Tiny garden

同じ高さの目線(4)

 こういうのは多分、当たり前のことなんだと思う。
 誰にだって彼氏とか、彼女とかが出来る可能性がある。どんなに仲のいい友達でもそうだ。今まで考えもしなかったけど、大和に可愛い彼女が出来たのも、黒川にあんな彼氏が出来たのも、大して珍しくもないよくある話なんだろう。
 ってことはだ、俺にもいつか彼女が出来るんじゃないだろうか。可愛くて、背丈がちょうどよくて、放課後は自転車で二人乗りしてくれるような、そんな彼女が出来るようになってるんじゃないだろうか。じゃないと困る。俺だっていい思いがしたい。
 そりゃまあ一生独身って人もいるし、彼女なんていなくてもいいって人もいるんだろうけど、それはそれとして。身近な友達や幼馴染みに恋人が出来るのはごくありふれたことであって、重大なことではないんだと思う。だから俺が大和を羨むのも、牧井が寂しがっているのも、そんなにおかしくはないんだろうし、だけど言うべきことでもないのかもしれない。
 友達の幸せは、他でもない自分の幸せだから。
 ――いや、違うな。俺の場合は悔しいから言いたくないってだけだ。いつか大和が腰を抜かすほど可愛い彼女を作ってやって、あいつをぎゃふんと言わせてやるんだ。今はそういう気持ちで大和の幸せを眺めている。今に見てろよ、と。

 と、それで思いついた。
「そうだ。牧井も彼氏作っちゃえば?」
 アイスを食べきって手持ち無沙汰のところに、水を向けてみる。
 はっと息を呑んだ牧井が、目をまんまるにしてみせた。
「え? 私が?」
「そうそう」
 頷きつつも笑いが込み上げてくる。牧井、いくらなんでも驚き過ぎ。そういう可能性は考えてなかったんだろうか。
「牧井も彼氏作ってさ、帰り道をラブラブで帰ればいいんだよ。そしたらちっとも寂しくなくなるって」
 俺は笑いながら告げ、牧井は何だか考え込むような顔で、しきりに瞬きをしている。
「彼氏……そっか、彼氏か」
 ぼんやりと呟いて、
「そういうのはちっとも思い当たらなかったな」
 ようやく、少しだけ笑った。やっぱり考えていなかったらしい。
 黒川も可愛いけど、牧井だって悪くはないと思う。今日まで話す機会もほとんどなかったのに、こうしてベンチで並んでいられるくらい話しやすいし、それにいい子だ。いい子ってところが一番肝心。
「牧井なら、頑張ればすぐにものに出来そうな気がするけどな」
「そうかな」
 困ったような顔で笑う牧井。ついつい話を広げてやりたくなる。
「当てはないのか、どっかに」
「ううん、全然。進藤くんに言われるまで思いつけなかったくらいだから」
「好きな奴とかいない?」
 それでうっかり、口が滑った。
 今日まで話す機会もほとんどなかった相手だって言うのに、ずけずけとそんなことを聞いてしまう俺は無神経だ。しまったと思ったけど、牧井は気にしたそぶりもなかった。平然と首を横に振る。短い前髪が揺れる。
「いないよ。私、初恋もまだなの」
「へえ」
 告げられた内容に、今度は俺が驚いた。目がまんまるになっていたのかどうか、ともあれ牧井には恥ずかしそうな顔をされてしまう。
「遅いよね? 美月にもよく言われるんだけど」
「いやいやいや、そんなことない」
 俺は思いっきりかぶりを振って、
「実は俺もまだなんだ」
 と言ったら、また牧井が目をまんまるにした。
「本当?」
「本当。遅いって大和にも言われてるんだけどさ」
「でも進藤くんって、女の子に人気ありそうだよね。初恋はまだでも、告白されたりとかは……」
「ないよ。全然、ちっとも、まるっきりない」
 胸を張って言うようなことじゃないけど、断言しておく。生まれてこの方一度もない。こっちとしてはエブリタイム、エブリデイ大歓迎なのに。
「そうなんだ。不思議だね」
「そうでもないだろ、ほら、いろいろあるし……身長とかさ」
 俺がもてないのはこの身長のせいだと思っている。百五十五センチ、うちのクラスでは既に小さめな方。俺よりでかい女子はたくさんいるし、たまにチビチビ言われる。むかつく。
「身長?」
 牧井が怪訝そうにして、俺の頭のてっぺんに目を向けた。きつくない視線はゆっくりと下りてきて、肩の辺りで一旦止まり、また真っ直ぐに顔を見てくる。目が合うのにも少し慣れた。
「進藤くんって、百五十五センチくらい?」
 聞かれたから、サバは読まずに答える。
 読みたい気持ちはちょっとあったけど。
「ああ。百五十五ジャスト」
「私とおんなじだね」
「あ、やっぱりか。牧井も百五十五?」
 そうじゃないかと思ってた。肩の高さと目線の高さが同じくらいだから。
「うん。ちょうどなの」
 小さく顎を引いた牧井は、その後で首を傾げてみせる。
「百五十五センチあるなら、そんなに気にすることないんじゃないかな」
「女の子ならいいだろうけどさ。男はそうもいかんのよ」
 なかなか背の伸びない俺とは違って、大和はぐんぐん伸びている。もうじき百八十に届こうかって背丈。羨ましいったらない。同じ幼馴染みだって言うのにどうしてこうも違うのか。
「聞いた話なんだけど、カップルの理想の身長差って十五センチなんだってな」
 有名な話かと思って切り出したのに、直後、牧井には聞き返されてしまった。
「知らなかったな。どうして十五センチなの?」
「どうしてって……ほら、いろいろあるだろ、お付き合いするとなると」
 まさか女の子の前で、『それはちゅーがしやすいからなんですよ』なんてきっぱり言える訳がない。こう見えても俺は純情なんだ、枕で練習はしたことあるけどな。相手もいないのに。
 わかっているのかいないのか、牧井は何か想像するような顔つきでしばらく黙っていた。しばらく経ってから、それでも腑に落ちない様子で言ってきた。
「そうなのかな」
「何て言うか、目安みたいなもんだから」
 細部は適当に誤魔化して、話を先に進めた。
「ともかく俺は、彼女にするならせめて俺よりはちっちゃい子がいいんだ」
 俺の背が今より伸びたら、もっと選択肢は広がるんだろうけどな。成長への夢を諦めず、しかし俺よりはでかくない彼女を作りたい。女の子の方だって自分よりチビな男は願い下げだろうし、じゃなきゃ無遠慮にチビチビ言わないよな?
 俺より小さい子がいい。そういう子は、俺のことをチビとは言わないだろうから。でも百四十センチくらいの女の子ってなかなかいないんだよな。
「大和の妹が今ちょうど百四十センチでさ」
「ふうん」
「そのくらいのがちょうどいいのかなーって。まあ、あいつはないけど」
「妹さんとお付き合いしたら、進藤くん、飯塚くんがお兄さんだね」
「それも嫌なんだけど、大和の妹って小学生なんだ。さすがにそれはな」
「光源氏になっちゃうね」
 何が面白かったのか、牧井がくすくす笑っている。俺の初恋までの道程は果てしなく遠そうだけど、こうやって笑ってもらえたならまあいいかな、と思えてくる。黒川のことで寂しがっていたのが今やすっかり元気になったみたいだし、よかったよかった。
「とにかくさ、牧井も頑張れよ」
 ベンチから勢いをつけて立ち上がり、振り向きざまに俺は言った。
「頑張って格好いい彼氏作って、黒川に負けないくらい幸せ一杯になっちゃえ。そしたら自然と寂しくなくなるって」
 遠くの空が暮れ始めている。空より先に雲の色が変わった。木陰の中に落ちる木漏れ日の色もさっきと違う。
「うん」
 立ち上がった牧井の短い前髪が、温い風に揺れている。
「頑張ってみる、私」
「そうそう、その意気」
「彼氏作るよりも、恋をする方がきっと、先だろうけど……」
 牧井はベンチの前から大きく一歩を踏み出してきて、俺の隣に並んだ。真っ直ぐにこっちを見て、いい顔で笑う。
「どっちにしても、美月の幸せを今以上に喜べるから、そうしたいな」
 同じ高さの眼差しに、俺はしみじみ思う。
 ――本当、牧井もいい子だよなあ。
 俺もそうだけど、こんないい子に彼氏が出来ないはずがない。頑張ればきっと入れ食いで掛かるはずだ。頑張って欲しいもんだ。
「進藤くん、ありがとう」
 笑顔でお礼を言われると、さすがに照れた。牧井の視線は大分慣れてきたはずなんだけど、それプラス笑顔と来るとな。
「こちらこそ。ベンチの場所、分けてくれてありがとな」
 照れながらも感謝を返す。
 牧井はもっと笑った。
「ううん」
 それから、長いスカートと長い髪とを翻して、うきうきした声で言った。
「進藤くんならきっと、素敵な彼女が出来るよ」
 だといいんだけどな。
 でも女の子に保証されると、そうかもななんて思えてくるから現金なものだ。
 本当にそうだといい。俺も牧井も、これから楽しくてわくわくするような初恋が出来たらいい。でもって、誰かの幸せを願ったのと同じくらい、自分も幸せになれたらいい。――ってことで俺も牧井に倣って、もうちょい幼馴染みの幸せを願っておくかな。

 牧井とは公園の出口で別れて、そこからはハーレーをかっ飛ばした。
 狭い路地を駆け抜けながら、俺は遠くの空を見上げていた。何だか知らないうちに日が長くなってきた。七月ともなればこの時間になっても蒸し暑い。
 もうじき、夏休みが来る。
 誰にとってもいい夏休みになればいいなと、心底思う。
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