Tiny garden

同じ高さの目線(3)

 木陰のベンチに座った牧井が、俺の手元に目をやった。
「進藤くんも、公園でアイス食べるの?」
「そのつもり」
 俺は頷く。袋の中身は氷小豆。日なたにいるとたちまち頭のてっぺんが焦げ付いてくる。一刻も早く食べ始めたいところだ。
 と言っても、一番の特等席に牧井がいる。だからここには座れない、他のベンチを当たらなくちゃならない。ただのクラスメイトに相席を頼むほど図々しくはないのだ。だったら他に涼める場所があるといいんだけど――最悪、地べたに座ってもいいや。制服が汚れてもいいからとにかく日陰に行きたい。
 木が植わっているから見通しの悪い公園。蝉の声も一層大きく響いている。さて、どこへ行こうかと視線を走らせていると、牧井の声が不意にした。
「ここ、座るよね?」
「え?」
 聞こえた問いに視線を戻せば、牧井は食べかけのアイスのカップに蓋をしていた。ビニール袋にそれをしまおうとする。
「だってこのベンチは、進藤くんと飯塚くんの特等席でしょ?」
 やや早口気味に言われた。
「座っててごめんね。進藤くんが来るとは思ってなくて」
 そこまで口にした時点で、牧井はベンチから立ち上がっていた。申し訳なさそうにもしている。
 慌てて声を掛けた。
「いや、いいよ、座ってろよ」
「でも……」
 特等席なのに、と言いたげな牧井。まだ腰を浮かせかけている。けど、別に名前を書いといた訳でもない場所だ、誰が座ろうと文句なんてないし、それに――それよりも、気になっていた。
 どうして牧井が、俺の特等席を知ってるんだろう。その話も黒川経由で聞いたのか。黒川は大和から聞いたんだろうけど、何となく釈然としなかった。
 頭がじりじり言い始めていて考えはちっともまとまらない。このままじゃアイスも溶けてしまう。
 図々しいのは承知の上で、俺は牧井に尋ねてみた。
「だったら俺、一緒に座っていい?」
 牧井はただのクラスメイトだけど、幼馴染みの彼女の友達でもある。全く無関係の人間でもないしいいよな、と短絡的に考えた。単にさっさと日陰に逃げ込みたかっただけでもあるけど。
 短い前髪の下、牧井が瞬きをする。それから、
「……うん。どうぞ」
 意外にも快く了承してくれた。その上にっこり笑ってもくれた。やっぱり思っていたよりも人懐っこい子なのかもしれない。こっちもほっとした。
 それで俺は多分初めてこのベンチに、大和以外の人間と、しかも女の子と並んで座った。大和と座る時よりも広く、間にスペースを空けて。

 木陰に入って一息ついたところで、何はなくともまずアイス。
 氷小豆のカップを開け、次に紙包装の中から木のへらを取り出す。へらが出てきたところで氷をざくざく削る。もう半ば溶けかかっているせいで、へらはすんなりと氷小豆をすくい上げた。食べやすくはあるよなと自分を納得させつつ、まずは三口ほど食べる。冷たくて美味い。小豆が甘い。
 それから、ちらと隣を、牧井の様子を何気なくうかがう。牧井と俺は肩の高さがほぼ同じくらいだった。もしかすると身長も同じくらい、だろうか。ビニール袋の中に一旦はしまい込んだアイスを、再び取り出して、蓋を開けている。手つきがやけに丁寧で、そういう仕種は優等生っぽいなと思わされる。木べらの持ち方一つとってもおりこうさんな感じがする。大和もこんな感じで黒川を見てるんだろうか。
 ついしげしげと眺めたくなった時、不意打ちみたいに牧井もこっちを向いて、目が合った。
 ぱっつん前髪の下の眼差しが、やけに真っ直ぐだった。
 思わずどきっとしたけど、牧井の方は特に反応もしなかった。俺を真っ直ぐ見たまま、静かに切り出してきた。
「進藤くん」
「え、と。何?」
「……進藤くんは、寂しくない?」
 牧井の視線が戻る。手元のアイスのカップに。リンゴのシャーベットらしかった。それを一口分すくって、でもまだ食べずに続ける。
「飯塚くんに彼女が出来て」
 ぽつんと、むしろ牧井の言葉の方が寂しげに聞こえた、ような気がした。
 俺は氷小豆を口に運んで、飲み込んでから答える。
「寂しい、ってのはないな」
「そう?」
 また牧井がこっちを向く。真っ直ぐに目が合う。女の子からの、近距離の視線は結構どぎまぎするものがある。
 それはともかく、頷いた。
「悔しいとか羨ましいってのはあるけどな。あいつばっかりいい思いして、あんなに可愛い彼女作っちゃってな」
 黒川は可愛い。あんな可愛い子にあっさり告白されちゃう大和が羨ましくてしょうがない。俺だってそういうミラクルな出来事にありつきたいのに。
「そうなんだ。悔しいって言うのはちょっと意外かな」
 軽く、牧井が笑う。
「美月は、ずっと前から飯塚くんのことが好きだったの」
 それから語る。美月、と黒川の名前を呼ぶ時は、穏やかな表情になる。
「だから飯塚くんのことなら大体知ってるの。放課後、どうやって家に帰るのかとか、どこへ寄り道するのかとか。一緒にいる進藤くんのことだって、ちょっとだけ知ってた」
「へえ」
 俺はおまけか。別にいいけど。
「それから私も……私は美月と一緒にいたから」
 牧井はそこで、一つ溜息をついた。
「美月と二人で飯塚くんと進藤くんのことを見てた。この公園の、このベンチに座っていた飯塚くんたちを、遠くからこっそり見てたこともあったの。気づいてた?」
「いいや。ちっとも気づかなかった」
 いつ頃の話だろう。牧井と黒川がこの公園に来てたなんて、これっぽっちも気づかなかったな。隣のクラスの黒川はともかく、クラスメイトの牧井なら、出くわせばわかりそうなもんだけど。大和はちゃんと気づいてたんだろうか。
 で、そこまで言われてやっと合点がいった。
「ああ、だから俺たちの特等席を知ってたってことか」
「うん」
 確かめると、すかさず牧井が顎を引く。少し申し訳なさそうな顔になる。
「でも今日は、進藤くんが来るとは思ってなくて……ごめんね、ちゃっかり座ってて」
「そんなのいいったら。公園のベンチは皆のものだろ」
「ありがとう」
 感謝と同時にまた目が合った。
 どうも牧井は、人の目を真っ直ぐに見るタイプらしい。目線の高さが同じくらいってのもあるのかもしれないけど、ちょっと慣れない。びっくりする。
 視線から逃げるようにして、氷小豆をまた一口食べる。大分溶けてきてる。やばい、急がねば。
「進藤くんは、一人でもこの公園に来るの?」
 ベンチの隣からは声がする。
 落ち着いた口調。だけどどことなく、寂しげだ。
「そりゃあ。今日だって来てるし、大和がいてもいなくても関係なく来るよ」
 氷を食べながら答える。最後の方はほとんど氷小豆ドリンクってな感じになっていて、カップの縁に口をつけてずずっと飲み干した。それでもまだ冷たくて、頭がきーんとなった。
「私は、まだ慣れてないの。一人で帰るのに」
 ちょうど牧井もシャーベットを食べ終えたらしい。木べらがカップの中に落ちる、ごく微かな音がした。
「美月がいないのって、ちょっと寂しい」
 そう言ってから、やけに照れたような顔をして笑う。
「子どもっぽいと自分でも思うんだけどね。一人で家に帰るくらい、どうってことないはずなのに、いつもの道も美月が一緒じゃないと物足りなくて。だから今日は遠回りして、買い食いしちゃった」
「……そっか」
 ぶっちゃけ、牧井の気持ちはわからなくもない。
 俺もアイスを食べるなら、一人ぼっちはちょっと物足りないと思っていた。別に寂しくはないけど、ちっとも寂しい訳じゃないけど、今までは寄り道って言えば大和がいるのが当たり前だったから。
 このベンチにも、大和と一緒に座るのがいつものことだった。一緒にジュース飲んだりアイス食べたり、そのついでに宿題やっつけたり、金欠の時は水だけ飲んで凌ぎつつ、よくこの公園で遊んだ。
 ここ最近、そういうのがなくなって――多少の物足りなさはやっぱりある。
 まあ、羨ましさと悔しさの方がよっぽどでかいんだけど。
「だったらさ、大和にそう言っちゃえば?」
 場がしんみりしかけたので、俺はわざと明るい調子で言ってみた。
「たまには黒川を返して、って言ってやったら? あいつなら黙って従うと思うよ」
 大和もその辺の融通は利く奴だ。割と気も使う方だしな、俺と同じで。
 だけど牧井は笑いながら、
「それはちょっと、美月に悪いから言えないかな」
 俺よりもずっと気遣わしげにしてみせた。
「美月も、飯塚くんと一緒にいる方がいいんだもの。私だって二人の邪魔はしたくない」
 確かに。俺もあいつらの邪魔はしたくない。幸せそうだもんな。
「……だよなあ。わかるよ」
「そうだよね? 友達の幸せを、自分の幸せって思えるようじゃないと駄目だなって。だから美月にも、飯塚くんにも、そういう気持ちは絶対言わない」
 びっくりするくらい、牧井は強い口調で言い切った。
 だけどその後で、苦笑と一緒に小首を傾げて来る。
「進藤くんも……この話は、黙っててくれる?」
「もちろん」
 素直に答えた俺は、また牧井と視線がぶつかった。
 だけど今はどぎまぎなんてしていられず、真っ直ぐな眼差しもどこか複雑な気持ちで受け止めていた。
 牧井、本当に寂しそうだ。よっぽど黒川と仲が良かったんだろうな。でもそういう気持ちを言いたくないっていうのもわかる。俺だって言わない。別に寂しい訳じゃないけど。
 ともあれ、向こうが黙り込んでしまうと間が持たなくて、俺は思わず言った。
「黒川を嫁に出した気分って感じ?」
 そしたら牧井はくすっと笑った。
「うん。そうかもしれない」
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