Tiny garden

蠍座の女

『次の土日、会える?』
 いつものように浮かれた調子で久我原が言う。俺は家電の受話器を持ち直し、小声で答える。
「ああ」
 この時間は親もいないし、別に声を潜める必要はない。だが人気のない家に俺の声だけが響くのが気持ち悪くて、久我原と電話をする時は自然とこうなる。やけに偉そうな、会いたいなら会ってやってもいいぞと言いたげな口調になる。
 あいつは俺の口調になんてこだわらない。浮かれたままで続ける。
『やった、じゃあ会おうよ。どこにする?』
「俺の家でもいい。土曜日なら親いないし」
『でも泊まりは無理でしょう? 割り勘でいいから、ホテルにしない?』
「泊まりか……別にいいけど」
 お互いまだ小遣いを貰ってる大学生の身分で、おまけに揃って実家暮らしと来ている。会う度に外泊ってのは避けたいところだった。しかし久我原は泊まりがけで俺と会うのが好きらしく、こんな風にねだられるのも珍しくはなかったし、俺も余裕のある時はなるべく要望どおりにしてやっている。泊まろうとそうでなかろうとどうせすることは同じだ。
 こういう関係になってから既に半年が過ぎ――久我原は相変わらずで、俺もやっぱり相変わらずだった。あいつのことが好きなのかどうかは未だにわからない、でもあいつが必要でしょうがない。久我原が俺と会いたがってくれることにおかしなくらい安堵していて、そのくせわざとらしく無愛想な応対をする自分が気持ち悪い。
 そんなことを考えていたから、
『よかった。実は日曜、誕生日なんだ』
 久我原のその言葉に対する反応が少し遅れた。へえと生返事をしてから、すぐに気付いて聞き返す。
「誕生日? ってお前の?」
『そう。私にだって誕生日くらいあるよ』
「そりゃあそうだろ」
 俺は呆れてやりつつ、内心では別のことを思う。半年以上の付き合いになるっていうのに、そういえばあいつの誕生日をまだ聞いていなかった。普通の付き合いならそういう個人情報は初めのうちに教えてもらうものなんだろう。俺たちはきっかけからして普通じゃないからそういう話をあまりしていなかった。今回、久我原の方から打ち明けてくれたという事実が以前とは違う普通っぽい感じに思えて、普通っぽい関係を他人と築いているのが俺にとっては不思議だった。
 単にプレゼントの催促かもしれないが。
「秋生まれなんだな、お前」
 そして意外にも思う。久我原は春生まれってイメージがあったから。あの能天気さとか、頭の中身とか。
 すると久我原は冗談めかした口調で、
『私、蠍座の女なの』
 言われてみればそれもしっくり来た。なるほど。
「ああ、何かわかるな。あの歌っぽいよな、お前」
『でしょう。鷲津は知ってるだろうけど、私、すごく一途だからね』
「いや一途っていうか、執念深いっていうか……」
『そうそう、好きになったら命懸けだよ』
 俺は誉めるつもりなんてこれっぽっちもなかったのに、あいつはなぜか誉められた気でいるらしい。例によって浮かれているのが解せない。もっとも、誕生日が近いってだけで浮かれていられる性分なのかもしれないし、それはそれであいつらしい。
「で、何が欲しいんだ」
 自分でも苛立たしいくらいに愛想なく尋ねると、電話の向こうでは怪訝そうな声が上がった。
『何って?』
「誕生日なんだろ? 催促する気だったんじゃないのか」
 てっきりそういうつもりで誘ってきたのかと思っていたら、
『え、そんなんじゃないよ。ただ誕生日だから会いたかっただけ』
 久我原は不気味なくらい殊勝なことを言い出す。これはらしくもない。
『むしろプレゼントなら鷲津でいいから』
 前言撤回。すこぶる久我原らしい。
「気持ち悪いこと言うな馬鹿」
『気持ち悪くないよ。大歓迎なのに』
「嫌だ」
『私は鷲津だけいてくれたらいいから。プレゼントとか、気にしないで』
 含み笑いで言われると悪寒が走る。俺は見えもしないのにしかめっつらを作りながら、これは是が非でも買っていくべきだと直感した。空手で行ったら何をされるかわかったものじゃない。
「いいから何か言えよ。あんまり高いものじゃなければ買ってやるから」
『気にしないでって言ってるのに』
「似合わない遠慮なんかするな」
 いつもはこっちを振り回すくらい図々しいくせに。そう思って言ってやると向こうもやっと本性を出す気になったようだ。じゃあね、と唸るようにして、答えてきた。
『そんなに高いのじゃなくていいから、身に着けるもの。アクセサリーがいいな』
 口にはしなかったけど、へえ、と思った。意外と普通の要求だ。
「わかった。他に注文は?」
『鷲津が選んでくれたのなら何でもいいよ。お金、無理しないでね』
 変なところで殊勝にしてみせるのも、蠍座の女だからだろうか。
 とりあえず一途だっていうのは、控えめ過ぎる表現だが間違いでもない。俺からすれば久我原のその一途さこそが空恐ろしくもあるし、唯一縋れるものでもあった。

 ところで、俺は女物のアクセサリーなんて買ったことがない。
 いかにも高そうな宝石店で買うほどの予算はないし、そういえば駅ビルのショッピングモールにもうちょっと敷居の低そうな店があったと思い出して、大学の帰りに寄ってみた。そしたら夕方とあってか店内には若い女の客が多く、買い物どころか立ち入る気にさえなれなかった。相変わらず、俺は若い女の集団が苦手だ。
 かと言って通販では誕生日当日に間に合いそうもない。約束した手前、買えなかったと正直に打ち明けるのも格好がつかない。久我原はそれでも気にしないだろうが、俺が気になる。臆病で恐がりのくせにやけに意地を張りたがる性格もまた相変わらずで、俺はプレゼントの約束をしたことを少し後悔した。
 だが後悔なんて今更なのかもしれない。悔やむのならまず俺はこの世に生まれてきたことを悔やむべきだし、久我原と出会って今みたいな関係になるまでの十八年とちょっとの期間、死ねもせずだらだら生き続けてきたことを大いに悔やみ、呪うべきだろう。最近はそういう思いすら億劫と言うか、どうでもよくなってきた節があるから、終いには意地を張りたがる気持ちが勝つ。

 あくる日、俺は一限の講義をさぼって、客の少ないであろう平日の午前中に買い物に行った。
 店の敷居は先日よりかは低くなっていた。香水やらウィッグやら輸入化粧品やらが所狭しと並ぶ雑多な店内で、俺はないはずの人目を気にしながらアクセサリーを選んだ。他の客はいなくても、例えばお節介焼きの店員が声を掛けてきやしないかとびくつきながら――幸い、男の客だからなのか店員は愛想が悪くて、いらっしゃいませーと舌足らずで甲高い声を上げた後は商品の陳列に没頭していた。助かった。思えば以前入った、入らされた下着屋よりはよほどハードルが低いようだ。あいつのせいで、変なところに度胸がついたんだろうか。
 蠍型のモチーフでもあればそれにしてやろうと思っていたが、ざっと見た感じ、指輪にもネックレスにもピアスにもなかった。他に案があった訳でもなく、目移りするほど並んでいるアクセサリーをぼんやり眺めた。買ったことがないからどれがいいのかわからない。ただ、指輪はサイズがあるから駄目だろうし、あいつの耳たぶにピアスの穴は開いてない。
 となると、一番無難なのはネックレスか。
 香水の匂いで頭がくらくらしてきたので急ぐ。たくさん数のあるシルバーネックレスの中でも、ぱっと目に付いた十字架型に決めた。
 聖美、だから十字架。つまり単なるこじつけだ。イメージには合わない気もするものの、当人はそんなこと気にも留めないだろう。

 そこまで手間を掛けた買い物だったにもかかわらず、当人に手渡したのは土曜日の夜。ホテルの広いベッドの上、お互い裸で寝そべっている時だった。
 俺は今でもラブホテルが好きではなく、どんなに真新しくきれいなところへ入っても、何とはなしの胡散臭さと落ち着かなさを覚えていた。だが久我原の要望を聞いていれば泊まっていくことが普通になってしまうし、そのせいで趣味の悪い内装にも、独特の静寂にもすっかり慣れてしまった。
 広さだけがとりえのベッドを降り、飲み物を取りに行くふりをして鞄から包みを引っ張り出した。しばらく後ろ手に隠し持っていた。緩い会話が途切れたタイミングで、気だるそうにしていた久我原の鼻先に突きつけてやる。
「ほら、これ」
 久我原が瞬きをしてから、ぱっと表情を輝かせた。
「プレゼント?」
「一応な」
「わあ、ありがとう鷲津!」
 歓声を上げた久我原は勢い良く飛びついてきて、俺の背骨とベッドが軋んだ。そのまま俺の上に乗っかって、プレゼントの包みを器用に開く。
「お前な、こんな姿勢で開けなくたって……」
 のしかかられてる方の身にもなってみろ。そう思っても久我原はどこ吹く風で体重を掛けてくる。
「だって、重くないでしょう?」
「重いよ」
「嘘。普段は重くないって言ってるじゃない」
 確かに重いなんて言ったことはないし、実のところ普段も、今もあまり気にしていない。胸の上で包装紙ががさがさうるさいのと、汗ばんだ肌が引っ付くのが鬱陶しいだけだ。どうせ何言っても退かないだろうからもう黙っておく。
 やがて中身が現れ、もう一度小さな歓声が上がった。薄いビロード張りの箱を開けると中にはあのネックレスが横たわっている。久我原はそれを慎重に摘み上げてから、俺の顔をちらと見下ろす。
「すごい、きれい。いいの? こんなの貰っちゃっても」
「返されても困る」
「着けてみてもいい?」
 だからプレゼントだって言ってるのに。好きにしろと言ってやったら、久我原はようやく俺の上から下りて、すぐ隣でうつ伏せになる。それから自分で器用にネックレスを着けると、軽く上体を起こして、鎖骨の下辺りで揺れる十字架を指で弾いた。
「似合う?」
 サイドテーブルからの安っぽい照明でも、新品のネックレスは眩く光る。
「それなりに。でも銀製品だからすぐ黒くなるぞ」
「大事にするよ、鷲津がくれたものなんだから」
 そう言いつつも久我原は十字架が気になるらしく、手のひらに乗せたり、指先で揺らしたりしている。顔もにやけている。
「これ、どこで買ったの? 通販?」
「店行って買ってきた」
「へえ。鷲津、一人でそういうとこ行くんだ」
 当然のように驚かれた。俺も、人目を気にしながらああいう店で買い物をする自分を奇妙に思う。久我原に対しての意地だけでらしくもないことをする心境の変化は、この件に限ったことじゃないのかもしれない。
「私の為に買ってきてくれたんだね」
「ああ」
 ぼんやり返事をすれば、そっか、と久我原が笑う。そしてまた、鎖骨の下辺りに揺れる十字架を弄っている。余程うれしかったらしい。安物なのに。
 俺はどちらかというと、さっきから無防備になっている背中の方が気になっていた。久我原は俺の色の白さをよく羨ましがるけど、久我原の背中は男のものとは明らかに違っていて、滑らかで柔らかそうに見えた。実際すべすべしていた。
 横向きになり、背骨に沿ってうなじまで手のひらで撫でたら、振り向いた久我原がふと真顔になる。
 そして曰く、
「もう一回、する?」
 それで俺は脱力して、また仰向けの位置に戻る。
 今更だがデリカシーのない女だ。でもそういう女だからこそ信用して、一緒にいられるんだろう。久我原は俺みたいに些細なことで悩まないし、意地を張らないし、過去に囚われて身動きが取れなくなることもない。
 未だいろんな記憶に囚われている俺は、この世でたった一つ、久我原の一途さだけに縋っている。こいつを繋ぎ止めておく為だけに、自分らしくないことばかりさせられているのが間抜けに思える。
 でもそうすれば、久我原を捕らえておける。
 柔らかそうな首に掛かった銀の鎖が光るのを見て、俺は安堵と憂鬱を同時に覚えた。次は一体、どんな俺らしくないことをさせられるんだろう。どこまで意地だけで乗り越えていけるだろうか。
「――今、何時だ?」
 俺が尋ねると、久我原は手を伸ばして枕元の携帯電話を取り上げた。電源を入れて、しばらくしてから時刻を読み上げる。
「二十三時、十四分。見たいテレビでもあった?」
「いや」
 かぶりを振ってから、なるべく何気なく続けた。
「誕生日、おめでとうって言ってやるから」
 途端に笑顔になった久我原がまた飛びついてくる。軋む。お構いなしに顔を覗き込んできて、
「どうしたの鷲津、今日はサービス満点じゃない?」
「別にいいだろ。誕生日なんだし」
「いいけど」
 それから久我原は妙に色っぽい面持ちになって、俺に告げる。
「ね、私、鷲津のこと好きだよ。本当に命懸けられるくらい」
 知ってるよ。
 だが命懸かってるのは俺の方だ。久我原が『蠍座の女』でよかったとさえ思っている。こいつの言葉は信じられる、俺自身の貧弱な言葉よりもずっと。
 応じる代わりに手を握ったらうれしそうな顔をされた。そして俺は、久我原を喜ばせられる自分に堪らなく安堵する。もうじき日付が変わったらもっと喜んでもらえることだろう。柄にもない言葉だが、こうなったら意地でも言ってやろう。

 もう、辛い思いはしたくない。あの歌にあるみたいに地獄へは行かないから、お前はお前らしく能天気についてくればいい。逃げたり、離れたりしないで、ずっと俺のところにいればいい。
 その為なら俺も、意地を張り続けていられそうな気がする。
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