Tiny garden

ふたりで等分(2)

 その日の放課後は、大和の方から声を掛けてきた。
「颯太、悪い。今日も――」
「ああ、わかってるって。黒川だろ?」
 背の高い幼馴染みを見上げて、わざとらしくにやっとしてやる。
 途端に大和は、照れたように視線を外した。付き合いの長い相手のあまり見たことのないそぶり。目の当たりにすると、一層からかいたくなるから困る。
「いいよなあ、可愛い彼女とこれから迎える夏休み。幸せ一杯ってとこ?」
「からかうなよ馬鹿」
 俺の言葉にしかめっつらを作った大和が、その後でもごもごと続けた。
「最近付き合い悪いから、何つーか、済まないとは思ってる」
 照れとしかめっつらが混在する複雑な表情。
 幸せ一杯な奴が言っていい台詞じゃない、何をいちいち気にしてんだか。俺は思わずぽかんとする。
「そんなこと言ってる暇あったら、彼女大切にしてやれよな」
 教室にはまだクラスメイトが大勢残っている。だから声のトーンを落として言ってやった。それでも大和には十分、困ったような顔をされたけど。
「そりゃわかってるよ。ただ……」
 一旦言葉を切って、そっと教室内を見回す大和。
 でも目当ての何かが見つからなかったのか、やがてこっちへ視線を戻す。
「もうじき夏休みだろ。颯太はどうやって過ごす予定なんだ?」
 問われて、またぽかんとさせられた。
「どうって……何、お前。俺の心配してんの? そんな場合か?」
 大和の真意をおぼろげに察して、思わず鼻を鳴らしてやった。そんなのは大きなお世話だ。
「馬鹿だな、お前がいないくらいで俺の夏休みが目減りする訳じゃないんだから。気にせず彼女といちゃいちゃしてりゃいいんだよ」
 俺は小さいなりに精一杯胸を張って、言った。
「こっちだって仲いい奴が大和だけって訳じゃないんだし、それなりに夏をエンジョイするつもりでいるっての」
「いや、そういうことじゃなくてだな」
「じゃあ何だよ。あ、桜子ちゃんのことか? さすがの俺もベビーシッターはしないぞ」
 妹の名前を出されたからか、大和はうっと言葉に詰まった。
 奴の家は共働きで、夏休みと言えば桜子ちゃんのお守りをさせられるのが通例だった。俺もよく一緒に遊んだけど、桜子ちゃんはおてんばだから面倒を見るのも一苦労。放っておけば庭の木に登るわスイカを馬鹿食いしちゃうわ、せっかく水貯めたビニールプールの栓は抜いちゃうわで大変だった。今年の大和はめでたく彼女が出来てしまったけど、暴れん坊な妹の面倒はどうすんのかな、とこっそり気になってもいる。
 ともかく、いいからおとなしく自分のことだけ考えてればいいのに、何を気に病んでいるのやらだ。俺に関してはそんなに心配し合うような間柄でもないだろうに。
 しばらくしてから、ためらいがちに大和が言った。
「桜子のことはいいんだ。今年はもうお守りもいらないだろうし」
 意外だ。桜子ちゃんもいつの間にやら大人になってたのか。まだ小四だってのに、女の子の成長は早いな。
 感心してる間にも話は続く。
「ただ、今月は夏祭りもあるだろ?」
「そうだったっけな」
 駅前商店街主催のそれなりに賑わう夏祭り。もちろん縁日もやるし小規模だけど花火も上がる。俺は毎年、大和と桜子ちゃんと一緒に見て回っていた。
 今年は、そうもいかないのか。大和は黒川と行くだろうし。
「それでその、お前と」
 珍しく歯切れの悪い口調。なまじ背が高いせいか、視線は天井にばかり泳いでる。長い付き合いの幼馴染みでも、こればかりは何が言いたいのかさっぱりわからない。
「俺と? 何だよ」
 急かしてやると、大和は溜息と同時に、
「まだ本決まりじゃないんだけどな。出来れば、お前と牧井も誘おうと」
 と言い掛けた。
 そこへ、
「飯塚くんっ」
 最近聞き慣れてきた黒川の、可愛い声が響いた。
 振り向けば、教室の戸口には髪の短い黒川が立っている。大和に向かって手を振ってくる。にこっと笑った顔がいつ見ても可愛くて、羨ましい。その笑顔には一点の曇りもない。
「あ、美月」
 ばかに慌てた様子の大和が、俺の方をちらと見た。早口で言った。
「また今度、改めて話す。じゃあな、颯太」
「……ああ、また明日な」
 俺は一応笑って、彼女の元へ駆け出す幼馴染みを見送った。
 でも二人が見えなくなってから、何となく複雑な気持ちになった。

 俺と牧井を夏祭りに誘うって?
 そう言うからにはいわゆるダブルデートの体裁を取るってとこなんだろうけど、大和も大概馬鹿なこと言うよな。黒川と二人っきりの方がいいって思ってるくせに、何でわざわざおまけを付けようとするんだか。そんなことしたって誰も喜びはしないのにな。俺だってカップルの間に割り込もうとは思ってないし、牧井だって――。
 そこまで考えて、ふと気付く。
 俺は去年まで、夏祭りと言えば大和たちと一緒だった。
 牧井はどうなんだろう。やっぱり黒川と一緒、だったのかな。
 今年は……どうするんだろうな。昨日のあの口ぶりなら、黒川と大和の邪魔なんてしたがらないだろうけど、でも黒川が牧井も一緒にって言ったら、考え方も変わるのかな。牧井が行くって言ったら、俺も行かなきゃならないよな。でも大和と黒川はともかく、牧井は昨日まともに話したばかりの間柄だ。俺といて楽しんでもらえるんだろうか。話は意外と合ったけど、遊ぶとなるとまた変わってくるもんだしなあ。
 ま、正式に誘われてから考えりゃいいか。今は何とも言いがたい。大体それまで俺か牧井に、付き合う相手がひょっこり出てこないとも限らない。って言うか意地でも見つけてやりたい、大和に心配されるのは悔しいから。

 いつの間にやら人気の減った教室内。何気なく辺りを見回したら、牧井の姿も既になかった。
 きっとさっさと帰ったんだろう。黒川も大和の名前しか呼ばなかったから、彼女が来た時にはもういなかったのかもしれない。一人で生徒玄関を抜け、駐輪場へと向かう牧井を想像したら、妙に落ち着かない気持ちになった。見たわけでもないくせに、あの子のこと、まだそれほども知らないくせに。
 なのに気になる。――牧井、今日も寄り道してんのかな。今日は、寂しいって思ってないかな。大和とも話をしたせいか、ほんのちょっとばかし気になった。どうせ通り道だし、帰りにあの公園を覗いてみようかなと思い立つ。

 午後三時過ぎの体感温度は、昨日とほぼ同じだった。
 きつい直射日光の下、俺は愛車のハーレーをかっ飛ばす。立ち木の並ぶ学校前の坂道を一息に駆け下り、軽くなったペダルを思いっきり漕いで、駅前の商店街の更に奥を目指した。
 今日はコンビニには寄らないつもりだった。それこそ夏休みと、夏祭りに備えて小遣いを取っとかなくちゃならないからだ。七月の暑さはアイスを食べたい気分にさせてくるけど、そこは男らしくぐっと堪えた。今日はアイスを食べに行くんじゃない。じゃあ何しに行くのかって言ったら、ただちょっと、公園前を通りがかってみるだけだ。もしそこに牧井がいたら、ちょっと声を掛けてみるだけ。心配してやってるとか同情してやってるとかそういうのではちっともなくて、ただ昨日も会ったから、今日もいるかもな、いたら昨日みたいに話してみるかなと思ってるだけだ。
 うねる裏道を車体を倒して駆け抜ける。そして辿り着いた先、児童公園の入り口には、メタリックグリーンの自転車が停まっていた。
 多分これだった、と思う。牧井の自転車、記憶は曖昧だけど多分そう。俺は深く息をつき、ハーレーを寄せて停めた。そして手の甲で額の汗を拭ってから、今更のように気まずい思いで公園内へと踏み入った。

 木陰の多い公園は、アスファルトの上よりはいくらか涼しい。だけど突っ走ってきたせいで、顔から背中から汗が噴き出していた。
 喉が渇いた。
 やっぱりアイス、買ってくるんだった。
 蝉の声が耳の中に響いてくる。暑い時はやっぱり鬱陶しい。
「――あっ、進藤くん」
 その蝉の鳴き声を割るように、牧井が俺を呼ぶのが聞こえた。
 顔を上げる。汗で滲む視界の奥、青いペンキ塗りの特等席は見える。目元を拭えば更にはっきりした。白いセーラーの牧井が一人で座っていた。ちゃっかり今日もアイス食べてる。最中のアイスだ、羨ましい。
 ぱっつん前髪の下、牧井は驚いたように目を見開いている。
「進藤くんも、アイスを食べにきたの?」
 そう尋ねられると答えに迷う。
 俺は自分でもわかるくらい締まらない顔つきをして、とりあえず笑った。
「いや、今日は……ちょっと寄ってみただけ」
 昨日もここで会ってたから。
 今日もいるかなと思ったから。
 理由を付けるならこんなとこ。心配だとか同情だとかそんなことでは全然なくて、強いて言うならただ聞いてみたかっただけだ。大和の言う『趣味の悪い噂話』ってのを。
「もしかしたら、牧井がいるかなって思ってさ」
 そこだけは正直に言ったら、牧井は大人っぽい、落ち着いた笑みを浮かべた。
「うん、私も。進藤くんが来るかなって思ってた」

 何だかんだで俺たち、似た者同士なのかなと、この時思った。
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