Tiny garden

ささやかな冬の儀式(2)

 冬は、終わりと始まりの季節だ。
 この国の暦においても年末と年始は冬にあり、そして新しい年の始まりは盛大に祝われる。

 年が明けると、城には年始の挨拶を望む貴族たちが続々と訪ねてきた。
 例年通りならそういった表敬には国王フランツが応じるのだが、今年はその役目をカレルも共に負うこととなった。カレルも既に十九歳、将来の王位継承に備え国事に慣れよという意図があるのだろう。こと王子殿下は社交の場に赴くことを苦手としているので、そういった技術を鍛えるようにと国王直々の指示が下ったのだ。
 しかしそこは成長目覚ましいカレルのこと、表敬を受ける際の堂々たる態度は見事なものだった。数日間の年始の儀式を、フランツの隣で立派に務め上げたのをマリエも傍らで見守った。

 そして表敬というなら、やはり彼女も姿を見せた。
「国王陛下、カレル殿下、謹んで新年のご祝辞を申し上げます」
 城の応接の間に招かれたルドミラ嬢は、緊張の色も見せずお辞儀をした。
 本日の令嬢は上品な紫色のドレスを身にまとっている。首の詰まった型のドレスは肌の露出もほとんどなく、神聖な色ともあいまって一層冴えた美しさに見えた。普段は結い上げたまま尻尾のように揺らしている髪も、今日は丁寧にまとめて一糸のほつれもない。
 彼女の傍らにはルドミラの両親もいて、二人とも実に誇らしげな面持ちをしている。マリエがルドミラの母親の顔を見たのはこの日が初めてだったが、その麗しい貴婦人ぶりはルドミラの二十年後を思わせた。
「ルドミラ嬢。あなたはカレルの数少ない友人と聞いた」
 フランツが声をかけると、ルドミラは恭しく頷く。
「はい、陛下。日頃より殿下のご厚誼にあずかり、大変光栄に存じます」
「あなたの叡智は私にとってのよい刺激になる。今後もよき友人としてあれたらと思う」
 カレルも満面の笑みを浮かべて告げ、それには令嬢もくすっと笑った。
「こちらこそ、今後ともご厚誼くださいますようお願い申し上げます」
 恐らくそれを最上級の評価と見たのだろう。国王や王子と言葉を交わし合うルドミラに、彼女の両親は非常に満足そうだった。

 だが堅苦しいやり取りも、大人の目が逸れればすぐに雲散する。
「……殿下、マリエ、少々よろしくて?」
 挨拶が済んだ後、ルドミラは声を潜めてカレルとマリエを呼んだ。
 国王フランツはルドミラの両親に、応接の間の調度を鑑賞させているところだった。カレルとマリエが歩み寄ると、ルドミラは帯同させていた小間使いを呼びつけ、手のひらに乗るくらいの小瓶を差し出させた。
 胡乱げな顔をする小間使いを下がらせた後、ルドミラはマリエに小瓶を手渡す。
「こちらはお見舞いの品よ。あの小さな近侍さんに」
 小瓶の中身はとろりとした琥珀色の液体だった。
「蜂蜜か?」
 見抜いたカレルが問いかけると、ルドミラは首肯した。
「ええ。喉によいものと言えばこれですもの」
 どうやら彼女はミランの為に、蜂蜜を手土産として持ってきてくれたらしい。その優しさに、マリエはいたく感激した。
「ありがとうございます、ルドミラ様」
 小声で感謝を述べた後、しかし一つの疑問が過ぎる。
 それはカレルも同じのようで、すかさず問いを重ねた。
「なぜあなたが、ミランが喉を痛めていると知っている?」
 するとルドミラは歳相応のはにかみ笑いを浮かべる。
「手紙で知らせを貰いましたの」
「手紙だと? 私は出してはいないはずだが」
「わたくしは他の殿方とも文のやり取りをしておりますのよ」
 ルドミラは明言を避けるように睫毛を伏せたが、カレルの目はあっさりと応接の間の片隅を射抜いた。
 そこに直立不動の姿勢で立つ、近衛隊長を睨んで唸る。
「彼奴が文のやり取りを? あの逞しい指でどんな名文を捻り出すというのか、全く想像がつかぬ」
 マリエも内心では同意を寄せた。そもそもアロイスの屈強さを見れば、小さな机に向かってペンを取る姿すら想像がつかない。
 だがルドミラは我が事のように胸を張る。
「あの人には才藻がありますの。ご存じないなんてもったいないですわね」
「才藻……!?」
 カレルは大声を上げかけて、すんでのところで堪えてみせた。
 それでも驚きは強く、白金色の髪が逆立ちそうな勢いで頭を振る。
「では私も、彼奴に命じてみるか。試しに一篇吟じてみせよと」
 警護に当たるアロイスは、当然ながら何も言わない。眉一つ動かさずに立っている。
 だがルドミラがそちらを見た時、一瞬だけ何か言いたげに目を細めた――ようにも、マリエには見えた。

 ルドミラの心遣いは、その日のうちにミランの元へと届けられた。
 湯に溶かした蜂蜜に生姜を加えて飲むと、喉の痛みが和らぎ、更には身体が温まってよく眠れるようになる。マリエはその通りに作ってミランに与えた。
「美味しゅうございます、ねえさま」
 自室で蜂蜜生姜湯を飲んだミランは、まだかすれた声でそう言った。
「治りましたら、ルドミラ様にもお礼を申し上げなくては」
 微かに微笑んだ表情は、しかしどことなく浮かぬ様子だ。
 体調が悪いわけではないと本人は言う。以前のように咳が出ることもなく、喉の違和感が残っている程度らしい。だがミランはこの頃めっきり口数が少なくなっており、マリエの心配は募る一方だった。
 ひとまず近侍の務めには戻っているが、客人のある時は大事を取って席を外すようにしている。
「やはり、診ていただく方がいいのではありませんか」
 気が気ではないマリエは、少し語気を強めて申し出た。
「皆様にご心配をおかけしている以上、ずるずると長引かせるのはよくありません。まずは原因を突き止める為にも、お医者様にご相談いたしましょう」
 侍医を怖がる気持ちはわからなくもないが、ミランが初めに咳をしてからもうじき半月になる。これでミランが抵抗を示しても、いざとなれば背負ってでも連行するつもりでいるマリエだった。
 そんな姉の不退転の意思が伝わったか、
「……はい」
 不承不承といった様子で、それでもミランは顎を引く。
「ねえさまにも、これ以上ご心労をおかけするわけには参りませんから……」
 しかしその声は消え入りそうだ。普段は年齢よりも大人びて見える顔立ちに、今は恐怖の色が浮かんでいる。
 マリエは安心させるように、ミランの頭をそっと撫でてやった。
「大丈夫ですよ」
 そして優しく言い聞かせておく。
「お医者様も、おりこうにしている子には優しいものです」
 かつて、侍医の前に引きずり出されて『おりこう』にしていられなかった少年のことを知っている。
 彼の甲高い悲鳴が城内に響き渡るのを、当時、マリエも悲痛な思いで聞いていた。
 ミランならばああまではならないだろう――そう思うのは姉の欲目ではなく、マリエがまだミランの泣き顔を見たことがないからだ。当たり前のように姉弟らしく過ごしてはいるが、きょうだいが初めて顔を合わせてからまだ半年も経っていなかった。
「はい」
 今度は神妙に頷いて、その後でミランはぼそりと呟く。
「私も……実はその、気がかりでございました。声が、いつもと違う気がして」
 きっと不安なのだろう。弟の声は微かに震え、かすれて聞こえた。
「それもお医者様にご相談いたしましょうね」
 マリエはもう一度、ミランの頭を撫でて慰めた。

 だがその夜、一日の勤めを終えたマリエが向かった先は城の書庫だった。
 カレルには既に、ミランを侍医に見せる旨を伝えてある。優しい主も今日のうちに話を取りつけてくれ、明日の朝一番にミランを連れていく手筈となっていた。
 だからマリエがすべきことは、もうほとんどないようなものなのだが――案ずるとじっとしていられなくなるのがマリエの性分だった。ミランが患う症状について、いくらかでも知識を仕入れておきたいと思う。それは治療の為というより、自分と弟をそれぞれ安心させる為、なのかもしれない。

 底冷えのする夜だった。
 震える手で書庫の扉を開けると、暗闇と共に凍えるような空気が染み出してくる。マリエがついた息は真っ白で、ランタンの光の中に溶けるように消えていった。
 肩掛けを引き合わせながら書庫を進み、医学書の並ぶ書棚まで辿り着いた時だった。
 足音もなく書庫の扉が再び開き、
「マリエ殿、こちらでしたか」
 ランタンを手にしたアロイスが、こちらを見て声をかけてくる。
 まだ近衛兵の鎧を身に着けている――ということは、マリエのように務めを終えた後というわけではなさそうだ。ならば火急の用かとマリエは尋ねた。
「アロイス様。殿下に何か……?」
「いいえ、そうではありませんよ」
 問われたアロイスはそこで小さく吹き出した。
「ああ、しかし私に関して言えば、ちょうど殿下に無茶を言われてきたところでございます。私に詩を編み、吟じるようにと」
 それは日中のカレルとルドミラのやり取りに端を発した無茶だろう。
 カレルはアロイスの詩賦の才に大いに関心があるようだった。無論、マリエとて非常に気にはなっている。
「わたくしもアロイス様が編まれた詩を聴いてみとうございます」
 心底から思ってそう告げたのだが、アロイスには肩を落とされてしまった。
「恐らくあなただけでしょう、大真面目に話を受け取っているのは」
「……殿下も、真面目に仰っていると存じますが」
「いや。あの方は私をからかいたいだけです」
 きっぱりとかぶりを振るアロイスに、マリエは反論したい思いでいっぱいだった。
 だがそれより早く、彼の方が話題を変えた。
「ともあれ、用件は殿下のことではございません。――ミラン殿のことでございます」
 次に口にされた名前に、改めてマリエは身構える。
「弟が、何か……?」
 折しもミランの症状について調べに足を運んだところだ。アロイスがわざわざマリエを訪ね、折り入って話をするというのであれば、軽い話題というわけでもないのだろう。
「ここは冷えますから、手短に済ませましょう」
 アロイスはそう前置きし、マリエがごくりと喉を鳴らした直後、
「彼は、変声期を迎えているのではないでしょうか」
 と続けた。

 弟について、よくない可能性は考えたくなかった。
 それでも恐る恐る覚悟を決め、何を言われてもせめて倒れないようにと床を踏みしめていたマリエに、アロイスが告げた言葉は実に予想外のものだった。

「つまりは声変わりの時期です」
 アロイスはうっすら髭が伸びてきた顎を撫でる。
「隊の者に、かつて似たような症状が出た者がおりまして。いえ、もう十年以上も昔の話だそうですが、ミラン殿の様子とよく似ていると申し出てくれたのです」
 それから苦笑いを浮かべて言い添えた。
「さすがに私自身の記憶は曖昧模糊としておりますが……殿下のお声が変わられた頃のことならよく存じております。あなたもそうでしょう?」
 そう問われたのだが、マリエにとってカレルの変声期は近年の出来事でありながら曖昧な記憶となっている。
 声変わりといっても何かを境に切り替わるわけではない。時間をかけてじりじりと変わっていくようなもので、マリエにとって毎日顔を合わせるカレルの変化を漏れなく感じ取るのは難しかった。むしろ背丈の変化の方が、服を作り直さなければいけない分だけわかりやすい。
 それにあの頃のカレルは、身体よりも精神面の変化の方が大きかった。
 着替えに手を貸すことや湯浴みの手伝いをすることを拒まれるようになった。その時のやり取りはマリエもはっきり覚えている。近侍としての務めを不要とされて、少なからず衝撃を受けたからだ。
 だが、たった今受けた衝撃も決して軽いものではなかった。
「あの子が、声変わりを?」
 マリエは愕然として呟く。
「でも……ミランはようやく十一になるところでございます」
「早くはありますが、早すぎるほどではございません」
 アロイスは冷静に応じた後、少しだけ笑った。
「いつまでも子供というわけではないようですね、彼でさえも」
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