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絶対服従

 手紙には、丁寧な文字が並んでいた。
 インクの染み一つなく整然と綴られた文章は、線が細く淑やかな筆跡をしていた。いかにも婦人が書いた文字に見えることだろう。
 しかしその文字が綴るのは、伊達男のような気取った愛の言葉だった。

 ――離れがたい。その思いが我が胸にある。
 最愛の君が傍になく、手を伸ばしても冷たい空気をかき抱くだけの日々は想像を絶する。君が常に私の傍らにあってこそ、互いに幸いなのだ。
 君は私の太陽だ。
 そして私は、眩しい陽光を浴びてこそ生きられる夜空の月だ。
 いかに運命が非情で、残酷であろうとも。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで共に寄り添い生きていこうと誓おう。抗えぬ時の流れの強さによって引き離されてしまっても、決してその運命を享受したりはしない。
 改めて誓おう。たとえ遠く離れても、我々の心は常にひとつだ。どこにいようとも私は日々君を想う――。

「何だ、これは」
 手紙にしたためられた熱烈な文句を、カレルは訝しげな顔で眺めていた。途中で読むに堪えなくなったのだろう、目を背け、かしずく近侍を見遣る。
 マリエは顔を上げず、しかし得意げな内心を隠しきれない口調で答えた。
「懸想文でございます」
「懸想文だと?」
 白金色の髪を揺らして、カレルが口元を引き攣らせる。
「はい。殿下が、想う方へ送る為の懸想文でございます」
「私が?」
 そこでカレルはもう一度、マリエから手渡された手紙を読み返した。だがやはり途中までしか読めずに、うんざりした表情で視線を逸らす。
「これはお前が書いたのか」
「さようでございます、殿下」
「私にこれを、どこぞへ送りつけろと申すのか」
「さようでございます」
 恭しい態度で、マリエは顎を小さく引いた。
 次の瞬間、カレルはその手紙をくしゃくしゃに丸め出した。そして渾身の力を込めて屑籠へと放り投げる。叩きつけられた手紙は硬い音を立てて、屑籠に収まった。
 マリエは反射的に顔を上げていた。徹夜で仕上げた懸想文は最早見る影もなく、カレルの表情も憤懣やる方ないといった様子だ。黒髪を覆う頭巾の下、マリエは顔を強張らせながら恐る恐る尋ねた。
「ご期待に添えませんでしたか、殿下」
 カレルも一つ息をつき、思いのほか静かな声で応じる。
「済まない、気が立っていた」
「いえ、わたくしの方こそ至らぬばかりで、お詫び申し上げます」
 マリエには慣れたことだ。カレルは十八にして聡明な王子だが、未だに幼いところがある。幼少のみぎりより彼を知っている者として、たまに見せる少年らしく直情的な振る舞いは、むしろ可愛いものだった。
 カレルもマリエには全幅の信頼を寄せており、だからこそ本心を遠慮なくぶつけてくるのだと、マリエも十分に知っている。
「しかしあの手紙は、どういうことだ」
 眉根を寄せるカレルが問い質してきた。
 すかさずマリエも微笑んで、意気揚々と答える。
「先日、殿下に打ち明けていただいたお話、わたくしにも何か力になれることはないかと考えておりました。殿下の想う方へ、殿下のお心を伝える手だてはないものかと、そこで……」
 と、そこまで言いかけたところで、カレルは軽く手を挙げた。
「いや、待て。想う相手がいると言ったのは確かだが、そこでなぜ、お前が文をしたためる?」
「力添えしたいと思ったからでございます、殿下」
「あの酷い文で、私に力添えが出来ると思うのか」
「……申し訳ございません」
 マリエは詫びたが、カレルの表情には失望が広がっていた。屑籠に視線を転じ、やがて深く嘆息してみせる。
「あのような歯の浮く文句を並べ立てたところで、喜ぶ女がいるとは思えぬが……マリエ、お前ならああ言われるのがうれしいのか」
 水を向けられた若い近侍は、困惑の色を隠さずに答えた。
「わたくしにはわかりかねます、殿下」
「なぜ」
 切り返したカレルは、眼差しに蔑むような気配を忍ばせている。
「お前があのような浮かれた文を臆面もなく書くことが出来たのは、過去にそんな文を貰ったことがあるからではないのか。さぞかし熱烈な口説き文句を、方々で貰い歩いたのだろうな」
 仕える対象からの蔑みの言葉は、少なからずマリエの心を打ちのめした。決まり悪さに頬を赤らめ、ぼそぼそと、正直に返答した。
「いえ、殿下。わたくしはそのような……」
「違うのか?」
「はい、畏れながら申し上げますと、あの文は書物を引いて認めたものでございます」
 マリエは項垂れたが、カレルの反応は対照的だった。まるで安堵したように口元を緩め、こう言った。
「そうか。私はてっきり……」
 そこで軽く咳払いをして、言い直すように続ける。
「いや、ともかくだ。いかような書物をひもといたのかは知らぬが、とんだ駄作であったぞ」
「申し訳ございません、殿下。かつて一人の女性に、一身に愛を捧げた詩人の言葉を借りたのでございます。しかしながら殿下のご期待には添えず、何とお詫び申し上げてよいのか……」
「お前はいささか、気を回し過ぎるきらいがある」
 カレルが笑んだまま睫毛を伏せる。
 そうして小さくかぶりを振ると、白金色の髪がさらさらと揺れた。
「私は想う相手がいると言ったまでだ。お前に何かをしろと命じたつもりはない。ただ黙って、心の内に留めておいてくれればいい」
 その時、王子の面差しは暗く陰っていた。
 一国の世継ぎとして生を受けたカレルには、婚姻の自由などない。想う相手がいたとして、その想いを告げることも、想う相手と結ばれることも叶わぬかもしれない。相手の身分次第では永遠に潜めておかなければならない想いになり得る。

 主の内心を慮り、マリエもまた胸を痛めた。
 マリエの家系は代々王家に仕えるよう定められており、マリエ自身もカレルが幼い頃から身の回りの世話をしてきた。たった三つ違いの二人は、かつて姉と弟のように接していたことすらあった。
 現在でもカレルはマリエを信頼し、そして先日、胸中の秘密を打ち明けてくれた。
 そこで昨夜、マリエは自分なりにできることを模索した挙句、書物をひもといて慣れない美辞麗句を文にしたためた。カレルの想いが成就することを、まだ見ぬ夫人に伝わることを願う一心で綴った。
 しかし今、全ては屑籠の中だ。
 マリエの忠心も、カレルの本心も、何もかも。
 きっとそうしなければならなかったのだろう。自らの浅はかさをマリエは恥じた。
「下がれ」
 カレルがごく穏やかに、しかし有無を言わさぬ調子で告げた。
 マリエはすっかり意気消沈し、王子の居室を後にした。主がどのような表情で年上の近侍を見送ったのか、目にすることもなかった。

 翌日になって、マリエを呼びつけたカレルは、皺だらけの紙切れを手渡した。
 それは前日マリエがカレルに手渡した懸想文であり、くしゃくしゃに丸めて屑籠に放られたはずのものだった。
 しかし手紙には懸命に皺を伸ばした形跡があり、カレルの気まずげな表情を見るに、詫びるつもりで取り出したのだろうと察せられた。
「重ね重ね申し訳ございません、殿下」
 マリエは心から詫び、皺だらけの手紙を懐にしまい込んだ。
「そうだな」
 頷いたカレルは、ふと切なげに青い瞳を揺らした。
 それからぼやくような声で告げてくる。
「その手紙は全く効き目がないぞ、マリエ」
 予想だにしない言葉に、マリエは思わず瞠目した。
「殿下、この手紙を……どなたかに、送られたのですか」
「ああ」
 カレルが頷くと、マリエは更に驚いた。
 駄作と詰られ、くしゃくしゃに丸められて皺だらけになり、一度は屑籠に放られたはずの文だ。それを一体どこの婦人に送りつけたというのだろうか。
 いかに王子が年若く、婦人の扱いに不慣れだとは言え、さすがに礼を失した振る舞いだと言わざるを得ない。こんな皺くちゃの手紙を貰って、喜ぶ婦人がこの世にいるとは思えない。たとえ相手がカレル王子であってもだ。
「しかし何の効果もない」
 そう言ってカレルは肩を落とす。
「その女は文を読むどころか、広げもせず懐にしまい込んでしまったのだからな」
 やはり、そうなるだろうとマリエは思った。

 その後でふと、首を捻った。
 送られた女性が懐にしまったはずの文が、どうして今、自分の懐にあるのだろう。
 絶対服従を誓う身では迂闊に尋ねられず、結局、押し黙ってしまったのだが。
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