Tiny garden

身の丈に合う初恋(2)

 愛車の荷台に彼女を乗せて、駅前通りを走り出す。
 二人乗りはまだ二回目だ。やっぱり慣れていなくて最初はふらついたけど、どうにか立て直した。ゆっくりのんびりペダルを漕ぐ。なるべく空いている道を、ふうふう言いながらも幸せ一杯の気分で抜けてゆく。
 牧井は前回同様横座りで、俺の肩に片手を置いている。もう片方の手にはストロベリーシェイクのカップ。乗りながら飲む余裕まではないらしく、持っているだけだ。
 俺も今日はまだ汗を掻いていない。だから一応、言っておいた。
「せっかくだし、ぎゅっとしがみついてもいいよ」
「え?」
 聞き返した後、ふふっと笑うのが聞こえる。
 冗談と受け取られたのか、それとも流されたのか。どっちでもいいやと思っておく。牧井になら笑われるのも悪くない。
「シェイク、持ってきたんだな」
 そこを突っ込んでみたら、彼女はまた笑った。
「うん。飲み切れなかったから」
「俺も見てたよ、牧井が頭痛そうにしてるとこ」
「そうなの。いつものことなんだけど、やっぱり一気飲みは出来なくて」
 冷たいものが苦手なところまで可愛く思えてくるから不思議だ。重症である。
「どっかで座って、ゆっくり飲む?」
 もう一つ聞いてみる。
 少し間を置いてから、答えがある。
「じゃあ、あの公園に寄らない?」
 肩越しに提案されて、俺は頷く。
「いいな。そうしよう」
 ちょうどそっちの方へ走っていた。駅前を離れ、アーケードのある古い商店街を抜けて、静かな住宅街へと入る。もう少し行けばあの公園が見えてくる。木陰とベンチのある児童公園が。あそこなら涼しいし、冷たいものを食べたり飲んだりするにはぴったりだ。
 七月の末、昼下がり。日射しは強くて少しも行かないうちに汗が出てきた。だけど前回よりは息も上がらなかったし、もうちょっと格好いい王子様でいられたはずだ。

 児童公園の入り口に、塗料の剥げかけた愛車が停まる。
 木陰にある、青いベンチは空いていた。まるで俺たちの為みたいにひっそりとあった。木漏れ日のきらきら落ちているベンチに、二人で座る。ようやく一息つけた。
 牧井は本当にゆっくり、ストロベリーシェイクを飲んでいた。俺は一度立ち上がり、水飲み場で水分補給した。それから彼女が頭を押さえている現場に出くわして、また笑った。彼女も笑った。
 このベンチに並んで座るのが、別に何でもないことになってきた。少し前まではいつだって、隣にいるのは大和だった。それが今ではこんなに可愛い女の子だ。すごいことだと思う。
 ましてその子が今日からは、俺の彼女だ。すごいの二乗だ。
「大和と黒川、上手くやってるかなあ」
 呟いてみると、牧井もすかさず応じてくれた。
「きっと大丈夫だよ。あの二人は、二人でいる方がいいんだから」
 その言葉はあまり寂しそうでもなく、確信的に告げられた。俺もその通りだと思うし、ついでに俺たちもそんな風に思えたらいいな、とも考えてしまう。少なくとも彼女に、もう寂しい思いはさせたくない。させない。
 黒川に大和がいるように、牧井には俺がいる。
「――こないだはごめんね」
 今度は彼女が切り出してきた。
 眉を下げて、ちょうどこの間みたいに、済まなそうに。
「靴擦れしたせいで、進藤くんにはすごく迷惑掛けちゃった」
「全然いいよ、迷惑じゃなかったよ」
 俺はぶんぶんかぶりを振る。むしろいいこともたくさんあった訳だし。
「足、よくなった?」
 見下ろしてみる。ベンチから伸びた彼女の足元、今日はスニーカーを履いている。改めて観察すると結構ちっちゃい足だった。細い足首も、半端な丈のジーンズのお蔭でわかった。
 身長は俺と同じだけど、違うところもいっぱいあった。当たり前か。
「うん。もう平気」
 牧井は答えてから、ひょいと首を竦める。
「次に浴衣を着る時は、もっと前もって慣らしておくようにするね」
「え! また着てくれるの?」
「うん。だって進藤くんは、浴衣が好きなんでしょう?」
 それはもう。
 感無量でしきりに頷くしか出来ない俺に、彼女はふふっと笑ってくれる。
「だったら、また着てくるよ。そういう機会があるといいね」
 そういうことなら是非とも、むしろ積極的に機会の方を作っちゃうよ。何がいいかなー。花火大会を見に行くのもいいし、そこまでしなくても、俺たちだけで花火やるってのでもいいな。せっかく牧井がうれしいことを提案してくれたんだから、無駄にはしない。絶対また着てきてもらおう。
 しかし、本当にいい子だなあ。
 俺が好きだから、浴衣を着てくれるとか。
 俺は牧井が好きだ。だから、逆にこっちの方から彼女の為、出来ることって何かないかな。そんな風にも考えてみたりする。すぐには思いつかないんだけど、これからはちょくちょく考えていこう。彼女だからだ。
「進藤くんは」
 また、彼女の方から言ってきた。
 今度はもっと、真剣な顔つきで。
「本当に、私でいいの?」
「もちろん」
 即座に答える。聞かれるまでもありません。
「でも、ほら。一番初めに進藤くんから聞いてたから」
 牧井は苦笑気味に言葉を継いできた。
「進藤くんの理想は、身長差十五センチだって」
「あー……いやあれは、カップルの理想がって言う話だからな」
 言ったけど、別に俺の理想って訳じゃない。身長を気にせずに済む相手なら文句もない。そりゃまあ、身長差の全くないカップルって、実は不便もあるのかもしれないけど――。
 ちらと視線を向けてみる。相変わらず真っ直ぐに俺を見ている牧井の目。その少し下にある桜色のつやつやした唇も、やっぱり同じくらいの高さにある。
 不便、なのかなあ。
 それだってしたことないからわからないけど、そんなに問題ない気もするんだよな。どうなんだろう。後で、隙を見て試してみようかな。
 もしそれで問題があれば、次からはどっちかが屈むなり、座るなりすればいい訳だし。うん。
「牧井こそ、俺でよかった?」
 ひとまずはそのことを聞き返してみる。俺にとってもそうだけど、彼女にとっても俺は初めての彼氏だ。こんなもんでいいのか一応聞いておきたい。
「俺は身長も足りないけどさ、頭だって、牧井ほどにはよくないよ」
 もう知ってるだろうけど。そう付け加えたら、彼女は静かに微笑んだ。
「私は、進藤くんがいいな」
 前にも言われた殺し文句。
 今日のそれは深い意味もありまくりだと思う。
 俺はまんまと殺された。うっかり天国にも行きかけた。この世に戻ってきてからも夏なのに春を噛み締める気分。幸せにも程がある。
「思うんだけど。好きな人に求める一番の事柄って、見た目じゃないんだよ、きっと」
 牧井は淡々と、穏やかな声で続ける。
「身の丈に合う関係でいられるのが、一番いいんじゃないかって」
「身の丈?」
 やっぱり、身長? 怪訝に思う俺に、優等生の顔をした彼女が告げる。
「そう。背伸びをしない関係のこと」
 合間にストロベリーシェイクを一口飲んで、更に続けた。
「美月にとっての飯塚くんは、まさにそういう相手だったんだと思う。気負わなくてもよくて、一緒にいられるだけで楽しくて。見ている方が羨ましくなるくらいに、何をしていても幸せそうで」
 確かに思う。俺もずっと、彼女が欲しいなんて考えもしなかったけど、大和と黒川を見ていたら羨ましくてしょうがなくなった。自転車の二人乗りなんていう些細なことでさえ、真似してみたくてしょうがなかった。
 実際やってみたら、想像していた以上にものすごく、楽しかったんだけど。
「私にとっての進藤くんも、きっとそういう人なんだと思う」
 牧井は、そんな風に言ってくれた。
「一緒にいる時はちっとも寂しくなかったし、話していてすごく、楽しかった。心の中のわだかまりも、進藤くんになら素直に話せた。私にとっては今までで一番、背伸びをせずに済む人だよ」
 少しだけはにかみながら、でも真っ直ぐに俺を見て、言ってくれた。
 もちろん、お互い様だ。俺だって牧井といたら寂しいと思うことはなかったし、逆に牧井がいないと寂しくて、つまらなかった。一緒にいるだけで何をするのも楽しかった。幸せだった。
 つまり俺たちは、彼女言うところの『身の丈に合う関係』でいるってことなんだろうか。
「だから、これからもよろしくね」
 彼女が笑う。
「ああ。こちらこそ、よろしく」
 俺が即答すると、ふふっと声を立ててくる。その牧井の笑い方が可愛くて堪らなくて、いてもたってもいられなくなる。
「牧井、ちょっと立ってみてくれる?」
「え? うん」
 促して彼女を立たせる。シェイクのカップを青いベンチに起き、牧井がその場にすっと立つ。俺も向き合う位置で姿勢を正す。
 百五十五センチの身長は。今でもぴったり同じだった。向き合えば真っ直ぐに目も合った。俺よりもずっと細い肩に手を置くと、さすがに感づいたのか、びくりとされた。
「あ、あの、進藤くん――」
「身長差がなくても平気かどうか、試しときたいんだ」
 俺は言う。口実だけど。
 今後の為にも確かめておかなくちゃいけないのは事実だ。もう二度と、背の低さなんて気にならないように。これで上手くいけば問題なし、上手くいかなかったら失敗を次に活かせばいい。その為の、言わば確認のキスだ。
 それとあと、告白自体は黒川たちに背中を押される格好になってしまったから、せめてこのくらいは自発的にしておこうと思って。
 言ってしまえば何もかも全部、口実だけど。
「目、つぶって」
 お願いすると、牧井はこわごわと言った様子で目を閉じた。その少し怯えた感じもそれはそれで可愛かったし、おりこうさんの彼女もこういう時はびくついたりするんだなと思ったら、何か、どぎまぎした。
 八重一重。彼女の名前を連想させる、唇の色をじっと見つめてみる。
 身の丈はいろんな意味でイーブン。ぎくしゃくしつつ、慎重に近づく。

 身長差ゼロのキスは、ほんの一瞬だけ鼻がぶつかったくらいで、上手くいった方だと思う。
 でもその『上手くいった』ことがうれしくて、途中からにやにやしてしまったのがいけなかった。しばらくして俺は笑い出してしまって、そしたら牧井も真っ赤な顔をしながら、つられたように笑った。お蔭でその日はずっと、お互いに思い出し笑いと思い出し赤面とをし続ける羽目になった。
 もっとも、ずっと赤い顔でいたっておかしくないと思う。夏だからな。
 ずっと笑っていたっていいと思う。身の丈に合う初恋って、きっとこういうことだ。
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