Tiny garden

ほんとうは優しい

 食べてしまいたいくらい可愛らしい、僕の妻へ。
 あなたからのラブレター、大変うれしく読みました。世の恋人たちは日々こうして想いを伝え合っているのだなと考えれば、確かにいささか悔しいような、惜しいような気もしてきます。
 しかしながら、僕らも順序が違ってしまっただけで、きちんと恋愛はしています。むしろ僕とあなたは世界のどこにいる恋人たちにも負けないような、あるいはどちらの夫婦にも劣らぬような、とても幸せな家庭を築いていると自負している次第です。
 要は、恋愛結婚の皆さんが結婚前にしていることを、結婚後にまとめてしたようなものです。そしてそれが上手く行っているのですから、何も気後れすることはないでしょう。僕もあなたを妻に迎えることが出来て、お見合いをして本当によかったと思っています。

 ところで、この手紙を読んでいるあなたは、きっとうずうずしていることでしょう。つまり今日、あなたが僕にくれたラブレターの中身のとおり、僕が明日のことを覚えているのかどうか、気になって仕方がないことでしょう。正直にお話すれば、もちろんちゃんと記憶していました。手帳にも書き留めてありましたし、よもや忘れるなどということはありません。お夕飯の時には一言も口にしませんでしたが、あれはただ単に気恥ずかしかったからです。ちゃんと覚えていましたよ。本当です。
 しかし、あなたが手紙をくれるとは思わなくて、そのことだけは非常に驚きました。実は僕も、何か贈り物をしようと思って計画を立てていたのですが、そういえば手紙を書くことは全く思い当たりませんでした。この間もあなたからラブレターを貰ったばかりですから、何かあればまた書いてくれるのかもしれないとは思っていたのですが。あなたも知ってのとおり、僕は自分の書いた文章を読み返すのが非常に苦手です。この手紙も夜遅くだからすらすらと書けているのであって、朝になってから読み返せばすぐさまで破り捨てたくなるでしょう。ですから、一度書いたら即座に封をして、あなたの目に付くように机の上に置いておくつもりでいます。ともあれ、ラブレターを書くことは考えていなかったので、こうしてあなたが眠ってしまった後で、忍び足で書斎へ向かい、文を認めている次第です。あなたが目を覚まさないうちに、一息に書き上げてしまいたいと思います。目覚めてすぐ、隣に誰もいないことに気付いたら、きっとあなたは驚いてしまうでしょうから。

 それにしても、手紙を書くというのは、それこそ慣れないものですね。もっと習慣づけばよいのだろうなと思います。僕とあなたとで文通でもすれば、読み返すのも気恥ずかしいラブレターにも慣れてしまうでしょうか。あなたからの手紙は大切にしまい込んでいる僕ですが、僕からの手紙をあなたが大事にしているのを聞くと、何とも面映い感じがします。
 あなたがくれる手紙は、いつもあなたらしい温かさと清々しさに満ち満ちています。あなたはよく自分のことを無教養だとか、馬鹿だとか、作法も知らない不出来な妻だと言いますが、そんなことはちっともありません。あなたの手紙はあなたにしか書けないのです。あなたの手紙の中にあるのは、教養だの作法だのとは全くかかわりのない愛情です。僕にはそれがよくわかります。
 前にも言ったとおり、人は誰しもラブレターの書き方を知っているのだと思います。その手紙をラブレターにするか、気持ちのこもらない、何の味もしないような文にするかはその人の裁量、匙加減次第です。ラブレターを書くのには教養も作法も、まして才藻など必要ありません。ただ、ラブレターを贈りたい、書きたいと思うだけでいいのです。つまり僕はこの手紙を、あなたへのラブレターにしたいと思って一心に綴っています。きっとあなたもそうだったことでしょう。その気持ちを、うれしく思います。そしてあなたのことも是非喜ばせたいと思います。

 それにしても、一年になるのですね。
 あなたと過ごしたこの一年は、僕の人生の中で最も幸いで、明るく、実り多き一年でした。こんなにも楽しい一年間を、今までに過ごしたことはありませんでした。何度か犬も食わないような喧嘩もしましたし、僕があなたの機嫌を損ねてしまうこと、僕が勝手にやきもちを焼いたことも幾度となくありましたが、今になって思えばあんなのは全てくだらないことです。夫婦仲睦まじくしている時間の方がよほど、圧倒的に長かったでしょうし、お互い水に流すことにしましょう。
 あなたに感謝していることもあります。たくさんあります。僕の為に僕の好きな献立を一生懸命練習してくれたり、職場の飲み会で帰宅時間が遅くなった僕を、寝ずに待っていてくれたり。あるいは僕のわがままに付き合わせてしまったこともありましたし、僕が出張でいない間はしっかりと留守を守ってくれ、その上僕を気遣ってもくれましたね。この間、雨の降る日に迎えに来てくれたことも、本当にうれしかった。皆、全て、あなたのしてくれたことは何もかもうれしかったのです。
 あなたは実によい妻です。模範的、という言葉はあなたのお気に召さないかもしれませんが、事実として模範的であり、妻の鑑であったと思います。少なくとも、僕にとってはそうです。
 翻って、僕がどうだったかと思いを巡らせれば、いまいち自信がありません。僕はあなたにとってどんな夫だったでしょう? 模範的と言われることは決してないでしょうし、かといって恥じることもないようにふるまってきたつもりではありましたが、多分に至らないところもあったと自覚しています。
 僕は出来る限り優しい夫であろうとしました。しかし今思えば、あなたに対する優しさを、時折履き違えていたようでもありました。優しくする、ということがどうあることなのか、わからなくなる時がありました。女性の扱いなんてとんと知らない人間ですし、そうでなくてもあなたは心根の優しい、とても愛らしい人です。丁重に、大事に扱おうと心がけた挙句、あなたをかえって傷つけたこともありましたね。あなたをすぐ割れてしまう瀬戸物のように思っていて、とにかく壊すまいとして必死でした。そういったふるまいが逆にあなたを軽んじることになっていたのだと、今ならわかります。あの出来事からももうすぐ一年経とうとしていますが、まるで昨日の記憶のように鮮明に思い出せます。そして気まずくも、気恥ずかしくも、情けなくも思います。
 今でも僕は、優しくあるということをよく理解出来ていません。漠然とわかっているのは、優しくすることと、甘やかすことは違うという事実だけです。相手の為を思って優しく接するのと、ただ相手に苦労をさせないよう甘やかしておくのとでは、その間に大きな大きな隔たりがあります。僕はあなたを年若い妻だと思って、甘やかそうとしていました。そうではなく、夫として優しくありたいと思います。時に厳しくとも、時に喧嘩をしようとも、根底には必ずあなたへの愛があるように。あなたを思い、慮っていられるように、常に自然にそうしていられるように、僕はありたいと思う次第です。

 あなたの手紙に、恋をしているとの一文を見つけた時は、胸が躍りました。まるで僕まで若返ったかのようです。あなたにつられて僕まで少年の頃に戻ってしまったらどうしましょうか。いっそ二人で、幼い、あどけないままでいて、ずうっと年を取らずにいましょうか。そうしていつまでもいつまでも仲睦まじく、お互いを思い合いながら暮らすのです。多くのものは要らない生き方でしょう。僕とあなたと、二人だけの時間。それだけあればいいのです。それはとても、優しいあり方だと思いませんか。
 この家は二人暮らしにはちょうどよい狭さで、あなたが寝返りを打つのが、僕のいる書斎にも聞こえてきました。ほら、またです。布団の半分が空いていることに、あなたはもうじき気付くでしょう。半分だけがらんどうの布団に寝返りを打って、そこに僕がいるものだと思っていたせいで、驚いて目が覚めてしまうかもしれません。ですから僕も、そろそろあなたの眠る布団へ戻ろうと思います。一番にあなたを抱き締めて、だけど手紙のことは何も知らないふりをしていようと思います。あなたはこの手紙を、明日、僕が出かけていった後に見るでしょう。明日は、いえ、今日は何の日でしたか。僕らが所帯を持ってからちょうど一年になる日です!

 今日は早く帰ります。あなたの作るご馳走を楽しみにしています。あなたは是非、僕の持ち帰るお土産を楽しみにしていてくださいね。
 愛を込めて。


 追伸
 居間の花瓶が塞がっているようですから、明日はお風呂を沸かしておいてください。
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