Tiny garden

幼馴染みの空白期間(1)

 静司くんと喧嘩した。
 ――喧嘩って言っても取っ組み合いになったわけじゃないし、それどころか口論にすらならなかった。私が一方的にむかむかして、嫌味っぽいことを言ったり八つ当たりしたりしても、静司くんは笑っていた。しょうがないな希はって感じで笑ったまま、あんまり言い返してこなかった。ただそれでも『入れた予定は変えられないんだ』って言うから、私は気持ちのぶつけどころがとうとうわからなくなって、最後には無視を決め込んだ。
 喧嘩の原因は夏休みのことだ。
 大学の夏休みは高校よりもずっと長くて、そのことだけでもずるいって感じなのに、その長い休みのほとんどにバイトの予定を入れたって静司くんが言うから。
 私は、夏休みに入ったらたくさん一緒にいられると思ってた。大学生と高校生の違いは夏休みの長さだけじゃなくて、今年になってからの静司くんは勉強でも、友達付き合いでもとにかく忙しそうだった。夜遅くに帰ってくることも何度かあって、斜向かいの家に駆け込んでいく静司くんの姿を見かけては、ちょっと変な気持ちになったりもした。もちろん会う時間が全然なかったわけじゃないし、むしろ静司くんは会えない日でもメールをくれたり――これは高校時代と変わらず、超素っ気ない文面なんだけど――、時々部屋に押しかけてきたり、逆に私を静司くんの部屋に呼んでくれたりもした。だから、しょうがないなって言われても本当にしょうがないのかもしれない。
 だけど。
「バイト、四時には終わるから」
 つっかけのスニーカーの爪先をとんとんさせながら、静司くんは玄関前で言う。もうバイトに行く時間なんだって。朝一で外に出てこいってメール貰ったからいそいそ出ていけば、家の前でそんなことを言われてしまった。
 私、まだむかむかしてるのに。
「帰ってきたら構ってやるから、ちょっと待ってろよ」
 静司くんは宥めようとしてくるけど、四時に帰ってきたら晩ご飯までもう間もない。まだ高校生の私には、幼馴染みと一緒だからっていうだけじゃ破れない門限もあるのに。
「まだ怒ってるのか?」
 怪訝そうなその質問には、無視を止めて答えてあげた。
「……だって。バイトするなんて聞いてなかったもん」
「だから言っただろ。友達に誘われて、その時にはもう定員ぎりぎりで、あんまり迷ってる暇もなかったんだって。こっちはバイトも初めてだし、知り合いが一緒の方が心強いしさ」
「聞いたけど」
 せめて、せめて先に教えて欲しかった。全部決まってしまってから経緯だけ説明されたって納得いかない。大体、高校時代は何にもしてなかったのにどうして急にバイトなんか。
「じゃあ、行ってくるからな」
 歩き出した静司くんが手を振る。私が黙って突っ立っていたら、何回か振り返って苦笑いしてきたけど、直にぱっと走り出した。そうして暑さにゆらゆらしている道の向こうへ、すぐに消えて見えなくなった。
 怒っているはずの私は、静司くんがいなくなってからもしばらく、外にいた。
 朝のうちから日差しはきつく、今日も真夏日かもしれないな、とぼんやり思う。バイトの中身は倉庫整理と商品の陳列だそうだから、静司くん、初日から暑さにやられないといいんだけど。

 本当は怒ってるわけじゃなくて、単なるやきもちだって、わかってる。
 大学に行ってから、静司くんについて知らないことがぐんと増えた。どんな友達がいるのか、どんな勉強をしてるのか、大学ってどんなところなのか、帰りが遅くなる日は何をしてるのか――聞けば静司くんは全然気にした風もなく、おおよそのところを教えてくれるけど、聞くのが怖いこともあった。友達に女の子はどのくらいいるのとか、飲み会に顔を出してるっていうけどお酒飲んでるわけじゃないよねとか、やっぱり、聞けない。
 アルバイトしなくちゃいけないくらい、私の知らないところで知らない人とあちこち遊びに行ったりした? ――とかも。
 だからそういう聞けないことや知らないことがどうでもよくなるくらい、夏休み中は一緒にいればいいって思ってた。
 大学と高校で離れたからって、不安がることないんだって思いたかった。

 むかむかが呆気なく引いてしまっても、もやもやした気分はずっと残っていた。そのせいで私は夕方まで、何となく落ち着かずに部屋でだらけて過ごす羽目になった。
 午後四時になる頃には時計がすごくすごく気になり始めていたけど、なるべく外は見ないようにした。静司くんと会ったってまだ謝る気にはなってないし、かといって無視の続きをわざわざするのも嫌だった。怒ってもいないのにわざと怒ったふりをするのも嫌だったし、つまらないやきもちがバレるのはもっと駄目。
 でも、静司くんは電話を鳴らす。私の携帯電話に、こういう時はメールじゃなくて電話を掛けてくる。しかもワンコールで切る。窓から外を見ろ、の合図。
 私はのろのろ窓際に歩み寄って、うちの家の前の道路から、こっちを見上げている静司くんを見つける。私が覗いたのはすぐに気づかれて、軽く手を振ってくる。
「ただいま、希」
 窓が開いてたのは偶然だ。暑かったから。静司くんが私を呼んでいる。心なしかちょっとくたびれた顔をしている。
「うちの冷凍庫にアイスあるんだ。それ出してやるから、機嫌直せよ」
 おやつで釣ろうとしてる。失礼だなあ。
 引いたむかむかがちょっと戻ってきて、
「いい。自分で買いに行くから」
 つい、意地っ張りなことを言ってしまった。
 嘘じゃない。アイスなんてそんなに高いものじゃないし、私のお小遣いも多い方では決してないけど、買えなくはないもん。アルバイトなんかしなくたってそのくらいは買える。
「そんなこと言うなって。きっかけを用意してきた俺の気持ちもわかれよ」
「わかんない!」
「全く、お前はちっちゃい頃から本当に頑固だよな――」
 静司くんが呆れたように言うから、そこでぴしゃりと窓を閉めてやる。
 頑固なのは自分でもわかってるもん。静司くんの行動に怒ってるわけじゃなくて、ただのやきもちと不安だけで、あと知らないことが怖いだけで。幼馴染みなんだから、付き合い長いんだから、いっそ疑問に思ってることも全部聞いちゃえばいいのにね。それが出来ないのも頑固だから、かなあ。
 私は少し迷ってから、でも言ったからにはしなくちゃと、とりあえず部屋を出て更に家の外へ出た。
 玄関前には静司くんがいて、出てきた私にあれっという顔をしてみせる。私はそれを慎重に、横目で見ながら、庭先にある物置へ向かう。草いきれの中、いい具合に蒸された自転車を引っ張り出す。蒸し自転車はハンドルもサドルも誰かが乗ってたみたいに温い。
「どっか行くのか」
 塀越しに覗き込んできた静司くんが尋ねる。
 渋々答えてあげた。
「アイス買いに行く」
「……だから、うちにあるって」
 呆れられたみたいだけど、こっちだって引っ込みがつかなくなってるんだから、今更食べに行くとも言いづらい。それにアイス買うくらいのお金はあるもん。私は友達と遊びに行くのでも、もしくは静司くんと一緒にいる時も、そんなにいっぱいお金使ったりしない。
「いいの。行くったら行く」
 私は強く言い張って、それから自転車のスタンドを上げた。このまま道路に飛び出して静司くんを素通りしよう、もし追いかけてきたら振り切ってやろう、そう考えた時、
「じゃあ、俺も行く」
 不意に静司くんが、軽く笑ったままで宣言した。
 自転車の温いハンドルを握る私は、意味がわからなくて聞き返す。
「どこに?」
「アイス買いに」
「え、何で」
「食べたいから。希と」
 静司くんは笑っていたけど、てこでも動かなさそうな口調をしていた。いつぞやみたいにうちの庭にずかずか入ってくると、私の手からあっという間に自転車を奪う。
「お前、後ろに乗れる?」
 途端に手持ち無沙汰になった私へそう聞いてきたから、やろうとしてることはすぐに察した。
「乗れるよ。でも――」
「へえ乗れるのか。補助輪取れるの遅かったくせに」
「――それは関係ないもん。二人乗りくらい楽勝だもん」
 友達としたことが何回もある。後ろに乗るのも、乗せるのも平気。
 何だか意外そうな顔をした静司くんが、やがて気を取り直したように、
「俺が漕ぐから、乗れよ。アイス買いに行こう」
 そして私の蒸し自転車にまたがって、すぐに言った。
「うわ、お前の自転車サドル低いな」
「な、ひ、低いのはしょうがないでしょ! だって静司くんよりかは私ちっちゃいし、女の子だし、足短いってわけじゃない!」
「誰もそこまで言ってないだろ。後で戻すから、サドル上げるぞ」
 斜向かいなんだから、自分の自転車持ってくればいいのに。
 というか、まだ一緒に行くって言ってないのに。
 静司くんは私の気持ちなんかお構いなしで手早くサドルの高さを上げると、何だかんだで私を後ろに乗せて、庭先から夏の道へ漕ぎ出した。
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