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自己中執事と生真面目メイド(1)

 ――これで何人目になるのかしら。
 茶を淹れるかたわら、クラリッサは心中でぼやいた。

 応接室のソファーには見知らぬ顔の客人がいる。弔問に訪れたと見せかけて上がり込み、未亡人となったメイベルに熱心に語りかけている。
「つまりですな、奥様。ご主人様の病は、財を蓄え過ぎたことによる罰だったのですよ」
「……夫が、罰の下るような悪いことをしていたと仰るのですか」
 品性に欠ける連中を相手取っても、メイベルは気丈だった。老いても尚美しい顔立ちはここ一月ほどでめっきりやつれたように思う。もともと白髪混じりだった髪はすっかり真っ白に変わり果てていた。それでもこうして客人の応対を行い、レスター亡き後のこの家を切り盛りしている。
「お気持ちはよくわかります。ご主人様の振る舞いを悪事だとは奥様も思いたくないでしょう。それも人の業でございますとも」
 今回の客人は祈祷師と名乗った。指輪や首飾りでごてごてと飾り立てた、珍妙ないでたちの中年男だ。心底を隠し切れていない笑い方をするので、クラリッサは内心不愉快だった。
 しかし当のメイベルが来る者を拒んでいない以上、いかに胡散臭い客であろうと異を唱える気にはなれなかった。
「その業を洗い流し、清める為に、ご主人の財を使われた方がよい。私はこのようにご提案したいわけでして」
 祈祷師の男は言い、揉み手をしながら続けた。
「もちろんただ闇雲に使えばよいものではございません。正しいことに使わなければかえってよくない。ですので是非この壷をお買い上げいただきたく思いまして」
 応接間の卓上に、大きな壷がでんと載せられた。蛇が絡みついたような意匠に赤や緑が入り混じった色合いの、到底趣味がいいとは思えない壷だった。クラリッサは眉を顰め、出そうとした淹れたてのお茶を引っ込めたい衝動に駆られた。
「わたくしは……その、お金の使い方など全く存じませんの」
 メイベルは困った様子で、骨ばった手を頬へと当てた。
「そういうことは全て夫に任せていたもので……ですから、あまり大きなお買い物をすることはできませんわ」
「お買い物ではありませんとも。これは言うなれば寄付、むしろ善行を積むのと同じことでございますから」
 下品な祈祷師は上っ面の笑みだけでそう訴えた。だがメイベルが首を縦に振ることはないとクラリッサはわかっている。賢明だからではなく、夫人は本当にお金の使い方を知らないからだ。
「執事と相談してみますわ」
 結局、メイベルはそう答えた。
「夫の残してくれたお金は、全て執事に管理を任せておりますの。わたくしだとわからないことが多くて……ごめんなさいね」
「では出直して参ります」
 祈祷師は早々に、笑みを浮かべたまま退出したが、またお邪魔いたしますとしきりに強調した。粘れば金を取れると踏んだのかもしれない。
 客人のいなくなった応接間で、メイベルはしばらく立ち上がれない様子だった。疲れているのか、背凭れに全身をぐったりと預けている。
 メイベルの痩せた肩を目の端で見て、クラリッサは不安になってくる。今でこそ気丈に応対しているものの、いつか折れてしまうのではないだろうか。その隙を先程のような品性下劣な輩に付け込まれ、旦那様の築いた財産を奪い取られてしまうのではないか。そう思いを巡らせては、意見もできない小間使いという身分を歯痒く感じるのだった。

 クラリッサの雇い主、レスターがこの世を去ったのはつい一月前のことだ。
 行商から身を立てたレスターには商才があり、たちまち大店を構える豪商となった。老いてからは店を人に譲ったものの、老後を悠々自適に暮らしていけるだけの富を築いていた。クラリッサが小間使いとして雇われたのはレスターが片田舎に終の棲家を建てた頃だ。そこでレスターは妻のメイベルと共に余生を送っていたが、商才で名を馳せた素封家も、自らの寿命を買い入れることはできなかったらしい。肺炎をこじらせ、あっけなく生涯を終えた。長く苦しまずに済んだことだけが幸いの、突然の死だった。
 レスターはクラリッサにとっての恩人だった。孤児院の出だったクラリッサを何の偏見もなく雇い入れてくれた。お蔭でクラリッサも働き者の小間使いへと成長し、夫妻の厚意に報いようとかれこれ八年も、ひたすら生真面目に仕えてきた。
 気遣われていたのは他の使用人たちも同様だった。レスターもメイベルも温厚な人柄で、使用人たちからは深く敬愛されていた。だからだろう、レスターの死後に体調を崩す使用人も少なくなかった。ほとんどが勤めの長い、老いた使用人ばかりだったのもあってか、葬儀を見届けることもできずに辞めていった者、葬儀に参列することも叶わず、今も自室で寝込んでいる者もいる。そんな中でも夫人メイベルは気丈に振る舞っていたが、さすがにやつれた。見た目にもはっきりとわかるほどだった。
 若いクラリッサは体調を崩すことこそなかったが、疲れのせいか眠れぬ夜が長く続いていた。起きているうちは常に気を張っている状態で、以前より感情の高ぶることも多かった。鏡を覗けば明らかに寝不足の顔が映った。二十四になっても持ち合わせていた愛らしさは影を潜め、赤褐色の髪からは艶が失せ、灰がかった緑の瞳は飢えた野犬のようにぎらついていた。
 だが嘆き悲しんでいる場合ではない。夫を亡くしたメイベルは誰より辛い思いをしているはずだ。小間使いとして、これからはメイベルの支えになろう、クラリッサはそう心に決めていた。レスターは莫大な遺産を残しており、夫人の余生は悲しみこそあれど、不自由のないものとなるだろうと思っていた。自らもその為に尽くし、夫人のこれからの日々が穏やかであるべく働こうと考えていたのだ。
 そういう意味で、現実は非情だった。

 クラリッサは一つ息をつき、敢然と茶器の片づけを始めた。客人にふるまわれることのなかった茶は捨ててしまわなくてはならない。もったいないが、しょうがない。
 ちらとメイベルを見遣る。夫人はまだ立ち上がろうとしない。数秒間ためらってから、恐る恐る声をかけた。
「奥様、お部屋に戻られてはいかがですか」
 メイベルの肩がびくりと震えた。すぐに振り向いた時、長い夢から覚めたような顔をしていた。
 少し遅れて唇だけが微笑む。
「ええそうね、もうしばらくしたら戻るわ」
 そう答えた声にも疲労の色が滲み出ていた。
 夫の葬儀を終えたばかりの彼女には客人が絶えなかった。レスターの死を天罰だと語る胡散臭い祈祷師、遺産目当てに高価な品物を売り込もうとする商人、口の上手い自称起業家――彼らが何を目当てに訪ねてくるかは瞭然としていて、クラリッサも礼儀に適う振る舞いをするのが億劫だった。メイベルへの忠誠心を奮い立たせてどうにか応対している。
「お疲れでしょう。夕食は軽いものにいたしましょうか」
 おずおずと気遣えば、メイベルは精一杯優しく応じた。
「ありがとう、クラリッサ」
 懸命に、微笑もうとしているのがわかる表情をしていた。

 メイベルを応接間に残し、クラリッサは茶器を下げに台所へと向かった。
 人気がないせいか、屋敷の廊下は静かだった。一人きりで足早に歩いていくと、表玄関の方から長身の男が現れた。
 黒髪と彫りの深い顔はよく見知っていたが、同時に恒常的な嫌悪も抱いていた。クラリッサよりも身なりがよく、クラリッサより十近く年上らしいその男は、若い小間使いを見るなり近づいてきて低い声で尋ねた。
「奥様はどちらに?」
「まだ応接間にいらっしゃいます。相当お疲れの様子で……」
 正直にクラリッサが答えると、彼はさも当然と言いたげに頷く。
「それはそうだろう。だから私が応対すると申し上げているのに、奥様は随分と無茶をなさる。そうでなくとも金の扱いはまるでおわかりでない方だというのに。そのうち本当に財産をふんだくられるかもしれん」
 彼がメイベルに対して不遜な物言いをするのはこれが初めてではなかった。普段から夫人のいないところでは口の悪いことを言い、その度にクラリッサは男への嫌悪感をあらわにしていた。確かに夫人は商人の妻らしからぬほど人の好すぎるきらいがある。また、世事に疎いのも事実だった。だからと言って口さがない執事を許せるものでもなかったが。
 先程の祈祷師は追い払える相手だからまだいい。しかしこの執事はクラリッサよりも身分の高い使用人だった。にもかかわらず雇い主の妻――今はもう直接の雇い主なのだが、彼女を見下してものを言い、不遜な態度を崩さない。おまけに以前と同様、クラリッサに対しては色目を使うようなそぶりさえ見せる。もちろん相手にする気もなかったが、この一月で心身ともに疲れているクラリッサは、執事の顔を見ただけで苛立ちが胸に吹き荒れるのだった。以前よりも手厳しい対応になるのもやむを得ないだろう。
「滅多なことをおっしゃらないでください、バートラムさん」
 クラリッサは声音さえ取り繕えず、鋭く釘を刺した。忠心篤い小間使いにとって、夫人への侮辱は看過し難い。自分自身を侮辱されるよりも不快に感じた。
「事実だよ」
 バートラムは青い瞳を細めて笑み、クラリッサは怒りをあらわにする。
「なら、あなたが奥様の代わりに客人の応対をなさればよいことでしょう?」
「わかっているくせに。奥様が私を不要だと仰ったんだ。客人の応対は全て自分でする、とね」
 彼の言葉通り、メイベル自身がそう言い出したのだった。全ての客人に自ら応対をすると。それは葬儀の手配や遺産の管理に奔走してくれたというバートラムへの気配りであり、また夫の残したものを守ろうとする夫人なりの矜持でもあるのだとクラリッサもわかっている。
 しかしクラリッサに言わせれば、バートラムのような男はこき使ってやればよいのだと思う。主人への忠心はどこへやら、陰で偉そうに、皮肉めいた言葉ばかり吐くような執事だ。普段は仕事に追われて執務室に篭っているそうだが、ちっとも働いているようには見えない。来客があれば出てくるものの、出迎えと見送り以外はほとんど何もしていないようだ。そのくせ何やら忙しそうなそぶりだけはしているから、彼まで悪巧みでもしているのではないかと疑いたくなる。
 クラリッサの内心を察してか、バートラムが微笑みかけてくる。
「私も仕事をしていないわけではないよ。これでも執務はこなしている。片づけている書類の量を君にも見てもらいたいものだね」
 レスターが第一線を退いた後、ほとんどの執務はバートラムが引き受けていたという。執事が閑職ではないというのはクラリッサもわかっているのだが、彼を見ているとどうも気楽な稼業に見えて仕方がないのだ。何せ合間にクラリッサを口説く余裕すらあるのだから。
「なんなら今夜、私の詰めている執務室を訪ねてくるといい。私の有能ぶりがわかるはずだ」
「お断りいたします!」
 にべもなくクラリッサは拒んだ。
 八年間で彼から口説かれた機会は数知れない。何かと言うと甘い言葉をかけてきたり、部屋に誘い込もうとしてくる。どこまで本気なのかも明らかではなく、仮に本気だとしても相手をする気にはなれない。クラリッサはバートラムのような男が最も嫌いだった。
 しかもこの男、八年間一度として懲りたそぶりを見せたことがない。
「そう怒ることもないじゃないか。見れば君だって、奥様に負けず劣らず疲れているようだ。その様子ではちっとも眠れていないんだろう?」
「平気です、お構いなく」
「つれないな。私の元へ来てくれたら、すぐに眠れるようにしてあげるよ、クラリッサ」 
 奥様はやはり人が好過ぎる、とクラリッサは思った。こんな軽佻浮薄にも程がある執事を、夫亡き後も変わらず雇っておくなどと。そこはそれ、メイベルの前では調子のよいことを口走っているのだろう。所詮はそういう男だ。
 ともあれ、クラリッサは鼻息荒く問う。
「わたくしは真面目に考えていただきたいのです。旦那様の遺産が胡散臭い連中に奪われてしまったら、奥様がおかわいそうです。守って差し上げるのが執事の仕事でしょう? 違いますか、バートラムさん!」
 もっとも喧嘩腰の問いを向けられたところで、彼はまるで意に介さないのだが。
「奥様のご命令の方が絶対だよ。結果どうなろうとこちらの責任ではない」
「そうしたらあなたのお仕事だって危うくなるのでしょうに!」
「危うくなる前に夜逃げでもするさ。私は優秀だからね、次の仕事には困らんよ」
 バートラムは余裕さえうかがえる表情を見せ、碧眼を片方、軽くつむってみせた。町娘なら胸ときめくだろうその仕種も、生真面目なクラリッサに対しては火に油を注ぐようなものだった。クラリッサが奥歯をぎり、と鳴らした時、表玄関では呼び鈴が鳴った。
「またか。今日はこれで六人目になるな」
 一転、執事が眉を顰める。昼下がりの時分で既に六人目の来客。喪が明けたばかりのうちから慌しいことこの上なかった。
「奥様は応接間か、呼びに行く手間が省けるな」
 不遜なことを言ったバートラムは、直後クラリッサが下げてきた茶器類に目を遣った。にやりとする。
「クラリッサ、今回は君も少しは楽をしたまえ。次の客人にはそのお茶をそ知らぬ顔で出してやればいい」
「断じてそのようなことはいたしません!」
 きっぱりとクラリッサは言い切り、すぐに踵を返した。背後で口笛が聴こえたが、無視を決め込み台所へ急ぐ。もちろん冷めたお茶を捨てる為だ。

 台所には火の気がない。使用人たちのほとんどが臥せている以上、クラリッサが一人で切り盛りしなくてはならなかった。もっとも、このところは食事の支度も満足にしていない。食欲がないと言って、メイベルが軽いスープばかりを所望するからだ。
 ――もっとたくさん召し上がっていただかないといけないのに。
 クラリッサには危機感があった。夫人を案ずる気持ちは深いが、その気持ちを共有する相手がいない為、一人で心を逸らせる結果となっている。メイベルを愛していたレスターはもうおらず、執事はどうしようもない男と来ている。使用人たちのほとんどが務めを全うできる状態ではない。ならば自分しかいないのだ、女主人を支えていけるのは。尽力しなくてはと思う。
 だが、気持ちを奮い立たせようとするとかえって萎れてしまう。床に座り込みたくなる。そうしてしまえば、もう立ち上がれない気さえするのに。高ぶっていた感情が静まり、一人きりになると、クラリッサはたちまちやるせなさに囚われてしまう。こんなことならあの執事を相手取っている方がまだ楽かもしれない――。
 慌てて、かぶりを振る。
「……しっかりしなくちゃ」
 目元に滲んだ涙を払い、それから冷めた茶を勇ましく捨てた。茶器を洗い終える頃には気分もいくらか落ち着き、付近で水気を拭き取る頃には背筋もぴんと伸びていた。
 しかしそこへ――鋭い声が聞こえた。
 悲鳴のようだった。女の。一度きりではなく何度も繰り返し上がった。
 クラリッサは洗いたての茶器を取り落としそうになり、思わず身を竦めた。それからはっとして、茶器はきちんと置いてから、手を拭きつつ台所を飛び出す。
 メイベルの声ではないように思った。けれど女の叫び声なんて区別がつくものでもない。とっさに判断し切れず、クラリッサはとりあえず急いだ。夫人がご無事であればいい、そんな根拠もない不安に駆られつつ廊下を走った。
 女のものらしき悲鳴はしばらく続いていた。どうやら一人のものではないらしかった。小さな子供の泣き声も混じっている。クラリッサが走ると、それらの声はどんどん近づいてくる。

 そして、表玄関で見た。
 執事のバートラムが、小さな子を抱えた見知らぬ女を、腕ずくで扉の外へ押し出そうとしているところを。
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