Tiny garden

ふたりで等分(3)

「隣、座っていい?」
 そう尋ねると、
「うん、どうぞ」
 牧井が自分の横に置いていた鞄を、膝の上へと移動させた。
「ありがと」
 礼を言って、ぽっかり空いたベンチの左側に座る。牧井の鞄があろうとなかろうと、その分のスペースは空けた。自分の鞄は足元に置く。アリが登ってきたって気にしない。
 木陰のベンチはやっぱり涼しい。風が吹くと葉っぱの揺れる音がさわさわと聞こえ、その音からして涼しい。汗の引かない全身に心地良かった。制服のシャツのボタンをいくつか外して、ぱたぱた風を扇ぎ入れてみる。
 でもなぜか、ちょっとだけ落ち着かない。
 アイスがないからか、隣にいるのが女の子だからか。
 見慣れた顔の幼馴染みじゃなくて、奴の彼女の友達という、ある意味微妙な間柄の子と一緒だからか。
 さりげなく真横をうかがうと、牧井は最中のアイスにかじりつこうとしていた。木漏れ日の落ちた横顔は食べてる時でさえ真面目そうで、ちっちゃくしか口を開けていないのも牧井っぽい。このペースだと食べ終わるまで時間が掛かりそうだ。アイス、溶けちゃわないのかね。余計な心配か。それにしても冷たくて美味そうだ。
 隣の芝生は青いってとこだろうか。やっぱり買ってくればよかったかな。
 ぼんやり盗み見ていたら、次の瞬間、
「ん?」
「……あ」
 目が合った。真っ直ぐに。
 牧井は視線がぶつかっても、すぐには逸らさない。むしろ見つめ返してくる。背の高さが同じだからか、こっちは見つめられるとどぎまぎしてくる。物怖じしない眼差しとでも言うのか。何もしてないのに『俺が犯人です』って言いたくなる目つき。
 昨日の会話で大分慣れたつもりだったのに、再び並んでみたらそうでもなかった。俺はぎくしゃくと目を逸らす。
「進藤くん、アイス買ってこなかったの?」
 俺の戸惑いに気付いているのかいないのか、牧井が聞いてきた。
「ああ。ちょっと、節約しとこうと思って」
 不必要に空を見上げながら答える。
 嘘ではないけど、今となっては百パーセントの本当でもない。アイスを買ってこなかったのは金銭的な理由だけじゃなかった。言う必要もないだろうけど。
 同じベンチに、くすっと笑い声が上がる。
「節約? 偉いね、進藤くん。私も見習わないと」
「それほどでも。ほら、夏休みも近いしな」
 誉められると何だかむずむずした。
 ともあれ、節約の必要があるのも一応は本当。夏休みに入ってすぐには例の夏祭りもあるし、小遣いは取っとかなきゃいけない。足りなくなったからってほいほい出してもらえるようなセレブ一家でもないからな。
 今年は、一人で回らなきゃならないかもしれないし。
 そうしたら楽しみなんて食べ物買い込むくらいだ。うわ空しい。そうなる前に誰か他の奴でも誘っとくか。でも大和は、俺と牧井を誘いたがってたみたいだしなあ。
 牧井は……大和の考えをどう思うだろうな。黒川とはそういう話、してるのかな。それでも行きたいって言うかな。こればっかりは聞いてみなくちゃわかりません。でも。
 とりとめのないことを一気に考えてると、やがて後に続ける言葉が浮かばなくなった。夏祭りの件は聞いてみたいのもやまやまだったけど、さすがに切り出しにくい。かと言って別の話題はすぐに思いつけない。こんな時に限って流行のギャグやら下ネタやら漫画やゲームの話ばかり浮かんでくるから困る。優等生相手にそんな話が出来るか。

 とそこへ、名前を呼ばれた。
「進藤くん。もしよかったら、なんだけど」
「ん?」
「アイス、少し食べてくれない?」
 振り向けば、牧井が苦笑しながらこめかみを押さえている。
「私、たくさん食べると頭が痛くなっちゃって。昨日もそうだったんだけど、今日もちょっと……」
 冷たいもの食べると頭痛くなる人、いるいる。牧井ってそういうタイプだったのか。
 そういえば、昨日も食べるの遅かったよな。俺の方が後に食べ始めたのに、食べ終わったのはほぼ同時だったっけ。
「溶けかかってるけど、よかったら少し食べてくれないかな」
 はにかんだ笑みを向けられて、俺は瞬きをする。
 むしろあまりにうれしい申し出。渡りに船って感じ。
「食べてと言われたら遠慮なんてしないけど、いいのか?」
 確認の為に聞き返すと、牧井は笑顔で頷く。
「うん、お願い」
 そして意外と小さな手で、アイス最中をぱりっと割った。差し出されたのは九ブロック分。ちょっきり半分だ。
「こんなにくれるの?」
「進藤くんが嫌じゃなければ、どうぞ。あ、口つけてないところだから安心して」
「嫌じゃない! サンキュー牧井!」
 ちょうど冷たいものが、と言うかアイスが食べたかったんだ。俺は嬉々として九ブロック分のアイス最中を受け取った。チョコ入りの奴だ。これ大好き。昨日も買おうかどうかちょっと迷ったくらい。
「いただきまーす!」
 普段よりこころもち行儀よく、貰ったアイスを食べ始める。バニラの部分は確かに柔らかくなりかけてたけど、チョコはまだぱりっとしているし、最中も外側はしっかりしている。美味かった。
「美味しそうに食べるね、進藤くん」
 牧井が声を弾ませる。どこかほっとしたようにも聞こえた。
 貰ったご恩もあることだし、正直に打ち明けてみる。
「節約なんて言ってみたけど、本当のところは食べたくてしょうがなくってさ」
「そうだったんだ」
 牧井がまた、小さく笑う。そして言い添えてくる。
「私も、進藤くんに食べてもらえてありがたいな」
「こういう協力だったらいつでも大歓迎だ」
「わあ、頼もしい」
 何がツボにはまったのか、そこでころころ笑われた。普段は優等生っぽい、頭の良さそうな話し方をする牧井だけど、笑い方はいかにも同い年だなあという印象を受けた。
「一人で食べるより誰かと食べた方が美味しいよね」
 黒川とも、普段はこんな風に話してるのかな。そう思わせる可愛い口調。
「わかるわかる。今日のアイスは特別美味いよ」
 心底同意する。一人よりも誰かと一緒の方がいい。誰だって寂しいのは嫌なもんだろう。一人の帰り道や買い食いが寂しいと感じるのは、決して牧井だけじゃないと思う。
 俺はまあ、牧井ほどでもないけど、でもこういう風に誰かがいるのはいいよなと思ってる。
「進藤くんって優しいね」
 不意に、牧井がそう言った。
 優しいと言うより食い意地が張ってるだけだ。正直に返そうと思ったら、ワントーン落ちた声が続いた。
「もしかしたら、心配してくれたのかなって」
 目を伏せる牧井。言いにくそうに、でもはっきりと口にした。
 俺は答えに詰まった。
「いや、その」
 お節介を焼くつもりじゃないんだけどな。俺がこういうことすると、かえって気を遣わせるかなとも思ったし、心配してるよなんて言えっこない。そこまでして許される間柄でもないんだろうし。
 ただ単に俺は牧井と、大和たちの話をしてみたかった。その程度だ。心配とか同情とかそういう理由じゃない。ここへ来たら、今日も牧井がいるんじゃないかと思っただけで。
 だけど、はっきり言われてしまったら、隠し切れないような気もした。
「心配って言うかさ……ほら、牧井の気持ち、ちょっとはわかるから」
 言い訳がましく、もごもごと言ってみたりする。
「だからまあ、似た者同士、あいつらの噂話をしてやるのもいいかと思ってさ」
 俺の言葉に反応があった。真っ直ぐな視線がすっと戻る。
 一歩も引かない牧井の眼差しが、俺を見る。少しだけ笑っている。
「似た者同士って、本当だね」
 そう言われたから、笑顔が戻ったのにほっとしつつ、頷いた。
「だよな。大和と黒川のことからして」
「背の高さも一緒だしね」
「うんうん。あと年齢と、クラスも一緒だ」
「こうして見るとすごい偶然」
 驚いてみせてから、牧井が大人っぽく小首を傾げる。
「私と進藤くんって共通点、たくさんあるんだね」
 本当にそうだ。
 そもそも牧井とは昨日初めてまともに話した間柄。会話が普通に弾むこと自体、すごいなって感じがする。別に仲も良くない女の子と一緒にベンチに座って、アイスを分けてもらったり、笑い合ったりしてる。これは俺史上初めての快挙だ。それも全部、俺たちが似た者同士だからなんだろう。
 俺には、牧井の気持ちがわかるような気がしている。友達が誰かと付き合い出して、何となく物足りない気持ちはわかる。牧井も俺の内心を見抜いていたし、やっぱりそこは通じ合うものがあるってことなのかもな。
「似た者同士、話が合うよね、きっと」
 牧井が、こっちを見ながら微笑む。
 前髪に遮られない視線はどこまでも真っ直ぐだ。夏の陽射しみたいだな、と我ながら詩的なことを思う。あまりに強過ぎて、目を逸らしたくなる辺りもそう。そのくせ冷たい感じがしないところも、そう。
 視線にも、向けられた言葉にもどきっとしたけど、考えてみれば否定する理由もなかった。俺だって仲良くしたかった。幼馴染みの彼女の友達、だからな。
 気になってたんだ。牧井、どうしてるかなって。今日は昨日みたいに寂しくなってないかなって。牧井の家がどの辺りかは知らないけど、真っ直ぐ帰らないでここで買い食いなんてしてる時点で、その気持ちはすごくわかりやすい。だから、今日も公園に寄ってみてよかった。
「合うよ、絶対」
 訳もなく照れながら答えた後で、残りのアイス最中三ブロックを口に押し込んだ。
 木陰にいてもアイスは大分溶け掛かっていた。でも美味かった。この貰ったアイスの分くらいは、牧井の為に何かしてやれたらいいと思う。大したことは出来ないけどまあ、一飯の恩って奴だ。
 七月の暑い日、授業と全力疾走の後のアイスは、本当に本当に美味かった。
「ね、美月、今日も飯塚くんと帰ってた?」
 牧井もどこか照れた様子で、早速二人のことを尋ねてきた。
 そう聞いてくるからには、大和と黒川が一緒に帰ったところを見なかったんだろう。SHRが終わったらさっさと教室を出ちゃう方なんだろうか。
「帰ってた。今日も仲良しこよしだった」
 俺の答えにはうれしそうな、大人っぽい表情を浮かべる。
「……よかった」
 それから残りのアイス最中にかじりつく。ちっちゃな口を開けて少しずつ食べる。女の子らしい、可愛い食べ方をしていた。
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