Tiny garden

なだらかな道(3)

 彼女の様子がおかしくなったのは、かき氷を食べ終えて大分経ってからだ。
 日が暮れ始めても、時間はまだたっぷりあるはずだった。次は何がしたいか聞いたら、何でもいいと言ってもらった。だから俺はあちこちの露店を冷やかそうと提案して、二人で通りをぶらぶら歩いた。紐くじを遠目に眺めてどの紐が当たりかを予想したり、射的の上手い人を見物して歓声を上げたり、お面のキャラクターでどれが好きかを言い合ったりした。牧井は俺の言葉にしょっちゅう吹き出していた。それも馬鹿にしたような感じではなく、よく笑っていたし、ひたすら楽しそうにしていた。俺だって凄く楽しかった。
 だけど時間が経つにつれ、次第に口数が少なくなってきた。加えて歩くスピードものんびりしていた。浴衣に下駄の彼女を気遣い、俺もかなりゆっくり歩いたつもりだった。それでも牧井は遅れがちで、遅くてごめんと繰り返しながら必死に追い着こうとしてくる。その度に俺は立ち止まり、不安な思いで待っていた。

 何度目かに足を止めた時、堪りかねて聞いてしまった。
「牧井、もしかして調子悪い?」
 向こうから言ってこないなら、聞くべきじゃないかとも思った。かき氷のせいでお腹が痛くなったとかなら尚のこと。そういう気遣いは俺にだって出来る。
 でも、さすがに放っておけなくなった。追い着いてきた彼女は短い前髪の下に汗を掻いている。提灯の明かりがようやく役立ち始めた時分、済まなそうにする顔は白く、辛そうに映った。
「あの……うん。ちょっと、足が」
「足?」
 うずくまるようにして爪先を押さえる牧井。どうも親指と人差し指の間、下駄の鼻緒を噛んでいる辺りらしい。
 と言うことは、
「靴擦れしちゃった?」
 思い当たって尋ねてみる。
「そうみたい」
 力なく答えた彼女は、その後で悲しそうに付け足した。
「ごめん」
 ものすごく罪深い振る舞いをしました、みたいな懺悔の表情。そんな顔されるとこっちが辛い。全然謝ることじゃないのにな。
「とりあえず、邪魔にならない辺りへ行こう。絆創膏持ってる?」
「うん」
「じゃあ、えっと……こっち」
 俺は彼女を促すと、露店の並びを抜け、アーケードの切れ目辺りまで移動した。彼女は片足を引きずるようにしてついてくる。そしてアーケードの支柱に手をついて、痛い方の足の下駄を脱いだ。
 予想通り、指の付け根辺りが赤くなっていた。暗いからはっきりとは見えないけど、かなり痛そうだ。歩くのも辛かったんじゃないだろうか。言ってくれればいいのに。
「久し振りに履いたからじゃないか」
 浴衣は久し振りだと聞いていた。きっと下駄もそうだったんだろう――慰めるつもりで言ってみても牧井の表情は暗い。
 慌てた様子で絆創膏を張りながら、ぽつんと告げられた。
「ごめんね」
 こっちが慌てたくなった。
「謝らなくていいよ。こういうのはほら、しょうがないだろ?」
「でも、せっかくのお祭りなのに」
 どうやら靴擦れしたことを余程気に病んでいるらしい。そこまで言って黙り込んでしまう。
 俺は俺で上手いフォローが思い浮かばない。せっかくのお祭りで牧井は浴衣なのに、こんな顔をさせてるのが辛い。それどころか元々の原因が何にあるかに気付いて、こっちの方こそものすごくへこみそうになった。
「あ、って言うかさ。浴衣着てきてって言ったのは俺の方だし。その、ごめん」
 詫びると、真剣に詫び返される。
「ううん、違うよ。進藤くんのせいじゃないよ」
「いやでも、最初に言ったのは俺だから、俺が」
「私だって着てこようと思ってそうしたんだから」
「けど俺が……」
「私こそ……」
 謝り合戦は相打ちだった。お互いに、そこで黙った。
 その間にも彼女は絆創膏を張り終えて、その指に下駄の鼻緒を噛ませた。瞬間、おりこうさんの顔がしかめっつらに変わった。足をアスファルトの上に下ろした時も、もう一度顰めていた。
「辛い?」
 見ればわかるようなことを聞く俺。芸がない。
 牧井はかぶりを振る。
「ううん、平気」
「歩ける?」
「ゆっくりなら何とか」
 そう言って数歩進もうとするけど、靴擦れした方を庇っているのがうかがえる歩き方だった。相変わらずしかめっつらだし、どう見たって平気そうじゃない。きっとゆっくり歩いても痛いだろう、これ以上連れ回して歩かせる訳には。
 足を止めた彼女が不安げにこちらを見る。
 俺は心の中で溜息をつく。
 言ってみた。
「今日はこれで、お開きにしよっか」
 多分、俺が言わなきゃいけないことだと思った。牧井は自分からは言わないだろう。でも、これ以上歩くのは辛いから、だからしきりに謝ってきたんだろう。もう帰った方がいいって、彼女自身はわかっていたから。
 切り出した言葉に、直後はかぶりを振られたものの。
「私、まだ進藤くんと一緒にいたい」
「あ……で、でも」
「少しだけでいいの。あと少しなら平気だから、歩けるから。こんなに早く帰りたくない」
 照れもせずに言われると面食らってしまう台詞だ。
 もっとも悠長に面食らっていられる状況でもない。牧井はいっそ悲痛な顔をしているし、俺だって気持ちは同じだ。
 初めてのデートだった。
 上手くいけばいいって思ってた。
 靴擦れごときで何もかも駄目になる訳じゃない。牧井となら次の機会が作れないはずもない。そんなこと頭ではわかっているけど。
 俺が黙っていると、
「ごめんね、わがまま言って。やっぱりいいよ」
 また謝られて、すかさず謝り返した。
「いや、牧井は悪くないよ。元はと言えば俺が! それにほら、俺だってもうちょっと一緒にいたいから、何か方法ないかなーって考えてたとこで!」
 一息にまくし立てたら照れそうな台詞も口に出来た。それで彼女は少しだけ表情を和らげる。安心した。
「じゃあもう少しだけ、どこかで座って、のんびりしようか」
「いいの?」
 ぱっと牧井が笑う。俺もつられておく。
「もちろんだ」
 だけどすぐに現実に返って、辺りを見回してみる。
 時刻はちょうど七時を過ぎたところだった。まさにこれからがお祭りたけなわという雰囲気で、商店街の人口密度も一層高くなっている。どこもそうなんだろうけど、夏祭りってのは日が落ちてからが本番だった。提灯も露店の裸電球も暮れた風景にはしっくり馴染む。
 人が増えてきたということは、座るところに困るということでもある。さっきかき氷を食べた休憩スペースは人が溢れていて、容易く座れる空気じゃない。かと言って浴衣の牧井を縁石に座らせようなんて真似はしたくない。
 さてどうするか。
「……ちょっと、混んでるね」
 また不安そうになった牧井が、呟く。続く言葉を考えているようにも見えた。おりこうさんの彼女のことだ、そのうち自分から帰ると言い出すかもしれない。そうなる前に次の一手を考えなければ。
 あまり歩かせる訳にはいかない、でもちゃんと座れる場所を探すならかなり歩くことになりそうだ。牧井だけここで待たせてもいいけど、それでいい報告を持ち帰れなかったら困るし。何より彼女はバスで帰るんだから、ここからバスターミナルまで戻る都合も考えないと。困ったな。
 せめてもう少し、デートっぽいことが出来たらよかったんだけどな。
 そう考えた時、ふとひらめいた。
「牧井、お祭り以外のことでもいい?」
 俺の問いに、彼女は一瞬目を見開き、
「う、うん。いいよ」
 それからぎくしゃく頷いた。
 続けて問う。
「この辺りを軽く、ドライブとかどう?」
 さすがに驚かれた。
「え? ドライブって……進藤くん、免許は?」
「いや、何て言うの? 自転車でドライブ」
 正確に言えば違う。俺の愛車はハーレーダビッドソンであって自転車ではない。彼女を乗せて走るのにもちょうどいい。荷台もついてるし。
「俺の家、このすぐ近所なんだ。だからひとっ走り行って取ってくる。それ乗ってこの辺ぶらぶらすればいい。そしたら一緒にいられるし、牧井は無駄に歩かなくて済む」
 牧井はぽかんとしたまま俺の話を聞いている。更に畳み掛けてみる。
「で、帰りはバスターミナルまで送ってく。どっちにしたって結構な距離歩く羽目になりそうだし、そのくらいなら俺が乗せてくから。それでどう?」
「それだと、進藤くんが大変じゃない?」
 即座に問い返されたから、笑っておく。
「俺さ、一度でいいから女の子と二人乗り、してみたかったんだ」
 大和と黒川みたいに。そう続けたら、牧井も笑った。
 決まりだった。

 牧井にはここで、アーケードの切れ目の辺りで待っていてもらうことにした。
「すぐ戻る。絶対戻る」
 誓いを立てる俺に、彼女はうれしそうな顔を向けてくれた。
「待ってるね」
 そう。ヒーローとは必ず戻ってくるものなのだ。特に可愛いヒロインの待っているところへは。俺はまさに主人公の気分で、つい調子に乗りたくなって、憧れの台詞を小さく呟いた。
 ――アイルビーバック。
 恥ずかしいのであくまで小声で。
 お祭り騒ぎのお蔭で、当のヒロインには聞かれずに済んだみたいだ。
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