ささやかな冬の儀式(4)
程なくして、この小さな国に再び雪が降ってきた。たった一晩で森の木々も街並みも、そして城も真っ白に覆われ、カレルが暮らす部屋の窓辺にも十分な量の雪が積もった。
迎えた雪景色の朝、カレルは上機嫌でマリエとミランを待っていた。
「時は来た。今日こそが雪遊び日和だ!」
朝のうちから浮かれて宣言したかと思うと、朝食もそこそこに城の庭へと出かけていった。そしてナナカマドの実とカルミアの葉を手に戻り、誇らしげな顔で二人に見せる。
「見るがよい、ちゃんと三羽分取ってきたぞ」
赤いナナカマドの実が六粒、青々としたカルミアの葉も六枚、カレルの大きな手の中にあった。
「わあ……楽しみにございます!」
ミランもすっかり黒い瞳を輝かせている。
カレルと約束をして以来、毎日のように雪が降るのを心待ちにしていたようだ。水汲みの度に空模様を気にしたり、マリエに明日の天気はどうでしょうかと繰り返し尋ねてきたりと、ここ数日は気もそぞろといった様子だった。
正直に言えばマリエも、密かに胸を躍らせている。
小さな頃から雪遊びに縁がなく、城に上がってからは冬を疎ましいと思うことの方が多かった。雪が積もれば水汲み一つにも手間取り、洗濯物は乾きにくく、寒さで手は悴むと憂鬱なことだらけだ。
唯一とも言える冬の楽しみに、今年は自ら携わることができるのだ。
三人は並んで窓辺に立ち、まずカレルが腕を伸ばして窓を開ける。
たちまち吹き込んでくる寒風は身を切るような冷たさで、マリエは一瞬怯みかけた。だがカレルとミランはたじろぐどころか、喜び勇んで風に当たりに行く。
「あまり長くは開けていられぬからな。手早く作るとしよう」
それでもカレルはそう言うと、まず自らが窓枠に積もる雪の三分の一を両手でまとめた。幼い頃とは違う大きな手は、やはり手際よくうさぎの体を模っていく。その手早さにはマリエも見惚れるほどだった。
「ほら、ミランも作るがよい」
次にカレルは残る雪のうち、やはり三分の一をミランの前にそっと寄せた。
「では、僭越ながら」
大人びた口調とは対照的に、頬を紅潮させたミランが両手で雪をまとめ始める。まだ小さなその手はカレルの手を借りてもなお、雪を固めるのにいささか難儀したようだ。手のひらまで真っ赤にしながらどうにか形を整えれば、隣のものより幾分小さなうさぎの体に仕上がった。
「次はお前の番だ、マリエ」
「はい」
呼ばれてマリエは頷くと、残りの雪を両手でかき集め、見よう見まねでうさぎを作る。
固めた雪は手に冷たく、長く触れていると指先が痺れてくるようだった。それでも長年カレルの手作業を見守ってきただけはあり、初めてでもさほど手間取ることはなかった。両手を使って舟形に固めて、先に仕上がっていた二羽のうさぎの傍へと寄せる。
するとうさぎは生まれた順に、大きいもの、小さいもの、中くらいのものと見事に違う大きさをしていた。カレルのうさぎは優美な舟形だが、ミランが作ったうさぎは丸々として愛らしい。マリエのうさぎは少々遠慮しているのか、随分と細身になっていた。
「さて、これで仕上げだ」
カレルはナナカマドの実とカルミアの葉をマリエたちに配った。
そして三人は思い思いに雪のうさぎを完成させる。程なくして窓辺には、二つの赤いつぶらな瞳と、ぴんと尖った長い耳を持つ三羽のうさぎが仲良く並んでいた。
「なかなかよい出来映えではないか」
「はい。まるで本物のうさぎのようでございます」
満足げなカレルに対し、ミランも楽しそうに微笑んだ。
それから三羽の雪うさぎをよくよく見比べて、
「このうさぎたち、大きさからして、まるで親子のようでございますね」
と言った。
「親子?」
ミランの言葉にカレルが、改めてうさぎたちに見入る。
そのうさぎを、ミランは一羽ずつ指差してみせた。
「殿下が作られた一番立派なうさぎが父親で、私が作りました小さなうさぎはその子で……姉の作ったうさぎは、大きさからしてその母親のように見えたのでございます」
「ふむ、言われてみれば」
カレルはすんなりと得心したようだったが、傍らで耳を傾けていたマリエは一人慌てた。
弟の発言に深い意味はないだろう。だが暗喩ではないとしても家族に例えるのは不敬に思えたし、それ以上に――。
「夫婦と子供のうさぎか。実に見事な形容だ」
対照的に、カレルは少し嬉しそうだ。
ミランの目を盗んでマリエの方に、こちらは心底意味ありげな眼差しを向けてくる。そういった目合いは二人の間でも日常的なものだったが、ミランのいる前では面映くて仕方がなく、マリエはそっと目を伏せた。
するとミランが姉の様子に気づき、何か察したようだ。
「あ……ええと、殿下、御手が冷えてしまわれましたね」
唐突に声を上げたかと思うと、
「私、温かいお茶を用意して参ります!」
一人であたふたと居室を飛び出していく。
小さな背中が扉の向こうに消えた後、置いていかれたマリエは目を瞬かせた。
「あの子は、何を慌てていたのでしょう……?」
「何のことはない。気を遣ってくれたのだろう」
カレルは造作もなく答え、きょとんとするマリエに説明して聞かせる。
「お前の弟はつくづく聡いな。しかしお前を私に取られたくないという思いも、未だに根強いのであろう」
マリエはまだ、後々の身の振り方について、ミランに全てを打ち明けてはいない。
縁談を拒んで添い遂げたいと願う相手が、他でもない王子殿下であることも秘密にしていた。
それは気恥ずかしさの他、幼いミランに話したところで上手く飲み込めぬだろうという思いもあってのことだったが、もしかすれば要らぬ気遣いだったのかもしれない。もしもカレルの言う通り、ミランが察しているのだとすれば、弟はマリエが思う以上に聡く、そして大人になっているということだ。
「ミランの心を煩わせぬよう、お前を幸せにしなくてはな」
カレルはしみじみ呟くと、内心恐々とするマリエをいきなり抱き寄せた。
「あ、あの、殿下……」
突然の抱擁に、またもマリエはうろたえる。
だがそれすら見越していたのか、カレルはマリエの身体を両腕ですっぽり包み込んでしまった。
「ミランが戻るまでの間、お前を温める暇くらいはあるはずだ」
カレルはマリエに優しく囁く。
「前にも言った通りだ。これからは私がお前を温める」
窓を開けて雪うさぎ作りに熱中していたせいで、二人の身体は冬の風に晒され、すっかり冷えてしまっていた。マリエの耳に触れるカレルの唇も、今は金属のようにひやりと冷たい。
だからマリエもカレルの胸に、そっと自ら頬を寄せた。
寄り添うことで、体温を互いに分け合うことができたらいい。そう思って、素直に抱き締められていた。もちろん、お茶を用意した弟が戻ってくるまでの話だが――。
「見ろ、マリエ」
カレルが窓辺に目を向ける。
「今年の雪うさぎはこと、よい出来映えではないか。うさぎ一家の佇まいといったら実に仲睦まじげだ」
倣うように視線を追えば、窓の向こうには三羽のうさぎが寄り添い並んでいるのが見えた。つぶらな赤い瞳は本物ではないが、それでもこちらをじっと見つめているように思えてくる。仲睦まじさで言えばこちらも決して負けてはいないと、マリエは思う。
「大変よい思い出ができました。ありがとうございます」
マリエがそう告げると、カレルは幸せそうな笑い声を立てる。
「ああ。そのうち、本当に家族として、共に作る日が来るだろう」
その言葉をマリエが怪訝に思えば、温まってきた手でそっと背中を撫でてきた。
「私とお前と、私たちの子と――大勢で作るのもきっと楽しいぞ、マリエ」
マリエは答えに詰まり、ただ黙ってカレルの胸にしがみつく。
カレルが何気なく口にした『家族として』という言葉が、マリエの心には夢のように甘く響いたからだ。
そんなふうには、ついぞ考えたことがなかった。
自分たちは一般的な婚姻をするわけではなく、自ら望んですることであっても、マリエは役割としてカレルの子を産む。たとえ子が産めたとしても、マリエが妃になるということはあり得ない。その事実はどうあっても揺るがないことを、マリエも十分理解している。
だが自分の役割が子を産むだけではないことも、マリエはよくわかっている。
たとえカレルの傍を離れても、城にはいられなくなったとしても、マリエはカレルを想い続けるだろう。そして変わらぬその想いこそが、これからのカレルを支えていくことにもなるだろう。
あるいはお互いに――マリエもまた、傍にはいないカレルの想いを支えに生きていくことになるのかもしれない。
そうして離れてしまっても、互いに想い合い、支え合う二人を、もしも家族と呼んでいいのなら。
「とても嬉しいお言葉をいただきました、殿下……」
マリエは感無量で、カレルの胸にそう囁き返した。
カレルは腕に力を込めて、マリエをぎゅっと抱き締める。
「当然のことを言ったまでだ」
「それでも嬉しゅうございました。幸せな気分にございます」
心中を打ち明ければ、カレルもまた胸の内を明かしてくる。
「私はな、マリエ。心では既に、お前を妻だと思っておるぞ」
次に続いた言葉は、マリエにとって予想外に過ぎた。
弾かれたように面を上げれば、青い瞳は思いのほか真剣にマリエを捉えている。
「立会人の下で愛の宣誓をし、お前も同じ思いであると返事を受けた。そして口づけを交わした。これで夫婦ではないというならおかしな話だ」
確かにそれは、求婚の手順には則っている。『求婚入門』にもそうあった。
だが――。
「それに私の父にも会ってもらった。お前の親にはまだだが、それも近いうちに叶える。どうだ、我々はとうに夫婦であろう」
カレルが真面目に言い切ったので、マリエはその腕の中で困り果てていた。
「で、殿下、お言葉ですがそれは――」
「何だ、マリエ。私の意見に異を唱えるか」
口調こそ本気に聞こえたが、次の瞬間、カレルの口元にはからかうような笑みが浮かぶ。
「まさか、私の気持ちを弄んだのではあるまいな?」
「そんなことは、決して……」
「では、私と夫婦になるのが嫌なのか?」
「いいえ!」
力いっぱい否定をした後、自らの声の大きさにマリエは頬を赤らめた。
慌てて言い添える。
「ただ、夫婦とは結婚という儀式を経てこそ、成立するものと存じておりました」
「お前は頭が固いな、マリエ」
カレルはそれを明るく笑い飛ばした。
「だが思うのは自由であろう。私にとってのお前は影であり、支えであり、私の日々を守る者。そして最愛の存在だ。たとえ大勢が認めなくとも、私にとってのお前は妻だ。他に当てはまる呼び名が思いつかぬ」
二人の間にあるものが、揺るがしようのない事実だとしても。
思うのは自由だというなら、二人は互いの心の中で、夫婦にも、家族にもなれるだろう。
マリエが、カレルの言葉を胸で噛み締めていれば、
「日が落ちてきたな」
カレルは窓に視線をやって、それからふとその目を眇めた。
「あれは……幻日だな。美しいものだ」
つられてマリエもそちらを見やれば、窓越しに日暮れの冬空が見えた。
雲間を透かす目映い太陽と、同じ高さに浮かんでいるもう一つの、小さくも同じくらい目映い光。太陽が二つあるような幻想的な眺めに、二人は深い溜息をつく。
「冬ならではの眺めでございますね」
「ああ。あれが何かの前触れなどと申す者もいるようだが」
カレルは頷いた後、やはり明るく言い切った。
「冬の度に見られる珍しくもない事象で吉凶を占うなど無意味なこと。それよりもあの美しさを楽しんだ方がよい」
やはりマリエの主は迷信を疎んでいるようだ。
しかしその思い切りのよさこそが、今はマリエを心地よく温め、明るい気持ちにさせてくれる。
「では、あの幻日と雪うさぎの一家が立会人だな」
ふと思いついたようにカレルは言い、
「結婚の儀式をしよう、マリエ。これが誓いの口づけだ」
言うや否や、窓越しに幻日を眺めるマリエの顎を掴んで、強引に唇を奪う。
虚を突かれたマリエはろくな反応もできず、唇が離れた後も呆然とカレルを見上げていた。主の顔には大人びた、凛々しい笑みが浮かんでいる。
「私は生涯、お前だけを想い続ける」
カレルは言う。
「だからお前もその胸に刻め。お前こそが私にとって唯一の存在であると、一片の疑りもなく信じているがよい」
熱を帯びた愛の言葉に、マリエも顔を火照らせ頷いた。
「信じております、殿下。わたくしも生涯、殿下だけをお慕いしております」
「そうでなければ困る。お前を誰にも取られたくはない」
満ち足りた様子のカレルが、もう一度マリエに唇を寄せる。
今度は待ち構えるように瞼を閉じたマリエだったが――唇が重ねられるよりも早く、遠くから足音が近づいてきた。
「……ミランが戻ってきたようだな」
カレルは笑いながらぼやき、目を開けたマリエに小声で告げた。
「ならば続きは今宵だ、マリエ」
それでマリエはカレルの腕の中、雪のうさぎのように固まった。
雪と違うのは熱を持った頬と、ぎこちなくだが頷いてみせたその仕種くらいのものだろう。
弟が部屋に入ってくるまでに、この頬の火照りを冷まさなくてはならない。
カレルが腕を解いた後、マリエは慌てて窓辺に身を寄せ、そこから微かに漏れ出る冬の空気に当たることにした。だが一向に冷める気配はなく、これではミランが察するのも仕方がないと心底思う。
窓の外では沈みゆく太陽と、寄り添う幻日が輝いている。
冬のささやかな儀式の後、その美しい冬の空が、いつまでもマリエの目に焼きついていた。