Tiny garden

ふたりで等分(1)

 夏の朝は暑い。
 午前八時前にはもう既にかんかん照りで、汗を掻き掻き愛車を漕いでゆく。
 駅前周辺はまだましだけど、高校前の坂道は上りだから登校時はとにかくきつい。ハーレーダビッドソンでもきつい。
「お前のハーレーが本物なら、こんな坂道だって楽勝なのにな」
 呻き声で大和が言う。
 こっちが必死になってペダル漕いでる時に、本物だの何だのと夢をぶち壊すようなことは言わないで欲しい。俺は本物のつもりでいたんだから。見えないスロットルを開いても当たり前だけどスピードは上がらない。全くもって夢がない。
 大体、上り坂の先に学校なんて建てる奴が酔狂だ。お蔭でチャリ通の人間は毎朝毎朝、歯を食い縛って重いペダルを漕ぐ羽目になる。授業めんどいなーって気持ちにプラスして、上り坂もめんどいなーと思ううち、学校行くこと自体が面倒になるからよろしくない。もっと平坦な道のところに建てりゃいいのに何を考えているんだろう。帰りは下りだかららくちんだけど。
 上り坂の先、見慣れた校舎は不真面目にゆらゆらしている。目と鼻の先に見えるくせにまだ遠い。頬っぺたから背中から水分がどんどんと流れ落ち、体力も次第に削られてゆく。
「あーもう! 今日の分の体力、使い果たした!」
 荒い息を吐きながら俺も唸る。
 ペダルが重い、動かない。坂道をのったのったと上がりながら思う。もう駄目だ、こりゃきっとヒットポイントがゼロになってる。こんな調子じゃ学校着いたら授業も耳に入りません。
「それ、毎日のように言ってるよな」
 すかさず大和には突っ込まれたけど、要はそんな台詞が口癖になるくらい急勾配の坂道だってことだ。
「教室着く頃にはけろっとしてるくせに」
「ヒットポイントが尽きると秘められた力が目覚めるものだからな!」
「何が秘められた力だ、高校生にもなって」
 歩きの連中よりもようやっと速いくらいのスピードで、俺と大和は毎朝、一緒にこの坂を上っている。押して歩けばいい、なんていう言葉は俺の辞書にはない。ママチャリじゃなくてハーレーだから、押していくのは格好悪過ぎる。だから意地でも漕いで上る。
 大和も同じだ。あれで結構負けず嫌いなところがあるから、俺が意地でも漕いでいくうちは、絶対降りようとはしないはずだ。付き合いだけは長い幼馴染み、そういう性格は把握済みだ。

 俺と大和はいつも一緒に登校していた。
 理由は至極単純で、家がたまたま近くにあって、朝起きる時間もたまたま同じくらいだからだ。はっきり約束をしたことはない。決まった時間に家を出ると、同じように家を出ようとしている大和と出くわす。短い挨拶の後に合流して、それから学校までの道を一緒に漕ぎ出す。
 他人から、仲がいいとよく言われる。実際そうなんだろうと思うけど、だからと言って距離を置くことに抵抗がある訳でもない。現に中学の頃はクラスが離れていたから、今ほどにはつるんでなかった。それでもたまに一緒に帰っていたりはしたけど。
 大和と黒川が一緒にいるようになっても、やっぱり俺には寂しいって気持ちがあまりない。羨ましさや悔しさに掻き消されているだけかもしれないものの、寂しいと言うのは何か違う気がする。大和がいなくてもどうってことなくて、ただ俺も彼女が欲しいなって気分になるだけ。仮に俺にも彼女が出来たら、それこそ全部どうってことなくなるのかもしれない。
 でも牧井は、寂しがってたよな。
 坂を上り切ったところで、昨日の公園での会話を思い出す。あの時の牧井は本当に寂しそうだったし、だからこそ本気で、牧井にも彼氏が出来たらいいよなと思う。黒川のことをすごく気遣っている様子だったし、ああいう子こそ幸せになるべきだ。絶対。

 校門を潜った先にある駐輪場で、俺たちはそれぞれの愛車から降りた。
 透明な屋根の下は学年ごとに区画が定められていて、どこもかしこも自転車がびっしり並んでいる。二年用のスペースも既に一杯だった。古いのやら新しいのやらやけに本格的なのやら、自転車の見本市みたいな駐輪場にようやく適当な隙間を見つけて、俺は塗料の剥げかけたハーレーを突っ込んだ。大和も後に続く。
 それから、――何気なく辺りを見回して、牧井のあのメタリックグリーンの自転車はあるかなと思ったけど、似たようなフレームのはそれこそ一杯あった。夏の気温の中での記憶なんて曖昧で、その中の唯一なんて到底見つけられそうにない。
「颯太、行くぞ」
 大和に促され、俺は視線を校舎へ移す。汗をだらだら垂らしながら、足取りもだらだらと、生徒玄関まで向かう。
 道すがら、幼馴染みに話を振ってみた。
「そう言えば昨日の帰り、牧井に会った」
「牧井? 牧井八重か、うちのクラスの」
 俺の言葉に大和は、思いのほか敏感に反応してみせた。高い位置にある顔がこっちを見下ろし、目を瞠る。
 知ってるのか、そりゃそうだよな。俺は納得しながら頷く。
「そうそう、その牧井」
 頷いてから、ふと知らなかった事実に気づいて、ぼそっと呟いてみた。
「ヤエって名前なのか」
「そうだ。八重一重、の八重」
「へえ。何だか知らないけど、古風っぽい名前だな」
 牧井八重、か。へえ。言われてみると聞いたことあるような、ないような。クラスメイトの、特に女子の下の名前はあんまり覚えられない。でも八重って、落ち着いた牧井の性格とはしっくり来る名前だな。
「それにしても、大和は彼女以外の子の名前もちゃっかり覚えてんだな」
 からかうつもりで言ってみたら、大和はしかめっつらになった。
「美月がそう呼んでるから覚えてただけ。あの二人、仲いいからな」
「らしいな。俺も昨日聞いた」
「牧井と話したのか?」
 珍しげに聞き返されて、ちょっと答えに迷った。
 昨日の出来事をそっくりそのまま話すのは抵抗がある。牧井の本心は、大和にも黒川にも黙っててくれと言われていたし、そうでなくても彼女が寂しがっていたことを当の大和へ匂わせるのはまずい。
 だから、その辺は曖昧にぼかしておく。
「まあな。黒川と友達だって話を聞いたのとか、いろいろ」
「へえ」
 それで大和はもっと物珍しげにしていたけど、ちょうど生徒玄関に入ったところだったから、それ以上は突っ込んでこなかった。

 教室には、もう牧井の姿があった。
 来たばかりなのか、鞄を机の横に引っ掛けていた。昨日見たとおりの白いセーラー、長いスカート、長い一つ結びの髪。俺たちが教室に入っていくと、タイミングよく顔を上げてこっちを見た。
 ぱっつん前髪の下、真っ直ぐに向けられた目は一瞬大きく見開かれた。その後すぐ、控えめにながら笑ってくれた。
 もちろん俺も笑っておく。
 それどころか声も掛けた。
「おはよ、牧井」
 こっちは普通に挨拶をしたつもりだったけど、当の牧井にも、隣にいた大和にも驚かれてしまった。牧井の方はすぐにまた笑って、挨拶を返してくれたけど。
「おはよう、進藤くん。それと飯塚くんも」
「ああ、おはよう、牧井」
 どこか慌てた様子で追随した大和が、妙な顔をして俺と牧井とを見比べる。ぼそっと言ってきた。
「本当に仲良くなってたんだな、お前ら」
 大和の奴、俺と牧井が仲良くなったら都合の悪いことでもあるのか。
 ――あるよな。俺たちの一番の共通点は、『お互いの友達同士が付き合ってる』ってことだ。いきおい、話をすれば話題に上るのは共通点に関わる事柄になるのもしょうがない。
「別に仲良くなってもいいだろ」
 あえて否定はせず、わざと意味深に応じてみせる。
「俺は大和の幼馴染みなんだし、牧井は黒川の友達なんだからな。共通の話題には事欠かないんだよ」
 正直、事欠かないってほど話してもいないし、仲良くなったというほどでもないんだけどな。
 でもまあ、幼馴染みの彼女の友達だし、仲良くしておきたいなとは思ってる。それこそお互いの共通点について聞いてみたいこともあるし。誰かさんが秘密主義なものだから気になるんだって。
「そうだよな、牧井?」
 俺が水を向けると、牧井も笑顔で顎を引く。
「うん。昨日、一緒にアイスを食べたんだよね」
「いろんな話もしたしな」
「したね、ふふ」
 こう見えて牧井は結構、ノリのいい方なのかもしれない。俺が大和を震え上がらせるつもりで含んだような物言いをしたら、ちゃんとついてきてくれた。普段、黒川ともこんな感じで話してるのかな。
 すると大和は気まずげになって、俺たちに釘を刺してきた。
「お前ら、あんまり趣味の悪い噂話とかするなよ」
「何だよ趣味の悪い話って。俺と牧井は普通の話しかしてないって」
「牧井も、颯太に悪知恵をつけさせないでくれ」
 あんまり冷や冷やした様子で大和が言うもんだから、俺は吹き出したし、牧井もつられるようにくすっと笑った。
 その時の牧井は心底おかしそうにも見えたし、楽しそうにも見えた。
 昨日みたいに寂しげにはしていなかった。
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