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鑑賞品としてのパフェ(1)

 三月になると、ようやく寒さもゆるみはじめた。
 冬物のコートはクリーニングに出してしまって、お気に入りのスプリングコートに袖を通した朝。出社するために駅からの道を歩いていると、前方に見慣れた姿を見つけた。

 どちらかといえば、最近見慣れてきた姿、かもしれない。
 癖のあるぼさぼさの髪、背丈はひょろりと高く、でもそのせいか猫背気味に歩いている。
 羽織っているのは我が社支給のブルゾンで、通勤の間も社名を背負うことを厭わない愛社精神の持ち主――というわけでもないんだろう。ブルゾンの下は黒のスラックスで、いつもスーツを着ているらしい。らしい、というのは見たことがないからで、瀬良さんは勤務中はいつも作業着だった。

 そんな瀬良さんに、私は後ろから駆け寄りつつ声を掛ける。
「おはようございます!」
 たちまち彼は足を止め、のっそりと振り返った。
 そしてなんとも曖昧な笑みを浮かべながら答える。
「お……おはようございます……」
 覇気のない挨拶はこれまでに比べれば全然マシな方だった。少し前まではこちらの挨拶にも会釈オンリー、もしくは『ども』の一言だけだったんだから。
 私は満足しつつ、瀬良さんの隣に並ぶ。
「瀬良さん、スーツで通勤してるんですね」
「服選び面倒くさいんで」
「そんな理由?」
「他にないですよ、こんな窮屈なもん。許されるなら作業着で通勤したいです」
 うめく瀬良さんは、実際息苦しそうにブルゾンの襟元に指を差し入れた。ちらりと白いワイシャツが見えたけど、ネクタイまでは見えなかった。窮屈だというくらいだからノータイなのかもしれない。
「青戸さんは……」
 そこで瀬良さんが、ちらりと私を見た。
 スプリングコートを羽織る私がすかさず微笑むと、難しい顔で目を逸らされる。
「なんか、ひらひらしてますね」
 で、出てきた言葉がそれだった。
「……褒めてくれたんですか?」
 思わず聞き返せば、深い溜息が返ってくる。
「もっと褒めようと思ったんですが、あざとい言葉しか浮かばなくてやめました」
 あざとい言葉ってなんだ。
「具体的にどんな言葉ですか、それ」
「いやもう、キモオタが口にしたら舌を引っこ抜かれそうな台詞です」
「ええ……そんなのあります?」
「あるんですよ。陰キャ男に人権なんてないんです」
 瀬良さんのネガティブさは相変わらずで、事あるごとに自分が日陰者であるかのような言葉を口にする。そういう時の瀬良さんは薄ら笑いみたいなものを浮かべていて、私もそれが彼なりの冗談なのか、それともこれ以上傷つかない為の自己防衛なのか、まだ掴み切れてはいなかった。
 それでも、一応は主張している。
「瀬良さんは気持ち悪くないですよ」
 私の言葉に、瀬良さんは黙り込んだ。
 癖のある長い前髪が三月の風に揺れると、伏し目がちな目元が覗いた。何か考え込んでいるような、ためらってもいるような、そんな表情に見える。
 私もなんとなく、それ以上は言えなくなった。

 この瀬良さんに、私が告白されたのは先月のことだ。
『青戸さんに残念なお知らせがあります』
 そんな、およそ愛の告白の前振りとは思えぬ言葉から始まり、
『俺、青戸さんのことが好きになりました』
『かわいそうに。俺みたいなのに好かれて、今日は人生最悪の日ですね』
 次々と言われた内容に、私もあっけに取られてしまった。
 ある意味斬新でインパクト抜群、オンリーワンな告白だったと思う。たぶん一生忘れられない。

 私は瀬良さんを気持ち悪いだなんて思ってないし、瀬良さんに好かれたことを最悪だとか、自分がかわいそうだなんて感じてもいない。むしろ私でいいのかな、なんて照れくさく思うくらいだ。
 しかしそれを受け入れるかどうかはまた別の話で、入社一年目の現在、彼氏が欲しいという気持ちは全然持っていなかった。一応やんわり断りはしたけど瀬良さんは諦めないつもりのようだし、私も同僚として、あるいは尊敬する先輩として瀬良さんのことを気に入っている。正直、一緒にいて楽しいって気持ちはあった。
 あと、これだけネガティブな人にあんまり強く言ったら、何するかわからないとこあるし。
 瀬良さんももうちょっと前向きになって、猫背やめて背筋しゃんと伸ばして、あと髪型でも変えてみたらけっこういい感じだと思うんだけどな。もったいない。
 そういうふうに考えちゃう時点で、私にとっての瀬良さんはすでに放っておけない人なのかもしれない。

 道の向こうに弊社が見えてくる。
 三階建ての白壁のビルと隣接する平屋の工場、ビルで働いているのが事務の私で、製作の瀬良さんは工場勤務だ。『瀬良ゾーン』は相変わらずそこにあって、瀬良さんはいつも引きこもって作業に没頭しているらしい。らしいというか、よく覗きに行くから知ってるんだけど。
 作業中の瀬良さんはまさに職人という感じで、眼差しも真剣で格好いいんだけどな。いつもあんな感じに振る舞ってたらいいのに。気持ち悪い、なんて自称しなくていいのに。

 近づいてくる弊社の外観を眺めながらそんなことを思っていれば、
「青戸さん」
 瀬良さんが久しぶりに声を発した。
「なんですか?」
 答えながらそちらを向けば、長い前髪越しの目が一瞬挙動不審に泳ぐ。そうして視線をそらしつつ、それでも瀬良さんが答えた。
「十四日の夜、予定入ってたりします?」
 三月十四日といえば、ホワイトデー。
 そして平日だからふつうに出勤だった。もちろん退勤後は予定もない。
「ないですよ。残業がなければ」
 正直に告げると、瀬良さんが決まり悪そうに頭を搔く。
「なら、青戸さんは甘いもの食べれます?」
「甘いもの、大好きです。もう洋でも和でもいけますよ」
「冷たいものは?」
「え、アイスとかですか? それも好きですけど」
「夜に甘くて冷たいもの食べるのも平気ですか?」
「ええ、まあ……家ではよく食べますよ」
 なんだこの矢継ぎ早の質問。
 戸惑う私に、彼はためらいがちに、ようやく本題を口にした。
「よかったら――いや、よくなかったらすっぱり断ってくれて全然構わないんですけど、俺、パフェ食べに行かなきゃいけないんですよ。けど男一人でパフェとか浮くじゃないですか。なんで、奢りますから青戸さんも一緒に来てもらえないかなって……」
 そこまで言ってから初めて私の顔をちゃんと見る。
 途端に卑屈な苦笑いが浮かんだ。
「迷惑だったらそう言っていいですよ、マジで」
「迷惑じゃないですよ」
 私もとっさに答えてから、すぐに察した。
 つまりこれは瀬良さん流のデートのお誘い、なんだろう。

 いやそれはわかるけど、もうちょっといい誘い方があるのでは。
 私も偉そうなことを言えるほど恋愛経験あるわけじゃないけど、この台詞で喜んでついていく女の子はまずいないと思う。
 ――全くいないわけでもないか。

「パフェって、どこのお店で食べるんですか?」
 そう聞き返すと、瀬良さんはどこか意外そうに目をみはった。
 その後で答えてくれる。
「店はもう決まってるんです。季節のフルーツパフェがとても美しい店がありまして、三月はイチゴ、それに桜のパフェが提供されているそうで。味もネットの口コミでは評判いいですよ」
「いいじゃないですか! 行きたいです!」
 甘いものも冷たいものも大好きな私はそこで食いついた。パフェなんてもちろん大好きに決まっている。イチゴにしようか桜にしようか、今からめちゃくちゃ悩んでしまう。
 瀬良さんはあっけに取られた様子でしばらく固まっていた。少ししてから、はっとしたようにまばたきを繰り返す。
「え、いいんですか」
「そう言いましたよ。食べに行きましょう、パフェ」
「マジですか。てっきり断られると思って、プレゼン画像も用意してきたんですよ」
 変なところが準備のいい瀬良さんは、スマホの画面にそのプレゼン画像とやらを表示して私に見せてくれた。件のパフェはつやつやした真っ赤なイチゴのパフェで、薄いピンクのアイスの下はふわふわの生クリーム、さらにその下にはきめの細かいスポンジと甘酸っぱそうなイチゴソースと側面から見た層も実に美しいパフェだった。
「すごくおいしそうですね!」
「ええ、フォトジェニックなパフェですよ」
 私とは違う褒め方をした瀬良さんは、今になってやっと実感が湧いたというように口元をゆるませる。
「青戸さんがいいと言ってくれるとは思いませんでした。いいんですか、ホワイトデーに俺なんかと一緒で」
「よくなかったら断ってますって」
 自分から誘っておいてこんなにも卑屈なんだから笑ってしまう。やっぱり瀬良さん、オンリーワンな人だ。
 ネガティブな言葉が続くのもよくないし、私は早々に話題を変えることにする。
「瀬良さんも甘いもの好きなんですね。パフェとか食べるイメージなかったかも」
 言ってしまってから『パフェ食べない=キモオタのイメージ』とか思われたらどうしよう、と一瞬ひやりとしたものの、瀬良さんはそこで深くうなづいた。
「甘いものは好きですが、今回の主目的は鑑賞なんです」
「かんしょう……? えっと、パフェを?」
「はい」
 ぽかんとする私に、きっぱりと言い切ってみせる。
「こんなに美しいパフェをただ食べるなんてもったいない。これは鑑賞品でもあるんですよ」
 そう語る瀬良さんの眼差しは作業中と同じくらい真剣で、そうなると私にも察するものがある。
「もしかして、パフェのサンプルを作る気なんですか?」
「そうです」
「わあ!」
 答えを聞いた私は思わず声を上げてしまった。
「それはぜひ見たいです、協力します! 瀬良さんなら絶対すごいの作れますよ!」
「……青戸さんの期待は裏切らないよう、がんばります」
 瀬良さんが唇を結ぶ。
 気を引き締めたのか、それとも照れ笑いを噛み殺したのかは残念ながらわからなかった。

 ホワイトデー当日、私はつつがなく仕事を終えるとロッカールームへ飛び込んだ。
 女子社員が少ない会社ゆえ、女子のロッカールームはすれ違うこともままならない激狭空間。私がそこでメイクを直していると、同じく勤務終わりの朝比奈さんが鏡を覗き込んできた。
「青戸さんって彼氏いたっけ?」
「いないですよ」
「ホワイトデーの退勤後に念入りメイクしてるから、そういうことかと思っちゃった」
 まるで私が普段メイクも直さず帰っているみたいな言い方をなさる。
 いつもだって直してますよ。まあ今日みたいにビューラー使ったりアイライン引き直したりまではしないけど。
「でも早く彼氏作った方いいよ」
 朝比奈さんも自分の鏡を眺めつつ、丁寧に前髪を梳き始めている。
「青戸さん、瀬良さんにつけ狙われてるって評判だから」
 あ、それは評判も何も事実です。
「よく話しかけられてるじゃない? あの人が女子社員に自ら話しかけるとかほんとレアだからね! もうすっかりお気に入りじゃない」
 くすくす笑った朝比奈さんに、若輩者の私は生意気にもイラっとしてしまう。

 そりゃ瀬良さんは風変わりな人だけど、そこまで物珍しがらなくてもいいのにな。
 しかも私が好かれていることをさも気の毒そうに言うから――くしくも、瀬良さん自身がそう言うのと同じように。

 とはいえここで『今夜はこれから瀬良さんとデートなんです』と馬鹿正直に話すのは悪手だ。
 私は笑ってかわすことにする。
「まだ社会人なりたてなんで、彼氏欲しいって気持ちがないんですよね」
「そんなもん? 彼氏いない期間って不安にならない?」
「もう四年くらいいないので、いて安心っていうのがわからないんです」
「だめだめ! 瀬良さんがこじらせる前に逃げ切らないと!」
 朝比奈さんは言い聞かせるように続けた。
「誰か他に当てはないの? 青戸さんならモテるでしょ?」
 いやそんな全然なんですけど、モテたい欲求も今のところないし。
 彼氏の当てと言うならそれこそ瀬良さんしかいない。
 とはいえ前述の通り、そもそも彼氏を欲していない私は瀬良さんとの付き合い方にも若干悩んでいるところで――恋愛トークに便乗して、先輩に意見を求めてみることにする。
「実は最近、ちょっと告られたんですよ」
「え! いいじゃん、なんて答えたの?」
 朝比奈さんはそれが瀬良さんのことだとは思いもしないのか、テンション上げて聞き返してきた。
「穏便に断りました」
「それで相手は?」
「まあ……諦めてはないみたいです。そういうふうに言われたので」
「えー、そんな一方的に追いかけられるの気分よくない?」
 どうなんだろう。瀬良さんに好かれて嫌な気はしないけど、でも受け入れる気にもなってないからなあ。どっちかって言うと少し居心地が悪い。
「私も、その人のことは決して嫌いじゃないんです」
 そこは強調して伝えておく。
「でも好きでもないっていうか……少なくとも恋愛感情ではないかなって。友達だったら全然オーケーなんですけどね」
 好きでもない、というのは事実とは違うかもしれない。
 放っておけない。尊敬してる。瀬良さんのことをもっといろんな人に見直してもらいたい。瀬良さんにも卑屈にならず胸を張っていて欲しい――そういう気持ちは、でも、恋愛的な『好き』ではないはずだ。
 朝比奈さんはそこで小さく笑った。
「お試しで付き合ってみれば?」
「お、お試し?」
「そう。嫌悪感ない相手なら案外上手くいくもんだって。だめなら速攻振ればいいんだし」
「『お試しで付き合っちゃう?』っていい女向けの台詞じゃないですか!」
 さすがに瀬良さんよりずっとポジティブなつもりだけど、それでもそんな台詞を吐けるほどの自己肯定感はない。
 うろたえる私に、朝比奈さんはなおも諭してくる。
「いい大人なんだし、『付き合う』をそんな重く捉えなくてもいいでしょ」
「え……いや、そう……なんですか?」
「そうだよ! 友達スタートでも付き合ってみれば違う顔見えてきたりするもんだし、案外相性よくて上手くいったりすることあるよ。逆に友達ならよくても彼氏としてはだめだなって思うパターンもあるけどね」
 熱心に説いてくる朝比奈さんに、私はどう答えていいのかわからなかった。
 大人はそんなに軽くお付き合いできちゃうものなのか。私の恋愛観はまだまだおこちゃまということなんだろうか。確かにそういうので上手くいくケースもあるにはあるんだろうけど。
「とっとと彼氏作りなって、瀬良さんに付きまとわれる前に!」
 朝比奈さんに背を押されつつ、メイクを直し終えた私はロッカールームを出る。

 これで私が瀬良さんと『お試しで』付き合いだしたら、一体どんな反応するんだろうな。想像もつかなかったけど、それを見るために実行してみるつもりは毛頭なかった。
 だって、そんなの失礼じゃないかって思うんだけど――そう感じるのは、私がまだ未熟だからなんだろうか。
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