一体何を告げようとしているのかは気になった。
 説教になってはならない話の内容とは何だろう。いくら考えても見えてはこない。

「陛下のご用向きとは、何でございましょうね」
 思いつかないマリエが切り出すと、カレルはそこでにやりとした。
「気になるのか、マリエ。お前がそこまで口を挟みたがるのは珍しいな」
「いえ! 出すぎた真似をいたしました、お許しを」
 確かに今のは無礼な追及に違いなかった。昔のマリエならそこまで尋ねることはできなかったはずだ。
 現に、お茶菓子を並べるミランは利口にも沈黙を守っている。姉と王子のやり取りに耳をそばだてていないはずはないが、行儀よくお茶の支度に勤しんでいた。その聡明さを活かしてめきめきと仕事を覚えているミランは、今や近侍として立派に務め上げていると言えた。
「謝ることではない」
 寛容にかぶりを振った後、カレルの笑みが大人びたものへと変わる。
「果たして苦言か、それとも珍しくよい話か……まあ、察しはついているが」
 どうやらカレルには、今宵の食卓でなされる話の中身が想像できているようだ。その会話を先取りするかのように、目を伏せてしばし沈思に耽る。
 マリエが黙って見守っていれば、青年期にふさわしい真剣な面持ちが、やがて天啓を得たようにはっとする。
「マリエ、今日の夕食には川魚を出すと言っていたな」
 そして面を上げるなり確かめてきたので、見惚れていたマリエも慌てて我に返った。
「仰る通りです、殿下。今日は活きのよいものが手に入りまして」
 本来なら、マリエが作る予定だった本日の夕食は川魚の塩焼きだった。昼前に捕れたばかりの新鮮なもので、まだ厨房の木桶の中ですいすい泳いでいるはずだ。献立については事前にカレルにも伝えてあり、健啖家の王子殿下もそれはそれは楽しみにしていたのだった。
「そうか……今宵は塩焼きはなしか……」
 夕食の予定が変わったことに気づくと、カレルはことのほか落胆していた。先程までの大人びた表情はどこへやら、まるで捕らえた蝶を逃がした子供のように悔しがっている。
「また近々、ご用意いたします」
 見かねたマリエが慰めれば、王子はたちまち明るさを取り戻した。
「是非頼む。今日の私はずっと塩焼きの気分であったからな」
「かしこまりました。新鮮なものを手に入れられるよう、手配いたします」
「楽しみにしておるぞ、マリエ」
「はい、殿下」
 当たり前のように視線を交わして微笑み合う二人を、お茶の支度を終えたミランが呆けた顔で眺めていた。
 カレルがいち早くそれに気づき、
「どうした、ミラン。申したいことがあるなら申せ」
 笑いながら尋ねれば、ミランはすぐさま目を伏せる。
「いいえ。あの、失礼いたしました」
 明らかに何か言いたげだったが、この場では何も言わなかった。

 夕刻を迎えた頃、カレルは国王の居室へと向かった。
 城内の中心部にあるその部屋は居住区画として厳重に警護されており、城勤めの者であっても立ち入りは制限されている。
 マリエも入室は許可されておらず、居住区画の手前までカレルを見送った。長い回廊の先、美麗な装飾が施された重厚な扉の前で、カレルはマリエを振り返る。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、殿下」
 恭しく一礼したマリエが顔を上げると、それを見たカレルがにわかに眉を顰めた。
「何だ、緊張しているのか?」
「い、いえ。この辺りには滅多に参りませんので」
 マリエはおずおずと答える。
 王の居住区画は独特の荘厳さに満ちていた。長い回廊は塵一つなく掃き清められ、それでいて人の気配がまるでない。分厚い扉の向こうには、咳払いさえ憚られるような静寂の空間があるようだ。
 カレルが暮らす居室には、こことは違う空気がある。豪奢に飾り立てられていながらも、そこで暮らすやんちゃだった王子殿下の息吹が感じられる。そういった生活感が欠落したこの場所は、マリエにとって酷く物寂しいものに思えた。
 いつか、カレルがその白金の髪に王冠を戴く時、ここで一人で暮らすようになるのだろう。
 かつてはそこに寄り添う自分の姿を想像したこともあったが――それはもはや、起こり得ない想像でしかない。
「……お前が緊張しても仕方あるまい」
 カレルは気遣うように少し笑って、それからマリエに囁いた。
「アロイスを見ろ。あのような格好をしてもいつも通りだ」
 近衛隊長は赤い詰め襟の正装姿で、飄々とカレルに付き従っている。マリエとは違い、アロイスには国王の居住区画への入室が許されていた。今宵の夕食の席にも帯同するとのことだ。
 カレルの声が聞こえたか、アロイスはさも心外そうに声を潜めた。
「いつも通りとはお言葉が過ぎますな。今宵はより重大な警護任務、私も身の引き締まる思いでおります」
 そう答えて胸を反らすので、カレルがすかさずからかった。
「身よりもまず口元を引き締めよ。早速緩んでおるではないか」
「お二人の仲睦まじさを目の当たりにすれば、誰しも口元は緩みましょう」
「人のせいにするでない。マリエを見習い、少しは緊張しておけ」
「殿下こそ、マリエ殿を一目見ただけでお顔がほころんでおりますが」
 小声ではあったが、二人の応酬も実にいつも通りだ。
 マリエもいくらか気が楽になり、改めてカレルに頭を下げた。
「ご心配をおかけしました。楽しい時間をお過ごしくださいませ」
「ああ、大いに楽しんでやる。安心して私の帰りを待つがよい」
 カレルはどこか不敵に笑んで、それからアロイスと共に扉をくぐった。

 重い扉が閉まるまで見送った後、マリエは一人踵を返した。
 すると長い回廊の向こうから、礼服姿の男が近づいてくるのが見えた。頭頂部に少しだけ残った黒髪、きびきびと早足で歩いてくる彼の顔を、マリエは当然知っている。
 国王フランツの近侍、ヘルベルトだ。
 フランツが王子だった頃より彼に仕え、城勤めの年月は三十年をゆうに超えている。マリエにとっては母ハナの従弟に当たる人物でもあるが、その職務上、口を利く機会は稀だった。だが国王の近侍として陰日向なく務め上げるその姿は、かつてのマリエにとって模範であり、目標でもあった。
「マリエ」
 ヘルベルトもマリエに気づき、急き気味だった足を止める。
 マリエが立ち止って会釈をすれば、ヘルベルトは眉を上げるような表情で応じた。
「殿下はもう入られたのか?」
「はい。先程、中へ向かわれました」
「そうか」
 ヘルベルトは顎を引き、それから早口で続ける。
「同じ城勤めだというのに久しいな、マリエ。息災なようで何よりだ」
「はい。大叔父様も、お元気そうで」
 マリエが答えて微笑むと、ヘルベルトはなぜか物憂げな顔をした。
 一つだけ嘆息して、
「マリエ。難しいこととは思うが、あまりハナを泣かせるな」
 重々しく、マリエの母の名を挙げた。
 思ってもみなかった言葉にマリエは凍りつく。
「母上、を……?」
「私から言えるのはそれだけだ。では」
 ヘルベルトは会話を切り上げると、やはり早足で回廊の先の扉へと向かった。
 背後で重い扉が開き、そして閉まる音が響いたが、マリエはしばらくこの場に立ち尽くしていた。

 自分が迂闊なのも勘が鈍いのも今に始まったことではないが、今、ようやく理解が及んだ。
 国王陛下が王子殿下を夕食に招いた理由とは、用向きとは――恐らく、マリエとカレルの先行きについて、ということなのだろう。

 つまりそれは、国王フランツもヘルベルトも、マリエとカレルがどういう関係にあるかを知っているということだ。
 マリエは畏れ多さと面映さ、それに自らには説明の機会を与えられないもどかしさを覚えている。それでも本分を弁え、大叔父に倣って早足で回廊を抜けた。
 とうに覚悟は決めている。
 そして殿下を信じている。恐れるものは、何もない。
 ――とは言え、恋愛の機微について他でもない国王陛下に知られているという事実は、やはり非常に居たたまれないのだった。

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