Tiny garden

熱情(4)

 ベッドに腰を下ろしたのは、私の方が先だった。
 後に続いた鷲津が、私の片頬を手で捉える。引き寄せるようにして口づけてきた。押し付けるだけの乾いたキス、彼の唇はいつもと同じくかさついている。
 キスしながら、鷲津の首に腕を回す。意外にも拒まれなかった。そのまま下唇を軽く噛んであげたら、それはさすがにびくりとされた。空いた隙間に舌を滑り込ませる。ざらざらしていて熱い彼の舌は、今日も私から逃げようとする。逃がさずに絡め取ると、すかさず彼が身を引いて、私の腕が首から解けて、唇と唇の間には深い吐息が落ちた。
 軋むスプリングの音が響いたのも、その時だった。
 私の部屋にあるものよりもよく弾むベッドだった。鷲津が上体のバランスを崩すと、そのまま後ろ向きに倒れ込む。
 これ幸いと私も覆い被さる。濡れた唇に、もう一度キスをする。
「ちょ……ちょっと待てっ、誰が上になっていいなんて――」
 抗議の声には聞く耳持たず。倒れてしまう方が悪い。
「嫌なら抵抗したら?」
 見下ろした顔に尋ねると、沈み込むベッドの上、鷲津の顔が不快そうに歪んだ。
「わざと言ってるだろ」
「何が?」
「だって、そんな――くすぐりながら、とか、ずるい」
 彼の言葉が途切れ途切れになっているのは、きっと耳朶を弄っているせいだろう。指先で軽く揉む。柔らかい。たちまち彼の眉間に皺が寄る。
「抵抗出来ない?」
 これは、わざと聞いた。自然と口元が緩んでしまう。
 意地悪したい。めちゃくちゃにしたい。やけに嗜虐的な気分になってくる。
 鷲津は何も答えない。答えたくないのか、答えられないのかはわからない。
「どこが弱いのか、教えて」
 私は確かめるように言って、身を屈めた。彼に圧し掛かるようにして耳元へ唇を寄せる。軽く、舌先で舐める。鷲津がまた身体を震わせる。
「やめ……!」
「止めないよ」
 彼の訴えをすかさず制した。そのまま耳朶をなぞるように舐め、軽く噛む。口の中に含んでちろちろといたぶる。何かをする度に身体をびくつかせ、その後弛緩させる鷲津が、いとおしくて仕方ない。
 だからつい、遠慮も我慢も出来なくなる。唇が下りていく。耳から顎のラインを下って首筋、喉元へ。タートルネックのセーターが邪魔だ。首を引っ張ろうとしたらさすがに、かぶりを振って拒まれた。
「止めろ、服が伸びる」
 涙目の抗議に、かえって笑ってしまった。
「何だ。抵抗出来るんじゃない」
「は……?」
「さっきの、わざと抵抗しなかったでしょう」
 耳を責められるの、悪くなかった? ――声に出して尋ねたら、鷲津は真っ赤な顔をして、急にじたばたもがき始めた。
「ち、違う、さっきのはっ」
「さっきのは何? あんまり暴れないで欲しいんだけど」
「いいから退けよ、誰が上になるの許したんだよ!」
 声を荒げる鷲津。だけど、もう遅い。そういうことならお望み通りにしてあげる。
「本当は嫌じゃないんでしょう」
 セーターの上から、手のひらで脇腹を撫でる。ふうっと息を吐くのが室内に響く。
「本当は、して欲しいんでしょう」
 笑いが止まらない。私の声も鷲津の吐息も、静かな部屋には実によく溶け込んだ。絶対に邪魔の入らない、二人きりの部屋だ。
 彼のセーターをまくり上げると、すぐに白い素肌が覗いた。腹部から胸元にかけて、赤とも紫ともつかない薄い痣がぽつりぽつりと出来ていた。昨日の、私の痕跡だった。
「痕、残ってる」
 声に出して告げれば、鷲津が呻いた。
「つけたのはお前だろ」
「今日もまたつけて欲しい?」
「……ちっ」
 舌打ちをしている。組み敷かれて、服をまくられて、白い肌まで曝け出している状態なのに――可愛い人。
「ねえ、どうなの。つけて欲しい?」
 痣の一つ一つに触れてみる。鷲津は身を捩ったけれど、痛い訳ではないはずだった。その証拠にこちらを見る目が潤んでいる。
「何なんだよ、お前」
「聞いてるの。鷲津が私にどうして欲しいのか」
「おかしいだろ、普通逆だ、こんなの……!」
 鷲津の口にする『普通』は、一体どこで身につけたものなんだろう。アダルトビデオ? ネットで見た? それとも誰かから聞いたりしたんだろうか。そんな常識、実際に試してみたらどうでもいいものだってわかりそうなものだけど。
 私は、鷲津の為なら何だって出来るんだから。たとえ、鷲津の思う『普通』じゃなくても。たとえ常識から外れたことでも。
「して欲しいことを言ってみて」
 白い肌に触れながら、私は彼の目を覗き込む。涙が今にも零れ落ちそうな目は、それでも強気に私を睨んでいた。そこにまだ愛情は感じられない。
「鷲津の言った通りにしてあげる。何でもしてあげるから」
 だから、鷲津の言葉で聞きたい。その声で言ってほしい。
 これは決して、意地悪で言ってるんじゃない。あくまでも鷲津の意思を知りたいからだ。どうして欲しいのか。どうされるのがうれしいのか。私にどんなことをされたら気持ちがいいのか。
「ねえ、鷲津の今の気持ちを教えて。私に、どうされたいの?」
 ベッドの上に横たわる、鷲津の白い喉が動く。私を見上げてごくりと動く。
 その仕種に私は、また嗜虐的な心を募らせる。
 ――やっぱり、意地悪で言ってるのかもしれない。鷲津を困らせて、散々に焦らして、私が欲しくて欲しくてしょうがない状態にまで追い込みたいのかもしれない。私がいなくちゃ駄目だって、彼に心底思わせたいのかもしれない。私といる時が一番幸せで、気持ちいいんだって、その身体にも心にも強く焼きつけたいのかもしれない。
 こんな衝動、初めてだ。彼以外の人に、こんなにも強く恋をしたことなんてなかった。普通じゃないとか、どうでもいい。私は鷲津が好き。それだけでいい。

 鷲津はしばらく、私を睨みつけていた。
 眼球を動かさずにじっとこちらを見据えていて、その裏で思案を巡らせているようには見えなかった。もしかすると本当に、考えてはいなかったのかもしれない。
 答えはとうに決まっている、と思うのは、私の自惚れだろうか。
 ラブホテルの部屋は、本当に静かだった。耳が痛くなった。心なしか空気も乾燥している。見下ろす鷲津の顔は、頬が火照り、唇がまた乾き始めていた。
 やがて、その唇が動いた。
「そこまで言うなら、好きにさせてやるよ」
 なのに声は湿っていた。しっとりとしたトーンで続けた。
「お前の好きにすればいい」
「本当?」
 思わず私は笑んだけど、直後、釘を刺すように鷲津は言う。
「けど、勘違いするなよ。『させてやる』んだからな」
「……どういうこと?」
 意味がわからず聞き返す。
「奉仕させてやるって言ってるんだよ」
 彼が言い慣れていない言葉を口にする時は、すぐわかる。声が上擦り、目が泳ぐから。その言葉の底知れなさに、彼自身が慄いているから。虚勢を張っているのがわかる。
「奉仕。ふうん」
 その言葉を私は、口の中で転がしてみる。甘い味のするフレーズ。それは許容に違いない。鷲津の方からそれを口にしてくれるとは思わなかった。
「少しでも痛くしてみろ、蹴っ飛ばしてやるからな。その覚悟があるんだったら好きにしろ」
 噛みつくような声が追ってきたけど、その時にはもう、私の頭は甘いフレーズでいっぱいだった。
 奉仕。
 嫌いじゃない、むしろ好きな言葉。
「本当にいいの?」
「何度も言わせるな」
「大丈夫。私、痛くなんてしないよ」
「偉そうな言い方しやがって」
 拗ねるように鼻を鳴らした鷲津。何が気に入らないのかわからないけど、許容されたからには私も、遠慮をするつもりはなかった。
 身を起こし、少し位置を下げる。彼の両脚の間に膝をつくと、ジーンズのベルトに手を掛けた。
 かちゃりと、鍵の開くような音が室内に響く。
「い、いきなりかよ」
 鷲津の焦った声が聞こえたから、ちらと目を向け、笑っておいた。
「安心して。脱がすのはズボンだけだから」
「安心って……」
「あ、ごめん。やっぱり嘘。靴下も脱がすよ」
 ベルトを外し、ジーンズを引き下ろす。鷲津が腰を浮かせてくれないので手間取った。最後は面倒になって、彼の身体を裏返して、無理矢理抜き取った。重いジーンズは床に放り、次は靴下。裏返ったままの彼の足から、黒い靴下を脱がせる。こっちは幾分か楽だった。
 下半身が下着姿で、セーターもまくれ上がって背中が露出している。そんな鷲津の姿は、この上なく無防備に見えた。
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