Tiny garden

同じ高さの目線(2)

 高校の門を潜った先は勾配のきつい坂道。
 行きは上りだけど帰りは下りだかららくちんだ。青々した並木が続いていて、通り抜けると、緑のにおいがする風が気持ちいい。相変わらず蝉はうるさいけど、涼しい時はいかにも夏っぽくてなかなか悪くないと思えてくるから不思議だ。
 焦げつきそうだった髪が、風のお蔭で少しクールダウンする。汗ばんでいたシャツがパラシュートみたいに膨らむ。滑空だって出来そうな速度。俺はハンドルをぐっと握り込み、いい気分で駆け下りていく。
 坂道を下り切って、なだらかになった道をそのまま真っ直ぐ走っていくと、十五分ほどで駅前の商店街まで辿り着く。下りたシャッターがちらほら目につくようになったアーケード街の手前、対照的に真新しくてぴかぴかの看板が立っている。あれが目当てのコンビニだ。学校帰りの買い食いポイント、ここからなら公園も近いし、ぶっちゃけ家も近い。うるさい先生に見つかった時は『買って帰るところでーす』って言える。超楽勝。
 じりじり熱そうなアスファルトの駐車場、そこへハーレーで乗り入れた俺は、別の自転車の隣に寄せて停めた。エンジンを切る代わりに、スタンドを下ろし、鍵を掛ける。
 途端に汗が身体の奥から吹き出てくる。
 やばい、早く、早くアイスを。本格的なクールダウンが必要だ。俺は逃げるようにコンビニの入り口へと向かおうと顔を上げた。

 ちょうどその時、コンビニのドアが開いた。
 中から出てきた白のセーラー、同じ高校の制服がまず目に留まった。
 長い髪を一つ結びにした女の子が、わざわざ後ろを向いて丁寧にドアを閉めていた。その後で、手に提げたコンビニの小さな袋を気にするように、俯き加減でこっちへやってくる。俺のハーレーの隣にある、メタリックグリーンのフレームの自転車へと近づいてくる。ちりんと鈴の鳴る音がした。
 見覚えがある、誰だっけと思った瞬間、彼女もこっちを向いた。
 真っ直ぐに目が合う。
「あ」
 声が出た。短い前髪。知っている顔だった。
「あ、進藤くん」
 向こうも声を上げていた。――牧井だ。うちのクラスの女子。
 下の名前は例によって覚えてない。牧井何とか。今まで牧井としか呼んだことないし、そもそも呼ぶ機会もそれほどなかった相手だ。
 女子としては多分中肉中背くらい。真面目そうなぱっつん前髪に真面目そうな顔立ちをしていて、実際うちのクラスでは優等生っぽく思われていた。俺とか大和みたいな男子からすると、何と言うか結構敷居の高そうな女子。馬鹿話は振りづらいタイプ。チビチビ言ってくる連中と比べれば悪い印象はないものの、春から同じクラスになったばかりだし、頭が良さそうだしで、今までほとんど話したことがなかった。
 それでも、クラスメイトと出くわしてスルーというのも失礼だろう。これでも気を遣う方なんだ。てな訳で一応、声を掛けてみる。
「牧井、寄り道?」
 話し掛けられるとは思っていなかったのか、牧井はその時、ぱちぱちと瞬きをした。
 それから笑いかけられた。少しばかりぎこちなく。
「うん。進藤くんも?」
「まあな」
 反応が硬かったので、俺はどう言葉を繋ぐべきか迷った。普段あまり話さない相手だと話題探しが難しい。長引かせるのも悪いし、あっそ、じゃあなでぶった切るのも気まずい。
 とりあえず思ったことを続ける。
「牧井も寄り道とかするんだな。そういうタイプだと思わなかった」
 そう言うと、牧井は照れたように首を竦めて、
「最近が暑いから、アイスでも食べないとやってられないよ」
 手に提げていたビニール袋を持ち上げた。
 中に何か冷たいものでも入っているのか、袋は汗を掻いて張り付いている。カップアイスと見た。カップアイスもいいよな、と迷いが加速してしまう。
 それはさておき、
「だよな」
 牧井の言葉に同意を示しつつ、内心ではへえ、と思った。いかにも優等生っぽい子でも、俺と同じようなこと思ったりするんだな。
 妙な感心を抱いたところで、牧井は汗を払うように頭を振った。短い前髪と結んだ後ろ髪とが濃い色の影ごと揺れて、こちらを向く表情がふと穏やかになる。
「そうだ、進藤くん」
「ん?」
「飯塚くんと美月、一緒に帰ってた?」
 急に牧井が二人の名前を出したから、俺はちょっとびっくりした。どうして牧井があの二人のことを聞くんだろう。それに黒川を名前で呼んでる、ってことは。
 考えが顔にでも出てたのか、牧井が説明を付け加えてきた。
「美月と私、友達なの。中学の頃からの」
「何だ、そうだったのか」
 納得。俺は笑って、さっきの問いに答える。
「あいつらならいつものように仲良く帰ってたよ」
 それはもう、間に誰も割り込めないくらいにいちゃいちゃと、仲睦まじく。付き合いたてだっていうのにあいつらは仲が良過ぎる。見てる方はもう羨ましくて羨ましくてしょうがなくなるくらいに。
「……そっか。よかった」
 牧井も笑った。今度は少し、大人っぽく。
 それからメタリックグリーンの自転車の鍵を外して、ハンドルを握ってからスタンドを上げる。
「じゃあ進藤くん、またね」
「ああ。また明日」
 俺が手を振ると、牧井は一瞬だけ驚いたような顔をしてから、上級生にでもするみたいに会釈を返してきた。そしてゆっくりと漕ぎ出し、コンビニの駐車場から消えていく。後ろ姿をちらっとだけ見て、この暑いのにスカート長いな、とどうでもいい感想を持ってみる。
 それにしても、黒川の友達かあ。
 言われてみると黒川と牧井って系統が似てる感じがする。あまり性格がきつそうじゃなくて、どっちかって言うと落ち着いている。二人とも頭もよさそうだ。黒川が人懐っこいから、牧井も結構人懐っこかったりするんだろうか。さっきの話し方とかは、今まで持ってた優等生ってイメージよりかは話しやすかった。話してみたら案外気安い子かもしれないな。
 機会があったらクラスでも話しかけてみようかな。大和はあの通りのむっつりぶりで黒川のことを話したがらないけど、牧井なら黒川から聞いた面白そうなネタを持ってるかもしれない。是非とも聞いてみたい。でもって大和をからかってやりたい。
 ぼんやりと企みながら、俺もコンビニ店内へと向かう。

 冷房の効いたコンビニで、熟慮の末、氷小豆のカップを買った。
 さっき会った、牧井の影響は否定しない。
 汗を掻く小さなビニール袋を、愛車ハーレーのハンドルに引っ掛けた。さあ、あとちょっとで冷たいのにありつける。頑張ろう。深呼吸を一つしてからコンビニの駐車場を出る。
 次に向かうは近所の公園。アーケード街から一本奥へと入った路地の先、古びた家の多い一角に大きめの児童公園がある。遊具も一通り揃ってるし、木がわんさか植わっているので木陰にも事欠かない。中でも一番大きな木陰が出来るポイントがあって、そこの傍に置かれているベンチが、俺と大和の特等席だった。最近は一人で行くことの方が多いけど。
 曲がりくねった裏道を巧みなコーナリングテクニックで通り抜けた先、大きな公園が見えてきた。規模の割にちゃんとした駐輪場がなくて、いつも入り口の脇、他の自転車が並んでいるところに倣うように停めていた。いつもと同じく、俺はハーレーを停車させる。エンジン代わりの鍵を抜く。直後、先に停まっていた自転車の一台にふと目が留まる。
 陽射しを跳ね返すメタリックグリーンのフレーム。
 何となく、見覚えがあった。こいつは確か、さっき牧井が乗ってた奴じゃなかったっけ。――ということは。

 漠然とした予感を持ちながら公園内へ立ち入ると、木陰に置かれている青いペンキ塗りのベンチには、予感の通りの先客がいた。
 風の出てきた夕方の公園、ちらちら揺れる木漏れ日を受けた牧井を見つけた。右手にシャーベットのカップを、左手に木べらを持って、既にアイスを食べ始めている。俺は思わず声を掛ける。
「また会ったな、牧井」
 また明日、なんて挨拶したすぐ後に顔を合わせるのは、なかなか恥ずかしいものがある。
 俺を見上げた牧井も、そのせいか気まずげに笑っていた。
「そうだね、進藤くん」
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