Tiny garden

星が降る日まで(6)

「志筑さん、頼みがある」
 単刀直入に、早良は尋ねた。
「もし、いい店を知っていたら教えてくれないか。あまり堅苦しくない、子どもを連れて行けるようなところを」
 やぶからぼうの問いに、当然、史子も戸惑いを見せる。
『え? 珍しいわね、早良くんが私に頼み事なんて』
「あ、いや、だから。仕事で使うんだ。そういう付き合いの相手を誘うから……君ならいろいろ詳しいかと思って」
 早良は既にしどろもどろだった。史子がどう思ったかはわからないが、彼女は少し思案するような間を取った後、至って真面目に応じてくれた。
『そうね。少しは知ってるけど……』
 そして確かめるように聞き返してくる。
『お酒を飲むようなところ、ではない方がいいのよね?』
「ああ。子ども向けの店がいい」
『子どもって言うけど、連れて行くお嬢さんっておいくつくらいなの?』
 連れて行く相手が女の子だと言った覚えはないのに。史子の言葉に心をかき乱されつつも、一応正直に答えた。
「大学生だ」
 すると、通話先では奇妙な沈黙があった。
 早良が眉根を寄せると、やがて史子の怪訝そうな声が聞こえてきた。
『……大学生って、子どもって言うのかしら』
 彼女はまたも笑っていた。
「子どもじゃないか」
 即座に早良は抗弁する。
「どこからどう見たって子どもだ。あの子は十代、未成年だからな」
『そう? 大学生の女の子を指して子ども、なんて言ったら、ちょっと失礼じゃない? いくら早良くんでも怒られちゃうかもしれないわよ』
 史子は笑いつつも、たしなめるような物言いだった。そんなものだろうかと、早良は全く腑に落ちない。
「大学生なんて卒業するまでは子どもの扱いでもいい。学生の身分で大人だなんて言ってたらおかしなものじゃないか」
『そんなことないと思うけど……。今は十代でもとびきり大人っぽい女の子だっているもの』
 確かに史子の言うとおり、外見年齢には個人差がある。十代のうちから大人っぽい者もいれば、二十代になってもあどけなさの失われない者もいる。
 果たしてあかりはどうだっただろう――記憶を手繰るまでもなく、直前まで会っていた面差しを思い出せた。時々大人びた表情や、気遣わしげなふるまいこそ取るものの、あかりはまだ幼い娘だった。垢抜けなさが余計にそう見せているのかもしれない。もう少し着飾り、化粧でもすれば、多少は大人のように見えるのかもしれないが、そこまでは早良の関与するところでもない。
「それならますます問題ない。大人っぽいどころか、見た目はまだまだ幼くて、高校生と言っても問題ないくらいの娘だ」
 きっぱり言ってのけた早良に、なぜか史子が溜息をついてみせた。
『早良くん、そうは言ってもね。子ども扱いされて喜ぶ女の子ってあまりいないと思うの』
「……そうなのか」
 覚えがあり、ぎくりとした。
『当たり前でしょう。十代後半の頃なんて、一番背伸びしたがるような年頃だもの。あんまり失礼なことを言っては駄目よ、早良くん』
 言われて早良は唇を結ぶ。史子に説教でもされている気分で、はなはだ不快だった。しかし過去に幾度となく、あかりのことを子ども扱いした経緯もあるので、何とも身の置き所がない。
『可愛い子なの?』
 その拍子、史子が尋ねてきた。
 早良は一瞬、生真面目に答えを考えかけて――慌てて止めた。取り澄まして答える。
「どうだろうな。客観的に見れば、まあ平均的と言ったところじゃないだろうか。でも、あくまで仕事上の付き合いだから、その辺りは別にどうでもいい。気に留めたこともない」
 実際、どうでもいいことだった。あかりが可愛かろうが、美人だろうが、彼女に対して抱いた印象はあまり変わらなかっただろう。顔立ちはさほど問題でもないはずだ。時々大人の顔をされるのが気に食わないが、ともかく客観的に見ても可愛いのかどうかはよくわからない。だからどうでもいい、と早良は思うことにした。既に十分すぎるほど気に留めている事実からはあえて目を逸らした。
『ふうん……』
 意味深長な史子の声は、どうやら納得していないようだ。
 これ以上追及されれば、どこからぼろが出るかわかったものではない。早良は話題を戻そうと必死になった。
「とにかく、君に頼みたいのは、そういう娘を連れて行けるような店のことだ。もしいいところを知っていたら教えて欲しい」
『ええ、わかったわ。何件か当たりをつけてメールで送るから』
 史子は快く、その頼みを引き受けてくれた。頼もしい、と初めて思った。
 無闇に他人を頼ることなど、これまで考えもしなかった早良だ。史子を頼もしいと思うことにも違和感を覚えた。それでも、きちんと感謝を伝えることは忘れなかった。
「ありがとう、助かるよ」
『気にしないで。このくらい、お安いご用よ』
 そう言った後で、ふと史子が声を落とした。改まった様子で言った。
『ねえ、早良くん』
「何?」
『私は、あなたの味方よ』
 史子は、私は、という言葉に力を込めるように、そう言った。
 ちらと胸裏を不安が過ぎった。
『味方なんて言うのも、おこがましいかもしれないけど……。私は早良くんのこと、応援するから。もし、デートをするような相手が出来たのなら、いくらでも協力するから声を掛けてね』
 早良は反応に困った。これも、ありがとうと言うべきなのだろうか。
 少し考えたが、しかし答えは出せなかった。早良が何か返す前に、史子が続けた。
『私たちは今、少し難しい立場にいるけど。でも、誰が何と言おうと、私は早良くんの気持ちを一番に考えたいの。何よりも私たち、友達でしょう?』
 友達。空虚に聞こえるその言葉を、早良は複雑な思いで受け止める。早良がどう感じようと、史子は心底からそう告げているのだとわかる。わかるからこそ余計に複雑だった。
 友達と呼べる相手がいなくなってから久しい。史子をそう思えるかと問われたら、かぶりを振るだろう。やはり健全な心ではないと自覚している。
 しかし、史子が頼れる相手だというのも確かだった。ことこういう問題――史子の言うようなニュアンスではなく、あくまで若い娘を食事に誘うという事実のみにおいては、早良よりもずっと頼れる存在だろうと思えた。
「ありがとう」
 早良が言うと、史子は優しい声で答えた。
『ええ、いつでも声を掛けてね。じゃあ、後でメール送るから』
「あ――志筑さん。君の用事はいいのか?」
 電話を掛けてきたのは彼女の方ではなかったか。そう思い、早良は問いかけたが、電話越しに聞こえてきたのは朗らかな口調。初めとは打って変わった声だった。
『ううん、私は……こちらのことはいいの。また今度にするわ』
 何か用があったのは間違いないようだ。しかし史子はそれを明かさず、早良にも詮索までする気はなかった。


 電話を切ってから、早良は長い溜息をつく。
 あかりと別れた直後の物憂さは、嘘のように鳴りを潜めていた。もちろん史子のように朗らかな気分にこそならなかったが、落ち着いた心境で自分を見つめていた。
 フロントガラスに広がる闇に、うっすらと面差しが映り込む。面白みのない、真面目くさった表情。この顔がよいのだと言う人間もいるらしいが、どこがよいのか早良自身にはまるで理解出来ない。笑みを作ればまた違ったように見えるのかもしれない。しかし、今は装う気がしない。
 この顔も、彼女の目にはよく映るといい。――決して誉めそやされたい訳ではなく、ただよい印象として、信用の置ける人間として映ればそれでよかった。

 一つの答えが見つかったように思う。
 史子との会話の中にそれはあった。否定したかったが、一方で否定することさえ馬鹿げているようにも思った。それはある種の事実だ。それだけが正しいと言う訳ではないが、正答のうちの一つではあった。
 あかりのことを、いつか史子に話すようになるだろうか。史子がそう申し出たように、持ちかける日が来るだろうか。
 この先に起こり得ることはまだ何もわからない。この先自分の気持ちが、どのように変化していくのかも。もしかすると全く変わらないかもしれない。だが、そう思っていたにもかかわらず、今日までにも大きく変貌を遂げてきた感情に、見て見ぬふりが出来るはずもない。これからも変わりゆくだろう心を、こうして黙って見つめているより他ない。
 だから。
 だから、早良は思う。

 心の向かう先へと、もう一度身を任せてみよう、と。
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