Tiny garden

ひとりぼっち、二人

 ――我が妻へ。
 こちらへ着いて、宿に入り、荷物もろくに解かぬうちからこうして手紙を認めています。同僚たちにはすっかり笑われてしまいましたが、出張中は毎日あなたへ手紙を書こうと決めていたので、何を差し置いてもまずは一日目の手紙を綴っている次第です。
 お変わりありませんか。今朝方別れたばかりで尋ねるのもおかしなものですが、こうして離れてしまうとあなたのことが気懸かりで堪りません。僕の可愛いあなたが元気でいるか、具合を悪くしてはいないか、僕がいなくて寂しがってやしないかと、心配です。
 僕は今のところ、元気でいます。あなたの傍にいない辛さも、仕事と思えばどうにか諦めがつきます。出来ることなら仕事をさっさと終えて、一刻も早く帰りたいものですが、あいにくと日程が決まっているので仕事の出来不出来はあまり関係がありません。やる気がちっとも起きなくて、困り果てています。とは言え、あなたにも心配させぬよう、頑張らなくてはと思います。
 ではまた、お便りします。

 ――あなたへ。
 こうしてお手紙を書くのは初めてですね。あなたからは一度、お手紙をいただいたことがありましたけども、私の方から差し上げたことはそういえばありませんでした。なんだか改まった文章になっているでしょう? でもどうぞ、お笑いにならないでくださいね。
 あなたはあれこれと心配してくださいましたけど、私はこの通り、元気でおりますのよ。一人で夜を過ごすのは心細いですけど、いざとなれば近くに両親がおりますし、あなたのご両親だっていらっしゃるんですもの。何の不安もありません。
 一つだけ不安なことを挙げるなら、あなたのお体が心配です。あなたは少々食べ物の好き嫌いが多くていらっしゃるから、お宿のお食事を残してしまうのではないか、気になってしょうがないのです。後生ですから、川魚や山菜が出されても、残さず食べてくだっていたらと思います。出張先は山の方だとうかがっておりますから、そのことだけが気懸かりです。
 では、お仕事頑張ってくださいませ。私もこちらで頑張ります。

 ――我がいとしの妻へ。
 大変に参っている状況です。二通目の手紙になりますが、早くもあなたへ弱音を届けてしまいます。
 実は、僕らが宿泊している旅館の食事が、どうにも芳しいものではないのです。不味いと言えばいささか失礼でしょうが、美味しくはありません。ついでに貧弱でもあります。あなたが出掛けに僕の川魚嫌いを心配してくれましたが、今のところ魚にはお目にかかっていません。出てくるものは皆、山菜です。山菜ばかりです。好き嫌いを言う余裕もないほどに山菜尽くしですから、僕もやむなく食べざるを得ません。
 出張には僕よりも若い者が二人ほど同行していたのですが、あまりの食事の物足りなさに、夕食の後こっそりと蕎麦屋へ出かけてゆきました。しかし蕎麦屋は昼過ぎで閉まってしまったのだそうで、先程すっかりくたくたになって戻ってきました。空腹の上に暗い山道を散々歩き回る羽目となったらしく、今は部屋の隅でしょげ返っています。
 僕は早くもあなたの手料理が恋しくなってしまいました。帰ったら、あなたの作る煮豆に卵焼きに甘藷の煮物をいただこうと思います。それまでの辛抱と思い、ただじっとこの苦境に耐える所存です。
 もちろん、恋しいのは手料理ばかりではなく、あなた自身もです。早く帰ってあなたに会いたいものです。日が経つのが遅く感じられると言ったら、あなたは僕を笑うでしょうか。
 ではまた。愛を込めて。

 ――あなたへ。
 ところで、いかがお過ごしでしょうか。遊びに行ったのではないのですから、きっと不自由なことも多いのではと思います。あなたのことを、遠く離れたところから想うしか出来ないのが、少なからず歯痒い今日この頃です。
 こちらはちっとも変わりません。私は元気でやっておりますし、今日のお夕飯には両親を招きましたの。うちの両親もあなたのことを気にしておりました。娘の私のことよりもずっと案じておりましたのよ。
 そういえば、あなたが泊まっていらっしゃる旅館について、父に聞きましたの。実はうちの父も、仕事で泊まったことがあるんですって。あの辺りには旅館が一件しかないから大変に不自由だったのだと聞いております。食事も粗末と言えば失礼でしょうけど、あまり上等なものではないのだとも聞きました。心配です。
 あなたが帰ってきたら、あなたの好きな煮豆と、卵焼きと、甘藷の煮物を作ります。美味しい珈琲も淹れましょう。それまではどうぞ、お体に気を付けて。

 ――最愛の妻へ。
 昨晩僕は、あなたの夢を見ました。あなたと二人で暮らしている、あの家の夢を見ました。目が覚めて、あなたが隣にいないことに打ちひしがれてしまいました。
 もう限界です。僕はあなたに会いたい。あなたの隣で眠りたい。あなたの作る食事が恋しい。むしろあなたが恋しくて堪らない。
 どうしたらあなたに会えるのでしょう? 僕は一刻も早くあなたの元へ飛んで帰りたいというのに、どうしてそれが許されないのでしょう。全く出張という奴は家庭のある人間にとって厄介で、憎らしくて、どうしようもないほど忌々しいものです。一日一日と言わず、一分一秒があなたの傍にいる時よりも長く感じられます。まさに一日千秋の思いです。
 初めはあなたが寂しがるのではないかと心配していたのですが、どうやら僕の方がずっと寂しがりやのようです。あなたがこの手紙を読んだら、おかしいと言って笑うだろうと思います。しかし笑われても構いません、あなたの笑顔が見られるのなら。
 あなたは今晩の夢にも現れるでしょうか。あなたの夢を見たいと思う反面、あなたと夢で会うことには不安もあります。目が覚めた時に苦しくて、辛くて、身を切られるような思いがするからです。飛び起きて、そのままあなたの元へ帰りたくなってしまったら、僕はどうすればよいでしょう。まるで十代の頃のように、あなたに盲目的な恋をしている気分です。
 やはり僕は少しおかしいのかもしれません。愚かな夫であることを恥じると共に、あなたをどれほど愛しているか、改めて思い知らされました。
 今日はこのくらいで。次の手紙はもう少し、明るい内容にします。愛を込めて。

 ――あなたへ。
 今日のこちらはとてもよいお天気でした。新聞によればそちらもよいお天気とのことで、ほっとしています。でも山の天気は変わりやすいそうですから、やはり心配です。
 あなたが出張に行かれてから三日、特に困ったことやあなたを心配させるようなことはないのですけど、少々暇を持て余しています。
 だって一人で過ごす夜は長くて、静かで、とてもつまらないんですもの。あなたがいらっしゃらないからアイロンを掛けるものもあまりありませんし、お夕飯だって一人分をほんの少し作るだけで済んでしまいます。私に本を読んでくださる方も、床に就いた後で私の手を握って、いろいろなお話をしてくださる方もいません。話し相手のいないのは何よりも辛いことなのです。おわかりになりますでしょう?
 あなたも私がいなくて、少しは寂しい思いをしてくださっているといいんですけど。なんて、家で待つだけの女は身勝手なものですね。お仕事で遠くへ行っているあなたに、余計なことで思い煩って欲しくはありませんから、どうぞ元気でいてくださいますよう。
 明日には帰ってきてくださるんですものね。それだけで十分なくらいです。私も明日は張り切ってあなたをお迎えしようと思っています。

 ――僕の可愛い人へ。
 まず先に、お願いしたいことがあります。昨日の手紙、三日目に出した手紙は、出来れば封を開けずに破り捨てて欲しいのです。
 あなた恋しさのあまり、気の触れたようなことを書きました。手紙を書いて封をして、ポストに投函してから我に返ったのです。ポストに入れてしまったものはどうあがいても取り戻せることはなく、今は後悔と焦燥の中で最後の手紙を綴っています。あんな甘ったれた文を書いてしまって、あなたの目に留まればどう思われるだろうと、今頃になって恐ろしくなりました。実に愚かしい内容だったと思います。ちょうど今日あたり、一通目の手紙が届いている頃でしょうか。となると昨日の手紙が届くのは明後日でしょうから、その手紙はなるべく見ずに捨ててくれたら、と願う次第です。
 或いは、あなたのことですからかえって中身を見たがるかもしれません。もしどうしても、僕がここまで言っても手紙の中身を見たいと思っているのでしたら、どうぞ一度きりにしてください。一度見たら今度こそ細かくちぎって、破り捨ててください。とてもじゃありませんが僕には読み返す気はありませんし、あなたに見られるだけでも恐ろしいのに、あなた以外の人の目につくのは言語を絶する事態です。
 この手紙はポストには入れません。あなたがこの手紙を読む時は、僕が隣にいることでしょう。お土産と共に持ち帰ります。ですから昨日の手紙はどうぞ、届き次第葬り去ってくれたらと思います。
 あと少しであなたに会えます。今日の夜には会えるのです。たった四日の辛抱も出来ない夫で、情けないと我ながら思います。でもこの度のことで思い知りました。僕にはあなたがいなければ駄目なのです。あなたのいない生活を送るなど、全く考えられません。今は深く、いつよりも深くあなたを愛しています。
 あなたの顔を見られる今夜を、何より心待ちにしています。この手紙を読むあなたの横顔を、見つめていられますように。多分僕はこの手紙も、読み返すことは出来ないと思いますが。
 愛を込めて。

 ――あなたへ。
 今日があなたのお帰りになる日ですね。今日の為に床も壁も棚もぴかぴかにしておきましたし、これから煮豆の用意もします。あなたが帰ってくる時がとても、とても楽しみです。
 この四日間、私はあなたを思いながら手紙を書き続けていました。手紙というよりは、まるで日記をつけているようでした。私のような無教養な女が日記をつけるだなんて、おかしなことでしょう。でもあなたのいない間の気持ちも、きちんと記憶しておきたかったのです。あなたが帰ってきてくださった時に、私があなたのことをどれだけでお慕いしているか、はっきりとわかるようにです。そしてあなたにも、私の気持ちをわかっていただけたらと思います。四日間も愛を伝えられなかったんですもの、言葉だけではもう伝え切れる気がしていません。
 でも、改めて読み返してみると、ラブレターを書くのって少々面映いものですのね。いつぞやのあなたからのラブレターで、あなたがご自分の文章を読み返せないとおっしゃっていた意味が、今ならわかります。それに、ラブレターは誰しもが書き方を知っていて、私のような女でも自然と書いてしまえるものなのですね。こうして四通目の手紙を認めて、私はようやくあなたの以前おっしゃっていたことがわかりました。
 ただ、残念なこともあります。あなたが以前くださったラブレターは嘘偽りのない、非常に実直な文面であったのに、私と来たら照れが先立ってなかなか素直には綴れませんでした。きっとあなたの目には、冷たくて素っ気ない手紙に見えてしまうでしょう。もう少しラブレターを書くことにも慣れておきたいものだと、そう思います。
 四通の手紙はもうじき、あなたに直接お渡し出来るのですね。やはりどうしても面映いですけど、決心の鈍らぬうちにお渡ししたいと思います。あなたが笑いながらこの手紙を、私の隣で読んでくださる時を心待ちにしております。
 あなたの妻より。
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