Tiny garden

See me, See you.(1)

 涼葉ちゃんに報告するのは、正直、ちょっと照れた。
 だけど私がここまで頑張れたのは涼葉ちゃんのお蔭でもある。相談に乗ってもらったり、一緒に服を選んでもらったりとお世話にもなったことだし、ちゃんとお礼がしたかった。

 それで七月に入ってすぐの週末、彼女をご飯に誘った。
 涼葉ちゃんも二つ返事で飛んできてくれて、二人で新宿まで出た。通勤中に見かけた美味しそうな店を調べておいたから、そこへ行ってみた。気がつけば私たちはすっかり東京に慣れている。
「おめでとう、桜ちゃん!」
 乾杯の後で涼葉ちゃんがそう言って、私は照れた。
「あ、ありがとう……。嬉しいけど、恥ずかしいな」
「もう恥ずかしがってる! これからいろいろ喋ってもらう予定なのに」
「えっ、あの、ちょっとだけでいい?」
「だーめ。全部!」

 もちろん彼女には感謝しているし、報告したいと思って誘ったんだけど、だからといって一部始終を全部話すのは無理だった。私がどう告げたか、彼がどんなふうに言ってくれたか、その辺りは突っ込まれつつもある程度ぼかした。
 それでも、二人でスカイツリーに登ったことや、ソラマチを歩いたことは打ち明けた。
 そして、伏見さんとお付き合いを始めたことも。

「両想いだって知ってたけど、上手くいってよかった」
 涼葉ちゃんは一通り聞くと、ほっと胸を撫で下ろしてくれた。
 優しくて頼りになる、とても素敵な友達だ。上京してからずっと、涼葉ちゃんがいてくれたから心強かった。その上、恋でもたくさんアドバイスと勇気をくれて、私はもはや涼葉ちゃんに頭が上がらない。
 今度は私が、涼葉ちゃんの為に何かできたらいいなって思う。
「ね、その伏見さんってどんな人? 写真とかないの?」
「こないだ、スカイツリーで撮ったのならあるよ」
 涼葉ちゃんにねだられて、私は携帯電話に保存していた伏見さんの写真を見せた。隣に完全デートファッションで真っ赤な顔の私がいるのがやっぱり恥ずかしかったけど、涼葉ちゃんはにやにやしながらそれを見て、
「あれ、この人……」
 ふと、その目を瞬かせた。
「どうかした?」
「いや、この人なら私も電車で見かけてたなと思って」
 涼葉ちゃんも四月頃は一緒の時間に通勤してたから、同じ車両に乗っている伏見さんを見かけていたのかもしれない。
「……ああ、そういえば。この人、桜ちゃんのこと見てたんだよね」
 更にそう言われて、今度は私が驚く番だった。
「わ、私を?」
「うん、見かける度に見てた。だから顔覚えてたんだ」
 意味ありげに微笑みながら涼葉ちゃんが続ける。
「って言ってもずっとじゃなくて、ちらちらっと見てくる感じで。最初は私たちがお喋りしてて、うるさくて見てきてるのかなと思ってたけど、睨んでるふうでもなかったし。ほら、春先の私たちっていかにも『おのぼりさん』だったじゃない? それで目立ってたのかな、くらいに思ってた」

 伏見さんが――。
 それは彼が『あの頃も、毎日のように君の不安そうな顔を見ていた』と教えてくれた、その時のことだったのかもしれない。
 私の幸せを願ってくれていた伏見さんは、涼葉ちゃんの目にはどう映っていたんだろう。

「言われてみれば、ちょっと心配そうではあったかな」
 と、涼葉ちゃんは語ってくれた。
「四月の桜ちゃん、元気ないこと多かったもんね。私も余裕なくて、上手く励ませなかったけど」
「そんなことないよ。涼葉ちゃんがいてくれて、いつだって心強かった」
 初めての東京、初めての就職、初めての通勤ラッシュ。
 涼葉ちゃんと一緒だからこそ、あの頃の心許なさだって乗り越えることができた。
 でも彼女に頼りきっていたのも事実で、だから伏見さんは私を気にかけてくれたんだって思う。
「涼葉ちゃんは私の恩人だよ、ありがとう」
 改めてお礼を言ったら、彼女は可愛くはにかんでいた。
「それほどでもあるよ、なんてね。正直、お互い様だったしね」
 涼葉ちゃんの辛い時に、私が支えになれたことがあったのかな。そうだったなら嬉しいけど。
「そっか、この人が伏見先生かあ。言われてみれば先生っぽい」
 それから涼葉ちゃんは、伏見さんの写真をもう一度眺めた後、うんうんと頷いてみせた。
「だったら、随分前から桜ちゃんのこと見てたんだね」
「そうだったんだ……何か、すっごく恥ずかしいな」
「案外、向こうの一目惚れだったのかもね」
「そ、それはないよ!」
 そこは伏見さんから聞いていたから知っている。
 初めのうちは私に、教え子さんたちを重ねていたんだって。
 でもそこから、全く奇跡みたいな話だけど、私のことを好きになってもらって――今はすごく、幸せだった。
「にしても、桜ちゃんの彼氏は素敵な人だけど、学校の先生だって思うと倍増しだね」
 私に携帯電話を返した後、涼葉ちゃんはどこか懐かしげに言った。
 もしかしたら、前に話してくれた『先生』のことを思い出していたのかもしれない。
「って言うかこんな先生いたらやばくない? 格好いい!」
「わかる! やばいよね!」
「私なら絶対授業に集中できない自信ある!」
「私も! 漢文とか頭入ってこないよ!」
 涼葉ちゃんと私はテーブル越しにそう言い合ってから、お互い声を立てて笑った。
 伏見さんが私の先生じゃなくてよかったって、変な話だけど思う。だって彼氏としてだって、まだ目を合わせるのに慣れてないくらいだから。
 それに伏見さんからは授業じゃなくて、もっと違う、楽しいことや幸せを教わりたいなって。

 ひとしきり報告を終えた後、話題はお盆休みのことに移った。
 以前話し合っていた通り、今年の夏は帰らないつもりだった。春のうちは本当に、東京に戻るのが辛くなるかもしれないからという理由だった。それでなくても故郷を出てきてから四ヶ月くらいじゃ、まだ帰りづらいだろうなと思っていた。
 だけど涼葉ちゃんは、急遽帰省することを決めたのだそうだ。
「一泊二日の強行軍だけどね」
 そう言って、彼女はもじもじと付け足す。
「先生に……会ってこようと思って」
「わあ!」
 こっちは自然と声が出た。
 涼葉ちゃんの先生というのは、あの先生だ。文化祭のキャンプファイヤーで一緒に過ごしてくれた、涼葉ちゃんが好きだった人のことだ。
 私が食いつこうとするのを察してか、涼葉ちゃんは慌てて手を振る。
「別に、告白してくるとかじゃないよ!」
「違うの?」
「違う違う。単にお礼言ってくるだけ」
 迷いなく首を横に振った後、
「あの時、それすら言えなかったからね。幸い先生、まだ母校にいるらしいし。帰って、顔見て、一言でもお礼言えたらすっきりするかなって」
 もう決めてしまったことみたいに、さっぱりと言い切った。
 私は、涼葉ちゃんの先生のことを知らない。だから彼がかつての教え子の来訪に、そして感謝の言葉にどんな反応を示すかだって想像もつかない。
 だけど涼葉ちゃんにとっては、次に繋がる大事なステップなんだってことだけは、よくわかった。
「行ってらっしゃい。涼葉ちゃんの先生にもよろしくね」
 今度は私が背を押すつもりで、そう言った。
「ありがとう。勇気出して、覗いてくるよ」
 涼葉ちゃんはしっかりと顎を引き、それから笑って聞き返す。
「ところで桜ちゃんは、やっぱり帰らないの?」
「うん、そのつもり」
 当初思っていた帰りづらさはなかったけど、今回は帰らないつもりだった。
 何と言うか、『東京で彼氏ができました』とはまだ言いづらいかなって。お正月に帰る時までには、照れずに言えるようになってたいな。
 それと、お盆休みには予定もあることだし。
「彼氏と楽しく過ごすんでしょ?」
 涼葉ちゃんがにやりとして切り込んでくる。
 なので私もごまかさず、素直に頷くことにした。
「そう……なるといいなと思ってる。せっかく両想いになれたんだから、頑張らないとね」
 今が幸せだからこそ、私、もっと頑張りたい。
 伏見さんに、私を見つけてよかったって、ずっと思っていてもらいたい。
 だからこの夏は、東京で頑張ろうと思ってる。

 私と伏見さんの関係は、相変わらずだ。
 付き合い始めたからといって劇的に何もかもが変わってしまうということはなく、だけどこれまでのどきどき感や浮かれたくなる気持ちに、ようやく安心感が加わったように思う。
 朝、駅で彼を見つけるとほっとする。
「伏見さん、おはようございます!」
 私たちは駅のホームじゃなくて、改札前で待ち合わせをするようになった。その方が確実に会えるし、混み合うホームで人並みに流されないようにしながらきょろきょろする必要もないからだ。
「おはよう、桜さん」
 さらさらの髪、皺一つないシャツとスラックス姿の伏見さんが、私に向かって微笑んでくれる。
 先生だったら絶対授業に集中できなくなりそうなその笑顔を、私は眩しく思いながら笑い返した。
「今日も暑いですね」
「暑いな。これなら電車の中の方がまだ快適そうだ」
「冷房効いてますもんね。夏バテとか、伏見さんは大丈夫ですか?」
「気をつけてるよ。心配してくれてありがとう」
 私たちは一緒に改札をくぐり、階段を上り、人で溢れる朝のホームへ出る。
 賑やかな蝉の声が響く夏の朝、二人で、電車を待つ列に並んだ。彼はいつでも私の隣にいてくれるし、電車に乗り込んだ後は私が押しつぶされないように庇ってくれる。だから私も彼の傍を離れないようにして、新宿までの道程を、時々視線を交わしながら、お喋りもしながら過ごしていた。

 まだ、ずっと見つめていることはできない。
 伏見さんは素敵だし、満員電車の中では自然と距離が近くなってしまうし、私が見ていると伏見さんも私を見て、まるで熱烈に見つめ合っているようになってしまうからだ。額にキスされた記憶もまだ新しく、思い出さないようにするのに苦労している。
 だから基本は彼のネクタイの結び目を見つつ――ダークブルーかグレーのネクタイから、時々は視線を上げて、できるだけこの距離に、この関係に早く慣れるように努めている。
 私が視線を上げると、伏見さんもすぐに気づいて、私を見下ろす。
 色素の薄いあのきれいな瞳は、たとえ真夏の満員電車の中で見ていても、すごくきれいだった。
 そして優しく、穏やかに、私を見つめてくれていた。
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