Tiny garden

単調な日々(1)

 しばらく、雨の日が続いていた。
 土日を挟んで五日間ほど降っている。梅雨は明けたはずなのに、七月なのに長々と降り続いている。こういうのを戻り梅雨と言うらしい。戻ってこなくていいのに。
 雨の日の登下校は憂鬱になる。ハーレーには乗ってこれないし、傘を差さなきゃいけないし、制服にはねが上がると母さんががみがみ言うし、いいことなんて一つもない。
 アイスを食べる為の寄り道だって出来ない。
 いや、節約中なんだけどな。毎日買い食い出来るほどの余裕もないんだけど、あれから放課後になると少し気になって、あの公園を覗いてみたりした。雨の降る帰り道、一人きりで傘を差しながら、公園の前をふらっと通りがかって、それから中にも入ってみた。メタリックグリーンの自転車が停まっていることはなかったし、木陰の青いベンチには誰の姿もなかった。当たり前だけど、雨の日は牧井も寄り道をしないらしい。
 俺が一人でいるということは、牧井だって一人でいるはずなのに。どうしているか考えかけて、そこまではわからないよなと苦笑したくなる。
 ただ、一人の帰り道でもそんなに寂しがってなければいい。一人なのは牧井だけじゃない。似た者同士、俺だってそうだ。お仲間がいるんだから、そんなに寂しがらないでくれたらいいな、なんて思う。

 実は、俺に『戻り梅雨』という言葉を教えてくれたのは牧井だったりする。
「こういう雨が続くことを、戻り梅雨って言うんだって」
「へえ、初めて聞いた。戻ってこなくていいのにな」
「本当だね」
 率直に感想を述べたら、牧井はそれがおかしかったらしく、ころころ笑ってみせた。こんな風に時々、短い会話を交わすことが多くなっていた。
 雨の日の放課後に会うことはなくなっても、教室ではよく会う。クラスメイトだから当然と言えば当然だ。今までは同じクラスにいても口を利く機会さえなかったけど、接点を持った以上は話しかけない理由もなかった。登校した直後とか休み時間に、ちょくちょく声を掛けていた。
「牧井、彼氏出来た?」
 挨拶代わりに尋ねる。すると牧井はかぶりを振って、逆に尋ね返してくる。
「ううん。進藤くんこそ彼女出来た?」
「ぜーんぜん。出会いすらないよ」
 こっちの答えはとうに決まっている。目下、彼女の出来そうな気配もない。誰か可愛い女の子とお近づきになれたということもないし、棚からぼたもちみたいに告白されるなんてこともない。
「夏休みに間に合うかな」
 ぼやく俺に牧井は言う。
「間に合うといいね、進藤くん」
 励ましみたいに言ってくれるから、何となくくすぐったくなったり、照れたくなったりする。牧井はいい子だ。彼氏がいないのが信じられないくらいにいい子だ。きっと見る目のない奴ばっかなんだろうな。
 俺も夏休みに間に合えばいいなと思っているけど、でも夏祭りの予定は既に立ってしまったし、間に合わなきゃ間に合わないで別にいいよなとも思い始めていた。夏祭りはしょうがないから大和と黒川と、それから牧井と、四人で行こう。その後の夏休み期間でじっくりと彼女を作る、って計画でどうだろう。それなら焦る必要もない。
 でも牧井には、顔を合わせる度に聞いてしまう。
「もう彼氏出来た?」
「さっき聞いたばかりなのに、そんな簡単に出来る訳ないよ」
 教室の中でも牧井はよく笑う。俺の他愛ない言葉にもころころ笑ってくれる。特に親しげな会話をしている訳でもないのに、そうやって楽しそうにしてくれる牧井は、やっぱりいい子だ。
「それにしても、戻り梅雨って奴、続くなあ」
 教わったばかりの言葉を口にしつつ、教室の窓から外を見る。それほど激しくはない、だけど途切れない雨の毎日。うんざりする。
 牧井も一緒になって窓を見てくれた。外の景色を眺めて、やっぱり溜息をついていた。
「早く止んでくれるといいね。買い物に行けなくなっちゃう」
「買い物?」
「うん。夏祭りに備えて、美月と一緒に買い物に行く約束をしてるの。でも雨が降ると荷物になるから、天気のいい日にしたいなって」
 そういう話を穏やかに語る牧井。
 最近では寂しそうにしている様子もなくて、こっそり安心している。相変わらず大和と黒川は仲が良くて、雨が降ってても一緒に帰ってるけど、教室で見かける牧井は元気そのもの。だからきっと、大分立ち直ったんだろう。よかった。

 一方の大和は、俺と牧井が教室で話していると、いつも遠くから視線だけを向けてくる。
「割って入ったら邪魔かと思ってな」
 なんて訳知り顔で言っているけど、本当は俺たちに、黒川とのことをからかわれるのが嫌なんだろう。俺と牧井の会話には絶対加わってこない。そのくせ後になってから、からかうようなことを言ってくる。
「颯太、牧井と随分仲良くなったんだな」
 意味深な物言いをされたから、鼻で笑ってやった。
 お前が言うな。絶対、自分がからかわれる前にこっちをからかおうって魂胆だ。
「あいにくだけど、俺と牧井はお前らと違って、あまーい会話なんてしてないから」
 たっぷりと意味深返しをする俺に、大和はぐっと詰まってみせる。
 実際、大和が黒川に甘い台詞を囁く姿なんてこれっぽっちも想像出来ないけど――って言うか想像しただけであちこち痒くなるけど、詰まるからにはそういうことも言っちゃってるんだろう。いやー痒い痒い。
「でも、毎日のように話してるだろ」
 負けず嫌いの幼馴染みが食い下がってくる。
「珍しいよな、颯太が女子と普通に仲良くしてるなんて。今まではせいぜい喧嘩腰で接してる程度だったのに」
「そりゃあ」
 俺からすると、女子の中でも牧井と黒川は別格のいい子だ。話しやすいし気負わなくて済む。他の女子だとなかなかこうはいかない。
「牧井は俺のこと、チビって言わないからな」
 口の悪い連中は気にしてることを遠慮なく言ってくるからむかつく。背が伸びても百五十五センチ止まりの俺は、いつも大和と一緒にいるせいか、余分にちっちゃく見えるらしい。小学校時代からチビチビ言われていた。そういう女とは絶対に仲良くしたくないから、こっちもターミネーターばりに喧嘩を買ってやった。お蔭で女の子についてはいい思い出がない。俺の初恋がまだなのも、そういうところに理由があるんだと思う。
 牧井や黒川は、俺をチビだとは言わない。牧井なんて『そんなに気にすることないんじゃないかな』とさえ言ってくれた。本当にいい子だ。もし俺よりちっちゃい子だったら、好きになってたかも、なんてな。単純過ぎるか。
「言わないだろうな」
 大和は相変わらず、わかった風な口調をする。
「だって牧井って、颯太と同じくらいの背丈だろ?」
「ってか、ぴったり同じ」
「そうだと思ってた。だったらお前の身長をあれこれ言ってくるはずない」
 確かに、牧井からすれば俺がチビってことはないもんな。でも牧井はそういう理由じゃなくて、人の嫌がる言葉を口にしない子なんだ。まだちょっとしか話してないけど、わかる。
 大和とは、放課後こそ一緒に帰らなくなったものの、昼休みは前と同じように過ごしていた。過ごすと言っても一緒に飯食うってだけだけど。教室の俺の席に、大和が椅子だけを持ってきて、ちっちゃい机を囲んで食べる。俺たちは揃ってコンビニのパン派だ。
「で、颯太は牧井と、どんな話をしてんだよ」
 大和がそわそわと尋ねてくる。案の定、自分の話をされてやしないかと気が気じゃないらしい。してるんだけどな。
 ともあれ口ではこう答えた。
「別に普通の話。授業のこととか、天気のこととか、夏休みのこととか。こないだは『戻り梅雨』って言葉を習った」
「へえ」
 なぜか疑わしげな目を向けてくる大和。どうでもいいところで神経質な奴だ。そのくせ無駄に口が堅かったりするし――あ、そうだ。
「それと、夏祭りの話も聞いてた」
 俺が例の件を切り出すと、大和もちょうど思い出したみたいに表情を変えた。
「ああ、それな。俺も美月から聞いた。お前も行くって言ってくれたんだってな」
 知ってたのか。まあそれは別にいいけど、知ってたんだったらとっとと言え。あれきり大和からは何も言われなくて、どうなったんだろうと首を捻ってた。牧井とはちょこちょこ夏祭りについての話もしてたし、本決まりになったみたいだなとも思っていたけど。
 そしたら、言いにくそうに付け加えられた。
「けどほら、何つーかその、うっかり忘れてた」
 がっくりした。
「忘れんなよ! 大分前からそっちで勝手に決めてたくせに!」
「悪い」
 俺が声を上げると、大和は手を合わせて、済まなそうに続けた。
「実は迷ってた。美月に、牧井も誘いたいって言われて、一緒にお前を誘うかどうか」
「嘘つけ。誘う気満々だったくせに」
 牧井から聞いてるんだからな。大和が変な気の回し方をしたこと。
 突っ込んでやるつもりで言い返したら、何だか複雑そうな顔をされた。
「嘘じゃない。そりゃ誘う気はあったけどな、これでも迷ったんだ。颯太には申し訳ない誘いだよなと」
「まったまた心にもないことを」
「馬鹿」
 軽くいなした後で大和が言った。
「とにかく、颯太が牧井と仲良くなってくれて助かった」
 俺も、結局はその言葉に同意した。
「まあな。四人で行くのもやぶさかでもないって感じ」
 正直言ってこのメンツなら悪くない。何だかんだで結構楽しいはずだと思う。大和と黒川と牧井と、四人で行く夏祭りを、俺は割と楽しみにさえしていた。
「そう言ってくれるとありがたい」
 大和が胸を撫で下ろす。それから教室の窓に目を向ける。
 昼休みの時間だってのに、空の色はどんより暗い。戻り梅雨はまだ続いている。早く止んでくれないと、牧井たちの買い物が夏祭りに間に合わなくなりそうだ。まだ一週間以上はあるんだけど、それでもだ。
「近いうちに、リハーサルでもするか」
 不意に大和はそう呟いた。
 リハーサルって何だ、そう聞き返す前に苦笑された。
「だから夏祭りのだよ。四人で出かけるのがどんなもんか、慣れときたいし」
 何だか、こいつが一番気負ってるみたいな口ぶりだった。
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