Tiny garden

同じ高さの目線(1)

 アイス食べたい。
 夏だからな。
 七月ともなれば教室の中はのぼせるほど暑くて、おまけに梅雨明け後の太陽光線の強烈さったらない。梅雨の頃は鬱陶しくてしょうがなかった雨が、今となっては恋しいくらいだ。雨音の代わりに蝉がうるさく鳴いている。雨の代わりに汗でシャツがじっとりする。
 ってことで俺は今、猛烈にアイスが食べたい。そうでもしないとやってられない。
 今日の放課後はコンビニ寄って、その足で近所の公園に行って、上手い具合に木陰に置いてあるベンチ陣取って、買ったアイスを思う存分堪能してやろうと決めていた。買うなら断然ソーダ味の棒アイス。いや待てよ、氷小豆もなかなかいいよな。定番だけどカップのバニラも捨てがたい。最中アイスも食べ応えあるし――悩むなあちくしょう。
 まあどいつにするかは店頭でじっくり悩むとしてだ、買い食いを一人ぼっちでってのも物足りないもんだ。いつものように、あいつを誘ってみることにする。
 SHRが終わってすぐ、俺は同じクラスの大和に声を掛けた。

「――ああ、悪い。今日は無理」
 席から立ち上がりながら、済まなそうに手を合わせる大和。
 それで俺も大体のところを察して、軽く笑っておいた。
「彼女か。だったらしょうがないよな」
「悪いな、今度付き合うから」
 背の高い大和が、俺を見下ろしながら苦笑を返す。最近付き合いの悪いことを多少は気にしているらしい。別にいいのに。
「いいよいいよ、あっち優先してやれよ。せっかくの可愛い彼女だろ?」
 俺が聞き分けよく答えた直後、教室の戸口には大和の彼女の姿が覗いた。中を見回すこともなく、真っ先にこちらへ、大和の席へ目を留める。
 隣のクラスの子で、名前は確か黒川。黒川――何て言ったっけ。
「美月」
 そう、黒川美月。大和が名前を呼んだお蔭で思い出した。
 黒川はすらっと背の高い子で、同じように長身の大和とは実にお似合いのカップルだった。二人はつい先月付き合い始めて、まさに清く正しい男女交際の真っ最中。相対的に大和が俺とつるむ時間は減ってくるという訳。ここ二週間は一度も一緒に帰ってない。
「飯塚くんっ」
 声を弾ませる黒川。それからひょいひょいと可愛らしく手招きするものだから、大和もわかりやすい照れ笑いを浮かべている。俺に向かってぼそりと挨拶。
「じゃあな、颯太」
「おう。彼女と仲良くしろよ」
 冷やかしのつもりで言ったら効果覿面だったらしく、馬鹿、と唸った大和が、教室の外へと逃げてゆく。黒川がそれをにこにこしながら出迎えるのを、俺はじっくり見送ってやった。
 そして思う。――ああもう、めちゃくちゃ羨ましい!

 俺と飯塚大和は、いわゆる幼馴染みという奴だ。
 漫画とかでは幼馴染みって言ったら可愛い女の子が朝起こしに来てくれるものと相場が決まっているにもかかわらず、俺の幼馴染みは残念ながら男だった。弁当を作ってくれることもなければ小さな頃に結婚の約束をしていたりもしてない。当然だ。とは言え長い付き合いのせいか妙に気の合うこともあって、小中高と何となくつるんできた。高校ではうっかり同じクラスになったもんだから、帰宅部同士、一緒に帰ったりもしていた。
 それがどういう運命か、大和にだけ彼女が出来てしまった。しかも結構可愛い子。それでいて背の高い子。彼女の方が告白してきて、それで大和も満更でもなかったらしくて、晴れて交際はスタートした。幼馴染みに先を越された俺の置いてけぼり感と言ったらもう、悔しさのあまり床をごろごろしたくなるほどだった。こっちは生まれてこの方告白なんてされたことないのに。羨ましい。
 恋人いない歴十六年、現在の俺のステータスがそれ。ぶっちゃけると彼女が欲しいなんて今まではあんまり思ったことなかった。女の子って何考えてるかわかんないとこあるし、男同士の方が気楽だし。でも大和と黒川を見ていたらもう駄目。羨ましくて羨ましくてしょうがなくなってしまった。それもこれも黒川が可愛いからいかんのだ。
 俺も彼女が欲しい。可愛くて、背丈がちょうどよくて、放課後になったら違うクラスの教室まで迎えに来てくれて、人目も気にせず『進藤くんっ』なんて呼んでくれて、俺が出て行ったらにっこにこしながら出迎えてくれて、帰り道は自転車で二人乗りしてくれるような、そんな彼女が欲しい。そしたら夏場はしょっちゅうアイスを買い食いするんだ、コンビニに寄るのも公園行くのも彼女と二人。きっとアイスが特別美味く感じるに違いない。
 そうだ。
 アイスだ。
 大和が立ち去ってからしばらくぼんやりしていた俺は、そこでようやくアイスを欲していたことを思い出す。今はとりあえず彼女よりもそっちがいい。一人でもいいや、食べて帰ろっと。

 俺と大和は幼馴染みで、当然ながら家も近い。家から学校までの距離はやはり当然のようにほぼ同じで、だから同じチャリ通をしている。
 生徒玄関を抜けてグラウンド傍にある駐輪場へ向かったら、そんな俺と大和がばったり出くわす羽目になった。
 もちろん黒川も一緒。
「あっ、……颯太か」
 大和のその呻き声と、微妙な間は何を示すのか。駐輪場には申し訳程度に透明な屋根がついているだけで、じりじりした陽射しの下、真っ赤な顔をされてしまった。
 かえってこっちの方が気まずくなる。馬鹿め、そこは平然としてろっての。
「お、偶然」
 わざと意味ありげに言ってやると、大和はますます赤くなったし、黒川もどこか恥ずかしそうにしていた。だけど揃ってもじもじしている二人はいかにもお似合いって感じに見えた。余計羨ましくなる。
 大体二人とも俺よりずっと先に教室出たくせに、まだ駐輪場でぐだぐだやってるんだからしょうもない。きっと廊下も生徒玄関ものんびりのほほんと歩いてきたに違いない。これだから幸せ一杯の奴らは。
「進藤くんも、今帰り?」
 大和が自転車の鍵を外している間、黒川が声を掛けてきた。人見知りしない子らしくて、たまにだけど俺にも話を振ってくる。彼氏の友人を多少は気に掛けてくれてるらしい。見下ろされてはいるけど、そんなのは関係なしにいい子だ。
「まあな。買い食いする予定だけど」
 正直に答えたら、黒川は短い髪を揺らして、おかしそうに笑う。
「そうなんだあ」
「颯太は本当に買い食いが好きだからな」
 大和もつられるように笑いながら、駐輪場から見慣れた銀色の自転車を引っ張り出す。車輪の音がからから鳴る。俺は大和が自転車を出すまで、じっと待っている。帰り道まで一緒になるつもりはなかった。邪魔しちゃ悪いし。
「じゃあな、颯太」
「進藤くん、ばいばい」
 付き合いたてカップルが一緒になって手を振ってくる。
「ああ。また明日な」
 俺が手を振り返した後、二人は並んで歩き始めた。
 校門へと続く乾いた道を、大和は自転車を押しながら、黒川はその横について歩いていく。もっともこれはフェイクで、校門を出てしばらく行ってから二人乗りをするのがいつものあいつらだった。先生に見つかるとうるさいからと大和は言い訳しているけど、ぶっちゃけ照れてるだけだと思う。俺あたりに見つかっちゃったらからかわれると踏んでるんだろう。事実、俺なら真っ先にからかう。
 大和と黒川の後ろ姿と、背の高い二人の長い影を、見えなくなるまでぼんやり眺める。
 二人が校門の向こうへ消えてから、やっぱり思った。羨ましい。

 ぎんぎんに照りつける陽射しの下、俺は大きく息をつく。
 それからようやく、自分の愛車の鍵を外して、熱くなってる車体を駐輪場から引っ張り出す。
 黒の塗装も剥げかけている愛車は、後ろに荷台のついたいわゆるママチャリ。あろうことか母さんのお下がりだ。みっともない。だからこいつに乗る時は、頭の中でターミネーターになりきる。こいつはママチャリなんかじゃない、ハーレーダビッドソンである、そう念じると何となくそんな気がしてくるから不思議だ。車輪がからから回ってようと、自転車のベルが風鈴みたいなか弱い音を立てようと、俺の頭の中でこいつは黒のハーレーだ。あのテーマソングを脳内リピートしながら夏の道をぶっ飛ばすのはなかなか気分がいい。
 だけど女の子については、念じようとすること自体が空しいだけだ。俺にも彼女がいる、なんて思ったところで幸せになれるはずもない。目の前であんな仲良しっぷりを見せつけられてしまえば羨ましくなるけど、こればっかりは想像力じゃどうしようもない。
 いいよなあ。あいつら、これから来る夏休みは薔薇色気分で迎えるんだろうなあ。
 俺にも何かのご縁があって、うっかり彼女が出来たりしないかな。可愛くて、いい子で、俺より背のちっちゃい彼女が。

 彼女を作ろうと思っても、こっちには問題がある。
 大和ならちっとも問題にならないことだけど、俺の場合は厄介な障害になりうる。ってか、俺がもてないのはきっとそのせい。間違いなく。
 俺のステータスは恋人いない歴十六年、身長百五十五センチ。
 中学以来ぴたっと伸びなくなってしまった背丈は、高二のクラスの中では前の方。大和は背が高いから、話をする時は常に見下ろされてしまう。そして俺より背の高い女の子もざらにいて、例えば黒川なんかもそうだった。だから大和と黒川はお似合いだし、俺とお似合いになってくれそうな女の子はなかなかいない。口の悪い女子の中には『進藤ってチビだよね』なんてずばり言ってくる奴もいるからむかつく。そういう女は俺だって願い下げだ。
 実際問題、俺より低い女の子はそれほど多くないし、いてもそれだけで付き合いたいとは思わないし、そもそも身長を差し引いても付き合いたいとまで思う女の子と出会ったことがない。どんな時に思うんだろうな、好きだとか、付き合いたいとかって。
 でも彼女は欲しい。夏休みに向けて可愛い女の子と仲良くなりたい。長らくつるんでいた幼馴染みに彼女が出来て、おいそれと誘えなくなった状況。このままじゃ今年の夏休みは寂しくなりそうだから、代わりに遊んでくれる子が欲しい。
 当てはまるっきりないんだけどな。
 全く、アイスでも食べなきゃやってられない。
 また息をついてから、俺は愛車のハーレーに跨った。脳内に流れるテーマソングと、みんみんうるさい蝉の声をバックに勇ましく漕ぎ出す。午後三時過ぎの直射日光は強過ぎて、頭のてっぺんが焦げつきそうだった。

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