Tiny garden

熱情(3)

 待ち合わせ場所は駅前にした。
 というのも、鷲津が私と外を歩くのを嫌がったからだ。一緒に長い距離を歩いていくのがどうしても耐えられないのだそう。駅前の方が余程人通りも人目も多いように思うけど――彼の言うことなので、お望み通りにしてあげた。
 駅前で午後一時に落ち合う約束だった。さすがに制服姿ではフロントで断られるだろうから、ちゃんと着替えてくることも約束し合った。鷲津と一旦別れた後で、私は帰宅し、約束通りに私服へと着替えた。それなりに可愛い服と下着を選んでおいた。その後、駅前へ向かう前にコンビニへと立ち寄り、飲み物やお菓子を調達しておいた。全て、パーティには必要なものばかりだ。ビニール袋ごとバッグに詰め込めば、準備万端。

 落ち合うポイントへ辿り着いたのは、午後一時の五分前。
 その時既に鷲津は来ていた。通学時に着ているのと同じ、地味な黒のコート姿で立っていた。人目を忍ぶ為かフードを被っていたけど、どこからどうみても鷲津とわかった。姿勢がいいから。
「お待たせ」
 私が駆け寄り、声を掛けると、鷲津はゆっくり面を上げた。フード越しにこちらを睨んでくる。
「遅い」
 低い声で言われて、不思議に思う。
「そう? 約束の時間前じゃない」
「普通は早めに来るものだろ、こういう時。ましてや誘ってきたのはお前の方なんだから」
 五分前に来て責められるのも奇妙なものだけど、もしかして鷲津は、まだ私のことを信用していないのだろうか。そうだとしたら、不安がらせてしまったのかもしれない。悪いことをした。
「ごめん。次からは気を付けるね」
 素直に詫びると、鷲津は、
「当たり前だ」
 と言った後で早口気味に付け加えた。
「まあ、次があるかなんてわからないけどな」
 主導権を握りたがっている口調だとわかる。今日だって約束をしてくれた鷲津が――しかも昨日の今日、なのに――次の機会を考えていないということはあるんだろうか。次に誘っても、何だかんだとぼやいた挙句に誘いに乗ってくれるような気がする。なんて、楽観的過ぎるかな。
 ともあれ私も、一期一会の気持ちで張り切るつもりでいる。今日だって可愛い服装を選んできた。お気に入りの白いコートは、通学に使うと汚れそうなので遊びに行く時しか着ていない。デートで着るのは初めてだ。
 鷲津は私の着てきたコートを、粗でも探すみたいにじっくり観察してきた。それから視線を下げて、スカートの丈も確かめたようだ。結局、何も言いはしなかったけど。
「そろそろ行こうか?」
 急かすように私は言って、それから二人で歩き出す。
 肩を並べて歩くのは初めてだった。だけど会話はほとんどなかった。

 駅前通りから一本、裏路地に入ったところに件のラブホテルはある。
 アイボリーの外壁の五階建て。ぱっと見、普通のホテルみたいな外観だった。それでも入り口のところの料金表が、『ご宿泊』と『ご休憩』に分かれているから、そういう場所なのだとわかってしまう。
 フロントはほとんど通路のような構造だった。片側の壁は曇りガラス張りで、狭いカウンターの上に小さな窓が一つあるきり。そこに誰かがいるのはわかったけれど、お互いに顔が見えないようになっている、ようだ。反対側の壁には写真つきのパネルがずらりと並んでいて、そのいくつかに明かりが点いている。パネルの下には同数のボタンがあり、これを押して部屋を選ぶとのこと。
「どの部屋がいいの?」
 私は鷲津に希望を尋ねた。ホテル内に入ってからというもの、どこかぎくしゃくしている彼は、上擦った声でこう答えた。
「任せる」
 静まり返るフロントに、その声は少し響いた。ごくりと喉を鳴らすのも聞こえた。私は苦笑いを噛み殺しつつ、まずは無難そうな部屋を選んだ。ソファーのある部屋、二〇三号室。
 ルームキーを受け取ると、館内の案内表示に従い、部屋へと向かった。ホテル内はどこまでも静かで、誰とすれ違うこともなかった。先に立って歩く私を、鷲津が背筋だけは伸ばして、だけど覚束ない足取りで追ってくる。

 部屋に入ると、自動で照明が灯った。柔らかく白い光に照らされて、室内が隅々まで見通せる。入ってすぐのところにドアがあり、察するにバスルームとトイレだろう、と思う。少し進んだ先にはカーテンの引かれた窓があり、大きめのソファーとテレビ、それになぜかカラオケセットもあった。部屋の隅には申し訳程度の観葉植物も添えられている。
 靴を脱いで上がり込む。奥まで進むと、ダブルサイズと思しきベッドが置かれていた。きちんと整えられているのがわかって、やはりほっとする。
 コートも脱ぎ、備え付けのハンガーに掛けた。それから振り向けば、鷲津はまだ入り口のところでまごまごしているようだった。
「入らないの?」
 急かすように呼びかける。ようやく、彼も靴を脱ぐ。上気した顔は、なのにがちがちに強張っているようだ。何に怯えているのかは、私にはわからない。
 鷲津がコートを脱ぐ間、私は入ってすぐのところにあったドアの向こうを覗いてみた。――予想通り、トイレとお風呂場。電気をつけると、お風呂場の広さがはっきりわかった。洗い場も浴槽も、うちのお風呂の比じゃない。しかも鏡まで大きい。
「ねえ、バスルームが広いよ」
 私はうきうきと彼に声を掛ける。返事はなかったけど、更に続けてみた。
「後で一緒に入ろうか?」
「嫌だ」
 今度は即答されてしまった。
 それで私はバスルームの明かりを消し、とりあえず部屋まで戻った。戻ってみると、鷲津は部屋の中央に突っ立っていた。所在なげに辺りを見回している、その表情がまるで迷子みたいだと思う。
「座ったら?」
 私はソファーを目で示した。
 鷲津がこちらを見る。表情はまだ硬い。
「やっぱりお前、変だよな」
「今更じゃない、そんなこと」
「けど、普通じゃないだろ。堂々とし過ぎだ」
 そうでもないんだけどね。内心、期待で膨らんだ胸がはち切れそうだった。どきどきしているのは間違いない。二人きりの部屋で、これから午後五時まではたっぷりと、楽しめそうなのだから。
 自然と、喉が鳴ってしまう。
「飲み物を買ってきたの」
 私は率先してソファーに座ると、持参した飲み物とお菓子を、ガラステーブルの上に並べていった。ペットボトルのジュースが二本、それとスナック菓子が一袋に、クラッカーを一箱、チョコレート菓子も一箱。鷲津の好みを知らなかったので、あれこれ取り揃えてみたつもりだ。
「お茶とスポーツドリンクならどっちがいい?」
 ペットボトルを手に、私は尋ねた。
 ふらふらとソファーへ近づいてきた鷲津が、無言でスポーツドリンクを指差す。それから腰を下ろした。ソファーが微かな音を立てて軋んだ。
「これから汗を掻くからね」
 余計な一言とわかっていながらそう告げれば、彼は途端にむっとした顔になる。すぐさまお茶の方を引っ手繰っていく。
「こっちでいい」
「別に、遠慮しなくてもいいのに」
 私はわざとらしく笑って、冷えたスポーツドリンクの蓋を開けた。口をつけた。喉を下っていくのが心地いい。

 二〇三号室はとても静かだった。
 黙っていると、何の音も聞こえない。他の部屋にもお客さんがいるはずなのに、誰の声も物音もしなかった。防音設備が徹底しているんだろうか。――だからカラオケセットがあるのかもしれない。多分。
 ふと見れば、鷲津はテレビのリモコンを弄っていた。テレビを観る気はないらしく、ただボタンを眺めているだけのようだ。うちにあるテレビのリモコンよりも、ボタンの数が多い。
「テレビ、点けようか」
 尋ねると、鷲津はこちらを見ずに応じた。
「いい。この時間はどうせ、ろくな番組やってないし」
「平日の昼間はそうだよね」
 その言葉には同意を示しつつ、私は小声で言い添える。
「でも、アダルトビデオが観れるよ」
「は?」
「こういうところではアダルトチャンネル観放題なんだって。興味ない?」
 これも、ネットで得た知識。とはいえ、私自身はあまり興味もなかったけど――鷲津が好きなら付き合ってあげてもいい。そういうの観ながらの方が、好きって人もいるらしいし。
「興味ない」
 鷲津は、予想通り一蹴してみせた。お茶のペットボトルを開封し、一口、二口、喉を鳴らして飲む。波打つ喉元が白い。隆起が艶っぽく上下している。そこに雫が流れ落ちると、何だか堪らなくなってしまう。
 ペットボトルから唇を離し、深く息をついてから、鷲津は言葉を継いできた。
「……ベッド、行くか」
 片言みたいな提案だった。
 もしかすると、命令だったのかもしれないけど。口調ではそんな風には聞こえなかった。ただ、待ち望んでいた言葉には違いなかった。
「いいよ」
 私は頷き、すぐに立ち上がった。
 鷲津はよろけながら後に続く。本日の主導権は、どうやら容易く奪い去ってしまえそうだ。
PREV← →NEXT 目次
▲top