月に願いを

 ひかりと私は、小さな頃からの親友だ。
 出会いは小学校の入学式。初めての登校中に、お互い一張羅のワンピースとぴかぴかのランドセル姿で顔を合わせた。それ以来の仲だ。
 よく他の子からも指摘された通り、性格はまるで違う。身体を動かすのが大好きで、誰とでも社交的に接するひかりと、運動嫌いで交友関係を広げる気はさらさらない私は、ほとんど対照的と言ってもいい。もうかれこれ十三年の付き合いになるけど、たまに喧嘩をしつつもここまで仲良くやってこられた理由は、正直よくわからない。
 ただ、私はひかりが好きだ。
 名前の通りに『光』みたいな明るさ、ひたむきさ、突拍子もない感性で物を言うところ、さっきまで落ち込んでたかと思えば五分後にはげらげら笑ってるようなところも、全部。

 そしてひかりも、私をずっと好きでいてくれた。
「温海さんに会って欲しいんだ」
 彼女がそう持ちかけてきたのも、この長年の友情の証みたいなものだろう。気がつけば私たちは揃って二十歳になっていて、ひかりは大学生だったし、私は美容専門学校の卒業と東京での就職を決めていた。ひかりと出会ってから十三年、初めての別離が近づきつつある頃のことだった。
「別に構わないけど」
 私は二つ返事で応じた。

 長い付き合いにもかかわらず、ひかりは『温海さん』という名の彼氏をなかなか紹介しようとしなかった。
 二人が付き合い始めたのは、私たちが高校一年の頃だ。それからゆうに四年が過ぎ、その間ずっと私は『温海さん』なる男のことを何も知らなかった。ひかりより十二歳も年上だということと、現在は市内で働く会社員であること、とても優しい彼氏であることくらいしか知らない。
 写真なら何度か見せてもらった。イケメン、男前、ハンサムと男性の容貌を褒める単語はいろいろあるけど、温海さんは美形としか言い表しようがなかった。年齢を感じさせない整った顔立ち、眼鏡の似合う細面の彼は、写真だとまるで非現実的な存在に映った。中性的というか、草食系っぽいというか、浮世離れした美形というべきか――そのまま伝えたら、ひかりは訳知り顔で言った。
「みっちゃんは肉食系の方が好きだもんね」
「……今は私の話じゃないから」
 私の異性の趣味なんてこの場合はどうでもいい。
 そしてひかりが長らく彼氏を紹介してくれなかった理由も、彼氏が素敵すぎて心配だから、ということでもないらしい。
「会わせたくなかったわけじゃないんだ」
 と、ひかりは言いにくそうに弁解する。
「ただ、ちょっとおおっぴらにできない事情があってさ」
「何それ。訳ありだなんて言うんじゃないでしょうね」
「ま、まあ、ある意味そうかも……」
 いつもはきはき喋るひかりが、この件だけは妙に歯切れが悪くなる。
 親友に秘密を作るなんて、とか粘っこい友情を主張したがる時期はとっくに過ぎてしまったけど、私だってこの件に関しては疑問を残したままにしておきたくなかった。
 何せ大好きなひかりの彼氏だ。こっちはそれこそ付き合い始めた当初から『信用できる男なのか、騙されてやしないのか』とやきもきしてきたし、そのお付き合いが秘密裏のまま何年も継続されてきた今となっても、やっぱり気になってはいたのだ。我が親友を任せるに足る男かどうか見てやらないと、おちおち東京にも行けやしない。
「秘密は守るから、心配しないで」
 私が言うと、ひかりは信頼しきった様子で頷いてくれた。
「ありがと、みっちゃん。あのね、実はね――」

 そこで私は『温海さん』について、衝撃の事実を知った。

 温海さんとの顔合わせは、私たちの母校近くのカフェ・ノスタルジアで行われた。
 私とひかりが高校時代、お小遣いの許す限り通っていたカフェだ。私はいつも無糖のカフェラテとタルトフレーズを注文していた。だけど久々の来店となった今日、さすがにケーキを頼む余裕はなかった。
「はじめまして、藤井さん。温海と申します」
 テーブルを挟んで斜め向かい、温海さんは私に深々と頭を下げた。
 写真で見た通りの、眼鏡の似合う細面の青年だった。三十過ぎには見えないタイプの、どこか儚げな美形だ。もっと昔は確かに世間を騒がせる美少年だったのだろうと推測できる。
「はじめまして……藤井です。ひかりからお話は伺ってます」
 私も下げ返しつつ、だけどまだ、現実として受け止めきれていない。
 目の前にいる人が、あの『ヒロ』だなんて。
 さすがに彼らのことを何もかも鮮明に覚えているわけじゃない。少なくとも温海さんの顔を見て面影を辿れるほどの記憶もなく、覚えているのはよく耳にしていた彼らのデビュー曲くらいで、サビのフレーズを思い出す度に何とも言えず甘酸っぱい気分になってしまう。
 だけど彼らがテレビから消えた後、どんな人生を送り、今は何をしているか。そういうものに思いを馳せたことはなかった。
 その答えがひかりの彼氏、というわけだ。
「みっちゃん、緊張してる?」
 なぜか私の隣に座るひかりが、楽しげに顔を覗き込んできた。
「当たり前でしょ。初めて人と会うのに緊張しない方がおかしい」
「大丈夫だよ、温海さん優しいから」
 ひかりの言葉は惚気というわけでもなかったようだけど、温海さんは少し照れたようだ。
「実は僕も緊張しているんです。ひかりさんの大切なお友達ですから、きちんとご挨拶をしなければと思いまして」
 それを聞いて、随分腰の低い人だと思う。
 彼の身の上はともかく、十二も年上の男の人だというのに、温海さんの私に対する態度はとても礼儀正しい。ひかりのことを語る口調も優しくて、彼女を対等な恋人として尊重しているのが窺えた。
「でも、みっちゃんと温海さんは厳密には『はじめまして』じゃないよね」
 ひかりは至ってマイペースに言った。
 その言葉は事実らしくて、私は過去に一度、温海さんと顔を合わせているらしい。ひかりもまだ知り合う前、二人でタイムカプセル探しをしていた時に出会った、パジャマ姿の男の人――と言ってもその時の記憶は『正月の昼間から何だこの人』というものでしかなく、もちろん顔だって覚えていない。
「その節はありがとうございました。タイムカプセル、見つけてくださいまして」
 何年か越しのお礼を告げると、温海さんは眼鏡の奥の瞳を細めた。
「お役に立てて何よりです。お二人の大切な思い出、戻ってきてよかったですね」
 そう、タイムカプセルは温海さんのおかげで、私とひかりのところへ戻ってきた。
 紙の月のお願い事を、そのまま叶えようとするみたいに。
「あのおまじないが本当に叶うなんて、ちょっと驚きです」
 私が言うと、隣でひかりが慌てた。
「まだ叶ったわけじゃないよ、みっちゃん」
 そうだった。ひかりのお願い事は『ヒロとけっこんしたい』だったから。
 だけど、ほぼ叶うと決まったようなものだろう。そうでなければ四年も付き合ったりはしないはずだ。
「僕も不思議な巡り合わせだと思います」
 温海さんが頷く。
「ですが、素敵なことだとも思っています。願ったことが叶う喜びは何物にも代えがたいですし、それを大切な人の為に、僕の手で叶えられるのならば一層素晴らしいです」
 それから温海さんはひかりに微笑みかけ、ひかりもはにかみ笑いを返した。
 まだ叶ったわけではない願い事は、やはり、これからちゃんと叶うみたいだ。
「なら、是非叶えてあげてください。その方が私も安心です」
 私が背を押すと、温海さんはもう一度頷き、至って真面目に言い添えた。
「藤井さんのお願い事も叶うかもしれないですね」
「あ、そっちは別にいいです……私の分まで、ひかりのお願い事が叶ったら」
 むしろ叶ったら困る。こっちはもう進路も決まっているし、子供の頃ほど芸能界に夢も見ていない。
 アイドルになりたかったなんて、今となっては捨てたい過去ですらある。
「えー、みっちゃんのだって叶っちゃうかもよ?」
 ひかりは未練でもあるのか、どこか不満げに私に縋った。
「諦めるのは早いよ、もしかしたらってこともあるって!」
「なくていいから。今更進路変える気なんてないし」
 あんたがアイドルになったら、温海さんだって困っちゃうでしょうが。
「いいからあんたは、温海さんだけのアイドルでいなさいよ」
 私が言うと、温海さんもくすっと笑って、
「そうですね。是非お願いします、ひかりさん」
 なんて続けたものだから、ひかりが珍しく赤面していた。
「そ、そっか……ですよね、頑張ります!」
 張り切ってるその顔は随分と幸せそうで、温海さんの前ではこういう顔してるんだって、私もしっかり盗み見てしまった。

 お互い、形は違えど夢ができたようだ。ひかりも私も頑張れたらいいと思う。
 その為にはどうしても、遠く離れてしまうけど。

 カフェでのお茶を終えた後、温海さんとはお店の前で別れた。
 私はそのまま帰るつもりだったけど、なぜかひかりも私の方についてきた。
「いいの? 彼氏と帰らなくて」
「いいの。だってみっちゃんとの時間、貴重だもん」
 泣かせることを言ってくれる。
 そしてその言葉通り、私たちに残された時間は残りわずかだ。春が来て、桜が咲く前に、私はこの街を離れる。
 小学校時代から中学高校とずっと一緒で、高校卒業後は別々の学校に進学して、それでも仲良しだった私たちに、初めての別れがやってくる。
 今はまだ、実感が湧かない。上京することにわくわくしてもいるし、夢が叶うことが嬉しくもあるし、不安だってちょっとある。だけどひかりと離れることだけは、まだ想像すらできない。
「巡り合わせって、本当にあるのかもね」
 家まで一緒の帰り道、私は温海さんが言った単語を口にする。
 紙の月に願うおまじない。あの頃こそ本気で信じていたけど、大人になってしまえばそれが叶ったことの方がやはり驚きだ。
 でもそれは、ひかりの運命が温海さんと繋がっていたからなんだろう。
「あたしは、運命って言葉だけじゃ納得できないけどな」
 ひかりは自分のことにも関わらず、そう言って首を捻る。
「やっぱりおまじないの力もあるよ。だってあたし、本気で願ってたもん」
 それは私だってそう。
 だけど叶うのはひかりだけで、私のは叶わなかった。もしもあれが本物のおまじないなら――私の願いを切り捨てる代わりに、ひかりのだけ叶えてもらえたのかもしれない。
 諦めずにタイムカプセルを探した、この子だけに。
「私のは叶わなくていいから、その分ひかりが幸せになってよ」
「えー、みっちゃんのも半分くらいは叶うよ。そう信じようよ」
「半分ってどのくらい?」
「アイドルにはならないけど、就職してからも何だかんだあたしと一緒にいる……とか?」
 それは本当に叶うといい。
 あの頃だって結局は、ひかりと一緒にいたくて願ったことだ。就職しても、遠く離れても、どちらかが結婚しても、何歳になったって、切れない縁であって欲しい。
「ほらほら、月が出てるよ。お願いしようよ」
 ひかりが指差す空はまだ昼下がりで、三日月は済んだ青色の中に白く、ぼやけて浮かんでいる。
 だというのに彼女は立ち止まり、わざわざ月に向かって手を合わせている。
「これからも、みっちゃんと一緒にいられますように!」
 二十歳にもなって、往来でそんなことをするのは恥ずかしい。
 ――けど、感傷的になっているんだろうか。気がつけば私もひかりの隣で、月に願いをかけていた。

 あの頃の、私のお願い事は叶わなくていい。
 ひかりの願いが叶うことを見届けさせてくれたら、それだけで。