Tiny garden

忘れてしまえば良いのです(4)

 鷲津の上に馬乗りになって、彼のシャツのボタンを外す。
 上から三番目まで外したところで下のTシャツが覗いた。抑えが利かなくなって、堪らず鎖骨に食らいついた。鷲津が喉を震わせる。
「感じたなら、可愛い声を出してね」
 私が告げると、涙の滲む目で睨まれた。仕方なく全てのボタンを外した。カッターシャツを開き、Tシャツをまくり上げて、みぞおちまで唇を這わせる。途端に胸が反らされて、声が上がった。彼の反応も、彼の声も、態度よりは余程素直だった。
 彼の上半身はどこもかしこも色白で、ほんのり赤らんでいた。肌はすべすべだった。肋骨が浮いて見えるお腹はとても華奢で、内心羨ましくもなる。
「私、こんなに痩せてない」
 とっさに声に出してぼやくと、すぐさま彼が真っ赤な顔で怒鳴った。
「何だよっ、じゃあ鍛えてる奴のところに行けばいいだろ!」
「嫌いだとは言ってないじゃない」
 考えたこともなかったくらいだ。どんな男の人が好きか、なんて。今なら思う、鷲津以外の人は本当にどうでもよくって、鷲津は全部、何でもいいと思う。
「ただ私、痩せてないし。その割に胸がないから」
 ブラウスの前は開きっ放しで、鷲津からもちゃんと見えているはずだった。あまり大きくない胸と、そこから連なる柔らかい――もしかすると胸よりも柔らかいかもしれないお腹。
「鷲津はどう? 胸の大きい子の方が好き?」
「別にどうでもいい」
 呻くような答えが返ってきて、ほっとする。どうでもいい、ならよかった。
「私は鷲津が好きだよ。痩せてるところも、色白なところも、すごく可愛い反応をするところも、全部」
 脇腹を指先でなぞる。彼が身を捩るから、調子に乗ってあちこち撫で回したくなる。
「馬鹿じゃないのか、お前っ」
 彼が跳ねる言葉を発した。
「言ってるだろ、お前のこと好きな奴がいるんだって! 俺はお前なんか好きじゃないのに、どうして!」
 またその話をするの?
 それこそ、どうでもいいって言ってるのに。何だか悔しくなる。そこまで鷲津の心に巣食っているらしい、男子生徒のことが妬ましくなる。誰だか知らないけど、絶対振ってやるから。こてんぱんに。
「……じゃあ、私のこと好きになって」
 むっとした私は、鷲津のカッターシャツとTシャツを無理矢理、脱がせた。胸の上、声が上がると震える辺りに吸いつく。こうすれば痕がつくって知っていた。痕をつけたい。私の痕跡を彼に残したい。私が彼をめちゃくちゃにしたんだって証をたくさん残して、彼をずっと拘束し続けたい。
 誰にも。誰にも渡さないから。彼の身も心も。
「今すぐじゃなくてもいい。いつか、彼女にしてよ」
 ちゅう、と音を立てて赤い痕を残していく。彼の肌だとよく目立った。
「それまではどういう扱いでもいいの。身体の関係だけでもいいし、鷲津が私を利用したいならそうすればいい。鷲津のものにしてくれたら、今はそれだけでいいから――そのうち、私を好きになって」
 お互いに拘束し合える関係になりたい。離れられないくらい、身も心も惹かれ合っているような、そんな関係になりたい。私が彼に惹かれたように、彼も私に惹かれるようになってくれたらいい。いつか、でいいから。
「私は鷲津が好き。だから、望むことなら何でもしてあげる。気持ちいいと思うことだっていくらでもしてあげるから……」
 今の私に出来ることなんて、そう多くはないけど。でも、鷲津がして欲しいと思うことは、何でも、ちゃんと覚えておくようにする。鷲津の喜ぶことも、うれしいことも、幸せだと思うことも、気持ちのいいことも全部。
「私のこと、好きになってくれない?」
 とろんとした目にそう、問いかける。彼の上に腹這いになった私は、既にたくさんの痕を彼の肌につけていた。肌が直に触れ合って、温かい、とても気持ちいい。
「好きになんか……」
 鷲津はもう、ぐったりしていた。紅潮した頬には涙の筋があり、声を上げ過ぎたせいか唇の皮が剥けていた。相変わらず、言葉だけが強気だった。
「好きになんかなるものか、俺は、女は総じて嫌いなんだ」
「男の子が好きなの?」
「そうじゃない、馬鹿」
 鼻を鳴らすことも一応、忘れてはいなかった。
「女はぎゃあぎゃあ口喧しいし、徒党を組んで嫌がらせをするから、大嫌いだ。だからお前のことも好きにはならない。あくまで利用してやるだけだ」
 絶え絶えの呼吸でそれだけ言えたのは大したものかもしれない。私に組み敷かれている状況で、まだ強気でいられるのも。とは言え予想通りの答えが返ってきて、私は素早く頷いた。
「それでいいよ」
「本当にわかってるのか、お前。いいようにこき使ってやるって言ってるんだぞ」
「いいんだってば、それで」
 鷲津のことだ、すぐには好きになってもらえないだろう。じっくり時間を掛けて、彼を攻め落としていきたい。私じゃなくちゃ駄目なんだって、その身体にも、心にも刻みつけたい。
「本当に、お前のそういうところが嫌いだ」
 手の甲で目元を拭うと、鷲津は私を振り落とした。私が床にしりもちをつけば、のろのろと上体を起こし、こちらを目の端で見てくる。
「そこまで言うなら抱かせろよ」
 深く、息をつきながら彼が言う。
「言っておくけど、もう余計なことはするなよ。ずっと黙ってろ。俺の好きなようにする、お前は何もするな」
「わかった。でも避妊はしてね」
 今日のところは譲ってあげよう、そう思って私も答えた。彼の鎖骨から胸の辺りに掛けて、随分と痕をつけてしまったことだし――やり過ぎたかもしれない。だからまあ、このくらいにしておいてあげる。
「使い方、わかる?」
 私が自分の財布を差し出せば、鷲津はむっとした様子で応じてきた。
「馬鹿にするな」
「あ、それと。何度も言ってるけど」
「何だよ」
「私、本当に初めてだから」
 乱暴に抱き寄せられて飛び込んだ腕の中、私は自分でつけた痕をそっと撫でた。いとおしい。
「カーペット、また汚さないように気をつけて」
「……どこまで本当なんだか」
 まだ疑わしいと言いたげに、鷲津が私のブラウスを剥がした。


 全てが終わると、鷲津はベッドから布団を引きずり下ろして、自分と私の上に掛けた。私は服を着ていなかったし、鷲津も上半身は裸で、スラックスのベルトも緩めたままだった。だけど何を取り繕う余裕もなく、二人で黙って布団に包まる。
 身体を寄せても彼は嫌がらなかった。腕にしがみついて、私はしばらく彼の温もりを楽しんだ。しみじみと幸せだった。痛かったけど。
「本当、だったんだな」
 ふと鷲津が呟く。私が視線を向ければ、気まずげに逸らされた。
「何のこと?」
「何でもない」
 緩くかぶりを振って話を打ち切ると、彼は目を伏せる。前髪が汗に濡れて額に張りついていた。それなのに布団を被って、暑くないんだろうか。
 私にはちょうどいいくらいだった。布団のひんやりした感触も、鷲津の身体の温かさも――危うく眠ってしまいそうになって、慌てて目を開ける。そろそろ帰らないとまずいかもしれない。
 窓の外は既に暮れ始めていた。三月の空はきれいな茜色をしていて、何となく、今の気持ちにぴったりだった。
「私、そろそろ帰るね」
 そう告げると、鷲津は短く答えた。
「ああ」
 布団から腕を伸ばして、辺りに散らばった下着やら、制服やらを拾い集める。タイリボンは鷲津が拾ってくれた。裸の腕がぐいと伸びて差し出してくれるのを、くすぐったい思いで受け取る。
「ありがとう」
 私のお礼を、彼は鼻を鳴らしてあしらった。それから背を向けてきたので、私も布団から這い出て、手早く制服を身に着ける。
 この制服を着るのも明日で最後だ。そう思うとせいせいした。
「そういえば、鷲津って進学先はどこなの? 大学行くんでしょう?」
 ブレザーのボタンを留めながら私は尋ね、彼が舌打ち交じりに答えるのを聞く。
「お前とは違う大学」
 手が止まった。
 私は振り向き、剥き出しになった彼の、骨ばった肩へと尋ねる。
「鷲津、私の進学先は知ってたの?」
「偶然聞いた。聞こえた。だから知ってただけ」
 彼はこちらを見ない。その言葉のどこまでが本当か、私にはわからなかった。
 でも、わかったとしても、どうなるという訳じゃないだろう。彼にとってはどうでもいい、些細な事実のはずだから。こんなきっかけでもなければ程なくして忘れてしまうような。
「卒業してからも会ってくれる?」
 制服を着終えた私は、彼の顔を覗き込もうと身を乗り出した。途端に彼はうつ伏せになり、カーペットへ顔を埋めてしまう。
「考えといてやる」
「ありがとう。前向きにお願いね」
 鷲津がこちらを見ないので、私は剥き出しの肩と、背中にキスをした。それから自分の財布と鞄を掴んで、彼の部屋を出た。

 外の風は思いのほか冷たかった。空腹も、今頃になって急に思い出した。私は身を竦め、家までの道を辿り始める。
 見上げれば、夕焼け空が一面に広がっている。明日の卒業式もきっといい天気だろう。そして私も鷲津も、明日はいい気分で迎えられるだろう。
 拘束が解かれる、とても晴れがましい日のはずだから。
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