Tiny garden

平行する思惑(5)

 もやもやしながら俺は、ようやく口を挟んだ。
「牧井の一番になるって、大変そうだな」
 本気で思った。むちゃくちゃ大変だと思う。それこそ最難関って奴だ。
「そんじょそこらの男じゃ、黒川以上にはなれない気がする」
 羨ましくなるくらい、牧井の、黒川に対する思いは強かった。黒川がどれだけ好きで、どれだけ大切な存在か、がつんと真っ向からぶつけられたようだ。
 俺なんて、大和のことはそこまで考えたこともなかった。あいつはただいるのが当たり前の幼馴染みだった。俺と牧井は似た者同士なようで、本当は全然違ったのかもしれない。そんなに大切な親友がいるのが羨ましい気もするし、でもその親友を他の奴に取られたら、きっとものすごく寂しいだろうなと思う。
 でも牧井は笑っていた。
 また俺をじっと見て、大人びた笑い方をした。
「そうかな。私は、美月以上に好きな人が出来たら、それはそれですごく素敵だって思ってるよ」
 そして一つ、溜息をついてから続けた。
「この話、したのは進藤くんが初めてなんだ」
「え?」
 ベンチで隣り合う位置から視線がぶつかる。
 もう何度目になるかわからないくらい、しょっちゅう目が合う。牧井は滅多に逸らさない。真っ直ぐに俺を見てくる。
「気持ちの整理がつかなくて、ずっと、誰にも言えなかった」
 言葉も直球でぶつかってくる。
「美月にも言ったことなかったの。あの時ありがとうって、ちゃんとお礼を言ってなかった。美月は私の恩人で、美月がいたから今の私がいるんだって、まだ話してなかった」
 意外な気もしたけど、でもそんなものかもしれない。
 普段傍にいる相手ほど、改まった話はしにくいものだ。大和が俺に、なかなか黒川との馴れ初めを教えてくれなかったのも、つまりはそういうことなんだろう。それにしたって水臭いと思うけど。
 黒川も、牧井の話を聞いたらそう思うかな。
 それともお礼自体、水臭いって言うかな。そんな気もする。俺だったら言っちゃうな。
「でも、気持ちの整理、ついたと思う」
 牧井が続ける。
「ううん、本当は美月にお礼を言わなきゃ、何も始まらないんだと思う。だから私、伝えたい」
 俺の顔を見て、何となく恥ずかしそうに笑う。
「前に、進藤くんが言ってたこと、飯塚くんにお願いしてみようかな」
「俺が? って、何だっけ」
「ほら。『たまには美月を返して』って言ってみること」
 言われてみると思い出せた。
 そんなことも言ったな。今思うとあれだって大概無神経な発言だったかもしれない。牧井はあまり気にしてないようで、ほっとしたけど。
「今度、お願いしてみる。『すぐに返すから、一度だけ美月を貸して』って」
 牧井は、そういう言い方をした。
 彼女の中ではもう、黒川は大和のものになってるらしい。
「それがいいよ」
 俺もそう思う。牧井には気持ちの整理をつけて欲しかった。
 と言うより、もう寂しい思いがして欲しくなかった。黒川に感謝を打ち明けて、それで少しでも気持ちが落ち着くなら、そうして欲しかった。お節介かもしれないけど、俺だって牧井のことは心配してるんだ。そうでなければ毎日帰る様子を観察したりとか、わざわざこの公園を覗いたりはしない。
 毎日話しかけてるのだけは、全く違う理由からだけど――牧井に黒川以上の『好きな人』が出来る日は、いつなんだろう。夏祭りには間に合うんだろうか。そいつの為なら浴衣は着るんだろうか。
 そんなこと、今はどうでもいい。
 ともあれ、俺は胸を張った。
「大和なら絶対、駄目だとも嫌だとも言わないはずだ。俺が保証する」
「そっか。進藤くんの保証なら頼もしいな」
「ああ、任しとけ」
 頼もしいと言われると俄然テンションも上がる。女の子に頼られるのは悪い気がしない。たとえその子にとっての一番が、俺じゃない、他の誰かだとしてもだ。
「進藤くんも、ありがとう」
 すごくほっとした様子で、牧井がお礼を言ってきた。それにはちょっと戸惑った。
「お、俺にはいいよ。礼なんて」
「でも、進藤くんは私の話、真剣に聞いてくれたから」
「そのくらいは聞くよ。だってほら――」
 似た者同士だし。
 そう言いかけて、でも違うよなと思ってみる。俺と牧井は似ているようでちっとも似てない。今となっては似てるとこなんて、年齢と身長くらいのものだ。
 大体、似てるから心配してたって訳でもない。
 だったら何なのか、自分でもよくわからない。気になるものは気になるんだ。まあ、可愛い女の子の寂しそうな姿は、男だったら気になっちゃうものなんだろう。そういうことにしておく。
「進藤くん?」
 不自然に言葉を止めた俺を、牧井が不思議そうに見てくる。
 だから慌てて、別のことを言っておいた。
「あ、ええと、とにかくさ。上手くいくといいな」
「……うん、ありがとう」
「礼はいいってば」
 俺が言い張っても彼女は聞く耳持たず。はにかむ表情で付け加えてきた。
「進藤くんって、やっぱり優しいね」
 別にそうでもないんだけどな。
 男心ってのはそんなもんなんだ。彼女のことが気になるのも、あれこれ話しかけたくなるのも、全ては牧井がいい子で、可愛いからだ。それに牧井は俺の背が低いのを馬鹿にしたりしないし、話しやすいし、頭もいいと来ている。そういう子を放っておけるはずがない。男なら。
 それより、俺に感謝してるって言うなら、夏祭りの日は浴衣で来てくれたらいいのにな。絶対、絶対似合うと思うのに。見てみたいけど、デートじゃないと着ないって言ってたもんな。無理か。
 誉められて照れつつも、やっぱり俺は、どこかもやもやしていた。

 向こうの空がうっすら赤くなってきた頃、公園を出た。
 七月の夕方は、どれだけ遅くなっても風が冷たくなることはないけど、暗い道を帰らせるのはまずい。牧井の家は逆方向だって聞いてるし、日が落ちる前に帰ろうということになった。
 愛車を停めた児童公園の入り口付近。メタリックグリーンの自転車を支える牧井が、俺に向かって軽く微笑む。
「今日は本当にありがとう、話を聞いてくれて」
「だから、礼はいいよ。気にするなよ」
 俺のツッコミにはよりおかしそうにしてみせる。
「そうだったね。でも言いたかったの」
 小首を傾げる仕種が女の子らしいなと思う。
 本当に牧井なら、その気になりさえすればすぐにでも彼氏の一人や二人、出来ちゃいそうだ。いい子だし、可愛いし、頭もいいし。牧井の気持ちの整理がつけば、きっと誰かを好きになって、そいつと幸せになるんだろう。そいつの為なら浴衣だって着るんだろう。
 俺だって見てみたいのにな。
「じゃあ、また明日ね」
 牧井が小さく手を振る。
「ああ。終業式、楽しみだな」
 こっちも手を振り返す。ふふっと笑い返される。
「そうだね。夏休みも、だね」
 それから彼女はもう一度手を振って、ひらり、自転車に飛び乗った。夕暮れの道をゆっくりと漕ぎ出していく。最初に見た時と同じように、走り始めた直後のスピードはさほどない。のんびり、マイペースに遠ざかっていく。スカートは長いな、と思う。
 彼女の後ろ姿を何となく見送った俺は、そこではたと気付いた。
 そうだ。礼と言うなら俺の方こそ、礼を言っておくべきだった。牧井からはためになることを教わってたんだから。
 ――初恋についてのアンニュイな気持ちを晴らしてくれたのは彼女だった。お蔭で、そんなに心配することないやと思えてきたから、現金なものだ。
 だけどまだちょっとだけ、もやもやする。
 今までは考えもしなかったことを考えている。
 牧井には元気になって欲しいとか。でも、牧井に彼氏が出来たら、きっと少しはへこむだろうなとか。浴衣着たとこ、やっぱり見てみたいなとか。あんないい子に思われて、黒川は幸せ者だよな、とか。
 なぜか、羨ましくもなった。
 牧井がじゃない。黒川が、だ。

 そこまで考えた時、反射的に視線を戻していた。
 日の暮れていく道の向こう、牧井と彼女の自転車は、とっくに見えなくなっていた。それが無性に寂しかった。直後、別のことにも気付いた。
 俺はまだ、ハーレーの鍵さえ外してなかった。

 新しい気持ちってつまり、こういうことなんだろうか。
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