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恋の贋作チョコレート(2)

 瀬良さんはやっぱりちょっと変わっている。
 バレンタインにあのくらい会話をしたんだから、社内で会った時くらいは挨拶してくれてもいいと思う。
 廊下でばったり行き会った時だって、
「あ、瀬良さん。おはようござ――」
 私はちゃんと挨拶をしようとした。
「ども」
 なのに最後まで言い終わるより早く、聞こえるか聞こえないかの声がしたと思うと、逃げるようにいなくなってしまう。

 お昼休みにも、狭い休憩室に来ているのを見つけた。
 瀬良さんもこちらを見たから、笑って会釈をした――のに、ふいと目を逸らされてしまった。
 会釈くらい返せばって思うけどな。変な人。

 そのくせ私よりも先にお弁当を食べ終わって、休憩室を出ていく際に、
「今日、終業後なら空いてます」
 椅子に座る私の頭上に、すれ違いざまに囁いていった――むしろ『呟いてった』の方が正しいくらいの小声だった。私が立ち去る瀬良さんに意識を向けてなければ、その呟きは拾えなかったとさえ思う。
 当然、私に返事をする暇なんてなかった。
 振り返った時にはもう、ぼさぼさ頭の瀬良さんは廊下に消えてしまっていた。
「えっ、今の何?」
 向かいの席にいた朝比奈さんが表情を凍らせる。
「瀬良さん今、青戸さんのお弁当覗いてなかった?」
「あー……美味しそうに見えたんじゃないですか」
 私が曖昧に答えると、彼女は一層震え上がったようだ。
「こわーい! やっぱりあの人変だよ、気持ち悪いよ」
 怯えた言葉に、居合わせた他の社員もうんうん頷いていた。
 私も挨拶をスルーされた手前、どう庇っていいのかわからなかった。
 
 その日の終業後、私は再び製作部の瀬良ゾーンを訪ねた。
「挨拶くらいしたらどうなんですか」
 顔を合わせるなり文句を言ってやったら、瀬良さんはあの薄ら笑いで応じる。
「いきなり駄目出しですか」
「挨拶スルーされるのってかなり心に来るんですけど!」
「しょうがないでしょ、女子と話すの慣れてないんで」
 瀬良さんの言い訳はこうだ。
「いきなり普通に声かけられたらキョドりますって」
「キョドってもいいから返事してください!」
「やですよ格好悪い」
「挨拶に応えない方が格好悪いです!」
 私が語気を強めたからか、瀬良さんは納得いかない様子ながらも顎を引く。
「前向きに善処します」
「当然です!」
 大体、格好悪いって何だ。そんな馬鹿みたいな見栄の為に挨拶しないなんてそれこそ変だ。
 ともあれ私も気が済んだので、先日貰ったチョコレートケーキのサンプルを取り出す。
「デコレーション、教えていただけるんですよね」
 確かめる私に、瀬良さんはにやにやしてみせる。
「そんなこと言いましたっけ」
「そういうお誘いだって解釈しましたけど」
「まあいいですよ、暇だし」
 面倒くさいやり取りの後、彼は座っていたイスから立ち上がった。
 そしてその椅子を指し示して続ける。
「椅子、一つしかないんで座ってください」
「一つしかないならいいですよ、瀬良さんどうぞ」
「俺が座ってた椅子だと嫌ですか。若干温いですしね」
「……じゃあ座ります」
 つくづくこの人、面倒くさい。
 回りくどい言い方さえしなければ、親切だなって素直に思えるのに。

 瀬良ゾーンは、椅子に腰かけてみるとまた違う眺めだった。
 周囲にそびえるスチール棚が製作部の照明を遮り、代わりに照らすのはデスクスタンドの優しい光だ。食品サンプルを扱うからだろう、光色は自然に近い色合いをしていた。お蔭で居心地は悪くない。
 作業デスクの上には傷だらけのマットが敷かれ、透明なその中には美味しそうなお料理の写真がたくさんしまわれている。やっぱり研究熱心な人みたいだ。
「とりあえず、簡単なところから始めましょうか」
 瀬良さんはチョコレートケーキを柔らかい布で拭うと、私の目の前に置く。
「青戸さん、こういうの経験あるんですか?」
「フェイクスイーツの体験教室には行ったことあります」
 私は答えてから首を竦めた。
「でもいまいち好みのが作れなくて……本物そっくりに作りたかったんですけど」
 それこそ、飾っておいたら誰かが食べちゃいそうなくらい精巧な食品サンプルが好きだ。
 だけど自分で作るとなると材料費もかかるし、手の届く範囲で用意するとなるとどうしてもおもちゃみたいな仕上がりになってしまう。
「店売りのサンプルも結構買うんですけど、並べて置くと、自分で作ったのはクオリティ低いなって」
 恥ずかしながら打ち明けたら、瀬良さんはもっともだと言わんばかりに顎を引く。
「でしょうね」
「言い方! もっと言い方あるんじゃないですか」
「投資と手間を惜しんだらいいものなんてできません」
 瀬良さんは見透かしたように断言した。
 そしてデスクマットの中から一枚、スナップ写真を抜き取る。
「まずはモデルが必要です。今回はこれでいきましょう」

 その写真には、目の前にあるチョコレートケーキと同じ形のケーキが写っていた。
 もっともこちらのケーキはちゃんとデコレーションされている。たっぷりかかったホイップクリームにはブルーベリーと銀色のアラザンが散らされ、さらに上から赤い果物のソースがかけられている。見るからに美味しそうだった。

「アレンジは慣れてからです。まずはこの通りに作ってください」
 そう言うと、瀬良さんはデスクの引き出しや工具箱から次々と道具を取り出す。
「ホイップ素材はいくつかあります。製品はだいたい塩ビ樹脂ですが、今回はアクリル樹脂で作ります。質感が好きなんですよ」
 話しながら白い粘土をボウルにちぎり、水を加えて掻き混ぜる。
 あっという間にボウルの中には本物そっくりのホイップクリームができあがった。
 瀬良さんはそのクリームを絞り袋に手早く入れ、私に手渡した。
「いきなり絞ろうとしても難しいんで、まずここに絞ってみてもらえますか」
 デスクマットの上にビニールを敷いてもらったので、言われた通りにクリームを絞り出してみる。硬さまで本物そっくりで、少し力を込めるだけで出てきた。
 ただお菓子作りはしない私だから、ケーキ屋さんのようにきれいなホイップにはならない。
 角も立たずへにゃっと潰れたクリームを見て、瀬良さんが溜息をつく。
「貸してください、こうです」
 絞り袋を手にした瀬良さんは、何の造作もなく角を立ててクリームを絞り出す。
「わあ、さすがの職人芸……!」
「当たり前ですよ、」
 口ではそう言いつつ、ちょっと嬉しそうなのが見て取れた。
「青戸さんは持ち方からしてなってないんですよ」
 再び私に絞り袋を持たせると、その上から手を握るようにして持ち方を修正された。
「親指と人差し指で閉じ口を押さえたら、指の力だけで絞り出すんです。手のひらで握っちゃ駄目です」
 意外と大きな手だな、と場違いなことを考える。
 それでも言われた通りに指だけで絞り出してみたら、確かにきれいな形になった。
「ほら、言った通りでしょう」
 瀬良さんは得意げだ。
「もっと教えてあげますから、ケーキにも試してみてください。写真を真似るのを忘れずにね」

 それで私は写真をモデルに、チョコレートケーキにクリームを絞り出した。
 プロに教わってもそっくりそのままとはいかなかったけど、時々注意を受けつつ、指導も受けつつ、どうにかクリームのデコレーションを終える。
 そのクリームが柔らかいうちに、瀬良さんお手製のブルーベリーやアラザンを乗せた。
 最後に上から透き通った赤の絵の具をソースとして垂らすと、写真に限りなく近いチョコレートケーキが出来上がる。

「やったあ、できた!」
 歓声を上げる私の横で、瀬良さんは例によって薄ら笑いを浮かべている。
「ま、所詮は街角の体験教室レベルですけどね。こんなもんでも意外と美味しそうにできるでしょ」
「十分ですよ! 見惚れちゃうな……」
 できたばかりのケーキに、私がしばらくしげしげと見入った。
「瀬良さんって本当にすごいですよね」
「これしか能がないんで」
 誉められても素直に喜ばないのが瀬良さんという人のようだ。
「能がこれだけあれば誇りに思っていいと思いますけど」
 そう反論したら、やれやれと肩を竦められた。
「誇りね。そんなもんでリア充になれるならいくらでも誇ってやりますけどね」
「リア充って。瀬良さん、充実してないんですか?」
「放っといてもらえます?」
 質問に質問で返しつつ、瀬良さんは椅子に座ったままの私をじろじろ見下ろす。
「青戸さんは……」
「何です?」
「……何でもないです」
 言いかけて不自然に止めた後、彼は大きく溜息をついた。
「これ、乾くまで時間かかるんで。渡せるようになったら教えます」
「わかりました」
 気がつけば瀬良ゾーンに来てから、随分時間が経っていた。そろそろ帰らないと瀬良さんにも悪い。
「本当にありがとうございました。こんな遅くまで付き合っていただいて」
 椅子から立ち上がってお礼を言うと、瀬良さんはきまり悪そうに目を逸らす。
「いえいえ、気まぐれでやったことなんで」
「すごく楽しかったです」
「ええ……本当に変な人ですよね、青戸さんって」
 私の言葉を信じられない様子で受け取りつつも、いくらか間を置いてから、こう言ってくれた。
「明日からは、挨拶しますから」
「本当ですか? 絶対ですよ」
「できるようなるべく善処します」
「今度スルーしたら、その場で食ってかかります!」
 そう言い返すと、瀬良さんはおかしそうに笑った。
「それウザすぎ。しょうがないな、挨拶しますよ」
 思えば初めて見る、薄ら笑いじゃない瀬良さんの笑顔だった。

 翌日の昼休み、私は休憩室のある廊下で瀬良さんに呼び止められた。
「あの、事務の青戸さん」
 ためらいながらの呼びかけに、苦笑を堪えて振り返る。
「こんにちは、瀬良さん」
「ああ……まあ、こんにちは」
 もごもごと、それでも挨拶を返してくれた彼は、その後で引きつった笑みを浮かべた。
「昨日のあれですけど、今日の終業後には間に合いそうです」
「えっ、本当ですか?」
 どうやらホイップがもう乾いたらしい。
「そのまま差し上げますんで、帰りにでも寄ってください」
「ありがとうございます、楽しみです!」
 喜ぶ私を見て、瀬良さんはほっとした様子だった。
 引きつっていた口元がじわじわとほどけて――でも不意に、引き結ばれた。
 彼の視線が私の肩越しに何かを見て、気まずげに宙を泳ぐ。
「どうかしました?」
 尋ねながら振り向けば、廊下の向こうに朝比奈さんや他の社員の人たちがいた。
 揃いも揃って怯えたような、怖いものでも見るような目をしていた。
「……ああ、そっか」
 腑に落ちた様子で、瀬良さんが呟く。
 私が再び向き直れば、彼の口元にはいつもの薄ら笑いが浮かんでいた。
「すみません、仲良くもないのに話しかけちゃって」
 そして、そんなふうに言われた。
「え……?」
「馴れ馴れしくしすぎたなと思ってます。やっぱスルーしてください」
 早口でまくし立てた瀬良さんが、踵を返して駆け足で去っていく。
「あの、待って!」
 慌てて呼び止める私に、振り向かず、制するように片手を挙げた。
 それで私は呆然と、廊下に一人で立ち尽くす。
「ちょっと青戸さん、瀬良さんと何話してたの?」
 少し遅れて駆け寄ってきた朝比奈さんは、咎める表情で囁いた。
「まともに相手しちゃ駄目だって。何考えてるかわからない人なんだから」
「そんなこと……」
 ない。
 瀬良さんは皆が思う以上にわかりやすい人だ。
 あの人がどうして薄笑いを浮かべているのか、私にもとうとうわかってしまった。
「いつもにやにやして、気持ち悪い人なんだから」
 朝比奈さんが呆れたようにぼやいたから、つい言い返した。
「気持ち悪くないです!」
「え、青戸さん?」
「瀬良さんは気持ち悪くなんかないですよ! 本当です!」
 それで朝比奈さんはドン引きしたように私を見て――。
 私は私で、その日の昼食を美味しく食べることができなかった。

 そして終業時刻を過ぎると、私は矢も盾もたまらず瀬良ゾーンに飛んでいった。
 多分、瀬良さんも予想はしてたんだろう。作業デスクに向かう、作業着姿の痩せた背中から声がした。
「俺に関わんない方がいいと思いますけどね」
「馬鹿なこと言わないでください」
 私が反論すれば、ぎいっと椅子が軋んで彼が振り向く。
 その口元には、やっぱりにたにたと薄笑いが浮かんでいた。
「でも、俺が気持ち悪いのは事実なんで」
 一層馬鹿なことを瀬良さんが言う。
「ちゃんと自覚してますし。皆もそう思ってるんですよ」
「気持ち悪くないって言ってるじゃないですか!」
 私は思わず声を張り上げた。
 それで瀬良さんは笑うのを止め、椅子の上で用心深く足を組み替える。
「……なんで」
「なんでも何も、むしろ皆がおかしいんです。瀬良さんにはもっと敬意を払うべきだし、誇りに思うべきなんです!」
 この間、朝比奈さんと一緒にデパ地下へ行った。
 洋菓子店のガラスケースの中にある我が社の食品サンプルを、私は一目で見分けることができた。
 それはひとえに瀬良さんの技術力が、我が社の製品のクオリティを底上げしているからだ。
「私にはわかります。瀬良さんがどんなにすごい人かって! 瀬良さんが作る製品がどれほど精巧で素晴らしいかって!」
 頭に血が上っていた。
 言いたいことを全部言ってやろうと思った。
「だから瀬良さんは胸を張っていいんです、自分なんてって卑屈に思うこと全然ないんです! 私は瀬良さんのこと、すごく誇らしく思ってます!」
 それで私は吠えに吠え、瀬良さんを睨むように見た。

 瀬良さんはしばらくの間、笑いの消えた顔で私を見上げていた。
 だけど急に立ち上がったかと思うと、頭突きをしかねない勢いで近づいて、私の顔を覗き込む。
 こうしてみると瀬良さんは私よりもずっと背が高い。その身体を屈めるようにして、深刻そうな表情がすぐ目の前、十センチ未満の距離にあった。
「青戸さんに残念なお知らせがあります」
 そして、唐突にそう切り出された。
「な、何ですか」
 私が聞き返すと、瀬良さんは憂鬱そうに続ける。
「俺、青戸さんのことが好きになりました」
「……は?」
「かわいそうに。俺みたいなのに好かれて、今日は人生最悪の日ですね」
 冗談なのかと思いきや、彼は本気で同情めいた目を向けてきた。

 と言うか――今、私、告白された?
 変てこな物言いではあったけど、好きって言われた?

「引導を渡すなら今のうちですよ」
 瀬良さんは他人事みたいに淡々と告げてくる。
「じゃないと俺、青戸さんが根負けするまでずっと付きまといますから。青戸さんを見かける度に目で追うでしょうし、休憩室で一緒になったら黙って隣の席に座ろうとしますし、連絡先を聞き出したら毎日どうでもいい連絡送ったりしますよ」
 私は、まだ呆然としていた。
 こんな告白、生まれて初めてだ。
「気持ち悪いでしょ? 今すぐ息の根止めてくださいよ」
 でも瀬良さんが、そこで自分を保とうとするみたいに薄ら笑いを浮かべたから。
 そうしたら私も黙っていられなくなった。
「気持ち悪くないです」
 目を瞠る瀬良さんに言い返す。
「確かに意外だなとは思いました。瀬良さんって恋愛では自分で動くタイプなんですね」
「またしてもディスってませんか」
「でも気持ち悪くはないです。その程度、誰でもしますよ」
 それから私は溜息をつきつつ、答える。
「いきなり好きって言われて、今すぐお返事はできないです。でも恋愛って自由なものですし、瀬良さんが誰を好きになるのも自由ですよ。少なくとも私は、今すぐ引導を渡す気にはなりません」

 私の物言いも、大概他人事みたいだと思う。
 でも、そう言いたかった。
 瀬良さんには誰かを好きになったことを『残念なお知らせ』なんて言って欲しくなかった。

 それで瀬良さんは眉を顰める。
「いいんですか? 俺を潰しとかなくて」
 訝しそうに首を捻りながら、諭す口調で言ってきた。
「さっきのは脅しじゃないです。俺、本当に付きまといますよ。青戸さんがもうやめてくれって言っても、付き合ってもらえるまでは諦めませんよ」
「多分、その程度じゃ根負けなんてしません」
 私は笑ってそう答える。
「私だって、誰を好きになろうと自由ですからね」
 今は彼氏も好きな人もいないけど、先のことはわからない。
 瀬良さんのことだって全然わからないから、返事のしようもない。
「俺はそういう青戸さんの気持ちにだってつけ込みますよ」
 彼は言う。
「青戸さんが俺の好意を否定しない限りはまず挫けませんので」
「否定しませんって」
 私が笑い飛ばすと、むきになったように宣言する。
「じゃ、延々と付きまといますんでよろしく」
 それから私をじっと見つめてきた。
 こんなに真っ直ぐな目を向けられたのも、初めてかもしれなかった。
 その後に飛び出たのは半笑いの溜息だったけど。
「つくづく変な人ですね、青戸さん」
「瀬良さんには言われたくないです」
「確かに。じゃ、お近づきのしるしに」
 瀬良さんが手を差し出してくる。
 大きな手のひらの上には、昨日作ったチョコレートケーキが載せられていた。
「これ、約束通り差し上げます」
「ありがとうございます」
 私がお礼を言って受け取れば、瀬良さんは口元をほころばせる。
「俺も、好きな人に貰ってもらえるのが一番嬉しいです」

 今の言葉には、結構どきっとした私がいた。
 素直な瀬良さんの方が素敵だと思うんだけどな。

 その夜、私と瀬良さんは一緒に会社を出て、二月の夜道を一緒に帰った。
「俺なんかと一緒に歩いてたら、青戸さんまで白い目で見られますね」
 瀬良さんはそう言いつつも、大喜びで私の隣を歩いている。
「そういうの気にしません。馬鹿げてるって思いますし」
 皆が瀬良さんのすごさを軽んじているなら、それこそ馬鹿みたいな話だ。
 私は彼のことを誇りに思う。
「さすが青戸さん。そういうところ、好きです」
 瀬良さんは嬉々として私を見下ろす。
 私が言葉に詰まれば、すかさず白い息と共に呟く。
「俺はそういうところにもつけ込みますけどね」
 こうして一緒に帰る流れになったのも、つけ込まれてるんだろうか。
 別に嫌なわけではないからいいんだけど。
「後で悔やまないでくださいよ。手酷く振っときゃよかったって」
 警告みたいに言われて、やっぱり私は笑い飛ばす。
「大丈夫ですよ。私にだって選択の自由がありますもん」
「選ばせませんけどね」
 ぼそりと言われた。
 瀬良さんは、こういう時だけ妙に強気だ。
「自信あるんですか?」
「それはもう、諦めの悪さとねちっこさにかけては自信があります」
「恋愛テクとかじゃないんだ……」
「そんなものはありません、キモオタのコミュ障なんで」
 きっぱりと言い切った瀬良さんが、待ち構えたように私を見る。
 私は、つられて言ってあげる。
「気持ち悪くないですよ、ちっとも」
 そして彼が嬉しそうに笑うのを、不思議な気持ちで眺めていた。

 コートのポケットにはあのチョコレートケーキがしまってある。
 これも帰ってから眺めてみるのが楽しみで、だからかこの帰り道は、とてもいい気分だった。
 何だかんだで私は、瀬良さんのことを気に入り始めているのかもしれない。
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